1-2 始まりの呪いと、狂気の遺言
曽我物語は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。作者・成立年ともに不詳。後年、能や歌舞伎などの演劇や物語・小説の題材となり人気を博し、文芸界に「曽我物」と呼ばれるジャンルを築いた。「日本三大仇討ちもの」の一つとされる 出典:Wikipedia
源頼朝という巨大な権力者が構える陣中で、堂々と親の仇を討ち取り、その名を歴史に刻んだ二人の若者。兄・曾我十郎 祐成と、弟・曾我五郎 時致。
彼らがなぜ、死を賭してまで復讐に走ったのか。その発端を辿れば、一族のドロドロした領地争い――そして、「一人の老人の執念が引き起こした禁断の呪術」に突き当たる。すべては、伊豆の広大な領地「久須美庄」を巡る、歪んだ相続から始まった。
舞台は平安末期。伊豆の国を治めていたのは、工藤大夫 祐隆という男だった。出家して「寂心」と名乗った彼は、悩みの中にいた。
「……息子たちが皆、先に逝ってしまった。このままでは家が絶える。」
そこで寂心は、ある「禁じ手」を使う。自分の後妻が連れてきた連れ子の子(義理の孫)を養子に迎え、「工藤 祐継」と名乗らせ、本拠地である伊東の地を譲ってしまった。
これにブチ切れたのが、寂心の「実の孫」である伊東二郎 祐親だった。
「おいおいっ、冗談じゃねえぞっ。」
祐親は内心、腑が煮えくり返るような思いだった。己こそが正当な血筋なのに、なぜどこの馬の骨とも知れない「連れ子の子」が本家を継ぎ、自分は脇の河津の地へ追いやられなきゃならないのか。
「あんな奴、他人だろ。俺こそが嫡流だろっ!」
しかし、周囲の意見は冷ややかだった。
「いや結構そこは微妙で⋯祐継様は寂心様が内々に通って作った実子だって噂ですよ? つまり実質 祐親様の叔父(あるいは兄)じゃないですか。親が決めた譲り状があるんだから、諦めた方が宜しいかと⋯。」
しかし、プライドの高い祐親にそんな理屈は通用しない。
祐親は何度も裁判を起こすが、公的な「譲り状」という最強のアイテムを持つ祐継には勝てず、訴訟は連戦連敗。祐親は表向きはニコニコしながらも、その腹の内にはドス黒い殺意が渦巻いていった。
「……殺す。どうしても殺してやる。表がダメなら、裏の力で消す。」
祐親が目をつけたのは、信仰の山・箱根のトップである「箱根の別当」だった。祐親は別当を呼び出すと、贅を尽くした豪奢な酒宴でもてなした。そして、酒が回っていい気分になった頃合いを見計らい、にじり寄って耳打ちした。
「別当様。……折り入ってお願いがございます。」
「おや、祐親殿。改まって何ですかな?」
「あの伊東祐継を……呪い殺してほしいのです。 立ったまま命を失うような、えげつないやつを。今すぐに!」
その言葉を聞いた瞬間、別当の顔から酔いが消えました。別当はしばらく沈黙した後、諭すように言った。
「祐親殿。よく聞きなさい。……あなた方は血の繋がった兄弟のようなもの。親が決めたことに背き、害心を抱くのは神仏の心に背く行為です。それに、私は幼い頃から仏門に入り、殺生を禁じられ、五戒を守って修行してきた身。人の命を奪うなど、三世の諸仏を殺すも同義。そんな不届きな祈祷、口にすることさえ恐ろしい。お断りします。」
別当はピシャリと拒絶し、そのまま袖を翻し箱根の山へ帰っていった。
普通ならここで諦めるが、祐親の執念はレベルが違う。祐親は何度も何度も手紙を送り、ついには祐親が自ら箱根の山へ登って、別当に縋りついた。
「別当様! 我ら一族とあなた様は、先祖代々、師弟の関係ではありませんか! 私の一生のお願いです。もしこれが祐継にバレたら、今度は私が消される。もう後がないんです……!」
これには別当も困り果てた。
(うわぁ⋯面倒な奴だな……。でも、こいつはうちの太客だし、ここまで言われて無視して、逆恨みされるのも怖いし……)
ついに、高潔な僧侶は「大人の事情」に負けた。
「……分かりました。今回だけですよ。」
別当が準備したのは、慈悲深い仏の顔をした呪いの儀式だった。箱根の山奥で、前代未聞の調伏の儀が始まる。本尊に据えられたのは、阿弥陀三尊と地蔵菩薩。一見、死者の冥福を祈るような組み合わせだが、その祈祷の内容は恐るべきものだ。
「……阿弥陀如来様、地蔵菩薩様。どうか伊東祐継の命を今すぐ回収して下さい。その代わり、死んだ後は速やかに極楽浄土へ連れて行ってあげて。地獄に落とさなくて良いから、とりあえず今は死なせて。 お願い、今すぐ!」
という、慈悲の皮をかぶったデス・タイマー。
さらに後半、別当はついに本性を現す。五大明王を四方に掲げ、紫の袈裟をまとい、不眠不休で汗を流しながら、鬼のような形相で祈りを揉み(もみ)始めた。
「烏蒭沙摩金剛! 五大明王! 奴の息の根を止めろ! 貫け! 焼き尽くせ!」
そして、七日目の満願。午前三時半頃。
――パァァァンッ!
凄まじい音と共に、別当の視界に信じられない光景が映し出された。祭壇の上に、伊東祐継の、働き盛りで血色の良い首が、明王の剣に突き刺さった状態で転がってきた。
「……成し遂げた。呪いは成就した。」
壇を下りる別当の背中は、もはや聖職者のそれではなく、一人の殺し屋だった。
こうして、祐親の執念は実り、ライバルであった祐継はこの世を去った。
しかし、もちろん物語はここで終わらない。
呪い殺された祐継の息子、工藤 祐経。彼もまた、父の不審な死と奪われた領地の恨みを募らせる。
この遺恨が、後に曾我兄弟の父を殺し、そして兄弟による歴史的な仇討ちへと繋がっていく。一人の老人の「領地欲」から始まった呪いが、三代にわたる殺し合いの連鎖を生む。伊豆の山々に響く読経の音は、悲劇の始まりの合図に過ぎなかった。
曾我物語 巻第一 (明治四十四年刊 國民文庫本)
〔伊東を調伏する事〕
此処に、伊豆の国の住人、伊東の二郎祐親が孫、曾我の十郎祐成、同じく五郎時致と言ふ者有りて、将軍の陣内も憚らず、親の敵を打ち取り、芸を戦場に施し、名を後代に止めけり。由来を詳しく尋ぬれば、即ち一家の輩、工藤左衛門祐経なり。例へば、伊豆の国伊東・河津・宇佐美、此の三ケ所をふさねて、久須美庄と号するの本主は、久須美の入道寂心にてぞ有りける。在国の時は、工藤大夫祐隆と言ひけり。男子数多持ちたりしが、皆早世して、遺跡既に絶えんとす。然る間、継女の子を取り出だし、嫡子に立てて、伊東を譲り、武者所に参らせ、工藤武者祐継と号す。又、嫡孫有り、次男に立てて、河津を譲り、河津二郎と名乗らせ、然る間、寂心他界の後、祐親思ひけるは、我こそ、嫡々なれば、嫡子に、異姓他人の継女の子、此の家に入りて、相続するこそ、安からねと思ふ心付きにけり。是、誠に神慮にも背き、子孫も絶えぬべき悪事なるをや。仮令他人なりと言ふとも、親養じて譲る上は、違乱の義有るべからず。まして、是は、寂心、内々 継女のもとに通ひて、設けたる子也。誠には兄なり。譲りたる上、争ふ事、無益の由、余所余所にも申し合ひけり。然れども、祐親止まらで、対決度々に及ぶと雖も、譲状を捧ぐる間、伊東が所領に成りて、河津は負けてぞ下りける。其の後、上に親しみながら、内々安からぬ事にぞ思ひける。然れども、我が力には適はで、年月を送り、或る時、祐親、箱根の別当を秘かに呼び下し奉り、種々にもてなし、酒宴過ぎしかば、近く居寄り、畏まりて申しけるは、「予てより知ろし召されて候ふ如く、伊東をば、嫡々にて、祐親が相継ぎ候ふべきを、思はずの継女の子来たりて、父の墓所、先祖の重代の所領を横領仕る事、余所にて見え候ふが、余りに口惜しく候ふ間、御心をも憚らず、申し出だし候ふ。然るべくは、伊東武者が二つ無き命を、立所に失ひ候ふ様に、調伏有りて見せ給へ」と申しければ、別当聞き給ひて、暫く物も宣はず、やや有りて、「此の事、よくよく聞き給へ。一腹一生にてこそ坐しまさね、兄弟なる事は眼前也。公方までも聞こし召し開かれ、既に御下知をなさるる上は、隔ての御恨みは、然る事にて候へども、忽ちに害心を起こし、親の掟を背き給はん事、然るべからず。神明は、正直の頭に宿り給ふ事なれば、定めて天の加護も有るべからず、冥の照覧も恐ろし。其の上、愚僧は、幼少より、父母の塵欲を離れ、師匠のかんしんに入りて、所説の教法を学し、円頓止観の門をのぞみ、一ねんまいに、稼穡の艱難を思ひ、一度切る時、紡績の辛苦を忍ぶ。三衣を墨に染め、鬢髪をまろめ、仏の遺願に任せ、五戒を保ちしより此の方、物の命を殺す事、仏殊に戒め給ふ。然れば、衆生の身の中には、三身仏性とて、三体の仏の坐します。然るに、人の命を奪はん事、三世の諸仏を失ひ奉るに同じ。諸々 以て、思ひ寄らざる事なり」とて、箱根に上り給ひけり。河津は、なまじひなる事申し出だして、別当、承引無かりければ、其の後、消息を以て、重ね重ね申しけれども、猶用ひ給はず。如何せんとて、秘かに箱根に上り、別当に見参して、近く居寄りて、ささやきけるは、「物其の身にては候はねども、昔より師檀の契約浅からで、頼み頼まれ奉りぬ。祐親が身におきて、一生の大事、子々孫々までも、是にしくべからず候ふ。再往に、申し入れ候ふ条、誠に其の恐れ少なからず候へども、彼の方へ返り聞こえなば、重ねたる難儀、出で来たり候ふべし。然ればにや、浮沈に及び候ふ」と、くれぐれ申しければ、始めは、別当、大きに辞退有りけるが、誠に檀那の情もさり難くして、おろおろ領状有りければ、河津、里へぞ下りける。別当、そき無き事ながら、檀那の頼むと申しければ、壇を立て、荘厳して、伊東を調伏せられけるこそ、恐ろしけれ。始め三日の本尊には、来迎の阿弥陀の三尊、六道能化の地蔵菩薩、檀那河津次郎が所願成就の為、伊東武者が二つ無き命を取り、来世にては、観音・勢至、蓮台を傾け、安養の浄刹に引接し給へ、片時も、地獄に落とし給ふなと、他念無く祈られけり。後七日の本尊には、烏蒭沙摩金剛とかう童子、五大明王の威験殊勝なるを、四方に掛けて、紫の袈裟を帯し、種々に壇を飾り、肝胆を砕き、汗をものごはず、面をもふらず、余念無くこそ祈られけれ。昔より今に至るまで、仏法護持の御力、今に始めざる事なれば、七日に満ずる寅の半ばに、伊藤武者がさかんなる首を、明王の剣の先に貫き、壇上に落つると見て、さては威験現れたりとて、別当、壇を下り給ふ、恐ろしかりし事共也。
〜参考記事〜
国民文庫「曾我物語」明治44年 / 菊池眞一研究室
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〜舞台背景〜
この作品では原典を併記していますが、これがなかなか厄介で、原文の体裁を、ストーリーを考える数倍の手間を掛けて整えています。
せっかくなので、小説と原文を見比べながら、原典の迫力や雰囲気を感じてもらえたらと思います。この原文併記という形式は教科書はまだしも小説ではあまり見ない試みです。もし面白い試みだなと思って頂けたら☆5とは申しませんが、☆3〜4くらい頂けると嬉しいです。
逆に「ウ~ン」と思われた方は、遠慮なく☆1で意思表示して頂ければ率直なご意見として謹んで承りたいと思います。











