1-8 奥野の相撲大会と、片手で宙を舞う巨漢
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
大狩猟の興奮冷めやらぬ柏峠。主催者の伊東 祐親は、集まった五百余人の侍たちを見渡し、豪快に笑った。
「若き者たちよ! 狩りの疲れを相撲で吹き飛ばそうではないか! 力自慢の技を見せてくれ。これ以上の見世物はあるまい!」
その言葉を合図に、座が沸き立った。三島の入道 将監が、いかつい身体を揺らして進み出る。
「よし! まずは、先ほど巨大な岩を投げ飛ばした山内滝口殿。それと、駿河の誇る合沢弥五郎殿。この二人で組んでみよ。これぞ坂東一の力比べだ。わしが行司を務めてやろう!」
だが、岩投げの英雄・滝口は鼻で笑った。
「坂東八カ国に、まともな相手はおらんのか? こんな小男を相手にしろとは。馬の上だろうが、地上だろうが、脇に挟んで畳んでしまえば身動き一つできまいて」
対する弥五郎も黙ってはいない。
「ほほう、図体ばかりデカい滝口が何を言う。荷物を運ぶだけならデカい方がよかろうが、侍の本分はそこにはない。戦場で重い鎧をまとい、敵と組み合い、下に伏しながらも急所を刺して首を取る……その時、デカいだけの男など何の役にも立たんわ!」
「(……面白い、やってやろうじゃないか!)」
滝口は直垂を脱ぎ捨て、筋肉の隆起した上半身を晒した。
「首を取るか取られるか、力比べで決めてやろう。肋骨の二、三枚、つかみ砕いて捨てるまでだ!」
両者が立ち上がり、空気が一気に張り詰める――。
「待て待て、二人とも! 大人げないぞ!」
見かねた仲間たちが二人を制止した。
「相撲というものは、まずは若手の小童たちに取らせるのが流儀だ。滝口殿、弥五郎殿、お主らは真打ちとして取っておけ」
代わりに出場したのは、それぞれの弟たちだった。
合沢弥七: 十五歳。鶯が谷から出るような初々しい美少年。
山内三郎: 十八歳。滝口の弟であり、こちらも相撲の名手。
二人が歩み寄り、四つに組む。その光景は、雪の中に咲く梅の花のようであり、松と桜が嵐に揺れるような激しさだった。
弥七は力で劣るものの、目にも止まらぬ足さばきで翻弄する。三郎は岩のような力でねじ伏せようとする。老いも若きも座を立ち、「これぞ浮世の見ものよ!」と歓声を上げた。勝負は一瞬。三郎が力で弥七を押し込み、強烈な突きを食らわせた。弥七が転倒し、勝負あり。
だが、これに怒ったのは弥七のもう一人の兄・弥六だ。「よくも弟を!」と飛び出し、三郎を蹴り飛ばす。すると今度は滝口が黙っていない。「俺の弟に手を出すな!」と乱入。滝口の圧倒的な大力の前に、弥六は赤子のようになぎ倒された。
事態は、もはや相撲を越えた、一族同士のプライドを懸けた「戦争」へと発展しつつあった。
「弟二人が負けて、黙っていられるか!」
ついに合沢弥五郎が走り出た。滝口と弥五郎、宿命の対決。組んでみて、弥五郎は驚愕した。滝口の身体はまるで大木のように微動だにしない。
(……まともに力で挑めば負ける。相撲は技だ。技で勝つんだ!)
弥五郎は拳を握り、滝口のこめかみを強打した。
「ぐっ……、貴様、殴ったな!」
もはや相撲ではない。壮絶な殴り合い、掴み合い。一瞬の隙を突き、弥五郎が滝口の小股をすくい上げた。あの剛力無双の滝口が、真っ逆さまに砂に沈んだのである。
「はっはっは! 滝口を倒したぞ! 誰でもかかってこい!」
弥五郎の勢いは止まらない。その後、葛山の又七ら五人の精鋭を次々と撃破し、五番勝ちを収めた。だが、その上を行く男が現れた。相模の国の住人、俣野五郎景久である。
俣野は怪物だった。次々と挑みかかる侍たちを、木の葉を払うかのように投げ飛ばしていく。九番勝ち、十番勝ち……。
「もう相手はいないのか!?」
土屋の平太らが十人がかりで攻め立てるが、俣野は息一つ切らさない。ついには「二十一番抜き」という、前代未聞の記録を打ち立てたのである。
座を支配したのは、俣野の圧倒的な暴力だった。そこへ、土肥二郎実平が扇を開いて言った。
「見事な相撲だ。ああ、わしがあと十五歳若ければ、一番取ってやるものを」
「何をおっしゃる。実平殿、年齢など関係ありません。さあ、出てきなされ」
俣野が不敵に笑う。実平は困り果てた。実平の娘は、伊東祐親の嫡子・河津三郎祐重に嫁いでいる。舅として、ここで恥をかくわけにはいかない。
その様子を、老将たちの末座で静かに見守っていたのが、河津三郎だった。彼は立ち上がり、義父である実平にささやいた。
「……舅殿。このまま手ぶらで帰っては、坂東の若者が腰抜けだと思われます。私に一番、取らせてください」
実平は顔を赤らめて黙り込んだ。もし、大切な婿が俣野に無惨に負ければ、一門の恥辱となる。
だが、父である伊東祐親は違った。
「三郎、よく言った! お前の力、皆に見せてやれ!」
三郎は静かに直垂を脱いだ。
白い紐を二筋縒り合わせ、腰に硬く締め上げる。
「俣野殿。お手合わせを」
俣野は鼻で笑った。
「河津殿か。その綺麗な顔を砂に埋めてやろう。小腕を圧し折って捨ててやるわ!」
河津三郎: 三十一歳。身長六尺二分(約182cm)。
肌は色浅黒く、まるで菩薩のような端正な顔立ちをしていながら、身体は鋼のように引き締まっている。
俣野五郎: 三十二歳。身長五尺八分(約175cm)。
首は太く、肩が張り出し、顔の骨がゴツゴツと突き出た「力士」そのものの体形。
両者がぶつかり合う。三郎は驚いた。
(……俣野、聞いていたほどの力はないな。皆、酒に酔っていたか、名声に怯えていただけか)
対して俣野は、都の相撲節会で三年間鍛え上げたプロ。技のデパートだ。一戦目。三郎は力任せに俣野を抱え上げ、雑魚のように投げ捨てた。だが、俣野は這い上がり、真っ赤な顔で叫ぶ。
「今のなしだ! そこにある木の根に躓いただけだ! 真ん中でやり直せ!」
周囲の冷笑を無視し、大庭景信(俣野の兄)が助太刀する。
「そうだ、確かに木の根があった! 五郎、今度は技を使え。奴の力を利用するんだ。足を抜き、爪先を立てて、こう攻めるんだ……」
再戦が始まった。教えられた通り、俣野は細かな技を繰り出し、三郎の隙を狙う。三郎は相撲の経験こそ浅かったが、本能が答えを知っていた。彼はするすると歩み寄ると、俣野の「前襤褸 (ふんどしの前部分)」をガシッと掴んだ。
「ぐ、うおっ……!?」
凄まじい握力。そのまま三郎は、俣野の巨体を目の高さまで差し上げた。五百人の武士たちが息を呑む。
三郎は半時ばかりもその重い身体を空中で保持し続けた。
そして――。
「せいっ!!」
三郎は片手を離し、たった一本の腕の力だけで、俣野を地面に叩きつけた。
「……相撲に負けるのは常のことだが。河津殿、なぜ片手で投げた?」
砂まみれで起き上がった俣野が、震える声で問う。
「前回の勝ちを、木の根のせいだと言われましたから。今度はど真ん中で、片手だけでも勝てることをお見せしたまでです。皆様、ご覧になりましたか?」
静寂の後、爆発的な歓声が上がった。だが、面白くないのは負けた側だ。
「よくも弟をコケにしたなッ!」
大庭景信が、童に持たせていた太刀をひったくり、鞘から引き抜いて飛びかかった。
(……いかん、乱闘だ!)
「伊東に加担しろ!」
「大庭を助けろ!」
酒の勢いも相まって、宴席は一瞬にして戦場へと変貌した。銚子や盃が踏み割られ、酒と肴がぶちまけられる。三千人の雑兵までもが武器を手にひしめき合った。
その時、一筋の涼やかな声が、混沌とした座敷に響き渡った。
「――おやめなさい。頼朝の情けを捨てて、わざわざ仇を結ぶつもりか、大庭の人々よ」
源頼朝である。流人の身でありながら、その言葉には逆らいがたい威厳があった。抜いた刀を止めた大庭景信は、苦虫を噛み潰したような顔で、座を見渡した。
「……佐殿がそう仰るならば。田舎者どもが酒に酔って狼藉を働きました。相撲の負けは恥ではない。だが、この一幕、一人一人の顔を覚えておくぞ。後で揉めるなよ!」
景信の一言で、騒乱はぴたりと収まった。多くの人間がいても、一人の賢者の言葉には勝てない。まさに、玉は少なくして貴く、石は多くして卑しい。
だが、この狂騒の中、誰にも気づかれず、ただ一点を見つめ続ける者たちがいた。工藤祐経の放った刺客、大見小藤太と八幡三郎である。
(……今だ。今なら乱闘に紛れて伊東祐親を射殺せる)
彼らは茂みの中で弓を引き絞り、ささやき合った。しかし、運命は非情だった。相撲の勝負が付き、頼朝の介入で宴が解散し始めたことで、祐親の周囲は再び厳重な警護に固められてしまったのだ。
「……クソっ。隙がねぇ。狩りの時間はもう終わりだ」
小藤太が悔しげに弓を下ろす。
「待て。まだ諦めるのは早い」
八幡三郎が冷たく言った。
「奴らはこれから館へ帰る。山道を行くはずだ。……小藤太、俺たちの命を祐経様に捧げると決めたあの日を思い出せ。空手で帰るわけにはいかないだろう」
「ああ。……やるか」
「やろう」
刺客たちは、再び闇へと溶けていった。相撲で華々しい勝利を収めた河津三郎も。賄賂と権力で世を渡る伊東祐親も。彼らを待つのは、もはや拍手ではない。静寂の森の奥から放たれる、死の矢の音だけだった。
曾我物語 巻第一 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔同じく相撲の事〕
秀貞がわかざかり、鷹狩、川狩の帰り足には、力業、相撲がけこそ、面白けれ。若き人々 、相撲取り給へ。見て遊ばん。見物には、上や有るべき」と言ひければ、伊豆の国の住人、三島の入道将監、ゐだけだかに成りて、「石ころばかしの滝口殿と合沢の弥五郎殿、出でて取り給へ。是こそ、あひごろの力と聞け。さもあらば、入道出でて、行司に立たん」と言ふ。滝口聞きて、「坂東八か国に、強き者は無きか。か程の小男に、相手に差さるるは、馬の上、かちだちなりとも、脇にはさみたたむに、働かさじ」と言ひければ、弥五郎聞きて、「伊豆、駿河、武藏、相模に、強き者は無きか。滝口がせいと力をうらやむは。下臈の所にこそ、器量に依りて、荷をばもて、侍は、せいちひさく、力は弱けれども、鎧一領にしかるる者無し。弓押しはり、矢かきおひ、よき馬に打ち乗りて、戦場に掛け出でて、思ふ敵にひつ組みて、両馬が間に落ち重なり、胆勝りて、腰の刀を抜き、下に伏しながら、大の男をひつ掛け、草摺をたたみ上げ、急所を隙無く差して、はね返し、抑へて、首を取る時は、大の男も、物ならず」と、あざ笑ひてぞ申しける。滝口、たまらぬ男にて、「首を取るか、取らるるか、力は、外にもあらばこそ。いざや、老の御肴に、力くらべの腕相撲一番」と言ふ儘に、座敷を立ち、直垂を脱ぎ、「何程の事の候ふべき。しや肋骨二三枚、つかみ破りて、捨つべき物を」とて、つつと出でけり。弥五郎も、「心得たり。物々し。力拳のこらへん程は、命こそ限りよ」と言ひ、座敷を立つ。一座の人々 、是を見て、あはや、事こそ出で来ぬと見る程に、近くに有りける合沢、申す様、「余りはやし、滝口殿。相撲は、小童、冠者原に、先づとらせて、取り上げたるこそ、面白けれ。おとなげ無し、滝口殿。止まり給へ」と引き据ゑたり。吉川、是を見て、「弥五郎殿も、先づ抑へよ。合沢が弟の弥七殿に、出でよ」と言ふ。少し辞退に及びしを、船越引き立てて、たづな取りかへ、出だしけり。年におきては、十五なり。姿を物にたとふれば、まだ声若き鴬の、谷より出づるもかくやらん。「誰をか相手にさすべき」と、座敷を見まはしければ、「滝口が弟の三郎、出でよ」と言ふ、言葉の下より、出でにけり。年におきて、十八なり。いづれも、相撲は上手なれば、各々 差し寄りて、つまどりしたる有様は、春待ち兼ねてさく梅の、雪をふくめる如くなり。我人、力は知らねども、雲ふき立つる山風の、松と桜に音立てて、鳥も驚く梢かと、諸人、目をこそさましけれ。弥七は、力劣りなれども、手合はましてぞ見えにける。三郎は、力勝りけれ共、くまんとのみにて、差し詰め結べば、捨ててぬけ、なぐれば、掛けてまはりしは、桃華の節会の鶏の、心を砕き、羽をつがひ、勝負を争ふ鶏合はせも、是には過ぎじとぞ見えける。老若、座敷にこらへ兼ね、「哀れ、浮き世の見ごとや」と、上下暫くののめきて、東西更に鎮まらず。然れども、弥七は、地下がりへ押し掛けられ、とどろ走りて、そ首をつかれ、遂に弥七ぞ、負けたりける。兄の弥六、つつと出で、三郎をはたとけて、あふのき様に打ちにける。滝口、無念に思ひて、弟の三郎が、未だおきざる先に、躍り出で、大力なりければ、弥六は、手にもたまらず、負けにけり。兄の弥五郎、弟二人をまかして、安からずに思ひ、袴の腰、とくを遅しと引き切り、たづな二筋えり合はせ、強くをさめ、走り出で、近々 と差し合ひて、力引きて見れば、大の男が、ふんばりて、少しも動かざれば、一定、我も負けぬべし、誠や、相撲は、力によらず、手だに勝れば、みぎわ勝りの相手を討つ物をと思ひ出だして、合沢、右の拳を握り固め、滝口、鬢のはづれ、きれてのけと、打ちければ、滝口、打たれて、左右の拳を打ち返す。其の後、負けじ、劣らじと、手をはなちて、はり合ひける。今は、相撲は取らで、偏に当座の口論とぞ見えける。両方、さへむとする所に、弥五郎、隙無く、つつと入り、滝口が小股をかいて、はなじろに押し据ゑたり。いきほひし滝口、敢へ無く負けしかば、暫く相撲ぞ無かりける。弥五郎は、広言しつる滝口に勝ちて、百千番の負けも物ならず、是に勝つこそ嬉しけれ、何者なりともと思ふ所に、葛山の又七出でて、手にもたまらず負けて後、究竟の相撲五番まで勝ちて、立ちたる有様は、勢余りてぞ見えける。此処に、相模の国の住人、柳下の小六郎出でて、合沢の弥五郎を始めとして、よき相撲六番勝つ。駿河の国の住人、竹下の孫八出でて、小六を始めとして、よき相撲九番打つて、入らんとする所に、大庭が舎弟の俣野の五郎出でて、孫八を始めとして、よき相撲十番打ちければ、「出でて取らん」と言ふ者無し。駿河の国高橋の忠六、「いざや取らん」と言ふ。側に有りける海老名の秀貞、「是こそ、俣野の五郎よ。道理にて、打ちけるぞや」。景久聞き候ひて、「相撲が、絶えて無からんにこそ」と言ひければ、土屋の平太、是を聞き、「俣野も、手一つ、我も、手一つ、臆してばし、負けけるか。彼体の相撲をば、十人ばかり一つかみにて、物を脱ぎおき、たづなかきまうけ、まくれば、乗り越え、移れば、入れかへ、息をもつがせず、隙をもあらせず、攻め倒せ」「此の儀面白し」とて、十人ばかり並び居て、まくれば、つつと出で、移れば、はね越え、攻めけれども、究竟の上手の大力なれば、続けて、二十一番勝ちけり。其の時、土肥の二郎実平、座敷を立ち、つま紅に、日出だしたる扇を開きて、俣野をしばし仰ぎて、「よき御相撲かな。哀れ、実平が年十四五も若くは、出でて取らばや」と言ふ。俣野聞きて、「何かは苦しかるべき。出で給へ。一番取らん。相撲は、年に依り候はず」と言ひければ、土肥は、なまじひに、言葉を掛けて、各々 と言はれて、取るより外に、言葉も無し。伊東は、三浦に親しく、河津は、土肥が聟なり、土肥が今日の恥辱は、此の一門に離れじと思へば、伊東の二郎が嫡子河津の三郎祐重をば、父伊東より人重く思ひければ、無二無三の遊びなれども、「出でて取れ」と言ふ人無し、老の末座に有りけるが、座敷を立ちて、舅の土肥の二郎にささやきけるは、「今日の御酒もりには、老若の嫌ひ無く候ふに、などや祐重一番とも承り候はず。空しく帰り候はば、若き者のおひすけしたるににて候ふ。御はからひ候へ。一番取り候はん」と言ひければ、実平聞きて、俣野が言葉、にがにがしさにぞ、取らんと言ふらん、さりながら、聟をまかしては、面目無しとや思ひけん、返事にも及ばで、赤面してぞ居たりける。父伊東、是を聞き、子ながらも、力は強き者を、とらせ見ばやと思ひけれども、ためらふ折節、此の言葉を聞き、「神妙に申したり。出でて取れ」と言ひければ、直垂脱ぎおき、白きたづな二筋寄り合はせ、かたくをさめて、出でんとす。伊東方の者出でて、「御相撲に参らん。俣野殿」と言ふ。景久きいて、腹を立て、「相撲は是に候ふぞ。出で合はせ候へと言ふは、常の事。総じて、相撲の座敷にて、左右無く相手の名字呼ぶ事無し。氏と言ひ器量と言ひ、河津にやまくべき。小腕押しをり捨つべき物を」と、笑ひて出づるを見れば、菩薩なりにして、色あさぐろく、丈は六尺二分、年は三十一にぞなりにける。俣野が姿は、さし肩にして、かを骨あれて、首太く、頭少し、裾ふくらに、後ろの折骨、臍の下へ差しこみ、力士なりにして、丈は五尺八分、年は三十二なり。差し寄り、つまどり、ひしひしとして、押し離れ、河津思ひけるは、俣野は聞きつるに似ず、さしたる力にては無かりけり、今日、人々 の多く負けけるは、酒に酔ひけるか、臆しける故なり、今度は、手にもたつまじき物をと思ひけるが、心をかへて思ふ様、さすが俣野は、相撲の大番勤めに、都へ上り、三年の間、京にて相撲になれ、一度不覚を取らぬ者なり。其の故、院・内の御目にかかり、日本一番の名をえたる相撲なり。今ここもとにて、物手無くまかさん事は、返りて言ふ甲斐無しと思へば、二度目には差し寄り、左右の腕をつかむで、左手・右手に御座します、雑人の上に掛け、膝をつかせて、入りにけり。俣野は、只も入らずして、「此処なる木の根にけつまづきて、不覚の負けをぞしたりける。いざや、今一番取らん」と言ふ。大庭、是を聞き、走り寄り、「げにげに、是に木の根有り。まん中にて、勝負し給へ」と言ひければ、伊東申しけるは、「河津が膝、少し流れて見え候ふ。ねきりの相撲ならばこそ、意趣もあらめ。只一座の一興に負け申して、面白し。出で合ひ申せ」と言ひければ、河津は、やがてぞ出でにける。俣野も、出でんとしけるを、一族共、「如何に取るとも、勝つまじきぞ。只此の儘にて、入り給へ。論の相撲は、勝負無し。勝ちたるには、勝るぞかし。此の度負けなば、二度の負けなるべし」と言ひければ、俣野が言ふ様は、「河津は、力は強く覚ゆれども、相撲の故実は候はず、御覧ぜよ」と言ひ捨てて、猶も出でんとする所を、しばし止めて言ひけるは、「河津が手合をよく見れば、御分にみぎわ勝りの力なり。彼体の相撲をば、左右の手を上げ、爪先を立てて、上手に掛けて待ち給へ。敵も上手に目を懸けて、のさのさとよる所を、小臂を打ち上げ、違ひ様によついを取り、足を抜きてはねまはれ。大力も、はねられて、足の立てどのうく所を、捨てて足を取りて見よ。組みては適ふまじきぞ。もし又、くまで適はずは、うちがらみに、しはと掛けて、髻をおちをはかせ、一はねはねて、しとと打て。なんでふ七はなれ八はなれは、見苦しきぞ。侍相撲と申すは、よるかとすれば、勝負有り。余りにはやきも、見分けられず。又、斯様のひね物をば、わづらひ無くのし寄りて、小首ぜめに攻めて、背をこごめて、まはる所を、大さか手に入れて、かいひねつて、け捨てて見よ。真逆様に負けぬべし」と、こまごまと教へければ、「心得たり」とて出で合ひけり。教への如く、爪先を立てて、腕を上げ、隙あらばと狙ひけり。河津は、前後相撲は、是が始めなれば、やうも無く、するすると歩み寄り、俣野が、ぬけんと相しらふ所を、右の腕をつつと延べ、又野が前ほろをつかんで差しのけ、あらくも働かば、たづなも腰もきれぬべし。暫く有て、むずと引き寄せ、目より高く差し上げ、半時ばかり有りて、横様に片手をはなちて、しとと打つ。又野は、やがておきなほり、「相撲にまくるは、常の習ひ、なんぞ御分が片手業」。河津言ひけるは、「以前も、勝ちたる相撲を、御論候ふ間、今度は、まつ中にて、片手を以て打ち申したり。未だ御不審や候ふべき。御覧じつるか、人々 」と言ふ。大庭、是を見て、童に持たせたる太刀追つ取り、するりと抜きて、とんで掛かる。座敷、俄に騒ぎ、ばつと立つ。伊東方による者も有り、大庭が方による者も有り。両方さへんと下りふさがり、銚子・盃踏みわり、酒肴をこぼす。雑兵三千余人までも、軍せんとてひしめきけり。兵衛佐殿、此の由御覧じ、「如何に頼朝が情捨てて、仇を結び給ふか。大庭の人々」と仰せられければ、大庭の平太承り、「田舎住まひの物共、出仕なれ候はで、斯かる狼藉を仕り候ふ。相撲は負けても、恥ならず、我が方人は言ふべからず、一々に記し申すべきぞ。後日に争ふな」と怒りければ、大庭の鎮め給ふ上はとて、鎮まりけり。伊東は、もとより意趣無しとて、やがて面々(めんめん)にこそ鎮まりけれ。是や、瓊瑶は少なきを以て奇也とし、磧礫は多きを以て賎しとす。人多しと雖も、景信が言葉一つにてぞ、鎮まりける。斯かる所に、祐経が郎等共、彼等に交はり、伺ひけるが、哀れ、事のあれかし、間近に攻め寄りて、打たんとする由にて、伊東殿をおつ様に射落とさむとて、ささやきける。七日が間、夜昼つきて伺へども、然るべき隙無くして、狩座既に過ぎければ、各々 、空しく帰らんとす。小藤太、申しけるは、「さても、一郎殿の御心をつくして、今や今やと待ち給ふらん。徒らに帰らん事こそ、口惜しけれ。いざや、思ひ切り、とにもかくにもならん」と言ひければ、「八幡三郎申しけるは、「暫く功をつみて見給へ。如何でか空しからん。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W
〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。











