42. 見えざる光、速すぎた歩み
「ぶつかり合うたびに、僕は気づいていった。
最も恐ろしいのは“力”じゃない。
……敵だと思っていたその姿が、
実は、自分自身の“鏡”かもしれないという現実だ。」
彼女の一撃一撃は、まるで――問いかけだった。
……答えるためじゃない。
ただ、「なぜ自分はここにいるのか」と、疑問だけを残していく。
当然、僕の返答は――いつも“回避”という名の沈黙。
ただ逃げて……時間を稼ぐだけの戦い。
でも、奇妙なことに気づく。
一体、どちらが本当に“操って”いるのか?
……それすら曖昧になっていた。
問題は、彼女の攻撃力だけじゃない。
一番厄介なのは――
あの光が、僕の作り出した次元すら貫通してくるという事実だった。
つまり、僕の“隠れ家”は避難所なんかじゃない。
……ただ、死を少しだけ先延ばしにする“待合室”に過ぎなかった。
だから僕は、作り出した次元の中と外を行き来する。
まるで――自分でもどちらがマシか分からない囚人のように。
そんな僕をよそに、彼女は執拗に攻め続けていた。
……その表情に、微塵の変化もない。
それは、優しさからくる微笑みではなかった。
むしろ――“この勝負は最初から決まっていた”と告げる、
歪んだ余裕の笑み。
僕は跳躍した。
……空中から隙を探す。
そして――
《桂羅ノ煌月》を素早く振り抜く。
空間が切り裂かれ、瞬時に数百もの光の破片が現れる。
それらは僕自身の幻影を象り、
彼女を取り囲むように展開されていく。
戦略というよりは……もはや演劇だった。
だが、その“虚構”の渦の中で――
僕は見た。
あの微笑みを。
狂気と残酷さに彩られた、
……まるで、この物語の主役を演じること自体を、
心の底から楽しんでいるかのような笑みを。
「あらあらふふ、やっと少しは“らしく”なってきたわね。」
その言葉には、嘲笑の響きはなかった。
……むしろ、それは歓迎の挨拶。
だからこそ――あらゆる猛獣と対峙するよりも、遥かに恐ろしかった。
ほぼ同時に、僕は《月輪の燈華》を振るい、
――月華様に向かって斬りかかった。
幻影の僕が――一斉に動き出す。
まるで……死を奏でる楽団が、自信満々の指揮者に導かれているように。
緻密に構成したつもりだった。
だが――
一秒も経たないうちに、彼女は僕を正面から見据えていた。
その眼差しは、冷たく、研ぎ澄まされていた。
……あたかも、今演奏している譜面の“唯一の綻び”を、完璧に把握しているかのように。
鉄の扇が、軽やかに動いた。
ただそれだけで……僕の一撃は止められた。
そして――あの残酷な笑みが戻ってきた。
まるで、僕がまだ“彼女の舞台”で踊らされていることを告げるように。
「残念ね、また失敗よ。……可愛い私の弟子。」
その声は、あまりにも優しかった。
まるで……愛情すら含んだ助言。
でも――
肉体を切り裂くよりも深く、心に刺さる言葉だった。
……瞬間、僕の分身たちは全て消えた。
月華様の体から放たれた光の爆風が、幻影を一掃した。
まるで――太陽に近づきすぎた塵のように。
なのに……
僕は、笑っていた。
満足ではなかった。
きっと……疲れすぎて、もう平静を装う余裕すらなかっただけ。
月華様は、何かを察したように一瞬だけ表情を変えた。
だが――彼女の周囲を回る五枚の扇が再び光を纏おうとしたその時――
僕は、“脚本”を書き換えた。
……重力を十倍に引き上げる。
《月輪の燈華》――
今度は、真下へと突き立てた。
その効果は、ゆっくりと、しかし確実に現れ始めた。
月華様の身体が、わずかに……地面へと引かれていく。
高度を失い、浮遊感が崩れ始めた。
――初めてだった。
彼女の動きに、ほんの少しの“迷い”を見たのは。
僕は、時間の流れを――ほんのわずかに遅らせる。
……それだけでもいい。
“チャンス”と呼ぶには――あまりにも希望的観測すぎるが、
僕にとっては……十分だった。
僕は、ひとつの“沈黙の空間”を創り出す。
そこは……現実の法則がもはや通用しない断片。
音が思考に追いつけず、
“意志”が“論理”を凌駕する、静寂の舞台。
この瞬間だけは――僕だけの“劇場”だった。
月華様が創り上げた戦場の次元が、徐々に……崩壊していく。
空が、一枚一枚……紙のように剥がれ落ちていく。
まるで、寒さに耐えきれず――割れていく古びた窓ガラスのように。
その裂け目から、内に秘められた光が漏れ出し、
すべてを……不自然に、そして眩しく染めていく。
地面さえも砕け……光の破片に混ざって宙に舞う。
重力はもはや、“何を支えるべきか”を見失っていた。
風――いや、これはもはや“風”と呼べるものではない。
方向も意味もなく、ただ……世界そのものを掻き乱す存在へと変貌していた。
中心のない世界。
……崩壊し続ける現実。
それでも、月華様は――立っていた。
空に、ではない。
崩れ落ちていく“空のその上”に……確かに存在していた。
まるで、重力という法則に力で抗っているのではなく――
“彼女という存在”そのものが、法則のほうを……拒んでいるかのように。
重力の引力はさらに強まり、限界に近づいていく。
僕でさえ……これ以上耐えられるか分からない。
なのに、彼女は――まったく影響を受けていなかった。
揺るがない。
周囲の環境がどう変化しようとも……
彼女はその一歩たりとも動かなかった。
自然法則が狂い、世界が崩れていく中で――
彼女は……抗うことすらしない。
まるで、世界そのものが崩壊するのは――
「自分の存在が、この世界の理に属していない」
ということを……証明するためだけの演出かのように。
長い髪が、混沌の風に激しくなびく。
だが――その体は、微動だにせず。
重力に“抗っている”のではない。
……“無視している”と言った方が正しい。
僕は息を吸う。
いや、正確には……
“失望”という名の疲労に削られ尽くす前の、わずかな呼吸を。
それは――最後の攻撃のための、静かな予備動作だった。
僕のすべての希望を託した、一撃。
《桂羅ノ煌月》が生み出す幻像は、ほとんど……完璧な“崩壊”だった。
現実の断片が砕け、歪んだ風景に満ちた戦場を包み込む。
遠くから見れば――
崩れゆく空、割れた大地……
そして、次元そのものを震わせる轟音。
誰が見ても、それは“世界の終焉”にしか見えない。
僕の姿……
いや、“影”が――月華先生の前に立っていた。
彼女は静かに、その《月輪の燈華》の斬撃を受け止める。
それは、僕が仕掛けた――偽の攻撃。
完全な“囮”だった。
どれだけ狡猾な師であろうと……
この罠には引っかかると、そう信じていた。
だが――それこそが僕の傲慢だった。
……忘れていた。
神々とは――
この世界の頂点に立つ者たちであることを。
本当の僕の身体は、既に――次元の隙間を抜けていた。
音もなく……現実の隙間を滑り抜け、
彼女の背後に――ゆっくりと姿を現す。
……あとほんの一瞬。
ほんの一閃――
この距離なら、きっと届く。
僕の目的は、“勝利”じゃない……
触れるだけで――十分だった。
それが“到達”だと、誇れるはずだった。
だが――
……世界が、それを許さなかった。
いや、月華様自身が――そうさせなかったのかもしれない。
刀の刃先が、美しく揺れる彼女の着物に届く寸前……
勝利を確信した者特有の、かすかな笑みが唇に浮かぶ寸前――
空気が裂けた。
ひと筋の冷気が――頬をかすめる。
攻撃と呼ぶには繊細すぎて……偶然と呼ぶには正確すぎる“風”。
その数秒後――
首筋に、冷たい金属の感触が触れた。
……鉄の扇子。
鋭利な先端は――肌に届く寸前で止まっていた。
斬るためではない……
ただ、“完全な包囲”を示すには――それで十分だった。
「ここまで来たのね。
……まさか私が、君の背後を取る羽目になるなんて。」
月華様の声は――
まるで上質な磁器の湯呑みに注がれるお茶のように、柔らかく、温かく、そして……罠そのものだった。
僕は何も言わず……ゆっくりと頭を垂れた。
恥ずかしいからではない。
ただ、“敗北”を悟ったから。
「……降参だ。」
その言葉は――自然と口からこぼれた。
あまりにも慣れ親しんだ響きだった……
まるで、答えが間違っていると分かっていながら、それでも答案用紙を提出する生徒のように。
月華様は――小さく笑った。
その笑い声は、風に紛れるほど微かなのに……
今までの幻影の轟音よりもずっと深く、心に響いた。
「残念ね……
私はずっと、君が本当に私に“触れる”瞬間を楽しみにしてたのに、三河ちゃん。」
その口調は、まるで急いで飲んでしまったお茶を惜しむようなものだった。
けれど……言葉の熱は湯よりも熱く、語り口は氷よりも冷たかった。
「でもね――」
彼女が……さらに近づいてくる。
その息が――耳元に触れた。
あまりに近く、あまりに温かく、そして……あまりに親密すぎて。
「君って、いつも最後の“一歩”を踏み出せないのよね。
……それも君の魅力のひとつ、なのかしら?」
僕が動かないのは――
動けないからじゃない。
どんな動きも……
すでに“用意された脚本”に飲み込まれることを知っているから。
だから……僕の沈黙こそが――
この戦いで、
僕に残された唯一の“自由”だった。
昔から、圧倒的に強い者同士が、思想や信念をぶつけ合うのではなく、ただ静かに戦う
そんな戦闘シーンを書いてみたいと思っていました。
少なくとも、このチャプターを書けたことで、少し満たされた気がします。




