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新訳 曽我物語 〜 復讐系なろうの原点、父を殺された兄弟の二十年の復讐譚〜  作者: 条文小説


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1-5 臥龍の滞在と、運命を狂わせる大狩猟

挿絵(By みてみん)


 曽我物語そがものがたりは、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia

 源頼朝が伊豆の豪族、伊東 祐親すけちかの館に身を寄せていた頃のこと。


 相模の国の住人、大庭平太おおばのへいた景信かげのぶという男が、一族を集めて酒を酌み交わしていた。


「……なあ。我らは今でこそ平家の御恩というやつで妻子を養っているが、もともとは源氏の郎等だった。古き絆を忘れていいもんだろうか。」


 景信の言葉に、座がしんと静まり返る。


すけ殿……頼朝様は、今や流人として退屈な日々を過ごされている。今宵、我らで宿直ガードを申し出て、昔話を肴に慰め奉ろうではないか。それが、いつか訪れるかもしれない『その時』への奉公にもなろう」


「異議なし!」


「それが武士の情けというものだ」


 一族五十余人が立ち上がった。彼らは一人一人が精鋭。その動きは速かった。そして、この動きは連鎖する。噂を聞きつけた近隣の侍たちが「自分たちだけ取り残されるわけにはいかない」と、次々と名乗りを上げた。


 相模から三浦、鎌倉、土肥、岡崎、本間、渋谷、松田……。駿河から: 竹下、合沢、吉川、船越……。伊豆から: 北条、天野、狩野……。気づけば、その数は五百人。伊豆・相模・駿河の精鋭たちが、一堂に会して伊東の館へと押し寄せたのである。


 これだけの軍勢が予告なしにやってきたのだ。普通ならパニックになるところだが、伊東祐親という男は違った。


「はっはっは! これほどの客人が来るとは、我が伊東の館も賑やかになるわ!」


 祐親は大喜びで、客人を迎え入れるために館の仕切りをすべて取り払わせた。それでも足りないと見るや、庭に仮設の宿舎を次々と建て、巨大な幕を張り巡らせる。集まったのは、下男まで含めて二千五百人。


「祐親殿、これはやりすぎだ。百人や二百人の雑用ならまだしも、二千人以上の客人を一人で抱え込むなど、無茶がすぎるぞ。」


 盟友の土肥二郎どひのじろう実平さねひらが呆れて声をかけるが、祐親は胸を張って言い返した。


「実平殿、私を誰だと思っている。かつて河津という小さな郷を治めていた時ですら、振る舞いにおいて誰かに劣ったことなどない。ましてや今は、久須美庄を丸ごと手中に収めているのだ。山海の珍味など、いくらでも用意してやるわ!」


 祐親は言葉通り、三日三晩にわたる超豪華な宴を開いた。酒は滝のように流れ、贅を尽くした料理が並ぶ。その財力と組織力は、まさにこの地域の「王」にふさわしい圧倒的なものだった。


 三日目のことだ。酒も回り、武士たちの血が騒ぎ始める。海老名えびな源八げんぱちが、酔った勢いで口を開いた。


「これほどの名士が集まるなら、勢子せこを揃えて、あの有名な『奥野の狩場』で大狩猟をやりたかったものですな。獲物を追い込み、鏑矢の音を響かせられないとは……武士として少し寂しい限りだ。」


 普通なら「また次の機会に」と流すところだろう。だが、三日間の宴を成功させ、万能感に浸っていた祐親の「プライド」はそれを許さなかった。


「……ほう。私を相手に、勢子が足りぬと申すか。座敷でそんな泣き言を言うとは、度量が狭いぞ。」


 祐親は立ち上がり、外で控えていた嫡子を呼んだ。


「これへ! 河津三郎かわづのさぶろう! すぐに勢子を催促し、皆々様に奥野の鹿を射させて差し上げろ!」


 この一言。これが後に、伊東一族の運命を決定づける「終わりの始まり」になるとは、この時の祐親は知る由もなかった。


 命じられた河津三郎 祐重すけしげは、父とは正反対の性格だった。彼は武芸に秀でていながらも、内面は穏やかで、むやみな殺生を嫌う高潔な精神の持ち主だった。


(……これほどの大人数で狩りなどすれば、山は荒れ、多くの命が失われる。できればお止めしたいものだが……。)


 だが、この時代、親の命令は絶対だ。大勢の侍たちの前で恥をかかせるわけにもいかない。三郎は静かに座を立ち、準備に取り掛かった。


「幼き者は馬に乗れ! 大人は弓矢を持て!」


 三郎の号令一つで、久須美庄から集まった地元の勢子は、老若合わせて三千五百人。これに三ヶ国の侍五百人が加わり、総勢四千人の軍勢が奥野の山へと動き出した。


 神無月(十月)十日余り。伊東の館の南門に、女たちが集まっていた。祐親の妻、そして河津三郎の妻(後の曾我兄弟の母)をはじめとする女房たちが、出陣する男たちを見送るためだ。


 四千人の武者行列。その先頭を行くのは、やはり河津三郎だった。その姿は、他の誰とも違っていた。磨き上げられた鎧に身を包み、堂々とした骨格、知性と武勇を兼ね備えたその佇まいは、まさに「理想の武士」を体現していた。祐親はそれを見て、満足げに鼻を高くする。


「どうだ。我が息子ながら、なんと優雅で頼もしい姿か。これなら、どんな大物でも仕留めてこよう。」


 だが、隣にいた三郎の妻は、その華やかすぎる行列を見つめながら、心の底で拭いきれない不安を感じていた。あまりに美しい夕日は、沈む直前が最も輝く。あまりに勢いのある運命は、壊れる直前が最も激しい。


「……旦那様。武士が物々しく出立する姿を、女が長く見送るものではありません。さあ、奥へ入りましょう。」


 彼女は自分に言い聞かせるように、そして不吉な予感を断ち切るように、他の女房たちを促して館の中へと戻っていった。軍勢は、色づき始めた伊豆の奥野へと消えていく。その背後で、かつて領地を奪われ、妻を奪われ、復讐の鬼と化した工藤祐経の放った刺客たちが、闇の中で矢をつがえて待っていることも知らずに。


 黄金の時代が終わり、血の惨劇が始まるまで、あとわずかだった。




曾我物語 巻第一 (明治四十四年刊 國民文庫本)




 〔すけ殿どの伊東いとうたちしますこと


 かくて、ひまうかがほどに、ころ兵衛佐ひやうゑのすけ殿どの伊東いとうたちしましけるに、相模さがみくに住人ぢゆうにん大庭おほば平太へいだ景信かげのぶものり。一門いちもんひ、さかもりしけるが、まうしけるは、「われは、むかしは、源氏げんじ郎等らうどうなりしかども、いまは、平家へいけ御恩ごおんもつて、妻子さいしはごくむといへども、いにしへのこう、わするべきにあらず。いざや、すけ殿どのの、いつしか流人るにんとして、徒然とぜんしますらん。一夜いちや宿直とのゐまうして、なぐさたてまつり、後日ごにち奉公ほうこうまうさん」「もつともしかるべし」とて、一門いちもん五十余人よにんちたり。人別べつつつ一あてぞちにける。これき、三浦みうら鎌倉かまくら土肥とひ二郎じらう岡崎をかざき本間ほんま渋谷しぶや糟屋かすや松田まつだ土屋つちや曾我そがの人々 、おもおもひにちにけり。ほどに、近国きんごくさぶらひつたへ、「われ如何いかでかのがるべき。いざやまゐらん」とて、相模さがみくにには、大庭おほば舎弟しやてい三郎さぶらう俣野またの五郎ごらう、さこしの十郎じふらう山内やまうち滝口たきぐちの太郎、おなじく三郎さぶらう海老名えびな源八げんぱち荻野おぎの五郎ごらう駿河するがくにには、竹下たけのした孫八まごはち合沢あひざは弥五郎やごらう吉川きつかは船越ふなこし入江いりえの人々 、伊豆いづくにには、北条ほうでう四郎しらうおなじく三郎さぶらう天野あまの藤内とうない狩野かの工藤五くとうごはじめとして、むねとの人々 五百人、伊豆いづ伊東いとうへぞうつりける。伊東いとうおほきによろこびて、内外ないげさぶらひ一面めんはらひ、なほせばかりなんとて、つぼ仮屋かりやだし、大幕おほまくき、上下二千四五百人の客人きやくじんを、一日いちにち一夜いちやぞもてなしける。土肥とひ二郎じらうこれて、「雑掌ざつしやうは、百人二百人までは安し。すでに二三千人の客人きやくじんを一人にあづくること無骨ぶこつなり」とふ。伊東いとうこれき、「河津かはづまう小郷せうがう知行ちぎやうせしときにも、いづれのたれに、おとりて振舞ふるまひし。ましてや、久須美庄くすみのしやうをふさねてさうらあひだかねうけたまはものならば、などや面々に引出物ひきでものまうさでるべき。これほどことなにかはくるしかるべき」とて、山海さんかい珍物ちんぶつにて、三日三 ぞもてなしける。また海老名えびな源八げんぱちまうしけるは、「かるひにまゐるべしとぞんじてさうらはば、くにより勢子せこ用意よういして、おとこゆる奧野おくのり、物頭ものがしらむまあひけ、かぶらのとほなりさせざるが、無念むねんなり」とひければ、伊東いとうこれき、「祐親すけちかを人とおもひてこそ、両三日 がこくの人々 りて、あそたまふらめ。左右さうく、座敷ざしきにて、勢子せこねがひやうこそ、こころせばけれ。それそれ河津かはづ三郎さぶらう勢子せこもよほして、鹿ししさせまうせ」とひけるぞ、伊東いとううんきはめなる。河津かはづは、もとより穩便おんびんものにて、こころうちには、殺生せつしやうきんずる人なりければ、如何いかにもして、たびかりまうとどめなば、よからましとおもへども、おほさぶらひなかにて、おやまうことなれば、ちからおよばで、座敷ざしきち、われ勢子せこをぞもよほしける。「をさなものは、むまりてでよ。大人おとなは、弓矢ゆみやをもて」とふれければ、久須美庄くすみのしやうひろくして、老若らうにやくに三千四五百人ぞでたりける。かれさきとして、三がこくの人々 、われわれもとでたり。伊東いとう河津かはづ妻女さいぢよかず女房にようばうきつれて、みなみ中門ちゆうもんでて、でける人々 をおくりける。なかにも、河津かはづ三郎さぶらうは、の人にもまがはず、器量きりやう骨柄こつがらすぐれたり。「うちのたいしんとひたりとも、しからじ。ながらも、いうゆるものかな。たのもし」とのたまひければ、河津かはづ女房にようばうこれき、「弓矢ゆみやりのものいでの姿すがたをんなおくことせんし。うちらせたまへ」とひければ、にもとて、各々 うちにぞりにける。神無月かんなづき十日余あまりに、伊豆いづ奥野おくのりにけり。

〜参考記事〜

国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室

https://share.google/uMQE6XFcSP1zbLr1W


〜舞台背景〜

 この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。

 せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。

 逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。

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