2章 彼女と同僚
最近はセミの音がうるさくなってきて、本格的な夏になってきたけど、僕はめげずにマラソンの練習をしていた。
ピロン、仕事の前に軽く走ろうと靴を履いていると、スマホからメッセージアプリの音がなった。僕は覗き込んだ。
「おはようございます。今日も暑いですが頑張りましょう」
飾りっ気のない川崎さんからの連絡だった。
練習の日には川崎さんと連絡を取るようになって、あの交流会からだから一ヶ月位なる。正直この連絡がなかったらモチベーションが上がらなくなっていたかもれない。
「はい。川崎さんも無理しないように頑張ってください」
僕も簡単に返信して、家を出発した。家を出た瞬間からムワッとした夏の暑さが体に当たる。少し走っただけで体が熱くなってきた。以前昼間に川崎さんと走ろうと誘ったことがあるが、熱中症になるから絶対やめた方がいいと言われた。言っていた理由が良く解るようになってきた。
走り終わって会社で仕事をしていると、山下が声をかけてきた。
「立花は走ってるんだよな。どこ走ってる?」
「家の周りを五キロ程度な。山下は?」
山下は目を逸らす。
「二キロくらいかな。暑いじゃん」
山下は暑いと言って、土曜日の休みも休んでいた。
「まぁ、言いたいことは解るが、そしたら筋トレとかはしているか?」
「筋トレ?」
「川崎さんが言ってたんだ。マラソンは持久力も大事だけど筋肉も大事だって、川崎さんも走るのと筋トレ交互にやっているらしよ」
山下は目を丸くした。
「お前、川崎さんと大分仲良くなった」
「そういう訳じゃないけど、ただ聞いているだけだよ」
山下はウンウンと何度も頷いた。
「お前、女っ気なかったからな。俺は安心したよ」
急に何を言い出すんだ山下は。
「そんなじゃない。もう何も教えてやらん」
僕は仕事に戻ろうとするが、山下にそれを止められた。
「冗談だって。ゴメンな。俺もアドバイスもらえるか聞いてくれよ」
「分かった聞いてみるよ」
昼休みになり、早速川崎さんに連絡してみるとすぐに来てくれた。川崎さんは髪を後ろに束ねて動きやすそうにしている。
「始めまして?ですか」
山下は肩をガクっと落とした。
「一応、交流会で挨拶したんだけどな」
川崎さんは慌てて、何度も頭を下げる。
「すいません。すいません」
「いや、いいですよ。それで昼休みもあまりないから何だけど、アドバイスってもらえるのかな」
「いいですよ」
山下は川崎さんに手短に内容を説明すると、何個か家でできる筋トレを教えた。すると今度はこっちに向く川崎さん。
「立花さんも同じ内容の筋トレしてくださいね」
ニコっと当然のように彼女は言った。
「それで涼しくなってきたら九月くらいに一度、一緒に走りましょう」
僕の日課が、自然に足されてしまった。それからというもの時間はあっという間に過ぎていった。
そして九月の最後の土曜日の夕方に、三人で大濠公園に集まった。
「自分のペースで走りましょうね、二人とも普段どのくらい走ってますか」
ストレッチも終わって川崎さんが聞いてきた。
「僕は平日に六キロ。休日に八キロくらい走ってます」
「俺はいつも五キロだね」
山下も気温も下がって来たことで夜に走りだしたみたいだった。
「そうですか。じゃ、今日の課題は立花さんは十キロ、山下さんは八キロにしましょう」
「オッケー、そろそろ距離を伸ばそうと思っていたから、丁度良かった」
以前より山下がやる気に満ちていることに、正直戸惑ってしまった。
「立花、俺の顔になんか付いている?」
「前と全然違うなと思って」
「なんか走り出すと楽しくなってきたんだよね」
呑気に山下が言った。このやる気は最後まで続くのだろうか見ものである。
「二人とも初めますよ」
川崎さんが声をかける。
「ヨーイドン」
川崎さんが声と同時に手を一度叩いて、僕達は走り出した。
もうすぐ十月というのに日差しはまだ暑かったが、風が涼しくなってきた。今年はずっと走っているから季節の変わりをじっくり感じている気がする。朝方に走っていると、あまり暑くなってきて走りやすくなってきていた。
公園には前に来た時以上に、走ってる人が多かった。意外にもご年配の人が多く、僕も負けていられないなと思ってしまう。
ハ、ハ、ハ、ハ、小刻みに呼吸をしていると後ろの方から僕を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると川崎さんだった。
「立花さん、姿勢が猫背になってますよ。腹筋に意識をしながら走ってみて下さい」
川崎さんは僕と並んで走り出した。彼女が言うように少し腹筋に力を入れると姿勢がまっすぐになり、とても走りやすくなった。
「いい調子です」
川崎さんはいつも職場では、明るく気さくにみんなと話しているが、今日は髪をいつもと違って飾りっ気のないゴムで止め、スポーツウェアを来て、凄く格好よかった。呼吸も自分よりリズムカルでとても、走りやすそうにしている。それから公園を一周した辺りで彼女はこちらを見た。
「とても良くなって来ましたね」
彼女は僕に注意を向けてくれていたようだった。邪魔になってはいないだろうか?
「ありがとうございます。このまま走ってみるので川崎さんは先に言って下さい」
「分かりました」
そう言うと川崎さんは、スピードを上げて先に行ってしまった。結局、僕が十キロ走るまでに三、四回は抜かされたように思う。山下も無事に目標を達成したみたいだったが、結構疲れている様子だった。しかし、疲れているはずの山下が一度帰って集まらないかと言うことで汗を流して集まった。
「カンパーイ」
山下は勢いよくビールを喉に流し込んだ。
「おいおい運動の後だから、そんなに飲むなよ」
山下は拗ねた子供のように、口を尖らせる。
「いいじゃないか。美味しんだから」
「私もそれには同意見ですね」
向かいに座っている川崎さんも、一口飲んで相槌をうつ。
「川崎さん分かってくれるんだ」
「えぇ、でも飲み過ぎは禁物ですよ」
川崎さんは、ジーンズとシュッとしたシャツに着替えてきていた。とても動きやすそうな格好をしている。
「立花さんはあと一ヶ月くらいで初のマラソンですがどうですか?」
どうですかって言われても僕は実感ないな。
「僕は普段より走っている気がするくらいですかね?」
川崎さんはごくっとビールを美味しそうに飲むと、僕の方を向いた。
「立花さんは、目標とか決めていますか?」
「目標ですか、そうですね。とりあえず六時間切れたらと思っています」
「なるほど立花さんは、サブシックス目指していると言うことですね」
サブシックス、マラソンでその時間内でゴールすることをサブというらしい。マラソンの事を調べていたら良くサブ何時間切れる方法とかでてきてたな。
「山下さんはどうですか」
川崎さんは山下の方を向いた。焼き鳥を食べ始めていた山下は、慌ててビールで流し込んだ。
「すいません。ゆっくりでいいですよ」
山下は口の中のものをスッキリさせて、拳を握りしめた。
「俺は完走だな」
「なんか夏前と比べてやる気だな」
今日思い返してみても、黙々と走り続けていた。てっきり途中で辞めるかと僕は思っていた。
「完走したら、広報の子がデートしてくれるしてさ」
山下は口角を少し下げて、ポリポリと頭を描く。
そういうことね。それでやる気をだしているのか分かりやすいやつだな。
「そこで、川崎さん質問いいかな」
「何でしょう?」
川崎さんは追加の食べ物を、注文しながら答える。
「今日の俺の走ってるのを見て思った事聞かせてくれる?」
「いいですよ。いくつかありますがメモ取りますか」
山下はカバンからメモ用紙とペンを取り出して、聞き始めた。川崎さんはスポーツトレーナのごとく、フォームや筋トレ方法をアドバイスしていく。今日一日でどれだけ山下の事を見ていただろうか?もしかして僕の事も見てくれていたのか。
「山下さんは以上かな」
「川崎さんありがとう!頑張るよ」
山下はよりやる気をだしたようだ。
「川崎さん、こいつにも何かある?」
山下は僕に話を振る。川崎さんは何か困ったような顔をする。
「僕にもアドバイスもらえますか?」
川崎さんの表情はパァと明るくなって、色々と教えてくれた。こんなにも僕達の事を見ていたのなら、きっと今日の練習は本気でしていないのではないか、申し訳ないことをしまったな。
「立花さん、聞いてます?」
考え事をして川崎さんの声が、聞こえていなかったようだ。
「ごめんなさい」
川崎さんは一度、コホンと咳をして指を一本目の前に立てる。
「本番の前に一度二十キロ、ハーフを走っていてください。ハーフで長距離の感覚が少し解ると思いますので、完走率がぐっとあがります」
その言葉を最後に飲み会は終わった。山下はそのままタクシーに乗って帰ってしまった。僕達は仕方なく近くの駅まで、歩くことにした。
「山下も仕方ないですね」
すれ違う車のライトが静かに僕達を照らす。
「そうですね」
川崎さんは思い出してクスクス笑った。
「今日はありがとうございました。とても参考になりました」
「いえ、私も楽しかったです」
ちらっと川崎さんを見るが暗くて表情が分からない。
「あの川崎さん、一つ質問していいですか?」
「何でしょうか?」
「今日の練習、川崎さんの練習になりましたか?」
川崎さんは首を少し傾ける。
「僕達のせいでいつもより練習できて、いなかったんじゃないですか」
川崎さんは何度か頷く。
「まぁ、確かにいつもより走ってはないですね。それよりも楽しかったし、気にしてないですよ」
やっぱり、練習できていなかったんだ。楽しかったそんな言葉気休めにも程がある。練習の邪魔をしてしまった。ホントは僕からの連絡も邪魔だったんじゃないか。
「もうこれ以上は、邪魔しては悪いので僕達で練習しますね。山下にもきつく言っときます」
川崎さんは、慌てた声を上げた。
「え、え、ちょっとまってください」
川崎さんは何かを言おうとしたが、僕はその言葉を静止した。
「それではあと一ヶ月お互いがんばりましょう」
僕は逃げるように別れた。
一晩寝た後、僕は死ぬほど後悔した。酔っていたにしろ川崎さんにあれほど失礼な事を言ってしまった。どうしよう。スマホを開いて川崎さんに連絡しようとしたが、さすがに昨日の今日でどう切り出したらいいのか分からない。きっと怒っているだろう。
「やってしまった」
読んでいただきありがとうございます。
立花と川崎の距離が、近づいく様子はいかがだったでしょうか?
最後に失敗した立花。川崎への思いは?完走はできるのか?楽しんで頂けると嬉しいです。
ご意見ご感想ありましたら頂けると嬉しいです。




