1-7 奥野の大狩猟と、岩をも砕く剛力無双
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
伊豆・相模・駿河の三ヶ国から集まった四千人の軍勢。彼らが奥野の山々に足を踏み入れてから七日間、山は阿鼻叫喚の地獄と化した。
伊東 祐親が号令を下した「狩り」は、もはや娯楽の域を超えていた。その成果を聞けば、現代のハンターなら腰を抜かすだろう。猪が6百頭、鹿が千頭、熊が37頭にムササビが3百匹。その他キジ、サル、ウサギ、タヌキ、キツネなどが8百余りで総計、2千7百余り。
七日間でこれだけの獲物が仕留められたのだ。もはや奥野の山の動物たちは絶滅の危機に瀕したと言っても過言ではない。さすがの武士たちも「これ以上殺しても持ちきれんし、意味がないな」と、血生臭い殺戮に飽き始めていた。
「よし、殺生はここまでだ! 柏峠へ移動するぞ!」
祐親の号令で、武士たちは峠の頂上へと打ち上がった。ここからは、これまで一手に雑用を引き受けてきた祐親による「大接待」の第二幕。山陣を張り、主賓である源頼朝――佐殿を囲んでの、盛大な酒宴の始まりである。
峠に集まったのは、各国の有力武士5百余人。だが、ここで問題が起きる。「誰が上座に座るか」という、武士特有のメンツを賭けたマウント合戦だ。
「祐親殿、今日の酒宴はあらかじめ座る位置を決めておいたほうがいい。若い連中が酔って暴れだすと、収拾がつかなくなるぞ。」
慎重派の土肥二郎実平が釘を刺す。すると、大庭平太景信が豪快に笑い飛ばした。
「何を言うか! ここは野外の芝居小屋のようなもの、上下など気にするな。年寄りの盃は海老名殿から、若手は山内滝口殿から始めればよかろう。」
しかし、その「若手の筆頭」として名指しされた山内滝口太郎が、どこを探しても見当たらない。弟の大庭三郎景義が不機嫌そうに答えた。
「兄上なら、熊倉の北側でデカい鹿を見つけたと騒いで、深追いしたまま戻ってきませんよ。今は代わりに家俊が来ています。」
土屋宗遠が気を利かせて「なら弟の三郎殿から始めればいいじゃないか」と提案するが、大庭景信は譲らない。
「いや、滝口は若いがああ見えて立派な男だ。今すぐ来るだろう。あいつが来るまで、酒の肴を荒らすんじゃねえぞ!」
五百人の屈強な男たちが、たった一人の若武者の到着を、山の口を見つめながらじりじりと待つ。なんともシュールで、重苦しい静寂が流れた。
その時だった。熊倉の北側から、猛烈な勢いで駆け寄ってくる一騎の武者がいた。山内滝口太郎である。だが、その様子はおかしい。彼は巨大な「熊」を追っていた。
「どけえええええっ! 山奥へは逃がさんぞ!」
滝口が追っていたのは、普通の熊ではない。この山の主とも言うべき「熊の大王」だった。
激しい追走劇の中、滝口は巨大な倒木に馬を乗り上げ、なんと馬ごと真っ逆さまに転倒した。普通なら大怪我、あるいは即死だ。だが、滝口は人外だった。
馬が倒れる瞬間、彼は宙で身を翻し、両方の鐙を踏みしめたまま着地。倒れた馬など見向きもせず、草むらに隠れながら弓を引き絞った。
――三人張りの剛弓に、十三束(約一メートル強)の特大鏑矢。
ひょう、と風を切る音が響く。
放たれた矢は熊の右の肋骨を二本、三本と叩き割り、鏑の笛は砕け散り、鏃は背後の岩に突き刺さって火花を散らした。
逆上して襲いかかる熊。だが、滝口は冷静だった。二の矢を番え、熊の胸元にある「月の輪」の紋様を斜めに射抜く。
巨躯はピクリとも動かなくなり、その場に崩れ落ちた。
「……遅参した。皆々様、申し訳ない。肴を探して深入りしすぎた!」
滝口は勢子たちに熊を担がせ、峠に姿を現した。馬から下りた彼は、笠も脱がず、矢筒も解かず、毛皮の行縢を着たまま、弓を杖にして悠然と立っている。その全身からは、獣の血の匂いと圧倒的な武威が立ち上っていた。
「……あいつ、化け物か?」
吉川四郎や俣野景久が呆気に取られる中、海老名源八が感嘆の声を漏らした。
「聞きしに勝る男よ……。これこそが、真の武士だ」
しかし、当の滝口はまだ満足していなかった。
(もっと……もっと褒められたい。俺の力を、この伊豆・相模の連中に見せつけてやる……!)
彼はふらりと歩き出した。そこには、弟の三郎と船越十郎の間に、高さ一メートルほどもある巨大な青い岩が転がっていた。
滝口がその岩に近づくのを見て、弟の家俊が席を立とうとする。だが、滝口はそれを鋭い眼光で制した。
「座ってろ、家俊。弓矢の座敷に隙間がないのは不便だろう。この岩が邪魔で、お前たちが窮屈そうにしているのが気に入らねえんだ」
滝口は右手を岩に添えた。そして、まるでおにぎりでも転がすかのような軽やかさで、その巨岩を後方へと押しやった。
ドゴォォォォンッ!!
凄まじい轟音と共に、岩は谷底へと転げ落ちていった。
座にいた五百人の武士たちが一斉に立ち上がる。
「東八カ国の親御さんたちよ! 息子が生まれたら、この滝口殿にあやかるように名前をつけよ!」
海老名源八が叫ぶ。
「器量と言い、弓の腕と言い、まるで漢の樊噌か張良の再来だ。素晴らしい、実に見事な侍だ!」
滝口のパフォーマンスで、会場のボルテージは最高潮に達した。
「今の盃の回し方は、まどろっこしい! 一番デカい盃を持ってこい。それで一人ずつ一気に回し飲み(回し飲み)しようじゃないか!」
滝口が提案すると、伊東祐親がニヤリと笑って、奥から「ある宝物」を取り出させた。
「……よし、これを使え。我が家の秘蔵、『二郎貝』だ」
それは、ただの貝殻ではない。かつて天皇に献上された日本一の巨大な貝で、あまりに大きすぎて公家には扱いきれず、武家に下賜されたという伝説の器だ。
酒を入れる提子が三つ分も入るという、怪物級の酒盃である。中には梨地の蒔絵が施され、外側は磯の趣を生かした一級の芸術品。この二郎貝に、五百人分の酒が惜しみなく注がれた。
滝口から始まった回し飲みは、三周、四周と続く。酒が足りなくなることなどない。祐親の財力は底なしだった。やがて、屈強な男たちは酔い、歌い、乱舞し、峠の頂上で跳ね踊った。その様子を、盃を片手に眺めていた老将、海老名源八がポツリと独り言を漏らす。
「……めでたい世の中よな。あまりに楽しすぎて、これがいつか昔話になってしまうと思うと、悲しくてならん。……おい、若殿たち。お前らのように舞い踊ろうとしても、俺の膝は震え、声も出ん。腰も膝も立たぬ。……白居易も、昔こんな気分だったのかねぇ⋯」
若者たちの眩しいほどのエネルギーと、老兵の少し切ない感傷。そして、その狂宴の喧騒を、冷めた目で見つめる男たちがいたことを、この時の彼らはまだ忘れていた。
山影に潜む、工藤祐経の刺客たち。この宴が終わる時。この華やかな「黄金の時代」の幕が、血塗られた一撃によって切り落とされる。
曾我物語 巻第一 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔奥野の狩の事〕
さても、両三が国の人々(ひとびと)は、各々(おのおの)奥野に入り、方々(はうばう)より勢子を入れて、野干をかりける程に、七日が内に、猪六百、鹿千頭、熊三十七、鼯鼠三百、其の外、雉、山鳥、猿、兎、貉、狐、狸、豺、大かめの類に至るまで、以上其の数二千七百余りぞ、止められける。今は、さのみ野干を滅ぼして、何にかせんとて、各々(おのおの)柏峠にぞ打ち上がり、此の程の雑掌は、伊東一人して、暇無かりければ、「持たせたる酒、人々(ひとびと)の見参に入れざるこそ、本意無けれ。いざや、山陣取りて、頼朝に、今一獻すすめ奉らん」「然るべし」とて、むねとの人々(ひとびと)五百余人、峠に下り居て、用意す。土肥の二郎が申す、「今日の御酒もりは、予て座敷の御定め有るべし。若き方々(かたがた)の御違乱もや候ふべき」。大庭の平太、「是、芝居の座敷、誰を上下と定むべき。年寄の盃は、海老名殿より始め、若殿原は、滝口殿より始めよ。此の人は、いづかたにぞ」と申しければ、弟の三郎聞き、「兄にて候ふ者は、熊倉の北の脇に、鹿の候ひつるを、目に懸け、深入りして、未だ見えず候ふ。家俊こそ参りて候へ」。土屋が申しけるは、「三郎殿こそ、滝口殿よ。兄弟中に、誰をかわきて隔つべき。其の盃、三郎殿より始めよ」と言ふ。大庭聞き、「滝口殿は、年こそ若けれども、然る人ぞかし。今来たると言ふを、少しの間、待たぬか。左右無く肴あらすな」とて、奥野の山口方へ向かひ遣り、滝口遅しとまつ所に、滝口は、熊倉の北の脇を過ぐるに、埒の外に、熊の大王を見付けて、元山ヘ入れじと、平野に追ひ下す所に、滝口、大きなる伏木に馬を乗り掛け、真逆様に馳せ倒す。倒るる馬を顧みず、弓のもとを、左右の鐙に乗りかかり、草葉隠れに、矢ごろ少しのびたりけるを、三人ばりに、十三束の大の鏑矢つがひ、拳上に引き掛け、ひやうどはなつ。ひやうどとほなりして、右の折骨二つ三つ、はらりと射ければ、鏑はわれて、さつとちりければ、鏃は、岩にがしとあたる。熊は、手をおひ、滝口にたけりて掛かる。勢子の者共、是を見て、四方へばつとぞ逃げたりける。滝口、此の矢をつがひ、絞り返して、月の輪をはすしろに、射を懸けて射ければ、熊は、少しも動かず、矢二つにて、止まりける。其の後、勢子の者共呼び寄せ、熊をかかせて、人々(ひとびと)の下り居たる峠に打ち上り、急ぎ馬より下り、「御肴尋ね候ふとて、深入り仕り、遅参申すなり。御免候へ」と言ひ、笠をも脱がず、靫をもとかず、行縢ながら、弓杖付きて立ちたり。吉川の四郎、俣野にいくみて有りけるが、是を見て、「滝口殿は、聞きしより、見まして覚ゆる物かな。哀れ、男かな」とほめければ、座敷に居わづらひたり。誠に気色顔にて、何事がな、力業して、猶ほめられんと思へ共、芝居の事なれば、適はで有りけるを、弟の滝口三郎と船越十郎が居たりける間に、あをめなる石の、高さ三尺ばかりなるをよりて、持たせばやと思ひければ、するすると歩みけるを見て、弟の家俊、立たんとす。膝を抑へて、はつたとにらみて、「弓矢の座敷をかたさるとは、我が居たる家を出でて、他所に居渡り、其の家に人をおくをこそ、座敷かたさるとはいへ。是、此処なる石の、二人が間に有りて、つまりやうのにくさにこそ」と言ひ、右の手を差し延べて、後ろ様へおしければ、大石がおされて、谷へどうど落ち行く。海老名の源八、是を見て、東八か国の中に、男子持ちたらん人は、滝口殿を呼びて、ものあやかりにせよ、器量と言ひ、弓矢取りては、樊噌・張良なり。哀れ、侍や」とほめられ、いよいよ気色をまし、老の末座敷よりすすみ出で、申しけるは、「只今の盃も、然る事にて候へども、余りにもどかしく覚え候ふ。大きなる盃をもつて、一つづつ御まはし候へかし」と申しければ、「滝口殿の仰せこそ、面白けれ」とて、伊東の二郎貝と言ふ貝を取り出だし、此の貝は、日本一二番の貝とて、院へ参らせたりしを、公家には、貝を御用ひ無き事なれば、武家に下さる、太郎貝をば、秩父に下さる、提子五つぞ入りける、二郎貝をば、三郎に下さる、新介賜はりて、土肥の二郎に取らする、殿上を許されたる器物とて、秘蔵して持ちけるを、折節、河津の三郎、土肥の聟に成りて来たりしを、引出物にしたりけり。内は己なりに、外は梨子地にまきて、いそなりにめおさしたり、提子三つぞ入りける、是を取り出だし、滝口がもとより始めて、三度づつぞまはしける。五百余人の持ちたる酒なれば、酒の不足は無かりけり。後には、乱舞して、躍りはねてぞ、遊びける。海老名の源八、盃ひかへて、申しけるは、「是は、めでたき世の中を、夢現とも定め難く、昔がたりにならん事こそ、悲しけれ。老少不定と言ひながら、若きは、頼み有る者を、若殿原の様に、舞ひうたはんと思へども、膝振るひ、声も立たず、りうせきが、塚より出でて、はんらうが、茫然とせし様に、酒もれや、殿原。哀れ、きみかく有りし時は、是程の盃二三十のみしかども、座敷に伏す程の事はあらねども、老の極めやらん、腰膝の立たざるこそ、悲しけれ。白居易が昔、思ひ出でられたり。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁をストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。











