10話「合う」
朝の光が、湿った森の空気を白く染め上げている。
吹き抜ける風には、昨日までの泥濘んだ重苦しさはなかった。どこか軽く、乾いた冷たさが頬を撫でる。
生徒たちは、すでに並んでいた。
二列。その間隔は、昨日強制された時と同じように近い。
完全に混ざり合ったわけではない。互いへの不信感や、昨日ぶつけ合った剥き出しの言葉の棘は、まだ彼らの内側に生々しく残っている。
それでも、隣に立つ相手を突き放すような拒絶のオーラは、わずかに影を潜めていた。
離れてはいない。ただそこに、互いの存在を消せない事実として受け入れた群れがある。
誰も喋らなかった。
無駄な口論も、薄っぺらな虚勢も、昨日の泥沼の中にすべて吐き出してきたからだ。
「組め」
ユリウスの声が、凛とした朝の空気に響く。
その指示に対し、生徒たちは淀みなく動いた。
迷いは、昨日よりも明らかに少ない。機械的に、あるいは惰性的に動くのではなく、それぞれが自分の位置を、そして隣に立つべき相手を認識して動いている。
カイルの隣にエマが、エリシアの隣にトーマスが立つ。
昨日と同じ組み合わせ。歪なパズルのピースたちは、昨日よりも滑らかに噛み合おうとしていた。
視線は、まだ合わない。
だが、昨日のように露骨に逸らすこともしない。
ただ正面を見据え、隣の気配を肌で感じ、敵を待つ。
「行く」
ユリウスの短い宣告と共に、森の深淵が脈動した。
草木がざわめき、土を蹴る音が近づいてくる。
一体。
現れた化け物との距離は、昨日と同様、逃げ場のない至近距離だ。
「前」
カイルが短く、鋭く発した。
その声に呼応するように、エマが地を蹴る。
同時。
昨日のような衝突はない。互いの歩幅と肩の動きを、視界の端で捉えている。
ぶつからない。
一瞬だけ、二人の間に化け物を迎え入れるための「間」が生まれた。
化け物の牙が、空気を裂いて迫る。
「右」
エマの短い指摘。
カイルの体が、最小限の動作で横へずれる。
鋭い牙がカイルの衣服をかすめ、空を切った。
当たらない。
昨日なら腕を噛まれていたはずの攻撃が、紙一重で回避される。
一歩、戻る。
呼吸を整える間さえ惜しみ、二人は再び間合いを詰めた。
「今」
短い号令。
カイルの剣が化け物の肉を裂く。
しかし、まだ一撃の重さが足りない。攻撃は浅く、化け物は倒れない。
次が来る。
背後。死角からの強襲。
「見るな」
トーマスの声が飛ぶ。
エリシアは背後を振り返りたい衝動を抑え込み、正面の敵を見据えたまま横へとスライドした。
そこに道ができる。
空いた空間に、トーマスが滑り込む。
エリシアが信じて空けた場所を、トーマスが埋める。
鈍い衝撃音と共に、トーマスの攻撃が化け物の側頭部を捉えた。
動きが、止まる。
そこへ、ロイドとガイルが同時に飛び出した。
「どけ」とも「来い」とも言わない。ただ、互いの得物の軌道が重ならないことだけを確信して、別の角度から同時に踏み込む。
ぶつからない。
拳と剣が、化け物の急所を正確に、そして同時に貫いた。
巨体が崩れ落ち、土埃を舞い上げる。
セレスティアが動く。
やはり、その動作は他の者たちに比べれば決定的に遅い。
だが、隣にいるサラが、その背中を力強く押した。
「一歩、前!」
突き出されたその一歩が、届く。
セレスティアの細い剣先が、倒れかけた化け物の傷口に深く突き刺さった。
当たった。
上空からナナの魔法が放たれる。
今度は、味方を巻き込むような焦りはない。乱れた戦線の中、唯一明確に空いた「穴」を狙って、術式が叩き込まれる。
着弾。
ミレイナは、まだ震えていた。
けれど、足は止まらない。隣にはリナがいる。
「行くよ」
リナの短くぶっきらぼうな言葉に、ミレイナは小さく頷いた。
二人は一緒に動く。遅い歩調を、リナが無理やり引き上げるようにして戦場を駆ける。
フェリクスが、その威圧感に圧されて下がりかける。
その瞬間、ユウがフェリクスの腕を強く掴んだ。
「逃げるな」
言葉にはならなかったが、その手の強さがフェリクスを引き留めた。
踏みとどまる。止める。
ノエルとシオンが動く。
音もなく、まるで影が重なるように。
静かに、しかし確実に、二人の連携は化け物の隙を的確に突いていく。
全部が、ほんの少しだけ、合い始めていた。
もちろん、それは長くは続かない。
一度の成功は、すぐに次の綻びを生む。
指示が遅れ、立ち位置が乱れ、連携は再び崩壊の兆しを見せる。
だが。
土の上には、一体の化け物が動かずに転がっていた。
静寂が戻る。
勝利の叫びをあげる者は一人もいない。
ただ、肩で息をする音だけが重なり合っている。
生徒たちは、地面を見ていた。
自分たちの足元に転がっている、自分たちが倒した戦果を。
昨日までは、ただ無様に倒れ伏していただけの自分たちが、今日は一体の敵を屠っている。
カイルは、何も言わなかった。エマを褒めることも、罵ることもない。
エマもまた、カイルの負傷を確認するような殊勝な真似はしない。
トーマスは深く息を吐き出し、エリシアは剣先を見つめて視線を落とした。
ロイドはいつものような軽口を叩かず、ガイルもまた、彼を拒絶する言葉を飲み込んだ。
「……今の」
誰かが、掠れた声で呟いた。
だが、その先は続かない。
それが何だったのか、言葉にするにはまだ早すぎる。
偶然かもしれない。ただの幸運だったのかもしれない。
けれど、彼らの掌には、確かに「合わされた」瞬間の確かな感触が残っていた。
ユリウスが、その光景を静かに見つめていた。
満足げな笑みを浮かべるわけでもなく、ただ厳しい視線のまま、彼は告げる。
「続けろ」
それだけだった。
昨日なら返ってきたであろう反発の声は、どこからも上がらない。
文句を言う時間があるなら、次の呼吸を整えるべきだと、彼らは本能で理解し始めていた。
再び、構える。
互いの距離は、先ほどよりも少しだけ近い。
心理的な壁が消えたわけではない。嫌悪感も、競争心も、依然としてそこにある。
まだ、足りない。
彼らは完成からは程遠く、依然として最悪のチームのままだ。
でも。
確かに、合った。
バラバラだった音たちが、一瞬だけ重なり、一つの和音を奏でた。
そのかすかな余韻を消さないように、彼らは再び、暗い森の奥へと視線を向けた。
第十話「合う」
地獄のような反復の中で、彼らはようやく、隣に立つ者の輪郭を掴み始めた。




