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新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜  作者: 条文小説


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8/10

1-8 奥野の相撲大会と、片手で宙を舞う巨漢

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia

 大狩猟の興奮冷めやらぬ柏峠かしわがとうげ。主催者の伊東 祐親すけちかは、集まった五百余人の侍たちを見渡し、豪快に笑った。


「若き者たちよ! 狩りの疲れを相撲で吹き飛ばそうではないか! 力自慢の技を見せてくれ。これ以上の見世物はあるまい!」


 その言葉を合図に、座が沸き立った。三島の入道 将監しょうげんが、いかつい身体を揺らして進み出る。


「よし! まずは、先ほど巨大な岩を投げ飛ばした山内滝口やまうちたきぐち殿。それと、駿河の誇る合沢弥五郎あいざわやごろう殿。この二人で組んでみよ。これぞ坂東一の力比べだ。わしが行司を務めてやろう!」


 だが、岩投げの英雄・滝口は鼻で笑った。


「坂東八カ国に、まともな相手はおらんのか? こんな小男を相手にしろとは。馬の上だろうが、地上だろうが、脇に挟んで畳んでしまえば身動き一つできまいて」


 対する弥五郎も黙ってはいない。


「ほほう、図体ばかりデカい滝口が何を言う。荷物を運ぶだけならデカい方がよかろうが、侍の本分はそこにはない。戦場せんじょうで重い鎧をまとい、敵と組み合い、下に伏しながらも急所を刺して首を取る……その時、デカいだけの男など何の役にも立たんわ!」


「(……面白い、やってやろうじゃないか!)」


 滝口は直垂ひたたれを脱ぎ捨て、筋肉の隆起した上半身を晒した。


「首を取るか取られるか、力比べで決めてやろう。肋骨の二、三枚、つかみ砕いて捨てるまでだ!」


 両者が立ち上がり、空気が一気に張り詰める――。


「待て待て、二人とも! 大人げないぞ!」


 見かねた仲間たちが二人を制止した。


「相撲というものは、まずは若手の小童こわらわたちに取らせるのが流儀だ。滝口殿、弥五郎殿、お主らは真打ちとして取っておけ」


 代わりに出場したのは、それぞれの弟たちだった。


合沢弥七あいざわやしち: 十五歳。鶯が谷から出るような初々しい美少年。

山内三郎やまうちさぶろう: 十八歳。滝口の弟であり、こちらも相撲の名手。


 二人が歩み寄り、四つに組む。その光景は、雪の中に咲く梅の花のようであり、松と桜が嵐に揺れるような激しさだった。


 弥七は力で劣るものの、目にも止まらぬ足さばきで翻弄する。三郎は岩のような力でねじ伏せようとする。老いも若きも座を立ち、「これぞ浮世の見ものよ!」と歓声を上げた。勝負は一瞬。三郎が力で弥七を押し込み、強烈な突きを食らわせた。弥七が転倒し、勝負あり。


 だが、これに怒ったのは弥七のもう一人の兄・弥六やろくだ。「よくも弟を!」と飛び出し、三郎を蹴り飛ばす。すると今度は滝口が黙っていない。「俺の弟に手を出すな!」と乱入。滝口の圧倒的な大力の前に、弥六は赤子のようになぎ倒された。


 事態は、もはや相撲を越えた、一族同士のプライドを懸けた「戦争」へと発展しつつあった。


「弟二人が負けて、黙っていられるか!」


 ついに合沢弥五郎が走り出た。滝口と弥五郎、宿命の対決。組んでみて、弥五郎は驚愕した。滝口の身体はまるで大木のように微動だにしない。


(……まともに力で挑めば負ける。相撲は技だ。技で勝つんだ!)


 弥五郎は拳を握り、滝口のこめかみを強打した。


「ぐっ……、貴様、殴ったな!」


 もはや相撲ではない。壮絶な殴り合い、掴み合い。一瞬の隙を突き、弥五郎が滝口の小股こまたをすくい上げた。あの剛力無双の滝口が、真っ逆さまに砂に沈んだのである。


「はっはっは! 滝口を倒したぞ! 誰でもかかってこい!」


 弥五郎の勢いは止まらない。その後、葛山の又七ら五人の精鋭を次々と撃破し、五番勝ちを収めた。だが、その上を行く男が現れた。相模の国の住人、俣野五郎またののごろう景久かげひさである。


 俣野は怪物だった。次々と挑みかかる侍たちを、木の葉を払うかのように投げ飛ばしていく。九番勝ち、十番勝ち……。


「もう相手はいないのか!?」


 土屋の平太らが十人がかりで攻め立てるが、俣野は息一つ切らさない。ついには「二十一番抜き」という、前代未聞の記録を打ち立てたのである。


 座を支配したのは、俣野の圧倒的な暴力だった。そこへ、土肥二郎どひのじろう実平さねひらが扇を開いて言った。


「見事な相撲だ。ああ、わしがあと十五歳若ければ、一番取ってやるものを」


「何をおっしゃる。実平殿、年齢など関係ありません。さあ、出てきなされ」


 俣野が不敵に笑う。実平は困り果てた。実平の娘は、伊東祐親の嫡子・河津三郎かわづのさぶろう祐重すけしげに嫁いでいる。しゅうととして、ここで恥をかくわけにはいかない。


 その様子を、老将たちの末座で静かに見守っていたのが、河津三郎だった。彼は立ち上がり、義父である実平にささやいた。


「……舅殿。このまま手ぶらで帰っては、坂東の若者が腰抜けだと思われます。私に一番、取らせてください」


 実平は顔を赤らめて黙り込んだ。もし、大切な婿むこが俣野に無惨に負ければ、一門の恥辱となる。


 だが、父である伊東祐親は違った。


「三郎、よく言った! お前の力、皆に見せてやれ!」


 三郎は静かに直垂を脱いだ。


 白いたづな二筋ふたすじ縒り合わせ、腰に硬く締め上げる。


「俣野殿。お手合わせを」


 俣野は鼻で笑った。


「河津殿か。その綺麗な顔を砂に埋めてやろう。小腕こがいなを圧し折って捨ててやるわ!」


 河津三郎: 三十一歳。身長六尺二分(約182cm)。


 肌は色浅黒く、まるで菩薩のような端正な顔立ちをしていながら、身体は鋼のように引き締まっている。


 俣野五郎: 三十二歳。身長五尺八分(約175cm)。


 首は太く、肩が張り出し、顔の骨がゴツゴツと突き出た「力士」そのものの体形。


 両者がぶつかり合う。三郎は驚いた。


(……俣野、聞いていたほどの力はないな。皆、酒に酔っていたか、名声に怯えていただけか)


 対して俣野は、都の相撲節会すまいのせちえで三年間鍛え上げたプロ。技のデパートだ。一戦目。三郎は力任せに俣野を抱え上げ、雑魚ざこのように投げ捨てた。だが、俣野は這い上がり、真っ赤な顔で叫ぶ。


「今のなしだ! そこにある木の根につまづいただけだ! 真ん中でやり直せ!」


 周囲の冷笑を無視し、大庭景信(俣野の兄)が助太刀する。


「そうだ、確かに木の根があった! 五郎、今度は技を使え。奴の力を利用するんだ。足を抜き、爪先を立てて、こう攻めるんだ……」


 再戦が始まった。教えられた通り、俣野は細かな技を繰り出し、三郎の隙を狙う。三郎は相撲の経験こそ浅かったが、本能が答えを知っていた。彼はするすると歩み寄ると、俣野の「前襤褸まえぼろ (ふんどしの前部分)」をガシッと掴んだ。


「ぐ、うおっ……!?」


 凄まじい握力。そのまま三郎は、俣野の巨体を目の高さまで差し上げた。五百人の武士たちが息を呑む。

 三郎は半時はんときばかりもその重い身体を空中で保持し続けた。


 そして――。


「せいっ!!」


 三郎は片手を離し、たった一本の腕の力だけで、俣野を地面に叩きつけた。


「……相撲に負けるのは常のことだが。河津殿、なぜ片手で投げた?」


 砂まみれで起き上がった俣野が、震える声で問う。


「前回の勝ちを、木の根のせいだと言われましたから。今度はど真ん中で、片手だけでも勝てることをお見せしたまでです。皆様、ご覧になりましたか?」


 静寂の後、爆発的な歓声が上がった。だが、面白くないのは負けた側だ。


「よくも弟をコケにしたなッ!」


 大庭景信が、童に持たせていた太刀をひったくり、鞘から引き抜いて飛びかかった。


(……いかん、乱闘だ!)


「伊東に加担しろ!」


「大庭を助けろ!」


 酒の勢いも相まって、宴席は一瞬にして戦場へと変貌した。銚子や盃が踏み割られ、酒と肴がぶちまけられる。三千人の雑兵までもが武器を手にひしめき合った。


 その時、一筋の涼やかな声が、混沌とした座敷に響き渡った。


「――おやめなさい。頼朝の情けを捨てて、わざわざ仇を結ぶつもりか、大庭の人々よ」


 源頼朝である。流人の身でありながら、その言葉には逆らいがたい威厳があった。抜いた刀を止めた大庭景信は、苦虫を噛み潰したような顔で、座を見渡した。


「……佐殿すけどのがそう仰るならば。田舎者どもが酒に酔って狼藉ろうぜきを働きました。相撲の負けは恥ではない。だが、この一幕、一人一人の顔を覚えておくぞ。後で揉めるなよ!」


 景信の一言で、騒乱はぴたりと収まった。多くの人間がいても、一人の賢者の言葉には勝てない。まさに、たまは少なくして貴く、石は多くして卑しい。


 だが、この狂騒の中、誰にも気づかれず、ただ一点を見つめ続ける者たちがいた。工藤祐経の放った刺客、大見小藤太と八幡三郎である。


(……今だ。今なら乱闘に紛れて伊東祐親を射殺せる)


 彼らは茂みの中で弓を引き絞り、ささやき合った。しかし、運命は非情だった。相撲の勝負が付き、頼朝の介入で宴が解散し始めたことで、祐親の周囲は再び厳重な警護に固められてしまったのだ。


「……クソっ。隙がねぇ。狩りの時間はもう終わりだ」


 小藤太が悔しげに弓を下ろす。


「待て。まだ諦めるのは早い」


 八幡三郎が冷たく言った。


「奴らはこれから館へ帰る。山道を行くはずだ。……小藤太、俺たちの命を祐経様に捧げると決めたあの日を思い出せ。空手からてで帰るわけにはいかないだろう」


「ああ。……やるか」


「やろう」


 刺客たちは、再び闇へと溶けていった。相撲で華々しい勝利を収めた河津三郎も。賄賂と権力で世を渡る伊東祐親も。彼らを待つのは、もはや拍手ではない。静寂の森の奥から放たれる、死の矢の音だけだった。




曾我物語 巻第一 (明治四十四年刊 國民文庫本)




おなじく相撲すまふこと


 秀貞ひでさだがわかざかり、鷹狩たかがり川狩かはがりかへあしには、力業ちからわざ相撲すまふがけこそ、面白おもしろけれ。わかき人々 、相撲すまふたまへ。あそばん。見物けんぶつには、上やるべき」とひければ、伊豆いづくに住人ぢゆうにん三島みしま入道にふだう将監しやうげん、ゐだけだかにりて、「いしころばかしの滝口殿たきぐちどの合沢あひざは弥五郎やごらう殿どのでてたまへ。これこそ、あひごろのちからけ。さもあらば、入道にふだうでて、行司ぎやうじたん」とふ。滝口たきぐちきて、「坂東ばんどう八かこくに、つよものきか。かほど小男こをとこに、相手あひてさるるは、むまうへ、かちだちなりとも、わきにはさみたたむに、はたらかさじ」とひければ、弥五郎やごらうきて、「伊豆いづ駿河するが武藏むさし相模さがみに、つよものきか。滝口たきぐちがせいとちからをうらやむは。下臈げらふところにこそ、器量きりやうりて、をばもて、さむらひは、せいちひさく、力はよわけれども、よろひ一領りやうにしかるるものし。ゆみしはり、かきおひ、よきむまりて、戦場せんぢやうでて、おもかたきにひつみて、両馬りやうばあひだかさなり、きもまさりて、こしかたなき、したしながら、だいをとこをひつけ、草摺くさずりをたたみげ、急所きうしよひまして、はねかへし、おさへて、くびときは、だいをとこも、ものならず」と、あざわらひてぞまうしける。滝口たきぐち、たまらぬをとこにて、「くびるか、らるるか、ちからは、ほかにもあらばこそ。いざや、おい御肴おんさかなに、ちからくらべの腕相撲うでずまふ一番いちばん」とままに、座敷ざしきち、直垂ひたたれぎ、「何程なにほどことさうらふべき。しや肋骨あばらぼね二三枚まい、つかみやぶりて、つべきものを」とて、つつとでけり。弥五郎やごらうも、「こころたり。物々し。力拳ちからこぶしのこらへんほどは、いのちこそかぎりよ」とひ、座敷ざしきつ。一座の人々 、これて、あはや、ことこそぬとほどに、ちかくにりける合沢あひざはまうやう、「あまりはやし、滝口たきぐち殿どの相撲すまふは、小童こわらんべ冠者くわんじやばらに、づとらせて、げたるこそ、面白おもしろけれ。おとなげし、滝口殿たきぐちどのとどまりたまへ」とゑたり。吉川きつかはこれて、「弥五郎やごらう殿どのも、おさへよ。合沢あひざはおとと弥七やしち殿どのに、でよ」とふ。すこ辞退じたいおよびしを、船越ふなこしてて、たづなりかへ、だしけり。としにおきては、十五なり。姿すがたものにたとふれば、まだこゑわかうぐひすの、たによりづるもかくやらん。「たれをか相手あひてにさすべき」と、座敷ざしきまはしければ、「滝口たきぐちおとと三郎さぶらうでよ」とふ、言葉ことばしたより、でにけり。としにおきて、十八なり。いづれも、相撲すまふ上手じやうずなれば、各々 りて、つまどりしたる有様ありさまは、はるねてさくむめの、ゆきをふくめるごとくなり。われ人、ちかららねども、くもふきつる山風かぜの、まつさくらおとてて、とりおどろこずゑかと、諸人しよじんをこそさましけれ。弥七やしちは、ちからおとりなれども、手合てあひはましてぞえにける。三郎は、ちからまさりけれども、くまんとのみにて、むすべば、ててぬけ、なぐれば、けてまはりしは、桃華たうくわ節会せちゑにはとりの、こころくだき、をつがひ、勝負しようぶあらそとりはせも、これにはぎじとぞえける。老若らうにやく座敷ざしきにこらへね、「あはれ、の見ごとや」と、上下暫しばらくののめきて、東西とうざいさらしづまらず。れども、弥七やしちは、地下がりへけられ、とどろはしりて、そくびをつかれ、つひ弥七やしちぞ、けたりける。あに弥六やろく、つつとで、三郎さぶらうをはたとけて、あふのきざまちにける。滝口たきぐち無念むねんおもひて、弟の三郎さぶらうが、いまだおきざるさきに、をどで、大力だいぢからなりければ、弥六やろくは、にもたまらず、けにけり。あに弥五郎やごらうおとと二人をまかして、やすからずにおもひ、はかまこし、とくをおそしとり、たづな二筋ふたすぢえりはせ、つよくをさめ、はしで、近々 とひて、ちからきてれば、だいをとこが、ふんばりて、すこしもうごかざれば、一定いちぢやうわれけぬべし、まことや、相撲すまふは、ちからによらず、だにまされば、みぎわまさりの相手あひてものをとおもだして、合沢あひざはみぎこぶしにぎかため、滝口たきぐちびんのはづれ、きれてのけと、ちければ、滝口たきぐちたれて、左右さうこぶしかへす。のちけじ、おとらじと、をはなちて、はりひける。いまは、相撲すまふらで、ひとへ当座たうざ口論こうろんとぞえける。両方りやうばう、さへむとするところに、弥五郎やごらうひまく、つつとり、滝口たきぐち小股こまたをかいて、はなじろにゑたり。いきほひし滝口たきぐちけしかば、しばら相撲すまふかりける。弥五郎やごらうは、広言くわうげんしつる滝口たきぐちちて、百千番ばんけもものならず、これつこそうれしけれ、何者なにものなりともとおもところに、葛山かつらやま又七出でて、にもたまらずけてのち究竟くつきやう相撲すまふ五番までちて、ちたる有様ありさまは、いきほひあまりてぞえける。此処ここに、相模さがみくに住人ぢゆうにん柳下やぎした小六郎ころくらうでて、合沢あひざは弥五郎やごらうはじめとして、よき相撲すまふ六番ろくばんつ。駿河するがくに住人ぢゆうにん竹下たけのした孫八まごはちでて、小六ころくはじめとして、よき相撲すまふ九番ばんつて、らんとするところに、大庭おほば舎弟しやてい俣野またの五郎ごらうでて、孫八まごはちはじめとして、よき相撲すまふ十番打ちければ、「でてらん」とものし。駿河するがくに高橋たかはし忠六ちゆうろく、「いざやらん」とふ。そばりける海老名ゑびな秀貞ひでさだ、「これこそ、俣野またの五郎ごらうよ。道理だうりにて、ちけるぞや」。景久かげひささうらひて、「相撲すまふが、えてからんにこそ」とひければ、土屋つちや平太へいだこれき、「俣野またのも、ひとつ、われも、ひとつ、おくしてばし、けけるか。かれてい相撲すまふをば、十人ばかりひとつかみにて、ものぎおき、たづなかきまうけ、まくれば、え、うつれば、れかへ、いきをもつがせず、すきをもあらせず、たふせ」「面白おもしろし」とて、十人ばかりならて、まくれば、つつとで、うつれば、はねえ、めけれども、究竟くつきやう上手じやうず大力だいぢからなれば、つづけて、二十一番いちばんちけり。とき土肥とひ二郎じらう実平さねひら座敷ざしきち、つまぐれなゐに、日出だしたるあふぎひらきて、俣野またのをしばしあふぎて、「よき御相撲すまふかな。あはれ、実平さねひらが年十四五もわかくは、でてらばや」とふ。俣野またのきて、「なにかはくるしかるべき。たまへ。一番いちばんらん。相撲すまふは、としさうらはず」とひければ、土肥とひは、なまじひに、言葉ことばけて、各々 とはれて、るよりほかに、言葉ことばし。伊東いとうは、三浦みうらしたしく、河津かはづは、土肥とひむこなり、土肥とひ今日こんにち恥辱ちじよくは、一門いちもんはなれじとおもへば、伊東いとう二郎じらう嫡子ちやくし河津かはづ三郎さぶらう祐重すけしげをば、ちち伊東いとうより人重おもおもひければ、無二むに無三むさんあそびなれども、「でてれ」と人無し、おい末座ばつざりけるが、座敷ざしきちて、しうと土肥とひ二郎じらうにささやきけるは、「今日こんにち御酒さかもりには、老若らうにやくきらさうらふに、などや祐重すけしげ一番いちばんともうけたまはさうらはず。むなしくかへさうらはば、わかもののおひすけしたるににてさうらふ。おんはからひさうらへ。一番いちばんさうらはん」とひければ、実平さねひらきて、俣野またの言葉ことば、にがにがしさにぞ、らんとふらん、さりながら、むこをまかしては、面目めんぼくしとやおもひけん、返事へんじにもおよばで、赤面せきめんしてぞたりける。ちち伊東いとうこれき、ながらも、ちからつよものを、とらせばやとおもひけれども、ためらふ折節をりふし言葉ことばき、「神妙しんべうまうしたり。でてれ」とひければ、直垂ひたたれぎおき、しろきたづな二筋ふたすぢはせ、かたくをさめて、でんとす。伊東いとうがたものでて、「御相撲すまふまゐらん。俣野またの殿どの」とふ。景久かげひさきいて、はらて、「相撲すまふこれさうらふぞ。はせさうらへとふは、つねことそうじて、相撲すまふ座敷ざしきにて、左右さう相手あひて名字みやうじことし。うぢ器量きりやうひ、河津かはづにやまくべき。小腕こがひなしをりつべきものを」と、わらひてづるをれば、菩薩ぼさつなりにして、いろあさぐろく、たけ六尺ろくしやく二分にぶんとしは三十一にぞなりにける。俣野またの姿すがたは、さしかたにして、かをほねあれて、くびふとく、かしらすこし、すそふくらに、うしろの折骨をりほねほぞしたしこみ、力士りきじなりにして、たけ五尺しやく八分ぶんとしは三十二なり。り、つまどり、ひしひしとして、はなれ、河津かはづおもひけるは、俣野またのきつるにず、さしたるちからにてはかりけり、今日けふ、人々 のおほけけるは、さけひけるか、おくしけるゆゑなり、今度こんどは、にもたつまじきものをとおもひけるが、こころをかへておもやう、さすが俣野またのは、相撲すまふ大番おほばんつとめに、みやこのぼり、三年のあひだきやうにて相撲すまふになれ、一度いちど不覚ふかくらぬものなり。ゆゑゐんうち御目にかかり、日本につぽん一番いちばんをえたる相撲すまふなり。いまここもとにて、物手くまかさんことは、かへりて甲斐かひしとおもへば、二度目どめにはり、左右さうかひなをつかむで、左手ゆんで右手めて御座おはします、雑人ざふにんうへけ、ひざをつかせて、りにけり。俣野またのは、ただらずして、「此処ここなるにけつまづきて、不覚ふかくけをぞしたりける。いざや、いま一番いちばんらん」とふ。大庭おほばこれき、はしり、「げにげに、これり。まんなかにて、勝負しようぶたまへ」とひければ、伊東いとうまうしけるは、「河津かはづひざすこながれてさうらふ。ねきりの相撲すまふならばこそ、意趣いしゆもあらめ。ただ一座一興いつきようまうして、面白おもしろし。まうせ」とひければ、河津かはづは、やがてぞでにける。俣野またのも、でんとしけるを、一族いちぞくども、「如何いかるとも、つまじきぞ。ただままにて、たまへ。ろん相撲すまふは、勝負しようぶし。ちたるには、まさるぞかし。たびけなば、二度にどけなるべし」とひければ、俣野またのやうは、「河津かはづは、ちからつよおぼゆれども、相撲すまふ故実こじつさうらはず、御覧ごらんぜよ」とてて、なほでんとするところを、しばしとどめてひけるは、「河津かはづ手合てあひをよくれば、御分ごぶんにみぎわまさりのちからなり。かれてい相撲すまふをば、左右さうげ、爪先つまさきてて、上手うはてけてたまへ。てき上手うはてけて、のさのさとよるところを、小臂こひぢげ、ちがさまによついをり、あしきてはねまはれ。大力だいぢからも、はねられて、あしてどのうくところを、ててあしりてよ。みてはかなふまじきぞ。もしまた、くまでかなはずは、うちがらみに、しはとけて、もとどりをおちをはかせ、ひとはねはねて、しととて。なんでふ七はなれ八はなれは、ぐるしきぞ。侍相撲さぶらひすまふまうすは、よるかとすれば、勝負かちまけり。あまりにはやきも、けられず。また斯様かやうのひねものをば、わづらひくのしりて、小首こくびぜめにめて、をこごめて、まはるところを、大さかれて、かいひねつて、けててよ。真逆様まつさかさまけぬべし」と、こまごまとをしへければ、「こころたり」とてひけり。をしへのごとく、爪先つまさきてて、かひなげ、すきあらばとねらひけり。河津かはづは、前後ぜんご相撲すまふは、これはじめなれば、やうもく、するするとあゆり、俣野またのが、ぬけんとあひしらふところを、みぎかひなをつつとべ、又野またのまへほろをつかんでしのけ、あらくもはたらかば、たづなもこしもきれぬべし。しばらあつて、むずとせ、よりたかげ、半時はんときばかりりて、よこさま片手かたてをはなちて、しととつ。又野またのは、やがておきなほり、「相撲すまふにまくるは、つねならひ、なんぞ御分ごぶん片手業かたてわざ」。河津かはづひけるは、「以前ぜんも、ちたる相撲すまふを、御論ごろんさうらあひだ今度こんどは、まつ中にて、片手かたてもつまうしたり。いま御不審ふしんさうらふべき。御覧ごらんじつるか、人々 」とふ。大庭おほばこれて、わらはたせたる太刀たちり、するりときて、とんでかる。座敷ざしきにはかさわぎ、ばつとつ。伊東いとうがたによるものり、大庭おほばかたによるものり。両方りやうばうさへんとりふさがり、銚子てうしさかづきみわり、酒肴さけさかなをこぼす。雑兵ざふひやう三千さんぜん余人よにんまでも、いくさせんとてひしめきけり。兵衛佐ひやうゑのすけ殿どのよし御覧ごらんじ、「如何いか頼朝よりともなさけてて、あたむすたまふか。大庭おほばの人々」とおほせられければ、大庭おほば平太へいだうけたまはり、「田舎ゐなかまひのものども出仕しゆつしなれさうらはで、かる狼藉らうぜきつかまつさうらふ。相撲すまふけても、はぢならず、われ方人かたうどふべからず、一々にしるまうすべきぞ。後日ごにちあらそふな」といかりければ、大庭おほばしづたまうへはとて、しづまりけり。伊東いとうは、もとより意趣いしゆしとて、やがて面々(めんめん)にこそしづまりけれ。これや、瓊瑶けいようすくなきをもつなりとし、磧礫せきれきおほきをもついやしとす。人多おほしといへども、景信かげのぶ言葉ことばひとつにてぞ、しづまりける。かるところに、祐経すけつね郎等らうどうどもかれまじはり、うかがひけるが、あはれ、ことのあれかし、間近まぢかりて、たんとするよしにて、伊東いとう殿どのをおつさまとさむとて、ささやきける。七日があひだ夜昼よるひるつきてうかがへども、しかるべきひまくして、狩座かりくらすでぎければ、各々 、むなしくかへらんとす。小藤太ことうだまうしけるは、「さても、一郎殿の御心おんこころをつくして、いまいまやとたまふらん。いたづらにかへらんことこそ、口惜くちをしけれ。いざや、おもり、とにもかくにもならん」とひければ、「八幡やはた三郎さぶらうまうしけるは、「しばらこうをつみてたまへ。如何いかでかむなしからん。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

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