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43. 支配の温度月と徒弟の距離

「君の瞳が僕を拒絶しても……

君の手が僕を放さない限り――

僕は、どこにも逃げられない。」


月華様は……

いつものように“沈黙”を許さなかった。

指先が、そっと――僕の顎に触れる。

軽やかに……持ち上げられた顔。

そして――目が合う。

……黄金の瞳。

その美しさは、罠の底に隠された宝石のようで――

魅了するほどに、危険だった。

その眼差しは……弟子を見つめるものではない。

“駒”として、いつでも形を変えられる存在を眺める――支配者のまなざし。

「いつも目だけは拒絶してるのに、身体は一度も本気で逃げようとしない。……自覚してるわよね?」

そう言って、彼女は――笑った。

呼吸を忘れさせるほどに……冷たく、美しい微笑み。

その爪先が……僕の顎のラインをなぞっていく。

それは、優しさに見えるほど穏やかだったが――

支配の証としては、十分に鋭かった。

「……生き延びたかっただけだ。」

ようやく――言葉を返す。

その声は、まだ彼女の手に触れられていない……わずかな“プライド”の名残だった。

「生き延びる、か……」

月華様は、小さく呟くように言った。

まるで――その言葉の味を、舌の上で確かめているかのように。

「でもね、三河ちゃん。

人生って、ただ“生き延びる”ためにあるわけじゃないのよ。

……時には、“誰が先に落ちるか”で決まるものなの。」

そう言いながら――彼女の手が僕の首筋に滑り込む。

その指は、初雪のように……冷たく、そしてしなやかだった。

彼女の指先が、僕の脈を――なぞる。

聴いているのではない……

感じ取っているのだ。

耳ではなく、自分の“肌”で……僕の心音を。

そして――最悪なことに。

僕の心臓は……

明らかに速くなっていた。

何かを言おうと――口を開いた。

くだらない冗談でも……

あるいは「もう少し距離を取ってほしい」と

そんな“普通の教師”らしい願いを伝えようとしたのかもしれない。

だが――声が出なかった。

きっと、身体のどこかが……理解していたのだ。

この人には、何を言っても――

すべて“武器”に変えられてしまう、と。

月華様は……指をゆっくりと下ろした。

爪の先が、僕の胸元の服の上を……静かになぞっていく。

触れているかいないか、ギリギリの距離――

だが、それは“論理”では拭えない痕を……僕の中に残していった。

「これは、私のわがままかもしれないわね。

唯一育てた弟子に、つい期待してしまった……ただそれだけ。」

その言葉は……自然と彼女の口から零れたものだった。

「期待に応えられず、すみません。」

そう答えたのは――敗北のせいではない。

ただ、僕にはわかっていたからだ……

これは勝ち負けの問題ではない。

“どちらが一歩先にいるか”

……ただ、それだけの差だ。

そして――月華様の目に映るこの世界では、

僕は常に一歩……いや、三歩遅れている存在だった。

彼女は、そっと鉄扇を下ろす。

その動きは――葉を揺らす風のように軽やかで、

同時に、世界の時間さえ遅く感じさせるほどの余韻を残していた。

そして、その時――

彼女の表情に、ふと……目を奪われた。

それは、笑みでもなく、勝者の誇りでもなかった。

むしろ、静かな“喜び”の影……

まるで、自分の描いた絵に、ようやく色が馴染んできたことに気づいた画家のように。

「……成長したわね。」

彼女はそう言った――

短く、淡々と……だが、その声には確かに微かな震えがあった。

「人間にしては、ちょっと早すぎる成長だけど。」

僕は――小さく頷いた。

「……あるいは、怖さを隠すために。

止まることが怖くて、ひたすら進み続けてるだけかもしれません。」

彼女は……答えなかった。

けれど、その口元にほんのわずか……

筆で描いたかのような――細い微笑みが浮かんでいた。

それは、褒めるわけでもなく、責めるわけでもない。

まるで――物語の結末をすでに知っていながら、

あえて登場人物に最後まで戦わせる……語り手のような微笑みだった。

……次元の残骸が、静かに崩れ始める。

先ほどまで悪夢のように渦巻いていた色彩が――

今では静かに……夢の終わりのように薄れていく。

空は、再び漆黒に染まり……

そして――すべてが始まったあの木の枝が、僕たちの足元に戻ってきた。

言葉もなく……月華様が――手を差し出す。

僕は……少しだけ戸惑った。

敗北感か、畏れか。

あるいは、ただの人間としての本能か……“触れられる”ことにまだ怯えていたのかもしれない。

けれど――その顔を見た瞬間。

その美しさに、ふと目を奪われた瞬間……

僕は、静かに――その手を取った。

彼女は……軽く引き上げ、僕は立ち上がる。

そして、私たちは――ゆっくりと宙を舞った。

まるで地面など最初からなかったかのように……

今ではあまりに“普通”すぎる景色の上を、ふわりと。

ついさっきまで世界が崩れていたとは思えないほど……穏やかな風景だった。

「……怪我はしていないかしら?」

その声は、まるで――

いたずらを叱り終えた教師が、少しだけ反省した生徒にかける……冷たくも優しい問いかけのようだった。

「大丈夫です。ただ……少し疲れました。」

そう答えた僕に、彼女は――

今日初めて、“普通の少女”のように微笑んだ。

皮肉でも、策略でもない……

ただの、純粋な笑顔。

もし彼女が――ただの人間だったなら。

きっと僕は、とっくに……恋に落ちていただろう。

でも、それはきっと――叶わない夢だ。

だからこそ……

僕は決して、彼女に“恋をしない”。

その笑顔に絡め取られないように……

理解できない魅力に、心を溶かされないように。

僕は――立ち続けなければならないのだ。

教えられるたびに……僕は理解していった。

“強さ”とは――

ただ“強くなること”ではないということを。

それは……

この力を「誰のために、何のために」使うかという問いに尽きる。

僕は、一度も「英雄になりたい」と願ったことはない。

そして今でも――それは変わらない。

かといって、世界を救いたいわけでもない。

でも同時に……この世界の“破滅”に加担する気もない。

月華様は、ときに“教師”のように。

ときに“母”のように。

そして、ときに――

まるでこの運命から、僕が決して逃れられないことを知っている人のように……僕を見つめていた。

……望んだことのない運命。

でも、拒めるものでもなかった。

僕の隣に座る月華様が、黙って――僕の乱れた髪を整えてくれる。

指先が……ゆっくりと動く。

まるで、狩りから帰ってきた子猫を撫でるような、やさしい仕草。

見た目はボロボロ……

だけど、まだちゃんと――生きている。

「……いくら機嫌が悪くて、誰かに当たりたかったとはいえ、ちょっとやりすぎじゃないですか、月華様。」

ぼそっと呟く僕の声には……

半分は文句。

もう半分は――現実を疑うような響きが混じっていた。

でも……僕は忘れていた。

戦いの直後に月華様に問いを投げかけるなんて……

それは、井戸にコインを投げるようなもの。

返ってくるのは“答え”ではなく……“こだま”だけだ。

「ふふっ。じゃあ、さっきより“もっと欲しい”ってこと?」

わざとらしく甘えた声で――彼女がそう返す。

その笑顔は――致命的な罠。

死を招く罠であると同時に……

甘美な罠でもあった。

“自分で足を踏み入れた”と知っていながらも……

なぜか抗えない――そんな微笑み。

僕は……黙ったままだった。

どんな返答も、同じ落とし穴へと導かれている。

「いいえ」と答えれば、さらに弄ばれる。

「はい」と答えれば……もっと痛い形で敗北するだけ。

だから――僕は、黙っていた。

それが……僕に残された“唯一の抵抗”だった。

ひとつだけ、はっきりさせておこう。

僕は……マゾヒストじゃない。

ただ、自衛力が――著しく低下するのだ。

特に、月華様との戦いが終わった“直後”となると……なおさら。

彼女は、戦いという名の“贈り物”を全力で堪能したあと――

まるで、欲望そのものに形が与えられたかのような存在になる。

……正直、手に負えない。

その手は、まだ僕の髪に触れていた。

静かに……優しく撫でるように。

“教師”としては、優しすぎる。

“専門的”というより――“個人的”すぎた。

だが、僕はもう――疲れすぎていて。

あるいは……慣れすぎてしまっていて。

その手を振り払う気力すら……なかった。

「君は、ただの天才じゃない。」

不意に、彼女が呟いた。

まるで、秘密の独り言のように……僕にだけ聞こえる音量で。

「君の中には、“彼ら”が隠した――大きな光がある。」

僕は……思わず彼女の顔を見た。

その意味を――読み取ろうとして。

だが……月華様はいつだって、“カード”を伏せたままのプレイヤーだった。

見えるのは、あいまいな笑みだけ――

その微笑には……真意も、計算も、何も映らない。

僕は、何も返さなかった。

……いや、返せなかった。

意味が分からなかったからか。

あるいは――意味が分かってしまっていたからか。

認めてしまえば、“信じる”ことになる。

信じてしまえば、“受け入れる”ことになる。

そして、受け入れてしまえば……

僕はもう、“決められた道”を歩むしかなくなる。

それは――自分で選んだ道じゃない。

僕は、まだ……“自分の道”を選びたいと思っている。

たとえ、それが細くて、暗くて……

時には、自分で仕掛けた罠のように感じられても。

「……怖いのね。」

まるで僕の頭の中を――

開けっぱなしの宝箱のように覗き込むような声で、彼女がそう言った。

「でも、その怯えてる顔……ほんとに可愛いわよ、三河ちゃん。」

彼女は……そっと身を寄せてきた。

距離が縮まるたびに……世界そのものが僕を陥れようとしているような錯覚に陥る。

指先が……また僕の顎に触れた。

彼女の“悪い癖”。

それでも……僕は、いつだって抗えなかった。

「ねえ、知ってる?」

耳元で囁く声――

近すぎる距離。

それだけで……脈が跳ね上がる。

「君が弱い面……ううん、“人間らしさ”を見せた時ね。

なんだか連れて帰って……自分だけのものにしたくなるの。」

「……月華様。」

名前を呼んだ。

それが“警告”だったのか……

それとも“願い”だったのか、自分でも分からなかった。

彼女は――小さく笑った。

その笑みは、幾千の破壊術よりも……危険で、優しかった。

「冗談よ~。……ほんの、ちょっとだけ。」

そう言って、ゆっくりと距離を取る。

彼女の指が離れたあとに残った温もりは……

言葉にできない感触となって、胸の奥に染み込んでいった。

僕は……夜空を見上げた。

ただ一度だけ――

そう、たった一度だけ……こんな風に思ってしまった。

少しくらいなら……立ち止まってもいいのかもしれない。

すべてに意味を持たせようとしなくてもいい。

少しだけ……何も考えずに、“今”を許してもいいのかもしれない。

けれど――目を閉じたその先には、きっとまた……

重くて、鋭くて、避けることのできない“現実”が待っているのだと、分かっていた。


ついに、構想してきた第1巻の初稿を完成させることができました。

これからは第2巻の執筆に入ります。

いつも読んでくださる皆さま、本当にありがとうございます。

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