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8. 都、影に沈むとき

「光の都が影に包まれるとき、忘れられた名が――蘇る。」


京都。

千年の都――

雅の象徴にして、日本における霊的権威の中心地。

だが……今この瞬間、

その街は、まるで世界そのものが息を潜めたかのような――深い沈黙に包まれていた。

徳川幕府の厳重な監視のもとにある、この地。

その中枢に、ふたりの少女が……静かに足を踏み入れていた。

いずれも〈霊機大将〉の称号を持つ、特別な陰陽師。

「ったく……なんで、あたしたちがこんなとこ来なきゃなんないのよ?」

蒼い瞳の少女――**松島まつしま 蒼希あおき(22歳)**は、

朱塗りの長い廊下を苛立たしげに……踏み鳴らした。

腰まで届く長い青髪を乱暴にかき上げ、

吐き捨てるような口調には……焦りとも諦めともつかない感情が滲んでいた。

その隣を、静かに歩くもうひとりの少女。

雪のように透き通る肌、艶やかな紅髪。

気品に満ちた所作と……淡い微笑をたたえた表情。

朝霞 茜, (あさか あかね)(21歳)。

まるで――どんな季節でも咲き続ける、永久の桜のような存在。

「……他に、できる人がいないからよ」

茜の声は静かだった。

けれど、その響きには……現実の冷たさがにじんでいた。

「他のみんなは、帝からの命で各地に散ってる。……あの人も、含めて」

その名を口にすることはなかった。

だが、アオキの顔に浮かんだ――苦い笑みが、すべてを語っていた。

「“アイツ”ね……あのバカ」

小さく吐き捨てるようなその言葉に、

茜は……何も返さなかった。

ただ、前を見つめながら――その目元に微笑を浮かべたまま。

「でもさ……本当にここが“本部”なの? 陰陽道の」

アオキの問いに、茜は静かに頷く。

彼女たちが今いるのは――京都御所の北。

古の五芒星における頂点に位置する地点。

そこには、かつて帝直属の陰陽師たちが集った……聖域が存在した。

その名も――「大内術殿おおうちじゅつでん」。

「……ここが、陰陽道における“帝流”が集まった中心だった場所。

今はもう、ほとんど機能していないけど」

「そっちの方が怖いんだけど、なんかさ……死んだ神殿って感じ」

廊下に響く、ふたりの足音だけが……空間の静寂を切り裂いていた。

誰もいない。

守衛すら、ひとりもいない。

「アオキ」

「……ん?」

茜は袖の中から、ひとつの封印符を取り出した。

指先で軽く撫でるように符を滑らせ……白狐の式神を召喚する。

小さな狐は、咥えた封印符を携え……空へと飛び立っていった。

「……誰に送ったの?」

アオキの問いに、茜は少しだけ視線を落とす。

「さあ……あの人、かもしれないし。

あるいは、自分自身、かもね」

アオキは何も言わず、腕を組んで黙り込んだ。

「……まだ、考えてるんでしょ。“あの馬鹿”のこと」

「考えてるわけじゃないの。ただ……信じてるだけ」

茜は静かに微笑んだ。

それは――誰よりも彼の近くにいた彼女だからこそ知っている、

“脆さ”に向けた祈りのような微笑だった。

「きっと彼は……何かに気づくと思う」

「で? 気づいたところで、何ができるのよ。あんな……ただの変人に」

「きっと……何もできない。

でも……誰かが彼を思い出さなきゃ、存在すら消えてしまう――」

その言葉が終わると、空気が――変わった。

風がざわりと流れ、空気が張り詰める。

蝉の声が……ピタリと止まり、鳥たちが南東の空を裂くように飛び去っていった。

……何かが、動いた。

「……今の、何?」

アオキが、震えた声で問いかける。

直後、建物の柱に――小さなヒビが走った。

パキン――。

乾いた音が、静寂を貫いた。

「結界の一角が……壊れた?」

茜の声も、わずかに震えていた。

だが、それは目に見える現象ではない。

彼女の霊感そのものに響いた、“内側からの異変”だった。

「……京都を支える主柱、一つが崩れた――」

「……はあ、つまりさ」

アオキは額に手を当てながら、空を見上げた。

「ここ……もう霊的な“中枢”じゃなくて、“墓標”ってわけ?」

茜は、同じ空を見つめたまま……静かに口を開いた。

「誰にも気づかれないまま、終わってしまうなら――

せめて……それを“見届ける”ことだけが、私たちに残された、最後の仕事かもしれないわ」

――そして、夜が来る。

千年の光を抱えた古都の影にて。

血と土の下。

静かに……そして、確実に――

“何か”が蠢き始めていた。

それは、完全なる〈目覚め〉の時を迎えるために。

重苦しい沈黙が……まるで京都そのものを内側から押し潰そうとするかのように、空気を支配していた。

「……一体、何が起きてるのよ。」

アオキが、ため息に近い声で、低く呟いた。

帝直属の陰陽師たちは……慌ただしく本部へと戻ってきた。

顔面は蒼白……息は乱れ……見るからに“何か”を深く恐れていた。

「霊機大将に報告します! 過去二日間、派遣された斥候との連絡が一切取れておりません……全員、消息不明です!」

その報告を受けた瞬間――

茜とアオキは、無言で空を仰いだ。

そして、わずかに遅れて……空気に漂う“腐った”ような妖気に気づく。

二人はそのまま、高所から――音もなく、ふわりと飛び降りる。

「……遅かったか。」

苛立ちを隠すこともなく、アオキが勢いよく地面に着地する。

その隣で、浅香茜は着物の裾を翻しながら、優雅に舞い降りた。

「……嫌な匂い。」

二人は同時に、術符を空中に――放つ。

術が発動され、視界が――一気に拡張される。

意識が……町全体を包み込むように広がっていく。

そして、彼女たちの視線は――

“不自然な動き”を見せる数人の男たちに集中した。

その歩き方は……異様だった。

人目を避けているつもりで……逆に、あまりにも目立ちすぎている。

「術式の構造が……あまりにも粗雑。隠す気がないわね」

アオキの眉が……ぴくりと動いた。

次の瞬間――

ふたりは、ほぼ同時に動いた。

「式・封縛……縛の式展開。」

シュウッ――!

風を裂く音とともに、白い符が蛇のように宙を走る。

男たちの身体に巻きつき……そのまま、地面へと引き倒す。

「な、なんだ!? ぐあっ!」

もがく彼らの服が破れ、黒ずんだ呪符が……露出した。

そこから放たれる、不浄な妖気。

それは……明らかに “人ならざるもの” の痕跡だった。

「……やっぱり、穢れてる」

茜の瞳が……細くなる。

アオキは一歩前に出て、倒れた男のひとりに膝をついた。

顔を近づけ、低く……冷たく問いかける。

「……目的は何? 答えなさい。」

だが男は――歪んだ笑みを浮かべただけだった。

「……遅いよ。すべては、もう始まっている。」

「何が?」

「イグツカが目覚めた。あと数日で、京都は滅ぶ――」

その言葉と同時に、男の身体に貼られていた呪符が……青黒く染まり出す。

次の瞬間――

激しく……燃え上がった。

茜とアオキは、瞬時に距離を取る。

男の身体は……内側から燃え尽き、灰も残さず消え去った。

その場に残されたのは……瘴気を含んだ、有毒な風のみ。

「……これは、マズい」

アオキが反射的に構えを取る。

茜は空を見上げた。

その瞳が捉えたのは――

紫がかった、ゆがんだ月の影だった。

「イグツカ……まさか、本当に……」

「――報告を。」

茜が、背後に控えていた若い陰陽師へ視線を向けた。

「はっ! 四つの区画で、“穢れの共鳴”と思われる現象が……発生しております!

このままでは……京都全体の霊障結界が崩壊しかねません!」

「……間に合わなかったか。」

アオキが、苦々しげに吐き捨てる。

茜は静かに一歩前へ出ると、指先を掲げて……空に術式の構図を描き始めた。

その所作は――滑らかで、研ぎ澄まされた静けさに満ちていた。

そして、冷静に告げる。

「……全方位に結界を展開して。

戦闘陣を準備――

“千鬼夜行”、始まるわ。」

空が……赤く染まり始めた。

東の地平線から、這い上がるように現れる“何か”の影。

それは――京都の霊脈を丸ごと飲み込まんとする、禍の胎動。

「……来るわね。」

茜は、遥か遠くを見つめながら……囁いた。

その瞳に、恐れはなかった。

そこにあったのは、ただ――

たったひとつの願い。

「……彼が、気づいてくれるように。」

それが、千年の都を繋ぐ……最後の希望だった。


今日はとても幸せな気持ちです。しかし、この幸せも、物語に込めればまた違った形になるのだと思いました。

もしよろしければ、お気に入り登録や感想をいただけると嬉しいです。ありがとうございます。

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