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11. 罪と呼ばれた愛

(もし「愛すること」が罪だというのなら……私は、喜んでその罰を受け入れる。)


これまで、何度も――

同じような問題に、私は直面してきた。

だからこそ……私は、“平穏”を選ぶ。

可能な限り静かに。

何も波立たせずに。

……そうしていると、ふと

あの――愚かな男のことを思い出す。

たったそれだけで、

ほんの少しだけ……胸が温かくなるのだから。

……まあ、そういうことにしておこう。

目を覚ましたはずなのに、

心はまだ……夢の中に取り残されている気がした。

まぶたの裏には、まだ――

彼の気配が、残っている。

夢で見たあの光景が……

胸の奥で、ゆっくりと溶けていく。

私は、静かに……校門をくぐる。

一定のリズムで、廊下を歩いていく。

周囲の喧騒は――もう、耳に届かない。

向けられる視線も……水面に走るさざ波のように、ただ通り過ぎていくだけ。

私の中にいるのは、彼だけだった。

――できれば、彼の中にも……私がいればいいのに。

そう……願ってしまう。

少なくとも、黒山高校の中には

外の世界よりも遥かに少ない妖怪しかいない。

けれど、それでも。

人の心から“絶望”が生まれる限り――

妖怪は形を変えながら、繰り返しこの世界に生まれ続ける。

この場所の妖怪が、私を恐れているという一点を除けば

……何も変わらない。

私は、生徒会室へと足を向けた。

ここが、私にとっての――“一日の始まり”にふさわしい場所だから。

席につくと、鞄からスケッチブックを取り出す。

迷いなく、ペンを手に取った。

そして、何のためらいもなく――描き始めた。

彼の輪郭を。

ペン先は、記憶という名の川を漂う一枚の葉のように、

……滑らかに、流れていく。

夢の中の彼。

無防備に眠る、その顔。

川辺で――月を仰ぎながら、剣を振るう後ろ姿。

私は、彼の姿を……誰よりも鮮明に覚えている。

クラスメイトの顔すら曖昧なのに、

彼の顔だけは、指先でなぞるように再現できる。

槍を握る手。

剣を構える立ち姿。

太陽の光に照らされた……肩のライン。

すべてが、私の中に――深く、刻まれている。

「……彼、水と話していたの。」

ぽつりと、独り言がこぼれた。

不思議には思わなかった。

あの時、彼の周りには……誰もいなかった。

だからこそ――水に語りかけたのだろう。

孤独とは、そういうものだ。

誰にも届かないと知りながら、

それでも、声を投げかけてしまう。

……わずかな希望と共に。

ペン先は……止まらない。

少しずつ、彼の瞳、指先、息遣いまでもが、

紙の上に……描き出されていく。

そのとき――

隣から、静かな声が届いた。

「……あの人、変わってますね。」

私は、ほんの少しだけ……顔を傾けた。

淡い光が生まれ……その中心から、神々しい姿が現れる。

そこに立っていたのは――水城の蘭花みずきの らんかだった。

その髪は……穏やかに流れる川のように輝き、

整った顔立ちは、まるで古代の職人が彫り上げた彫刻のよう。

そしてその微笑みは……冬の寒さの中で手を包んでくれるぬるま湯のように優しかった。

もちろん――彼女の姿が見えるのは、この世界で私だけ。

水城は、私の守護霊であり……天照大御神の右腕であり……

七天護衛の第五位に列する存在。

けれど――私にとっては、

この空虚な世界を、ほんの少しでも満たしてくれる……唯一の存在だった。

「その“変わり者らしさ”が、私を生かしてくれるの。」

そう呟くと、水城はふわりと浮かび、私の隣にそっと寄り添った。

「遅れてしまって……申し訳ありません。」

「問題ないわ。あんな雑魚ども――脅威にもならない。」

私は小さく微笑んで、そう答えた。

再び視線をスケッチブックへと戻し、

夢の中で見た彼の姿を……静かに描き続ける。

これこそが、私にとって最も大切な――趣味の一つ。

もちろん……机の上から足元にかけて、生徒会長として処理すべき書類が山のように積まれているのも、ちゃんと分かっている。

そんな私の思考を読み取ったかのように、水城が口を開いた。

「あまり深刻にならないでください、雪代。

……周囲の期待など、あまり気にしすぎない方がいいです。」

その穏やかな声が、耳の奥に――すっと流れ込んでくる。

私は、少しだけ顔を向けた。

水城の髪は……変わらず川面のようにきらめき、

その笑顔は……崩れかけた心を優しく包み込んでくれた。

「真剣さとは、報いを求めずに与えられる……数少ない慈悲の形。」

そんな言葉が――自然と口をついて出た。

「まるで……結婚もせずに年を重ねた詩人みたいですね。」

水城は、柔らかく笑った。

「私は……たぶん失敗した転生者なんでしょうね。」

私もまた、苦笑を浮かべながら答える。

けれど……手は止めなかった。

夢の中の彼を……変わらず描き続けていた。

生徒会室には、私たち二人しかいない。

隣の教室からは……まだ賑やかな声が聞こえてくる。

けれど、この空間だけは――

静寂と、会話と、そして……淡い温度に包まれていた。

そんな中……水城がふと窓の外に視線を向け、静かに言葉を落とす。

「孤独だけは……彼にとって完全なものだったのかもしれません。」

そして、その視線をゆっくりと校庭へ移しながら……続けた。

「でも――

あなたが、彼の声を……聞き続けてきたから。」

私は、ゆっくりと頷く。

ペンは止まらない。

返事は……心の中で。

彼が、私に気づかなくても構わない。

たとえ、この繋がりが夢の中にしか存在しなかったとしても――

私は、彼を知っている。

誰よりも深く……

誰よりも確かに。

たとえ、手を伸ばしても……指先には届かない距離だとしても。

それでも、私は――彼を想い続ける。

スケッチブックの上で……彼の姿が静かに、けれど確かに――形を成していく。

たとえこの手が、彼に触れることが叶わなくても。

たとえ、決して届かない距離にいたとしても……

私は、彼を――愛し続けるだろう。

スケッチの中の彼は、次第に……完成へと近づいていく。

夢の中で出会った彼は、誰よりも――生き生きとしていて、

この現実の世界よりも……ずっと“真実”を帯びていた。

私は、知っている。

この現実に生きる私よりも……

夢の中にいる彼のほうが、ずっと“生きている”。

それでも――

私は、ここにいる。

この世界に。

そして……私はその現実を、静かに受け入れた。

手が届かなくても……

声が届かなくても……

私は、歩みを止めることはしない。

「これは、たぶん……“罪”なのかもしれない。」

顔がスケッチブックに触れそうになるほど近づきながら、

私は――誰に向けるでもない囁きを零した。

私は、彼を……愛している。

その名前すら知らなかった頃から。

ただ……影を追い続けてきた日々の中で――

この想いが、許されるものなのかは、わからない。

けれど――

たとえ許されなかったとしても……

私は、決して彼を忘れない。

夢の中だけで繋がる絆。

現実では触れられない……愛。

それでも、私は信じている。

彼が……何も語らず、ただそこにいるだけで――

私のすべてを、静かに……満たしてくれるのだと。

私は、そっとペンを置く。

そして――静かに、目を閉じた。

もう一度……あの澄んだ夜に、

彼に……出会えるだろうか。

私は、確かに知っている。

たとえそれが……夢の中でしか叶わないとしても――

この心だけは、決して……誰にも奪わせはしない。

ふと目を開けると、窓際で――水城が静かに外を見渡しているのが目に入った。

その姿を横目に、私は……ふと考え込む。

ペンの動きが……止まり、

私はスケッチブックの上に、それをそっと置いた。

長く……深い息を吐く。

生徒会室の窓から差し込む光が――

私の髪と制服を……春の風のように、優しく撫でていく。

その静寂の中で……私は思った。

もし、この想いが“罪”ならば――

その罰を、私は……喜んで受け入れよう。

誰かに咎められてもいい。

世界中が敵になったとしても――

それでも、私は……彼を、愛し続ける。

夢の中でしか出会えない、

あの人を……

どれほど愚かだとしても。

どれほど報われず、空虚なものだとしても――

私は……もう知ってしまったのだ。

胸の奥底で……確かに芽吹いたものの存在を。

指先に……まだ微かに残る彼のぬくもりを。

夜空を見上げるたびに走る……あの淡い痛みを。

誰にも触れることのない、この想い――

それは……私だけの“聖域”。

誰にも汚されることのない、

私だけの……居場所。

「……私は、大丈夫。」

誰に向けたわけでもない。

ただ……自分の心の奥に、そっと囁くように呟いた。

たとえ、世界が私を裁いたとしても――

たとえこの愛が、永遠に報われることがなかったとしても……

それでも私は、信じ続けるだろう。

誰にも知られず、

誰にも理解されず……

それでも、すべての“欠けた人間らしさ”を抱えたまま――

生きている彼のことを。

生徒会室の隅で……水城が静かに微笑み、私を見つめていた。

そして、私は言った。

迷いも、恐れも……一切なく。

「――私は彼を、愛している。」

その言葉に……何のためらいもなかった。

それは冷たく、清潔で、揺るぎない“真実”。

まるで……科学的事実のように、抗いようのない確かさで。

水城はしばし沈黙し、やがて……優しく目を細めた。

「……知っていましたよ。

あなたが五歳の頃――

まだ彼の名前すら知らなかったのに、初めて夢の中で彼の顔を描いた、その時から。」

私は、ふっと微笑んだ。

「これは……罪なのかな?」

その問いに、恐怖はなかった。

ただ……この想いが“許されるものなのか”――確かめたかっただけ。

水城は、静かに答えた。

「……もしこれが罪なら――

最初にそれを犯したのは、天照様です。」

「あなたと彼の魂を繋いだのは、彼女。

夢という扉を開いたのも……彼女です。」

私は視線を落とし、描き上げたばかりのスケッチを見つめた。

そして……ほんの少しだけ、胸が軋むのを感じた。

「現実の世界では……

彼に会える道なんて、最初から存在しなかった。」

「だから私は……夢と現の狭間で、彼を探す。」

水城が、そっと隣に腰を下ろす。

触れられない距離のまま。

けれど――確かな存在として、そこにいた。

「こんな愛は、決して……戯れなんかじゃない。」

「終わりがないからこそ……痛みが生まれる。

けれどその痛みこそが、永遠へと繋がっていく。」

「それこそが、“替えのきかないもの”なのです。」

私は、もう一度……スケッチを見つめた。

そこには、川辺に背を向けて立つ――三河の姿が描かれていた。

夕暮れの光が水面に反射し、

その背中だけを……優しく照らしていた。

まるで、世界そのものが――

彼ひとりのために、光を贈っているかのように。

「……もし、いつか彼に夢の中でさえ、会えなくなったら。」

「私は――怖い。」

そっと、私は呟いた。

「それはきっと……彼が、本当に消えてしまったということだから。」

水城が、静かに答える。

「あるいは……別の意味かもしれません。」

「あなたたちが本当に出会う日が――

近づいているという、前触れ。」

私は、はっとして彼女を見つめた。

胸が……高鳴る。

驚きというよりも、もっと深く……

心の奥底を揺さぶる、何かに反応していた。

水城の表情は、いつもの柔らかな笑みではなかった。

どこか秘密を含んだような……意味深な微笑み。

「……どういう意味?」

自分でも驚くほど、低く、冷たい声が口をついた。

けれどその奥には……深い“渇き”が潜んでいた。

水城は、静かに立ち上がる。

その仕草は、まるで……水面に広がるさざ波のように、

穏やかでありながら――抗いがたい力を帯びていた。

長い袖を整えながら……

重力を無視するかのように、光の粒がふわりとその周囲を舞い始める。

「この世界は、一直線には進みません、雪代。」

「一つの命の中で咲かない愛もあります。

でも……それは“終わり”を意味するものではありません。」

私は、言葉を失った。

ただ……彼女の瞳を見つめるしかなかった。

「時が来れば、あなたはすべてを理解するでしょう。」

「そして――

世界があなたを笑っても……どうか、自分の心を選んでください。」

私は……ゆっくりとスケッチブックを閉じた。

水城の言葉は、まるで――未来から届いた手紙のようだった。

今は……まだその意味のすべてを理解できない。

けれど……いつか、きっと。

そう信じさせてくれるほど、確かな感覚が……胸に残っていた。

――そのとき。

廊下の奥から……足音が響いた。

私は、顔を上げる。

まるで、何かが……本当に動き出したかのように。

その足音は――

いつもの朝とは、どこか違っていた。

まるで、世界が……ほんの少しだけ――

震えたような気がした。


愛を書くとき、時に文脈を超えた何かも綴るべきだと感じることがあります。

しかし、その定義はときに曖昧で、私はひとつの言葉「罪」を選びました。

この章を楽しんでいただけたら幸いです。ありがとうございました。

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