75. 罪より生まれし、我が映し
「誇りとは、裏返せば欲望の名である。」
***
京都の街――帝の御所から遠くもあり、近くもある静かな路地裏に、俺はひとり立っていた。
誰にも気づかれぬような場所。だがここからなら、父・徳川家康が幕府の軍勢を率い、自ら混乱の鎮圧にあたっている様子がよく見える。
「……少しは、あの苛立ちも晴らせた、かな」
小さく呟いたその瞬間――まるで俺の心を見透かしたように、ひとりの女が背後から現れた。
その足取りは驚くほど静かで、まるで風のようだった。それでも彼女が放つ気配は、周囲の空気を一変させるほどに鮮烈だった。
振り向くと、目に飛び込んできたのは、誰もが一瞬で心を奪われるほどの美貌。
だが、俺は知っている。彼女はただ美しいだけの存在ではない――それ以上に、遥かに危険な“何か”だということを。
「今回はずいぶんと荒っぽく遊んだみたいね、我が君?」
その声音には、どこか愉しげなからかいが混じっていた。
「……焔羅か。やっぱり、お前の目からは逃れられないらしいな」
そう応じて振り返れば、彼女――神崎 焔羅は、漆黒の長髪をなびかせながら、静かに頭を下げた。
「我が君のために、場所を整えてございます。どうか、こちらへ」
「……監視役としての務めは、もう果たした。あとは、お前に任せるよ」
言い終えた俺は、焔羅のあとに続いて歩き出す。
だが、その足がふと止まる。
道の左右に、数多の少女たちが整列し、無言で頭を垂れていることに気づいたのだ。
――まさか、彼女たち全員が焔羅の庇護下に?
俺の知らぬうちに……そこまでの影響力を?
驚きと共に、胸の奥に微かな戦慄が走る。
そして、たどり着いたのは一軒の堂々たる建物だった。
玄関先に掲げられた木札には、こう記されていた。
『神崎旅館』
京都という都市においても、この建物の広さは群を抜いていた。
「どうぞ、お入りくださいませ。我が君」
焔羅の柔らかな声に頷き、俺は一歩、建物の中へと足を踏み入れる。
――そして、言葉を失った。
あまりにも美しい。あまりにも完璧だ。
俺たちは無言のまま、静かに廊下を進んでいく。曲がりくねったその先、ようやくたどり着いたのは、とある“特別な部屋”だった。
扉が開き、足を踏み入れた瞬間――その光景に、思わず息を呑む。
この部屋は……もはや一つの芸術だ。
温かさと豪奢さ、そして親しみすら感じさせる空間。
「どうぞ、お座りください。我が君」
焔羅は深々と頭を下げ、どこか誇らしげな声音で告げた。
俺は静かに頷き、安倍比楼としての戦闘服を解除する。
代わりに身に纏ったのは、深紅の外套と黒の装束、それに長ズボンを合わせた正装。そして頭には、織田の家紋をあしらった帽子。
――そして。
月輪の燈華を再びその手に呼び戻す。灯火の下、その刃は美しく輝いていた。
ふた振りの剣を、そっと座席の脇に置く。
まるで彼らもまた、長き戦いの後の休息を求めているかのように。
そのとき――
パチン。
焔羅が指をひとつ鳴らした。
すると、その黒髪がゆるやかに色を変え、やがて月光のように淡く輝くプラチナブロンドへと変化していく。
そのまま、ひざをつき、再び俺の前に頭を垂れた。気品を一切失うことなく。
「……我が君。こうして、長き時を経て、あなたが再び京都を訪れてくださったこと……心より嬉しく思います」
――神崎 焔羅。
一見すれば、神崎旅館を営む若き女将にすぎない。
だが、その正体は――まったく別のもの。
彼女は、俺が創り出した存在。
月輪の燈華、桂城の煌月、そして……俺自身の魂の奥底に眠る“感情”の欠片から生まれた、唯一無二の女性。
焔羅は――俺の“プライド”という罪の化身だ。
俺が誇りとしてきたすべての要素――
その知性、その力、その正直すぎる性格すらも――いま、俺の前に跪くこの少女の中にすべて宿っている。
いや、それ以上だ。まさに人間の姿を借りた、最も美しく、最も手放し難い存在。
「……もう、戻ってから何ヶ月も経ってるのにな」
ふと呟きながら、室内を見回す。
「それにしても……京都の変化は、驚くほど早いな」
焔羅は微笑んだ。
だがそれは、ただの愛想笑いではない。
己の価値を誰よりも理解している者の、誇り高き微笑。
「十三人いる姉妹たちの中で……最初にお迎えする役目をいただけたこと、それがどれほどの光栄か……我が君にはお分かりいただけますでしょうか」
彼女は静かに背筋を伸ばし、空を仰ぐような姿勢で続けた。
「だからこそ――私は、常に一番であり続けます」
「あなたにとって、唯一無二の存在として」
俺は少しだけ笑って返す。
「それ、他の子たちに聞かれたら……嫉妬で暴走されるかもしれないな」
焔羅はにっこりと笑う。
だがその言葉には、絶対的な自信が込められていた。
「だからこそ、私は“頂点”を目指すのです」
「他の誰よりも上ではなく、あなたの“心”そのものの頂に立つために」
「あなたのすべてを知る、たった一人の存在として――」
……まったく、この女は本当にすべてお見通しだな。
俺は肩をすくめながら、素直に言う。
「わかったよ、降参だ。もともと……お前は、俺が最初に創り出した女性だったからな」
その瞬間、焔羅の瞳が静かに輝いた。
「それこそが、私にとって最高の誉れなのです」
「そして今回、私たちの願いのひとつをお聞き入れくださった……“あなたの心”を、何の隔たりもなく、迷いもなく、真正面から受け取ってくださった。その事実こそが――この上なく贅沢な贈り物です。我が君」
そう語る彼女の言葉は熱を帯びながらも、姿勢は崩さない。
膝をついたまま、まるで神に祈るかのように、誠実に、そして深く頭を垂れていた。
俺は、ひとつため息をつく。
「……焔羅。まずは、座ってくれないか」
「――承知いたしました。我が君」
焔羅は静かに立ち上がり、隣の椅子に腰を下ろす。
その所作ひとつひとつに、品と誇りと――そして、確かな愛が込められていた。




