1章 マラソンとラジオ
ハァ、ハァ、ハァ
少しずつ最近は寒くなくなってきたから、走りやすくなってきた。イヤホンから流れるラジオから、七時の番組が始まった音が聞こえてきた。
「そろそろ帰らなくちゃ」
もう少し走りたい気持ちはあるが、このまま走ったら会社に遅刻してしまう。仕方ないか。来週はもっと早起きして来ようかな。
今日は福岡マラソンのシャツを着ている人が何人かいたっけ。マラソンなんてよく走れるよな。僕なんか三十分走るだけで疲れるのに。
僕は家に帰って汗をシャワーで流す。そのあといつもの用に会社に行くと、朝礼の最後に部長が意外なことを提案してきた。
「誰か福岡マラソンを走ってみないか」
ん?急にどうした?部長って運動とか興味ないだろう?
「去年、入った川崎さんの事を知っている人はいる?」
川崎さん?あぁ、明るくて元気な人。その人がどうしたのだろうか?
「この間、話す機会があって話してたな、年に数回フルマラソンを走るらしんだ」
へえ、あまり話したことないけどマラソンするんだ。
「もうすぐ福岡マラソンのエントリーが始まるって教えてくれてな」
あぁ、今朝、福岡マラソンのシャツ着ている人を見かけたのはそのせいか。
「せっかくなら募ろうかと思ってね」
これって、部長の面倒なやつだ。一人で始めようとするのが嫌だから誰か巻き込もうとしている。周りを見渡しても一向に手を上げようとしない。
「福岡マラソンは抽選だから当たるか分からないよ。運試しに応募してみない?」
みんなは部長の声に、誰一人として手を挙げない。
「応募は一週間後の金曜するから、それまでに私に声をかけてください。ハイ。朝礼は終わりです」
部長は少し肩を落として朝礼を終わった。
昼休みご飯を食べていると同僚の山下が声をかけてきた。
「立花は、走らないの?たまに走ってるんでしょ?」
「走ってはいるけど、そんなに本格的にするつもりはないよ。山下も走らないだろ?」
僕の質問に山下はう〜んと首をかしげた。
「三十歳目前に一回挑戦してみようかなと思っているんだよね」
「まじで!」
山下から運動って言葉がでてきた事がなかったので面食らってしまった。
「十一月でしょ。半年あるから、なんとかなりそうかなと思って」
「まぁ、頑張って」
僕はひらひらと手を振った。
「そこで立花も一緒に挑戦してみない?」
「へ?」
思いがけない言葉に、思わず声が裏返ってしまった。
「走りたいけど、練習とか部長と二人なのはね。いやだ」
山下も部長と同じような理由で一人で参加したくないやつではないだろうか。
「川崎さんは?」
「レベルが違うんだってよ。さっき部長に聞いてきた」
「へぇ、でなんで僕?」
「理由?誘いやすいからじゃだめ?」
「駄目。ほか当たって」
「分かった。ゴメンな」
その時はそれで終わったが、一週間後、意外にも応募する人が数人いたらしく、即席だがマラソン練習チームが作られた。コーチは川崎さんがするらしかった。川崎さんとは部署が違うので話すことはないが、部長の先週の話から、なんでそんなにマラソンを走るのか気になっていた。
その日の昼休み山下がまた話しかけてきた。
「なぁ、立花も一緒に走ろうよ」
「この間、断っただろう」
「お前、川崎さんの事少し気になっているだろう」
う、どうしてその事が解ったのだろうか?
「先週から川崎さんが部署に来たら目で追ってるぞ」
え、僕そんな事してた?思い返したら確かにしていた気がする。
「ま、気づいていたのは俺ぐらいだけどね。で走らない?」
山下がニンマリしてこちらを見る。川崎さんがコーチをするなら話す機会もあるかもしれない。
「分かったよ。走るよ」
それから一ヶ月ほど過ぎたある日、仕事中に山下が話しかけてきた。
「なぁ、立花マラソンの練習どうしてる?」
「とりあえず応募を決めてからは週三日走ってるよ」
山下が少し信じられない顔をする。
「週三日も走っているのか」
「うん。まぁ軽くね。四キロくらい」
「その軽くって、大変じゃないか?」
「僕、もともと走ってたから一日増やしたくらいだよ。だからそんなに大変じゃない。山下は?」
質問を返すと目線を逸らす山下だった。
「まさか練習してないの?」
コクリと頷く山下。
「まだ先だからって余裕だね」
「一人だったらモチベがね」
「夏がくるし今から練習してないときつくなると思うよ」
山下はぐうの音もでない様子だ。僕はため息を一回する。
「仕方ないな。今度の土曜日一緒に走るか?」
山下の表情が明るくなった。
「そしたら、大濠公園で十時でどうだ」
「分かった。ありがとう」
そして土曜日がやってきた。大濠公園に着くと山下が自信満々に立っていた。
「どうした?」
靴と時計を僕に見せる山下。
「とりあえず、スポーツ用の買ってみた」
山下の靴は運動しやすそうで、時計は前に僕が迷って結局買わなかった運動用の時計をしていた。
「山下は形から入るのね」
山下は首を捻る。
「僕はとりあえず、安い運動靴とスマホで走ってるんだよね」
「いいじゃんか」
山下は少し拗ねた様子だ。
「ま、いいや走ろう」
僕達は走り出した。大濠公園は一周二キロのマラソンコースがある。太陽が昇って走るのは久々で、のびのびと走れるうえに風が涼しく感じる。一周したくらいで横を見ると山下の息が、少し上がっているみたいだ。
「僕ペース早い?」
「いや、気にしないでいいよ、俺の練習不足が分かった」
山下は苦笑いする。
「先行っていい?」
山下は右手を前に出す。
「どうぞ。俺はゆっくり走るよ」
僕はそのまま山下を置いて走り出した。今日は気分が乗ってそのまま二週した。山下は二週終わった所で疲れたらしく、池の畔にある喫茶店で休んでいた。
「なんで、走るって言ったんだろう」
山下は後悔している様子だ。
「まだ当選してるか分からないだろ。でもいい機会だし習慣にしたら?」
僕は笑いをこらえながら山下に言った。
「まぁ、土曜日は付き合ってあげるよ」
「まじで!そしたら練習の後の喫茶店は俺が持つよ」
「契約成立だな」
それから半月後、部長から福岡マラソンに通ったと報告があった。みんな嬉しような落胆したような様子だった。そんな様子を知ってか知らずか部長から、
「マラソン走る人は交流会しようと思う。今週の土曜日なるべく夜開けといて」
急な誘いだったが、川崎さんも来るようなので行く事にした。
いざ交流会に行ってみると川崎さんにひっきりなしに人が話しかけていて、話しかける隙がない。
「川崎さん人気だな」
すっと横に座ってきた山下だ。さっきまで別の人と話していたはずだ。
「さっき話してた人はもういいのか?」
山下は氷が入ったコップをカランと鳴らして、残っていた焼酎を飲み干した。
「俺は酒を作りにきたの」
山下は僕の前においてあった芋焼酎の瓶を手に取り、空いたコップに注いだ。
「そうですか」
焼酎を入れ終わり、申し訳程度に水を入れる。
「立花は誰とも話さないのか?」
「あぁ、さっきまで部長と隣の部署の木村さんと話してたよ。二人ともどっか行ったけど、さてと僕は休憩にトイレにでも行ってくるよ」
「そうか、行ってら〜」
僕は立ち上がってトイレに向かった。こう人数が多いのも嫌いではないんだが疲れてしまう。ある程度食べたし、そろそろ帰ろうかな。
お手洗いをしてトイレから出ると、気分転換に少し外に出ようと扉を開けた、少し生ぬるい風が体に当たる。僕は背伸びをして戻ろうとしたら、壁際でふぅとため息をついている声が聞こえた。
「川崎さん?」
彼女はビクッとして、こちらを振り向いた。
「すいません。開発部の立花です」
同じ会社と聞いて、少しホッとしている様子の川崎さん。
「驚かせてしまってすいません。なんか人気者ですね」
乾いた笑顔を浮かべる川崎さん
「そうですね。少し疲れました」
「隣いいですか?」
少し迷った様子だったが、快く彼女は了承してくれた。
「普段はこういう所は来ないんですか?」
「来るは来るんですが、いつもは端っこで静かにしている方で」
彼女は遠い目をして空を見上げる。
「そうなんですか?いつも職場で明るいからてっきり中心にいるものかと思っていました」
彼女が少し長い髪をかきあげながら僕を見る。
「そういうふうに見えてますか?」
お酒のせいか少し目がトロンとしている。
「えぇ、そうですね」
川崎さんに見つめられて僕は見つめ返す事ができず、慌てて別の話題を口にした。
「川崎さんって走っている時、何か音楽とか聞いているんですか?」
「走っている時ですか?」
彼女は顎に手を置き、少し考える。
「まぁ、朝とかラジオ聞きながら走ってますね」
「一緒ですね。僕もラジオ聞きながら走ってますよ」
「ほんとですか」
まさか、ラジオが共通の話題とは思わなかった。少し話してみると聞いてる番組も一緒のようだった。
「ラジオの事、話す事ないから同じ番組聞いていて嬉しいです」
「僕もですよ」
僕達はくすくすと笑った。
「そろそろ戻りませんか?」
かれこれ十分くらいは、話しているのではないだろうか?
「そうですね。あ、せっかくだから連絡先を交換してくれませんか?」
急な提案で僕は耳を疑った。
「立花さん話しやすいから、お仕事で困った事あったら助けてもらえるかなと思って」
彼女は少し恥ずかしそうに笑った。
「そしたら、僕は走ることで質問しようかな」
「私でよかったら、いつでも聞いて下さい」
僕達は連絡先を交換して、交流会に戻った。
読んでいただきありがとうございます。
マラソンとラジオこの二つで始まる物語を書きました。
立花の挑戦と気持の変化を楽しんでください。
ご意見ご感想ありましたら頂けると嬉しいです。




