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12. 氷の女神と生徒会の玉座

(――王座とは、幸福を求める場所ではない。

それは……脆く崩れやすい世界の均衡を保つために存在するもの。)


足音が……ゆっくりと近づいてくる。

私は、椅子から静かに立ち上がった。

張り詰めた静寂に包まれた生徒会室で……

椅子の脚が床を擦る音だけが、妙に鮮明に響く。

扉が……そっと開かれた。

姿を現したのは、生徒ではなかった。

現れたのは――一人の若い女性教師。

その顔には……微笑みが浮かんでいたが、

その奥にある“気配”は……明らかに別のものを秘めていた。

彼女の背後――遠く校舎の外には、

四体の男の姿をした妖怪が佇んでいた。

太く膨れた体に、だらしなく垂れた長い舌。

彼らの目は……教室の中――正確には、その女性教師をじっと見据えていた。

彼らがこの空間に足を踏み入れられないのは……

私と、ここにいる“女神”の存在があるから。

「安西ん、講堂の準備が整いました。ご準備ができましたら、すぐにお越しください。」

その声は――一見、優しげで柔らかい。

けれど……その裏にある“緊張”は、聞き逃せなかった。

私は軽く会釈をし、静かに答える。

「……はい、すぐに伺います。」

彼女は微笑みを残し、扉を閉める直前……ほんの小さく囁いた。

「こんなに静かな朝は、初めてですわ。

それに……あなたのような美しい花は、高いところに咲くべきです。」

そしてそのまま……廊下の向こうに姿を消した。

私は、小さく息を吐き……椅子へと戻る。

胸の奥に……微かな虚無が生まれる。

当然だ。

この世界は、決して優しくなんてない。

水城が、ぽつりと呟く。

「人間って……不思議な生き物ですよね。

いつだって、自分のことを棚に上げて生きている。」

私は、再び机の上のスケッチブックを開いた。

そこに描かれた彼の姿は……線と影で構成された小さな世界の中で、

まるで……命を宿しているかのようだった。

私は、そっと……指先を紙に重ねる。

誰にも知られない、小さな秘密を抱くように。

「……これが、“現実”というものね。

寄りかかる場所がなければ、人は仮面をかぶるしかない。」

水城は、小さく笑った。

「彼女の心の中……はっきりと見えました。

あなたよりも美しい存在を前にして、嫉妬と嫌悪に満ちていた。」

「でも同時に……哀れだとも思いました。

あれほど深く落ちてしまっては、もう戻れない。」

「関わる必要なんてないわ。

他人の事情に首を突っ込めば……新たな災いを呼ぶだけ。」

「……わかっています。

でも、それでもやっぱり、悲しくなるんですよ。」

水城の言葉に……私は心の中で静かに同意した。

もし、“見る力”を持った人がいたなら――

彼女と同じものを、きっと……感じ取っていただろう。

だが、実際には……そうした力を持つ者は極めて限られている。

この世で“霊気大将”と呼ばれる、私のような存在。

あるいは、それ以上の者にしか見えない世界がある。

それこそが――この世界における“不平等”の形。

秘密というものは……

見える者がいる限り、必ず暴かれる。

カーン。

空気を裂くように、始業の鐘が鳴った。

冷えた空気の中……乾いた音だけが確かに響く。

どうやら……水城と話しながら絵を描いているうちに、

生徒会室に……二時間もこもっていたようだった。

もう、これ以上思考を漂わせているわけにはいかない。

私は、スケッチブックを静かに閉じ……

それを鞄の中へとしまった。

そして、椅子から立ち上がり――講堂へと向かう。

自分では“特別”だなんて、思ったことは一度もない。

けれど……

外から見える私だけを知る人たちは、

なぜか私を“特別”な存在だと――信じ込んでいる。

私は今年、二年生になったばかり。

一年生のとき、生徒たちの投票で選ばれ――

気がつけば、生徒会長の座に就いていた。

そして今もなお……その“座”に居続けている。

一度も、それを守ろうとした覚えがないのに。

拒むことのできなかった“王座”。

望んだことのない“冠”。

私は、廊下を歩いていく。

ローファーのかかとが鳴らす音が……規則正しく空間に満ちる。

水城は……常に私の傍にいた。

守護神として。

私の集中を妨げることなく、

完璧な距離を保ちながら……静かに寄り添っている。

廊下ですれ違う生徒たちは、

反射的に背筋を伸ばし、

視線を逸らし、小さく頭を下げる。

恐れているわけじゃない。

ただ、そこにあるのは――“隔たり”。

神を前にした人間が……

本能的に膝を折るような……

そんな“距離”が、私と彼らの間にはある。

文字通り、もう一柱の神が傍にいるのだけれど……

それでも、彼らは私を「氷の女神」と呼ぶ。

その意味を……本当に理解している者は、誰一人としていない。

“女神”とは、祈りを受ける者ではない。

それは――孤独を抱え、

距離を保ち、

優しさを……氷の層で閉じ込める存在。

私は、講堂の扉を――開いた。

すでに、生徒たちは……全員席についていた。

すべての視線が、一斉に……私へと注がれる。

その視線の渦の中を、私は無言のまま……ゆっくりと歩いていく。

壇上には……私のために用意された場所がある。

一歩、一歩と階段を上るたびに――空気が、ひときわ重くなる。

スポットライトが、私を真っ直ぐに……照らす。

まるで、世界の音が……少しずつ遠のいていくかのような感覚。

私は、演台の前に立った。

マイクが……私の言葉を、静かに待っている。

何千回と……心の中で反芻してきた、あの言葉たち。

完璧に近い構造で編まれた……

統制と冷静から生まれた、言葉。

だが――口を開くその直前、

私は、視線を講堂の隅々へと……滑らせた。

無数の顔。

その瞳の奥にあるのは……畏敬、恐れ、そして嫉妬。

薄い膜のように重なり……静かに揺れていた。

そして、私は――知っている。

この中に……

いつか、私に牙を剥こうとする者がいることを。

……それで、いい。

私は、マイクへと手を伸ばした。

私の最初の声は――氷の刃のように、空気を切り裂いた。

「……改めて皆さま、本当にありがとうございます。」

静寂。

誰一人として、息を吸う音さえ……響かないほどの、圧倒的な沈黙。

私は――あらかじめ用意しておいた言葉を、

一つ一つ……丁寧に紡いでいく。

まるで、壊れかけた世界を……

もう一度、静かに縫い合わせるかのように。

感情を――一滴もこぼさず、

ただ……決意だけを伝える。

そして、最後の言葉を告げたあと――

私は、深く……一礼した。

その瞬間。

ようやく、講堂全体が……小さく、息をついた。

私は、壇上から……降りる。

けれど――安西 雪代という少女は、

ただ何も考えずに歩くような存在ではない。

演説中……私の視線は、常に巡っていた。

生徒たちの中に。教師たちの中に。

その身に……妖怪を宿す者たちを、私は確かに見つけていた。

もし彼らが、“衝動師団”と関わりを持つ存在であるのなら――

対応は……容易い。

だからこそ、今は……焦らず、慎重に動くべきだと私は判断した。

もうすぐ開かれる……陰陽師たちの月例会議。

そこが――本当の“始まり”となる。

織田 三河の“夢”と同じように。

私もまた、この世界が……腐っていくのを見過ごしたくはない。

もし……見て見ぬふりを続けたままでいたなら――

いつか私は……彼の隣に立つ資格すら、失ってしまう。

ただ、このときの私は……まだ気づいていなかった。

いま、胸の奥にかすかに芽生えていた“震え”。

それが――

私自身の世界を根底から揺るがす、

“物語の序章”だったということに。


この物語がどこかで誰かの心に残っていたら、それだけで救われます。

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