76. 影の神、その手に理想と恐怖を
「革命と狂信は、いつだって同じ旗のもとに立つ。」
時折、俺は戸惑うことがある。
どうして俺の言葉ひとつひとつが、この少女にとって絶対の命令になってしまうのか。
……だが、本当に言葉を失わせたのは、それとは別のことだった。
「焔羅……さっきからずっと感じてたんだけど、すれ違う女の子たち、みんな俺の魔力の流れを纏ってる気がするんだ。これは――一体どういうことなんだ?」
彼女はそっとこちらを振り向いた。優しい瞳。その唇から放たれた言葉は、まるで風に舞うように、あっさりとしたものだった。
「ふふ、それは簡単なことですわ。我が君の魔力――私を通じて、彼女たちにも少しずつ分け与えているからですの」
「……は?」
思わず額に手をやった。
「つまり……お前の部下全員が、魔術を使えるってことか?」
「ええ、そうですわ。我が君」
焔羅は何でもないような調子でそう答えた。
「現在、私の直轄組織に所属している女性は……国内全域を合わせて、四十五万……いえ、もうすぐ五十万人を超えますわ」
…………。
言葉が喉につかえて、危うく叫びかけた。
「ご、ごじゅう……まん人……!?」
焔羅はふっと笑い、手の甲で静かに唇を隠した。
まるで、たいしたことではないとでも言うように。
「五十万人……本気で言ってるのか?」
俺はゆっくりと体を向け、焔羅を見つめた。
「その全員に、お前は魔力を分け与えたって……?」
焔羅は、静かに頷いた。まるでその数字が、ただの月次報告の一項目にすぎないかのように。
「ええ。これは、我が君のご命令を最も効率的に遂行するための最善策ですわ。それに――ご安心を。私が保証します。彼女たちの誰ひとりとして、あなたを裏切ることはありません」
その瞳が俺を見つめる。迷いを見透かすように。
「……その理由は、もうお分かりでしょう?」
俺は小さく息を吸い込んだ。
なるほど――だからか。女たちが纏う気配も、魔力の波動も、あれほど千差万別だったのか。
「つまり……原因はお前だったんだな」
だが、すぐに別の感情が胸に湧き上がる。
「……でも、それって――少し残酷じゃないか?」
俺は、静かに問いかける。
「魔力を与える代わりに、絶対の忠誠を求めるなんて。……代償としては、あまりにも重すぎる」
焔羅が、初めて深く頭を垂れた。
だが、それは恥じてのことではない――確固たる信念の表れだった。
「我が君。私の命も、死も、すべてはあなたに委ねております」
焔羅の声には、一切の迷いがなかった。
「だからこそ……私自身が全てを捧げたように、同じ覚悟を持てない者など必要ありません。中途半端な心で加わる者など、私の計画には一人たりとも迎え入れるつもりはございません」
彼女は顔を上げ、その瞳に静かな光を湛える。
「むしろ……多くの者が、感謝しておりますのよ。まるで、人生に新たな意味を与えられたかのように」
彼女の言葉は穏やかだが、そこに宿る重みは決して軽くない。
「この江戸初期という時代、女性にとっての生き方は、安定の裏に隠された地獄のようなものでしたから」
俺はしばらく沈黙し、やがて静かに頷いた。
「……それが、彼女たちの望みであり、選んだ道なら――もう何も言えないな」
そう、何かを手に入れるためには、必ず対価が必要だ。
焔羅は微笑んだ。
誇り高く、そして慎ましさも忘れぬ笑み。
この世界において、自分がどこに立っているのかを正確に理解している者の、揺るぎない表情だった。
「あなたの優しさと、現実を見据えるその目があるからこそ……私はここにいます」
焔羅の声はどこまでも静かで、けれど胸に響いた。
「それと、先ほど申し上げた人数は、あくまで私の管轄下にある者たちの数にすぎませんわ。他の十三人の姉妹たちも、恐らくは私以上の勢力を持っております」
「……はは」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
焔羅一人でこれだけの数を掌握しているのなら――
今、日本中で、俺の魔力を持つ人間がどれほど存在しているのか。
下手をすれば、宗教じみた集団が生まれてもおかしくない。
……いや、もしかするとその数は、島原の乱すら超える反乱の規模に発展しかねない。
「我が君、お水でもお持ちしましょうか?」
「いや、待て」
俺は素早く焔羅を見た。
「まさか……他の姉妹たちも、お前と同じくらい大規模な展開を?」
「もちろんですわ」
焔羅は即答した。微笑みながら、誇らしげに。
「あなたの夢見る“偽りの理想郷”を形にするために――私たちは、日本中へと手を伸ばしておりますの」
この二年間で、私たちは“あなたのもう一つの名”も、静かに広めてまいりました――
“影の神”、影に生きる英雄として。
「今やその名は、地下の伝説として語り継がれておりますわ」
少しずつ――だが確かに、俺の中で全ての糸が繋がり始めていた。
「……なるほどな。だから父が、他の勢力の動きを警戒していたのか」
「幕府の監視の目も、“その名”を嗅ぎ取り始めているのだろう」
焔羅は静かに頷いた。その表情に揺らぎはない。
「それも、私たち十四人の間で交わされた合意の一つですわ」
「――我が君のご命令に従い、幕府の網をかいくぐるために」
「一つの傘の下にすべてを集めるのではなく、自然な形で事業や活動を分散し、別々の分野に浸透させました」
俺は小さくため息をつく。
「最初は、お前たちの勢力は北と中部くらいだと思っていた」
「でも……もうこんなに広がってたのか」
その言葉に、焔羅は再び深く頭を下げた。今度は、どこか申し訳なさそうな面持ちで。
「もし、まだ足りないとお感じでしたら……すぐにでも拡大を進めます。さらに広く、さらに深く。準備はできております」
「いや、違う」
俺は手を軽く上げて制した。
「そうじゃない。むしろ……思った以上に進みすぎてて、驚いてるだけだ」
焔羅は微笑んだ。
それは、自分の行動に確信を持つ者だけが見せられる、穏やかで揺るぎない笑みだった。
「我が君。あなたが私たちに与えてくださった“力”は、すべての答えとなりました」
「だからこそ……私たちは決して、あなたの期待を裏切るようなことはいたしません」
その言葉に、俺も自然と笑みを浮かべる。
「……ありがとう。俺のために、ここまで動いてくれて」
だが焔羅は、そっと首を振った。まるで、その感謝を受け取る資格はないと言わんばかりに。
「それは違います。我が君」
「私たちにとって、これは“恩返し”などではありません」
「むしろ、それが“我らの使命”――あなたの尊き理想を支えるための、当然の務めです」
「自らの足で立ち、真に独立した日本を創り上げる。その夢のために」
その言葉に、俺はしばし何も言えず、ただ焔羅の姿を見つめた。
……心から、安心できると思った。
自分の痛みや願いを、ここまで理解してくれる人間が、この世界に存在しているという事実に――。
「……嬉しいよ。お前たちを創ったことが」
そう呟いたとき、胸の奥に広がったのは、どこかほっとした温もりだった。
「こうして……ようやく、背負い続けてきた重荷を分かち合えるようになったから」
その瞬間――焔羅が、くすっと笑みを浮かべてこちらを振り向いた。
どこかいたずらっぽい表情で。
「でも、我が君が私たちを創られた本当の理由って……」
「世界中から憎まれる未来が来たときのために、侍女や妻が必要だったから――だったり、しませんか?」
その言葉に、俺は一瞬固まった。
図星すぎて、返す言葉が見つからなかった。
……少しだけ、心の奥を見透かされた気がして、恥ずかしかった。
「ふふっ……冗談ですわ、我が君」
焔羅は唇を指で隠しながら、からかうように微笑んだ。
だが、その後に続く言葉は――冗談ではなかった。
「たとえそれが本当の理由の一つだとしても」
「たとえ私が、罪を問われ、天から堕とされることがあったとしても――」
「私も。そして、私の十三人の姉妹たちも」
「ずっと、あなたのそばにおります」
「それが――私たちがかつて交わした、永遠の契りなのですから」
その言葉が終わったあと、世界は一瞬――音を失った。
まるですべての時が止まったような、静寂。
俺は、ただその静けさの中で――焔羅の瞳の奥に映る、自分の姿を見つめ返していた。




