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2 愛していたつもり

 裕福な男爵家の嫡男として生まれ、家族仲もいたって良好。

 見た目だって悪くないはずだ。近衛騎士の職を得て、年下の可愛い恋人もいる。世間的に言って俺は勝ち組の部類に入るだろうし、俺自身この順風満帆な生を謳歌していた。


 そんな俺にも最近悩みができた。病弱な公爵令嬢、エリザベス・ヘーラー嬢のことだ。

 彼女は最近王妃殿下付きの侍女になり、王太子殿下付きの近衛騎士である俺と、何かと顔を合わせるようになった。 


 きっかけはささいなことだ。王宮の長い回廊で、気分を悪くしてうずくまっている彼女を見つけて介抱したのが俺だった。

 気高い美貌の中にひそむ脆さが見えた気がして、なんだか放っておけなかったのだ。 


 けれどその出会い以降、エリザベス嬢は俺に……遠慮のない言い方をするのなら、付きまとうようになった。 


 俺にはユーニィという大事な恋人がいる。何か誤解されるような振る舞いは、はっきり言って迷惑だ。


 しかし相手は公爵令嬢。ヘーラー家は歴史だけ立派な名ばかりの公爵家ではなく、ちゃんと権威も伴っている。しかもかよわい女性だ。男爵の息子に過ぎない俺に、明確な拒絶の言葉を紡ぐのは難しかった。



「エリザベス嬢には手を焼いているようだな」


 昼休憩の間中、エリザベス嬢にべったりと隣に座られてたわいもない雑談に付き合わされる。戻ってきた俺の顔を見るなり、王太子殿下は微苦笑を浮かべた。 


「どこでご覧に……」

「直接見てはいないが、宮廷には口さがない者も多いのだ」


 俺と王太子殿下は、年が近いこともあって気安い仲だ。

 でも、一点だけ気に入らないことがあるとすれば、彼が俺の恋人……ユーニィをひそかに目で追っていることか。


 もちろん気持ちはわかる。ユーニィはこの世の何より可憐だからな。

 だけどあの儚げな美貌に反して中身は結構おてんばで気が強い。あの可愛いじゃじゃ馬を御せるのは俺だけだ。  


「既成事実で埋めた外堀は、お前が思っているより脆いものだ。公的な効力の前には、たやすく崩れてしまうだろう」


 ……殿下が言っているのは、俺とユーニィ、そしてエリザベス嬢のことに違いない。


 俺とユーニィは付き合ってもうすぐ一年になるが、婚約まではしていない。これは、娘の夫として俺が本当にふさわしいかきちんと見極める時間がほしいというフェリル男爵の要望によるものだ。

 俺達の仲は政略的なものではないからこそ、相性と適性を重視したいのだろう。俺とユーニィは小さな時からよく一緒に遊んでいたが、友人と伴侶では求められるものが違うのだから。


 この意見には俺の両親も賛成していて、ユーニィが次期ミドガル男爵夫人としてふさわしいか見定めることにしていた。結果はもちろん合格だ。


 来月に控える、付き合って一年目の記念日に、俺はユーニィにプロポーズするつもりだった。 


 ……でも、そんな俺の計画は、赤の他人には関係がない。

 対外的に見れば、俺とユーニィはただ愛し合っているだけの恋人で、何かのきっかけで別れてもおかしくない関係なのだ。政略という、家同士の思惑が絡んでいないのだから。 


 もし俺達の間に、家の権力を使ったエリザベス嬢が強引に割って入ってくれば……どうなるかは、火を見るより明らかだった。 


「お前がどちらの令嬢を選ぶのか、外野から楽しませてもらうとしよう」


 この性悪王子め、他人事だと思って。

 どうせ、俺とユーニィが破局すればすかさずユーニィに声をかけるつもりなんだろうが、絶対にユーニィは渡さないからな!  


 はぁ……。


 エリザベス嬢にどう対処するのが正しいのか、いまだに答えは出せていない。


 凛と澄ました美貌を俺の前でだけ緩ませて、夢見る少女のような眼差しを向けてくる彼女を無下に扱えば、まるで俺が悪者だ。

 甘い声で紡がれる話だって、どうでもいいからと適当に相槌を打てばあの大きな目はたちまち涙で潤んでいく。そうなれば話はもっと長引くし、泣かせたとくれば外聞が悪いにもほどがある。


 結局、俺はいちいち真面目にエリザベス嬢の雑談やお願いに付き合っていた。


「レオ君」

「フェリル男爵……!」


 とぼとぼと歩く俺を呼び止めたのは、将来の義父たるフェリル男爵だ。

 色彩も顔立ちも、ユーニィとは全然似ていない。でも、彼女の双子の兄のユノとはそっくりだった。


 はっきり言って、俺はこの人が苦手だ。誰に対しても向けられる冷徹な眼差しは、拒絶と倨傲の象徴のように思えたから。 


「ヘーラー家には私から話しておくから、君は君のするべきことをするように」

「はっ、はい!」


 意味はわからないけど、反射的に返事をしてしまう。俺のするべきこと……。 


 やっぱり、ユーニィを大事にすること、だよな。


  ──けれど俺は、エリザベス嬢を突き放すことができなかった。


 エリザベス嬢を傷つけて、悪者にされるのが嫌だったからだ。 


 どうせもうすぐ俺とユーニィは婚約し、そのまま結婚する。

 そうすれば、エリザベス嬢も自然と諦めてくれるだろう。それまでの辛抱だ。 


 そんな俺の甘い見通しを嘲笑うような試練が起きたのは、付き合って一年目の記念日を四日後に控えたときのこと。

 ある貴族の屋敷で開かれた夜会に招待された俺は、当然ユーニィをエスコートして参加した。 


「ごめんユーニィ、ちょっと行ってくる」

「ええ。わたしもお友達と話してくるわ」 


 その貴族の家は、俺の友人の家で。悪友がたくさん参加していたから、ついついユーニィをほったらかして、連中との酒盛りに興じてしまった。


 しこたま酒を飲んでから、夜風で酔い覚まししてくる、と中座すると……いつかの時と同じように、廊下にうずくまるエリザベス嬢がいた。


 それからの記憶は、正直なところおぼろげだ。


 気分を悪くしたエリザベス嬢に肩を貸したのは覚えているが、次に目を覚ましたのは客室のベッドの上だった。

 部屋の中には俺しかいなかったが、身なりは乱れていて……脱ぎ捨てられたジャケットとシャツからは、嗅ぎなれない女物の香水の匂いがした。


 ユーニィのものではないのは確かだ。

 それに記憶の中でちらつく少女の顔は、エリザベス嬢のもの。


 たちまち血の気が引いていく。酒の勢いに任せて、俺は何か取り返しのつかないことをしてしまったのではないだろうか。


 ふらつきながらも慌てて身なりを整えて部屋を飛び出すと、時刻はちょうど真夜中で、遅くまで残っていたまばらな招待客達が帰っていくところだった。 


「もう、レオったら! ずっと探してたのよ! あなたのお友達も、あなたの居場所を知らないって言うし……」

「ご、ごめん、ユーニィ。おじさんとおばさんには、俺からも謝っておくよ」


 そっぽを向くユーニィに平謝りし、そっと様子をうかがう。酒臭さのおかげで、香水のかすかな匂いには気づかれなかったようだ。 


 もしかしたら全部、酒が見せた悪い夢だったのかもしれない。

 実際のところ、俺には何か過ちを犯した記憶はないわけだし。早鐘のように鳴る鼓動を鎮めようと、頭の中で言い訳を並べる。じっとりとした嫌な汗は止まらなかった。 


 ──そしてその翌日。ヘーラー家から公爵とエリザベス嬢が来た。

 ヘーラー公爵は硬い表情で言った。俺とエリザベス嬢を何が何でも結婚させないといけない事情ができた、と。 


 未婚の令嬢を傷つけるなんてありえないと両親は俺を激しくなじって殴り飛ばし、ヘーラー公爵とエリザベス嬢に何度も何度も頭を下げた。そして当然のごとく、俺とエリザベス嬢との結婚を承諾した。 


 俺は必死に否定しようとしたが、酒で前後不覚になっていた俺の言葉にはなんの信ぴょう性もない。エリザベス嬢自身がヘーラー公爵に告げたというのだから、それはもはや真実だ。


 しどろもどろになりながら、ユーニィのことを考えた。

 きっと事実をそのまま伝えれば、ユーニィは俺を激しく軽蔑して離れていくだろう。


 そんなの嫌だ! ユーニィを失うなんて耐えられない! 


 死刑宣告を待つ囚人の気持ちで記念日を迎える。今日はもともとユーニィと会う約束をしていた。


 本当はここで、彼女にプロポーズするつもりだったのだが……今となっては、それはもう無理だ。


 真実を口にできず、かといってユーニィを失いたくない俺は、ある一つの結論を出した。


 きっとユーニィだって俺と別れたくないだろうし、色々なものを敵に回して安定した生活を手放すのも嫌だろう。だから賛成してくれるに違いない。


 そして俺は、その選択が俺の独りよがりに過ぎず、取り返しのつかない間違いを犯したのだと知ることになる。


 *  


「これは一体どういうことだ!?」


 ユーニィに別れを告げられて、三日ほど経った朝のこと。

 俺は新聞を片手に、フェリル家のタウンハウスの前で叫んでいた。当主は貴方の訪問を拒んでいると言って、守衛が俺をつまみ出そうとしたが、あまりの騒ぎように見かねたのかユノが出てきてくれた。 


「ユノ! この記事は何かの間違いだよな!?」


 もう一人の幼馴染みである少年は、これまで一度も見せたことのない表情で……まるで、そう、彼の父親そっくりの、冷酷な目で俺を睨みつけていた。  


「残念だけど事実だよ。きっともう、ユーニィは死んでいるだろうね」

「っ、何を馬鹿な! お前はユーニィの兄だろう、そのお前がユーニィの生存に希望を持たなくてどうするんだ!?」


 たまらず新聞を投げつけてユノに掴みかかる。ユノは顔色一つ変えなかった。


 今朝の朝刊に載せられた、あまりにも恐ろしい記事──それは、遠方の領地に嫁ぐ貴族令嬢を乗せた馬車が、空っぽかつ血まみれの状態で街道に放置されていたことを伝えるものだった。


 馬車に刻まれていた紋章はフェリル男爵家のもので、乗っていた令嬢はユーニィ・フェリルで間違いない。

 行方不明の彼女はおそらく、盗賊にさらわれたのだろう……。 


 そんな記事の何もかもが受け入れがたく、信じられない内容だった。まるであの夜会の日の密室で起きた出来事のようだ。  


「そうだよ。僕はユーニィの兄だ。ユーニィは、世界でたった一人の大切な片割れだ。だから幸せになってほしかった」


 守衛に引きはがされた俺に、ユノは虫けらを相手にしているような、冷淡な声音で告げる。 


「全部お前とエリザベス嬢のせいだよ、レオ・ミドガル。エリザベス嬢がお前に横恋慕して、お前がエリザベス嬢を選んだから、ユーニィはどこぞの変態爺に嫁ぐ羽目になって、挙句その道中でこんな不運に見舞われた」


 ユノは俺に教えてくれた。寝耳に水のユーニィの縁談は、ヘーラー家がいきなり紹介してきたものであることを。 


「ユーニィは、お前への当てつけでその縁談を受けたんだ。気の強いあいつらしいと思わない?」

「お……お前にも相談しただろう!? エリザベス嬢とのことは、俺が望んだわけじゃない!」

「でも、結果としては同じことだ。現実は変わらない」 


 がっくりとうなだれる俺に一瞥もくれず、ユノはきびすを返す。


 髪の色も長さも、身長だって違うのに、その後ろ姿は双子の妹のユーニィにそっくりだ。 


「さようなら、レオ。僕はもう、お前のことを友達とは呼べないよ。頼りになる兄貴分だったレオ・ミドガルは、僕の記憶の中にしかいないんだ」 


 こうして愚かな俺は、恋人と友人を永遠に喪った。


 後悔してもしきれない。どうして俺は、自分が嫌われることばかりを恐れて楽なほうへと逃げてしまったんだろう。


 何も手放したくないからと、見栄を張り続けて欲張った結果がこれだ。


 俺はユーニィを愛していた。そのつもりだった。でも、全部俺の独りよがりだったんだ。


 ああ、ユーニィ。本当にごめん。


 君を死なせてしまったのは、間違いなく俺のせいだ。俺が卑怯で臆病だったから。


 せめて毎日、君のために祈ろう。

 君の魂が少しでも安らかに眠れるように

 そして、無事に君が帰ってきてくれるように。


 もしも君が生きて戻ってきてくれたなら、その時こそ君の手を取ろう。


 恥も外聞も知ったことか。君だけを連れて、どこか遠くに逃げてしまおう。


 だからどうか、もう一度俺に微笑んでくれ、ユーニィ……。

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