4. 仮面の家、封じられた血
「……日常とは、真実に触れないための、実によくできたシステムだ。」
風のような視線が、部屋の空気を――なぞっていく。
畳の上には、湯気の立つ味噌汁、銀の箸、そして……月華様の扇子。
俺は、そっと思念を彼女の意識へと送り込む。
《……動く必要はない。あいつらの計画なんて、最初から俺には関係ない。》
月華様は、扇子の陰から――微笑んだ。
静かに……揺るがずに。
「まったく、ずるい男ね。でも……あなたが選んだ道なら、私はいつでも味方よ。」
その変わらぬ調子が……むしろ不気味に感じられた。
予定調和すぎて、現実感が薄れる。
俺は味噌汁を一口すすり……そっと箸を置いた。
「……ひとつ、聞いてもいいか?」
沈黙の中、月華様の視線が――こちらに刺さる。
「母さんと祖母がなぜ、あれほど“老けない”のか。
……その理由を、どうして隠し続ける?」
だが、返ってきたのは……言葉ではなかった。
扇子の裏に浮かぶ、微笑み。
それが――すべての答えだった。
……そうか。それだけで、十分だ。
朝の静けさの中で、月華様は扇子を――ゆっくりと畳み、
それから……髪をほどいた。
さらり、と。
黒髪が肩を越えて流れ落ち、朝の光がそこに差し込む。
その光は、彼女の金色の瞳に反射して――
まるで……月に照らされた湖面のように、微かに揺れていた。
ああ……美しい。
そう思う自分が、少しだけ……滑稽に思えた。
言葉すら軽くなるほどの、圧倒的な存在感。
俺は、一瞬――視線を逸らすのを忘れていた。
母は洗濯をし、祖母は花を生けている。
その光景は……十年以上前から、何も変わらない。
老けず、疲れず、常に美しく。
それは、まるで“世界の論理”そのものが――否定されているかのようだった。
(……この家で一番年を取ってるのって、もしかして俺じゃないか?)
その考えがよぎるたびに、頭が――少しくらりとする。
「時間は、いつもあなたが考えるように進むとは限らないわ。」
昔、月華様がそう言ったことがある。
まるで……謎かけのようなその言葉は、
当時の俺にとって――夜の眠気を奪う呪文だった。
俺は小さくため息をつきながら、布団を片付け、壁に刀を立てかける。
この家では、“日常”という名の芝居に――
“訓練”という幕が、今日も律儀に下ろされる。
「今日は、防御戦術と地形把握の訓練よ。」
新たな“非日常”が……また始まる。
「三方向から敵が攻めてきたと仮定して。あなたなら、どう動く?」
月華様の問いに対し、俺は――大きくあくびをひとつ。
そして、ぼそりと呟く。
「……放っておいて、空腹になるのを待つ。」
沈黙。風も、鳥の声も止む。
まるで……世界そのものが、息を潜めたかのようだった。
月華様は――ゆっくりと扇子を裏返す。
その仕草は、まるで“世界の論理”を――試すかのようで。
「愚かだけど……現実的な消極戦術ね。」
その声は穏やかでありながら――鋭い。
まるで……毒を包んだ菓子のように。
「では――始めましょう。覚悟なさい、三河。」
幻想だった「平穏」は……またしても崩れ去った。
* * *
霧が……立ち込める山間。
冷たい空気が流れ、朽ち果てた村に――数人の浪人が足を踏み入れていた。
空き家を漁り……酒や金目のものを奪っていく。
「本当に誰もいねぇのか?」
「……こりゃ、天国だな!」
だが、その中の一人だけは……周囲を警戒しながら、慎重に歩みを進めていた。
そのとき――
背後から、空虚で低い声が……響く。
「もっと欲しいなら……もっと手に入るぞ。」
振り返ると、仮面をつけた黒装束の男が一人――静かに立っていた。
「ついてこい。“穀”と“富”が……まだ眠っている場所へ案内してやる。」
直後――別の男が現れ、大きな米袋を放り投げる。
袋が破れ……中から真っ白な米が、雪のように――こぼれ落ちた。
(……怪しすぎる。)
そう思う間もなく、手は勝手に――袋へと伸びていた。
* * *
同じ頃――
山道を駆ける、数名の陰陽師たちの姿があった。
霊気大将の命を受け、彼らは――伊賀の国境へと向かっている。
張り詰めた空気の中……木々がざわめき、
小さな祠が――目指す先にあった。
「やはり、あの小さな祠が……狙いか。」
「まさか……そこに封じられているのは」
「――転生雷腐の鬼神・イグツカ。」
その名が発せられた瞬間……空気が、凍りついた。
「あれは、かつて東国に雷火を降らせた――災厄の名だ。」
「伝承が正しければ……目覚めたあれは、
東国を――一夜で焼き尽くす。」
「急げ。奴らが封印を破る前に――祠を、守らねばならない!」
……闇が、囁き始めている。
その中心にあるのは――
ただの、小さな。
だが……忘れ去られた、
――山奥の祠だった。
実は、すべてをうまく一つにまとめるのに少し苦戦していますが、できる限りベストを尽くします。