60. 優しき悪役、反撃の序曲
「感情を戦術に変える者こそ、戦場で最も残酷な指揮官だ……。」
「もう十分に休んだし――そろそろ反撃に出てもいい頃だろう。」
蒼希は先ほどまでとは打って変わって、どこか楽しげな笑みを浮かべていた。
「ふむ……イグツカがちょっと可哀想になってきたよ。Sランクが四人――それに殺気立った女の子が三人も相手じゃね。」
僕の言葉に、三人はしばし沈黙し……どう返せばいいのか迷っているようだった。
「気づいてないの? あの妖怪、街にどれほどの被害を与えたと思ってるの……今すぐ討たなきゃ。」
蒼希が鋭く言い返す。
「他に策があるなら――言ってごらんなさい。」
茜は冷静な声でそう続けた。
「穂津子、今どこにいる?」
『……もうすぐそっちに着くよ。比楼が張った結界が見えるくらいには近い。それにしても――本当に感心するよ。よくそんなに霊力を制御できるね。』
「もっと高く飛べるか? ――そろそろ〈真・妖怪大臣〉の一体に命令を出す。」
『えっ……正気? 京都からもっと離れてやってよ。あれだけのSクラス妖怪が暴れたら、自然災害レベルの被害が出るって。』
「だからこそ――高く飛んで巻き込まれないようにしてほしいんだ。」
「いいわよ……でも、大陰命、に今回の被害の規模を説明するのは、あんた一人でやってよ。私は手伝わないからね。」
「ははは……心配いらないよ。どうせその前に、僕はとんずらするから。」
――そう口にした瞬間、僕の両手は何かに包み込まれた。
気づけば、茜と蒼希が、それぞれの手をしっかり握っていた。
「……逃げるつもりなんて言わないよね?」
「――せめて、この一件が終わるまでは付き合ってもらうわよ。」
ふたりの視線は……まるで発情期の雌ライオンのようだった。
……怖すぎる。
僕がそんな状況に陥っているのを見て、月華那様はまた、楽しそうに微笑んでいた。
「ねえ、君たち。そんなに睨まれたら――イグツカと戦えなくなっちゃうよ?」
「私も行く。」
「少なくとも……足は引っ張らないから。」
ふたりの即答に、思わずため息がこぼれる。
「……まだ式神を呼べる状態かい?」
「もちろん。」
声をそろえて返事が返ってきた。
「じゃあ――作戦は単純だ。君たちは僕のそばを離れずに、全力で護ってくれ。僕は敵に集中して、隙ができたらすぐ封印を狙う。」
ふたりは……静かにうなずいた。
「穂津子、君も同じ役目だ。」
『……はいはい、指示ばっかの男め。』
――僕は懐から黒い符を取り出す。
これは僕の専用「滅霧符」だ。
「式・霧消し。」
詠唱とともに――符が強く光り、京都の外に広がっていた濃い霧が……一気に晴れていく。
視界の先には、〈真・妖怪大臣〉の姿が――くっきりと浮かび上がった。
僕は念話で、月華様に問いかける。
『……月華様、これからどうなさるおつもりですか?』
『私はここに残るわよ。あんな下等な妖怪と戦ったら――お気に入りの服が汚れちゃうもの。』
……時折、僕は思う。
もし――もし月華様を本気で怒らせてしまったら、自分の運命はどうなるのだろうか、と。
「……わかった。すぐ戻るよ。」
『あんまり時間かけないでよね? 君なら、こんなのすぐ終わるはずでしょ。』
「もちろん。」
――目を閉じていた意識を、再び現実に戻す。
「……行こう。」
そう言いながら、僕は軽やかに――宙へと飛び立った。
そのすぐ後ろで、茜と蒼希もそれぞれの式神を召喚する。
朱雀の炎華と、青龍の輪光――
ふたりはその背に乗り、僕と共に……空を駆ける。
まばゆい光の尾を描きながら――僕たちは瞬く間に、最外結界を突破した。
遠くに見えるイグツカの姿。
……だが、彼は近づいてこない。
僕たちの背後にいる四体の強大な妖怪の存在を、警戒しているようだ。
その代わりに、彼の配下である下級妖怪たちが――無理やり前線に押し出される形で、こちらへと飛来してくる。
僕が刀に手をかけた瞬間――蒼希が一足早く詠唱を始めていた。
「式・雷滅の陣・第五式!」
轟音とともに――広範囲に渡る雷撃が炸裂。
Cクラス以下の妖怪たちは、次々に……光の奔流に呑まれて消えていく。
……相変わらず、容赦ないな。
僕も刀を引き抜き――縦横に二閃を放つ。
斬撃は空間を切り裂き、風を巻き込み、全方位に……衝撃波を放った。
風と雷がぶつかり合い――新たな嵐が空に咲いた。
その暴風は、やがてイグツカが放った風の渦と衝突し……夜の空を、色彩豊かに染め上げていく。
結界の内側――そこで戦況を見守る陰陽師たちは、その光景に言葉を失い……ただ魅せられたように、空を見上げていた。
まるで……怒れる神々の舞が、今ここに始まったかのように。
初めこそ、妖怪たちは怯えているように見えた――
……だが、次第にその瞳が真っ黒に染まりはじめたのを、僕は見逃さなかった。
こうなってしまえば、もう……答えは一つだ。
最初に立ちはだかったのは――アシグモ。
蜘蛛の妖魔である彼女は、糸で空間を封じようと……次々と罠を張り巡らせてきた。
だが――その瞬間、僕の周囲を包み込んだのは……まばゆく燃え上がる朱の炎。
まるで不死鳥のようなその火は、迫りくる全ての糸を……焼き尽くしていった。
横目で視線を向けると、茜がアシグモを鋭く見据えていた。
「式・浄火・第五式。」
……この子はいつもそうだ。
冷静そうに見えて――実はこういう緊迫した場面になると、誰よりも感情的になる。
だが、アシグモだけではない。
今度は、ジンバロウが高速で……僕の頭を狙って突っ込んできた。
――瞬間、僕の周囲を囲うように、光の円形の盾が展開される。
視線の先には……蒼希がいた。
「式・雷神の結界・第五式。」
盾がジンバロウの動きを捕らえた瞬間――天より雷が落ち、
何度も……何度も、その身を打ち据える。
このふたり、確かに攻撃も一級品だ。
けれど――その真価は、支援にある。
“正しい相手”に力を注げば……ふたりのポテンシャルは何倍にも跳ね上がる。
それでも……
戦場というのは時に、人の「合理」より「感情」を――優先させてしまう場所だ。
月華様は、いつも言っていた。
『……あなたって、ほんと悪い子ね。』
でも――それは否定しない。
僕は善人なんかじゃない。
ふたりの僕への感情を……無意識のうちに、共闘へと導く道具に変える。
それもまた――僕の戦術のひとつなのだから。




