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21. 影に生まれ、光を恐れた者たち

「……真実が強すぎる時代では、正しさすら罪になる。」


そのすべての裏には――

簡単には消し去れない、長い……長い歴史があった。

どれだけ「無垢」な始まりを装っても――

それは常に、僕の影にまとわりついていた。

祖母――濃姫。

世間では、もはやその名さえ――忘れ去られている。

織田信長という時代の崩壊とともに、霧の中へと――溶けた幻。

墓所も記録も曖昧で、もはや……語られることのない存在。

けれど――僕にとって、彼女は“語り継がれる人物”なんかじゃない。

僕が初めて迎えた冬。

高熱で寝込んだ……幼い夜。

そっと僕を抱きしめてくれたのは、――彼女だった。

そして、母――織田美雪。

信長公の唯一の正室の血を引く、ただひとりの実の娘。

その存在は……美しさも忠誠も――超えていた。

戦乱しか知らぬこの世界にとっては――あまりにも、危うすぎる存在。

だが、それを知る者は――ごくわずかだった。

なぜなら……

母の誕生は、密やかに――覆い隠されたからだ。

記録にも、歴史書にも……残されなかった。

それは決して、恥ではない。

ただ――時代がまだ、

“あまりにも強すぎる真実”に――耐えられるほど、成熟していなかっただけ。

織田の名を背負いながら、

なおかつ、“悪魔すらも一度立ち止まる”ような――可能性を秘めた少女。

祖父と祖母は――

あえて“光”ではなく、“影”を選んだ。

照らされることを――拒んだのではない。

ただ、当時の光は……

真実すら焼き尽くしてしまうほどに――過酷だった。

祖母がかつて――

夜更けの静寂の中で、僕にだけそっと語ってくれたことがある。

それは、教科書のような歴史ではなく……

あまりにも“個人的”な――夜の断片だった。

「……美雪が生まれてからね、

あの人に、“人”の顔が戻ったのよ。」

それは、戦場でもなければ――

玉座でもない。

第六天魔王とまで恐れられた男が……

初めて眠る赤子を、腕に抱いた――その一瞬に。

そのとき……彼の中で、何かが――変わった。

天下も、野望も。

すべてが……霞んでいった。

そこに残ったのは、

未来を願う“父”の――瞳だけだった。

血よりも大切なもの。

権力よりも儚くて……

けれど、それ以上に――尊いもの。

だが――

その“未来”を育てることなく、

祖父は、運命に打ち勝つことなく――その生を終えた

本能寺の炎に包まれた――あの夜。

その手に抱いていた希望ごと……

何もかもが――焼き尽くされた。

それでも――

死の間際に、彼はたった一つだけ……言葉を遺した。

たった一つの、“ことづけ”。

それは、家康との――最後の対話の中で遺されたもの。

盟友としてか。

あるいは……

最期まで信じることができた、唯一の「人間」としてか。

「……彼女たちを、守ってくれ。」

たった二言。

けれどそれは、どんな戦略書よりも――重い“命令”だった。

そして、その言葉を受け取り、

実行できるだけの――強さ、冷静さ、そして忍耐を備えていた唯一の人物。

それが……家康だった。

決して、手札を――すべて見せない男。

善意を知恵に包み、

「守る」とは言わずに……

「絡め取る」ことで――守る男。

開かれた掌ではなく、

沈黙の檻で、人々を――安寧に閉じ込める術を選んだ男。

もし、彼がいなければ――

祖母は、ただの脚注だったかもしれない。

母は……戦時書簡の中に埋もれたままの“噂”で終わったかもしれない。

そして僕は――

人生と向き合うことすら……与えられなかったかもしれない。

家康がいなければ。

祖母は、すでに――幽霊になっていた。

母は……誰にも語られない秘密として、

戦の報告書とともに――土の中に葬られていただろう。

そして僕は――

この世に生まれることすら、許されなかった“影”。

僕の中に流れる――織田の血は、

決して“祝福”などでは……なかった。

誇るには、――重すぎる。

でも、拒むには……あまりにも深すぎた。

ある者にとっては、「再興の証」。

ある者にとっては、「かつての呪いの残響」。

僕の存在を知る者たちは……

僕をどう扱えばいいのか――決めかねていた。

貴族の息子? 正当な後継?

それとも、新たな“脅威”か?

だが、それを責めることは……できない。

なぜなら、僕自身も――

自分が何者であるべきなのか……分からなかったからだ。

僕はもう一度、――深く頭を下げた。

さっきよりも、もっと……深く。

「……では、失礼をお詫びします。」

感情のすべてを――押し殺して、

できるだけ冷静な声で。

後悔がないわけじゃない。

罪悪感がないわけでも……ない。

むしろ――その逆だった。

ほんの少しでも感情を許したら、

僕は、もう二度と――

それを閉じることができない気がした。

御所様……いや、家康は、

静かに――頷いた。

表情は、ほとんど変わらなかった。

けれど、その目の奥に宿る光だけが……

彼が僕の言葉を、決して軽く見ていないことを――教えてくれた。

「……座れ。」

その声には――力がなかった。

けれど、逆らえない“重み”が――あった。

僕は静かに体を起こし、

震える指先を悟られないようにしながら、――正面に座る。

外見は、あくまで落ち着いて……

だが内面では、まだ――揺れていた。

突風に吹かれる紙のように……

定まらない思考が――宙をさまよう。

僕と彼の間に流れる空気は……重たかった。

敵意ではない。

……けれど、明らかに“覚悟”を試される空気だった。

未完の過去と、

まだ決められていない未来が――

そこに、静かに……滞っていた。

一人、二人、三人、四人の人間。

そして、僕の肩の上で――そっと微笑む、一柱の女神。

まるで、これから始まる“遊戯”の幕が……

ちょうど今、上がったとでも言いたげな顔で。

「……ミーちゃん、お茶でも飲む?」

柔らかな声が、部屋の隅から――届いた。

話しかけてきたのは、母・織田美雪。

優しい微笑みを浮かべながら、こちらを見ていた。

僕は――小さく頷く。

「……じゃあ、ひとつお願いします。」

「……はいはい。」

母は、ふわりと立ち上がる。

古風な着物の裾が……磨かれた床を、やさしくなぞる。

けれど――

母が背を向けようとした、そのとき。

重く、やや気怠い声が……部屋の反対側から響いた。

「……俺も。」

言ったのは、父――徳川家康。

その声には、飾り気はなかった。

ただ、短く……静かな響き。

だが、彼の視線が――母に向けられた一瞬、

そこに宿っていたのは……

微かで、言葉にできないような――温もりだった。

長い年月が過ぎても、

その想いだけは……

まだ――色褪せていないように見えた。

母は何も言わず、ただ――静かに頷き、奥の間へと歩を進めた。

その足取りは、あくまで落ち着いていた。

まるで……すべてが当たり前の午後のひとときであるかのように。

たとえ、この部屋に積もった“言葉にされなかったもの”が――

どれほど多かろうとも。

残されたのは、僕と――

父と、祖母。

そして……視界の端でゆらめく、小さな星・月華様。

僕たちは、向かい合って――座っていた。

沈黙は、あまりに――濃密で……

触れれば肌に張りつくんじゃないかと錯覚するほどだった。

問題は……単純だった。

父と僕は……

決して“親しい”とは言えない関係だった。

磁石のN極とS極が――無理やり同じ机に座らされたようなもの。

近づくことはないが、……離れるほどの距離感もない。

あるいは――

異なる宗派の僧侶が、互いの信仰について語らされているような、

そんな……不協和。

家康は、相変わらずの目で――僕を見つめていた。

半分は、値踏みするような目。

半分は、どうでもよさそうな目。

多くの敵を屠った者の――眼差し。

けれど……

ひとりの息子とどう話せばいいのか。

それだけは、いまだに――分かっていないままの男。

その目の奥に、……僕の知らない疲れが

確かに――見えた気がした。

そして僕もまた――

うまく言葉を見つけられず、視線を落とす。

言葉が浮かびそうで、すぐ消える。

……そんな感覚だけが、胸の中で静かに――渦巻いていた。

強く見せたいわけじゃ……なかった。

ただ――

どこから話を始めればいいのか、

それが……分からなかったのだ。

その沈黙は、――あまりにも長く、そして深かった。

やがて――

月華様の声が、そっと囁いた。

「……歯車は、もう戻らないよ。」


起こるすべてのことは、望んだ結果ではない。

けれど、もし少しでも「より良い何か」を選べる可能性があるのなら、

誰だってそれを望むだろう。

たとえ、それが砕けた破片の中にある、わずかな希望の隙間だったとしても――

それを見抜ける者がいるのなら。

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