62. 沈黙が告げるもの
「真に恐れるべきは、剣でもなく……言葉でもない。
――沈黙そのものだ。」
いま、我らの足音が……皇居の長い回廊に、静かに響いていた。
徳川家康であるこの私の両脇には――
常に飢えた虎のように鋭い気配を纏う……本多忠勝。
そして、まるで悪夢の中から放り出されたばかりのように……落ち着きなく周囲を見回す、服部正成(二代目)が付き従っていた。
この場所の空気は……記憶の中と、何一つ変わっていない。
磨かれた木の床……かすかに鼻をくすぐる香の匂い。
そして、天井に描かれた絵画群――
まるで長きにわたり京都が隠してきた霊的な虚無を……上辺だけでも覆い隠そうとするかのように。
だが――今日だけは、何かが違った。
……音がする。
いや、正確には「音たち」だ。
まるで遠雷を木の杯に閉じ込めたかのような……低く、震えるような轟き。
天の加護に包まれているはずのこの都に……決して在ってはならぬ声。
「……鷹司殿。」
忠勝の声が、静寂を切り裂くように響いた。
その声色は……いつも通り鋭く、迷いがない。
「これは一体……何が起きている? 妖の仕業か?
だが――いくらなんでも理屈が通らん。」
……私は何も答えなかった。いつものように。
というのも、実のところ――私も知りたいのだ。
だが……答えのない問いを口にしたところで、
今日という一日の失望をさらに深めるだけ。
――それを、私はあまりにもよく知っていた。
我々を導く鷹司信房が、わずかに振り返った。
その瞳には……何の感情も映っていなかった。
いや、あまりに「無」であるがゆえに……かえって不穏だった。
「……残念ながら、それが現実です。
我々は――事前に予兆を捉えることができませんでした。
そのため、現在……京都全域を完全に封鎖しています。」
かつて文明の中心地とまで称されたこの都が――
いまでは、鳥さえ鳴くことをためらう“鳥籠”と化した。
……皮肉というやつは、本当に悪趣味な笑い方をする。
「それは……本当に正しい判断だったのか?」
忠勝が……食い下がる。
その声は……血に濡れた槍の穂先のように、鋭く、痛みを含んでいた。
「少なくとも……我々にできることがあるなら、それを教えてくれ。」
鷹司は……足を止めた。
疲れたからか。
あるいは――これから口にする言葉が、沈黙よりも重くなると分かっていたからか。
「……何もありません。」
そう言い放った声は、まるで……自らも信じていない呪文を読み上げるかのように、虚ろだった。
「……ただ一つだけ。祈ることです。
そして――願うしかないのです。
これまで異端とされ、嘲られ、追いやられてきた陰陽師たちが、
常人には見えぬ戦いで……勝利を収めてくれることを。」
……可笑しい。
本当に、笑ってしまうくらい……皮肉だ。
結局、人は――コントロールできないものに、すがるしかなくなる。
その存在を否定し続けてきたにもかかわらず……
最後には祈るしかない。
まるで最初から――それしか選択肢がなかったかのように。
私は……静かに、息を吐いた。
その言葉の意味は、痛いほどに理解できた。
……理解しすぎて、胸が軋んだ。
忠勝が何かを言おうと口を開きかけた――そのときだった。
「……もういい。」
私が、それを遮った。
「今、我々がすべきなのは……言葉を交わし、状況を理解することだ。
これ以上の議論に――意味はない。」
そう言ったのは……賢く見せたかったからじゃない。
正直に言えば――単に、これ以上の議論を聞き続けるには、あまりにも疲れすぎていた。
終わりなき言い合いの果てにあるのは……沈黙と、さらに増す不安だけ。
そんなものに、今さら意味を見出す余裕など……私にはもうなかった。
「……申し訳ありません、殿。」
忠勝が深く頭を下げる。
その声はやや硬かったが……それは恐れからではない。
ただ――己の言葉を悔いたがゆえのものだった。
鷹司信房もまた……静かに頭を垂れる。
「先ほどは……無礼をお許しください。」
彼らは、沈黙の中で語る術を知る男たちだった。
――そして、その沈黙こそが、
私たちを……次の部屋へと導いた。
すべてが「始まる」か、あるいは――「終わる」場所へ。
我々の足音が……古びた板張りの床に、小さく反響する。
香の匂いと……石の湿気が混ざり合い、否応なく鼻に届く。
この部屋は……三年前に来たときと、何ひとつ変わっていなかった。
だが……私の心は、まるで違っていた。
鷹司が障子を開け、我々を中へと導いた瞬間――
私は無意識に……室内を見渡していた。
敵を探すのではない。
ただ……心を落ち着かせてくれる「何か」を求めて。
しかし――そこにあったのは、逆だった。
公家たちが並び、例のごとく、誇り高く優雅な礼を取っていた。
だが……その動作には、いつも以上の慎重さが宿っていた。
彼らはまるで、歴史という風雨に晒され……触れられることすら恐れる、古の宝石のようだった。
そして――その中にあって、ひとりの少女が……私の視線を一瞬で奪った。
夜の帳のような黒髪が、背中まで……流れるように落ちている。
それは光を吸い込むかのようで……見惚れるというより、心を呑まれる。
彼女が纏う着物は、衣服と呼ぶにはあまりにも……美しすぎた。
それはまるで、永遠を紡ぐ時間そのものが……糸となって織られた装束だった。
……まったく。
美しさに心を奪われるには、私は年を取りすぎているし――
その美しさに警戒を抱かずにはいられないほどには、世を知りすぎている。
心の底から、その魅力を認めざるを得ない女など……この人生で、何人いたか数えるほどしかいない。
そして彼女は、そのうちの一人だった。
だが――私をより深くざわつかせたのは、その彼女までもが……
他の者たちと同じように、頭を下げていたという事実だった。
まるで、すべてが「等しく」扱われるべきであるとでも……言うように。
――それこそが、恐ろしかった。
思考が……深い霧へと沈んでいきそうになった、そのとき――
鷹司の声が、空気を切り裂き……私を現実へと引き戻した。
「陛下。大御所様と、本多殿、服部殿をお連れいたしました。」
絹の帳の奥から……柔らかくも、揺るがぬ声が返ってくる。
「皆、そこへ……お座りなさい。」
私は、指示された場所に……膝をついた。
敷かれた絹の座布団は……ひんやりとしていて、妙に現実的な感触だった。
だが――この整えられた礼節の中にあっても、
我々が今……歴史そのものの震えの上に座していることに、変わりはない。
これまで私は……徳川の権威を正当化するために、
あらゆる手を尽くしてきた――政略、婚姻、そして戦。
だが……今回だけは、何かが違う。
直接的な脅威ではない。
露骨な陰謀でもない。
それはむしろ……嵐の前の静けさ。
風ひとつない空気が……異様に澄んでいて、
京都そのものが……息を潜めて、この瞬間を待っているかのようだった。
――日本の歴史が、再び大きく揺り動かされる、その瞬間を。
そして……その静けさの中心に、
あの美しい着物の少女がいた。
ひと言も発さず。
まるで……音そのものを拒むように、ただ静かに座っていた。
だが――その沈黙こそが、万の兵を従える軍よりも……
遥かに……危うく、恐ろしく思えた。




