表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/81

28. 天を拒む者、地を笑う者

「敬意とは、黙って従うことではない。

……この国を想うとは時に、敬う者を傷つけることでもある。」


「もし、これらすべてを最初からお考えになっていたのなら――」

私は、静かに口を開いた。

「徳川幕府は、強さを保ちつつも……

人としての在り方を失わずに済んだのかもしれません。」

「経済的な繁栄? ――もちろん、それは重要です。

でも、その前に“土台”を整えなければ……いずれすべては崩れ落ちる。

積み重ねるほどに、脆くなってしまうのです。」

彼は立ち上がった。……何も言わずに。

だが、その眼差しには――

これまで一度も見たことのない“何か”が宿っていた。

それは「本気」。

あるいは……

**正直な“恐れ”**だったのかもしれない。

彼は無言のまま筆を取り、机に向かい――

ひとつ、またひとつと、静かに書き記していく。

私はただ、その背を見つめていた。

誇りという鎧を脱ぎ捨てた、“人間”の背中。

そして、初めて“真に聞く者”となった――

徳川家康の姿を。

そして彼が筆を置いたそのとき……

私は、ひざまずいた。

「先ほどまでの数々の無礼、どうかお許しください。」

だが、私は知っている。

敬意とは、黙って従うことではない。

この国を想うということは、時に――

敬う人を傷つけることでもあるのだ。

返ってきたのは、答えではなかった。

それは……

笑い声だった。

狂ったような、鋭く響く笑い声。

――冗談ではない。まるで、自宅の庭から金鉱を掘り当てたかのような笑い。

「ははっ……やはり、間違いないな。」

彼は膝を叩きながら、笑いを堪えきれずに言った。

「お前はやはり、私の最も天才的な息子だ。

こうなっては……秀忠の代わりに即座に据えるべきかもしれんな?」

私は、黙った。

……感動したからではない。

脳内で、

“国家非常警報”が――全力で鳴り響いていたからだ。

……いやいや、無理に決まってるだろう。

「お、大御所様、冗談はおやめください」

私は、少しうわずった声でそう言った。

平静を装っていたつもりだが……語尾は震えていた。

その隣で、月華様――月華様は、

そっと扇子で口元を隠しながら、わずかに頭を下げていた。

……それは、笑いを堪えている動きにしか見えなかった。

天を拒む者、地を笑う者――続。

「冗談に見えるか? 否。それは“天”の重みだった。」

明らかに……月華様の肩が震えていた。

まさか、神まで笑っているとは。

――この話、きっと一生ネタにされるに違いない。

五十年後、何気ない夕餉の会話の中で、

「昔ね、玉座を蹴った人間がいたのよ? 面白いでしょう?」

なんて、しれっと言われそうだ……。

「三河。お前、私が冗談を言っているように見えるか?」

家康の声は、低く――冷たかった。

先ほどまでの笑いは……跡形もなく消えていた。

私は、言葉を失った。

なぜなら、その目に宿っていたのは――本気だったから。

あの視線は……魂の奥底までを覗き込むように、深く、鋭く――

冗談の余地など、どこにもなかった。

もしこれを他の誰かが聞いていたら、

私は“裏切り者”の烙印を押されていたかもしれない。

「……もし、それが現実になってしまったら。」

私は慎重に、言葉を選びながら口を開いた。

「大御所様が築き上げた“安定”は、根底から崩れるでしょう。

それに……私は最初からその座に触れるつもりなど、一切ありません。」

一拍置いて、息を吐く。

「そんな面倒なもの、引き受けたくもない。

寝つきも悪くなりますし。」

家康の目が、細くなる。

その表情は……驚きか、困惑か――

いや、わずかながら“畏敬の念”さえ宿していたように見えた。

もしかすると……

それは、“不安”だったのかもしれない。

「“天”を差し出されて、それを拒んだ男を見るのは――初めてだ。」

父の呟きに、私は静かに息を吸い込んだ。

「天というより……金色の看板が立てられた、地獄への石畳ですよ。」

彼は――何も返さなかった。

けれど、その視線が――語っていた。

……拒絶されたことに怒っているのではない。

その理由に宿る“真実”を、認めざるを得なかったのだ。

権力とは、代償を知る者にしか扱えない。

そして私は、たとえその血を受け継いでいようとも――

崩れる前に座る王になるより、

すべてを知りながら……傍観者でいたかった。

それでも、家康は話をやめなかった。

「それでも私は、あの“可能性”を――捨てるつもりはない。」

天井を仰ぎ、腕を組みながら……

運命の天秤を量るように。

その背中は、もう“支配者”ではなく――

ただのひとりの、父だった。

「何より、私は……

お前の母、美雪を心から、愛していた。」

その言葉がこぼれた瞬間、私は悟った。

……この勝負は、もう決着していたのだ。

どれほど論理を積み重ねても、

どれだけ未来を見通しても――

叶わぬ愛を語る男の前では、すべてが無力になる。

私は息を吐き、正直に言った。

「……もし他の道があるなら、私はそれを選びたかった。」

そして、ほんの少し――声を落とす。

「けれど、それが“母の望み”であるなら……

私は、もう何も申しません。」

家康は椅子にもたれかかり、

まるで戦場ではなく、心の中で敗れた将軍のように――

肩を落とし、深く、重たく息をついた。

かつて数多の戦を制したその男の呼吸は……

これまで見たどんな勝敗よりも、静かで、切実だった。

「……もし、彼女を落とせるのなら、三河」

「――とっくに、やっている。」

その返答は、独り言のように小さく、震えていた。

……疑いからではない。

あまりに“本気”すぎて、声が追いつかなかっただけだ。

「あの心はな、石の城壁のようだった。

いくら兵を送ろうと、どんな策を講じようと――びくともしなかった。」

私は、かつて時代を創った男を見つめた。

武士たちを従わせ、戦国を終わらせたその人が……

今はただ、恋に敗れた男として、目の前にいた。

「……たぶん、母は“もっといい男”を探してるんじゃないですかね。」

私は――冗談半分、本音半分で、そうつぶやいた。

家康の顔が、ぐしゃりと――崩れる。

「なにっ!? この私が!?

元・征夷大将軍だぞ!?

この国を築き上げたというのに、それでも足りぬというのか!」

「はいはい、分かりましたってば。」

私は手を挙げ、笑いをこらえた。

「お願いですから、自分の息子の前で“恋に破れた将軍”の顔は――やめてください。」

彼は、なんとも言えない表情をした。

照れ、困惑、そして……少しの諦め。

「まったくお前というやつは、冷たいな。」

ぶつぶつと呟きながらも、ふと――微笑む。

「だが、思い出すな……若き日のことを。

信長様と語り合った夜。

肩書きも仮面も捨てて、ただ人として――

腹を割って話し合えた、あの時間を。」

その言葉に、一瞬だけ――

温かくも、どこか切ない、過去の影が差し込む。

私は思わず、少しだけ目をそらした。

……あの徳川家康が、そんなふうに語るのが

どうしようもなく、こそばゆかった。

「残念ながら、私はただの庶民ですよ、大御所様。」

そう言って、軽く肩をすくめる。

「せめて、年貢を増やさないでくだされば、感謝しますけど。」

家康は深く息をつき、ふと――空を仰いだ。

「時々な……本当に分からなくなるのだ。」

ぽつりと漏れたその呟きには、

疲労とも、諦めともつかない――微かな、影が滲んでいた。

「お前は賢いのか……それとも、ただの馬鹿なのか。」

問いかけのようでいて、実は誰にも向けられていない言葉。

それはきっと、自分自身に投げかけた――独白だったのだろう。

その答えは、私にも分からない。

もし、それを評価するのが「歴史」だとしたら――?

時代が下り、千の視線がこの瞬間を振り返るとき、

私は愚か者として語られるのだろうか。

それとも、評価するのが「父」なら――?

あの背中に届かなかった言葉たちが、

いつか微かな光として、記憶のどこかに残るのなら……

それで、充分だと思いたい。

あるいは――

まだ、その心を手に入れられていない、あの女性。

あの冷たい瞳に、少しでも届く日が来るのなら。

その時こそ……

私の“愚かさ”が――意味を持つのかもしれない。


皆さん、楽しんでいただけましたか?

実は、書きたいことがまだたくさんありましたが、あまりにも長くなってしまうと思い、一旦控えることにしました。

だからこそ、これからも読みやすさを意識して、少しずつでも改稿を重ねていきたいと思っています。

少なくとも、今のところはこれが自分の精一杯の文章力だと感じています。

これから先、もっと成長できればいいなと願っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ