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元女勇者の朝は、実はそれほど早くない。
「姉御ー、起きてるー?」
(はぁぁ、この優しい声が堪んないのよね……!)
……というのも、大好きな年下青年が起こしに来てくれるのを待つため、故意にベッドから出ないだけなのだが。
「今起きたわ……おはよう、コハク」
「おはよ。ゴメン、今日休みなのは知ってたんだけどさ」
控えめなノックをしたコハクは、ヒナの返答を聞いてもドアを開けず、声だけ掛けてきた。女性の寝起きや着替え中に入室しないよう配慮してくれているようだが、ぶっちゃけ旅をしていた頃は野宿もざらだったため、ヒナ的には全く気にしていない。
(ホント紳士よねぇ……)
むしろ、うっかり入ってきてラッキースケベ発生──となるのもやぶさかではないのだが、残念ながら同棲を始めて半月程経つものの、まだ一度も実現していない。
「いいわよ、気にしなくて。どうしたの?」
「大したコトじゃねーけど。今パンケーキ焼き立てだから、もし良かっ──」
「食べるっ!!」
飛び起きて素早く身支度を始めたのをドア越しに感じたのだろう。くすくすと控えめな笑い声が聞こえてきた。
(! 声出して笑うなんて、珍しいわね)
「っ、了ー解。下で待ってるな」
笑いを含んだ声と共に、階段を降りていく足音を聞きながら、何だか幸せな心地で満たされたヒナだった。
(けど、どうせなら笑ってる顔が見たかったー!)
ふわふわのパンケーキを美味しくいただいた後、コハクは仕事に出かけていった。
王都の大通りにあるカフェ“ジャック・トルテ”は、香り高い珈琲や紅茶と共にお洒落なケーキを楽しめることで一躍話題となり、女性を中心にリピーターも多いという結構な人気店だ。実は勇者一行のメンバーである某公爵子息が出資しており、コハクもその伝手で雇ってもらえることになったのだが……。
(あたしもそろそろ準備しよっと)
開店時刻に間に合うよう、ヒナは自室でいそいそと衣装合わせに取り掛かった。
平騎士達はヒナが仕事一辺倒の人間だと誤解しているようだが、実際はファッション中心のショッピングが趣味で、亡き父が男爵位だったこともあって衣装も割と豊富に持っている。
(よし、こんな感じかな……?」)
今回の目的は“敵情視察”なので、あえて母のお下がりなど普段あまり着ない服をチョイスし、同じく母から譲り受けた古い姿見の前に立つ。ヒナは長身かつ明るい赤毛がどうしても目立つので、普段のポニーテールではなく頭上でお団子にして帽子を被ることにした。服装もいつもよりシックで大人っぽくまとめたため、余程知り合いに注視されなければ自分だと気付かれることは無いだろう。
(……いつも、コハクにはすぐバレちゃうけど)
つい苦笑が漏れる。嬉しいような悔しいような、これまで3度ほどこっそり店を訪れたのだが、何故か彼は必ずヒナを見付けてしまうのだ。とはいえ“敵情視察”のことなどコハクが知るはずもないため、その点は特に問題ないが。
(さぁて、行きますか……!)
騎士の仕事と同等かそれ以上に気合いを入れたヒナは、王都のカフェもとい敵地“ジャック・トルテ”へ向かうべく、家を出た。
(相変わらず繁盛してるわね……!)
開店して間もない時間に着いたものの、店の前には既にそこそこ列ができていたため、20分ほど並んでから漸く中へ案内される。1人で来ると相席となることもあるが、今日は運良くカウンター席に座れたため、じっくりと店内を眺めることができそうだ。
(! 出た、無駄に顔のいい眼鏡店長!)
今日は会計担当らしいイケメン店長、コーサ・ジャックス。元勇者一行の公爵子息とは幼馴染で、ヒナやコハクとも2年前から面識がある好青年だ。だがヒナより1つ年上の彼は、現在かなりの“要注意人物”と言っても過言ではない。
「今日も美味しかったですー!」
「あの、店長さんはお付き合いしてる女性っていますか?」
こうして若い女性客に詰め寄られることも日常茶飯事のようだが、彼はしどろもどろを通り越して軽く青褪めていた。
「……店に専念しておりますので。今後も当面そういった予定はありません」
冷たい声で顔まで背けて言い切られ、女性達も流石に諦めた様子で引き下がる。だがヒナは、彼の挙動についての真実を既に知っていた。
(女性恐怖症じゃ、女の人と付き合う予定があるはずないわよね)
木の素朴な質感を活かしたお洒落で可愛らしいカフェでありながら、ここの従業員は全員男性だ。とはいえ女性受けを狙った美形揃いという訳でもないため、つまりは店長の個人的な事情である。
「ブルーベリータルト、入りまーす」
「!」
そこへ聞き慣れた声が耳に届き、ヒナは素早く店先のショーケースへ視線を向けた。すると予想通り、カフェの制服に身を包んだコハクがケーキの補充を行っていて、思わずほっこりしたのだが。
「ッスウェン! 営業中は声を張れと何度も言ってるだろう!」
「あ、ハイ。スミマセン……」
「いや全然変わってないぞ!? もっと腹の底から出せ!」
「え、謝罪も大声出すんですか……?」
「煩い! 大体昨日も遅刻しておいて──」
(ほら、始まった……!)
ヒナは店長の広い背中をじとりと睨む。彼は自覚していないようだが、普段の常識的でクール寄りな態度がコハクの前だと一変し、感情を露わにして何かといちゃもんを付け始めるのだ。それは今まで来店の度に目撃してきた様子に加え、コハクから勤務中の話を聞いているため裏も取れている。
(困らせてるっていい加減気付きなさいよ! でも余計な“自覚”はしないでお願い!)
若干困ったように眉を下げるコハク。彼に対して店長が特別な感情を抱いているのは傍目にも明らかだが、職場はヒナの目が届きにくく対策も取りづらいため、このまま本人が気付かないことを祈るばかりである。
(コハク、こっちよ!)
「スミマセン、店長。お客サマが呼んでるんで」
「あ、おいスウェン……っ!」
丁度注文もまだだったので手を振ってみせれば、コハクはすぐに気付いたようだ。こちらへやってきた彼をじっくり眺め、ヒナはテーブルの下で密かにガッツポーズを決める。
(いつ見ても優勝っ! カフェ制服最高ぉ!)
白い半袖シャツにブラウンのエプロンとキャスケットというシンプルな組み合わせが、金髪ゆるふわ美青年の魅力を十全に引き立たせている。しかも肩にかかる長さの髪を束ねているため、白い首筋が惜しげもなく晒されており、思わずごくりと生唾を飲み込むヒナだった。
(けど正直、他の人には晒したくないのよ……特にこの綺麗な項! あぁ触れたい、キスマーク付けて独占したいっ!)
コハクが店内に現れるなり、そこかしこから熱視線を向けられているのも無理はないと思う。彼が人目を引くほど魅力的なのは理解できるのだが、じゃあ仕方ないと許容できるかといえば、それは全くの別問題だ。
「いらっしゃいませ。なんか今日は大人っぽい雰囲気だな?」
そんなヒナの煩悩や葛藤など露知らず、ほわりと蜂蜜色の眼を細めるコハク。
「え、えぇ。ママの服でコーディネートしてみたの」
「だからか。姉御って、そーいうのも似合うんだな。上品でキレイなお姉サンって感じ」
「──っ!」
大好きな人からそんな風に微笑み付きで褒められて、果たして平静を保てるだろうか、いや保てるはずがない。ぼっと一気に熱をもった頬を隠すため、ヒナは慌ててメニュー表を広げた。
「け、ケーキセット1つ! ドリンクはホットのカフェオレ、ケーキは──うーん……」
「迷うなら、新作のタルトがオススメですよ。ストロベリーとブルーベリーのが人気を二分してます」
「っじゃあ、ブルーベリーで!」
基本裏方担当のコハクが運んできたケーキを選べば、彼は僅かに口元を綻ばせる。
「……かしこまりました」
はにかんだような顔で一礼して去っていく背中を、ヒナは穴が開くほど見詰めていた。
(っか、Kawaii──!)
カウンターテーブル感情のままにバンバン叩きたいのを、寸での所で堪える。
(『自分が作ったのを選んでもらえて嬉しい、けど仕事中だから』って顔に書いてあるの、もう堪んないっ!)
その後、注文の品を持ってきたのは残念ながら別の若い地味顔店員だったが、既にメインディッシュを充分堪能したヒナは、その余韻に浸りつつご機嫌で“食後”のケーキを味わっていた。
カフェオレ片手にしばらく粘ってみたものの、再びコハクが店内に顔を出す様子はなかったため、ヒナはそろそろ今日の“任務”を終えることにした。
(珍しく“あいつ”は来てないみたいだし……)
実はもう1人危険視している常連客がいるのだが、今日は珍しく来店していないようだ。奥へ引っ込んだ店長に代わり、会計担当が先程の地味顔店員となったタイミングで席を立とうとしたヒナだったが、そこへ粗暴そうな2人組がドアを蹴破るように入店してきた。
「っひぃ……!」
「ここに金髪の優男がいるだろ。今すぐ連れて来いや」
「!」
しかも間の悪いことに、奥から丁度コハクが苺タルトのトレーを持ってやって来る。
「──アレ、昨日の……?」
「やっぱりてめぇか! オレらの財布スリやがったの!」
それを聞いて、場違いにも懐かしさを覚えるヒナ。このような流れは、旅をしていた頃にも何度か覚えがある。
「や、先に往来でお婆サンの巾着スッたの、そっちですよね」
「うるせぇ! いいからオレらの金返せや!」
「スミマセン。お婆サンの取り返す時うっかり一緒にスッちゃったんで、お2人の財布は騎士団の落とし物担当窓口に届けときました」
(っぷ、くく……っ!)
激昂する悪漢達を前に全く動じることなく、真顔で淡々と返すコハク。カウンターに突っ伏したヒナは笑いを堪えるのに必死だ。
「はぁ!? 騎士団ん!?」
「手配中のオレらが行ける訳ないだろ!」
「スリで指名手配されてるんですか? 盗みは良くないですよ」
「てめぇが言うな!」
(この感じ久々だわ……!)
周囲がハラハラしているのを感じながらもヒナはあえて助太刀せず、ニヤニヤしながら見守る。
「あんまふざけてっと痛い目──あれ?」
1人が自身のベルトに手をやるが、そこにあった筈の得物は既に腰から消えていた。そしてコハクの右手には、いつの間にか鈍く光るダガーが握られている。
「な、てめぇっ!?」
「ワーク君。コーサ──店長、呼んでこれるか?」
「っは、はい!」
「姉御は、お客サンを頼むな」
「了解!」
相手の腰元から一瞬でスッたダガーを構えつつ、コハクは殴り掛かってきた男の拳を軽やかに避ける。同時に足払いで相手を転ばせると、男の背中から腕を捻って押さえ込んだ。
「うぐっ……!」
「な……っ!?」
「とりあえず、営業妨害の正当防衛ってコトで」
一瞬で形勢が逆転し、刃を突き付けられた男は歯噛みした。もう1人も目の間で起きた出来事が信じられないのか、呆然と固まっている。
(さっすが元盗賊、そしてあたしの相棒!)
仮にも勇者一行の一員であり、ヒナにとっては最初に出会った仲間かつ無二の相棒でもある彼は、王族の血を引きながらも生後すぐに盗賊の里へ捨てられた過去をもつ。こと素早さと器用さを活かしたスリの技術は神業で、旅の間も何かと役立ったり逆にトラブルの火種となったりしたものだ。
(相手が悪すぎたわね……!)
ヒナはこっそりドヤ顔する。温厚でマイペースそうな優男にしか見えない彼の鮮やかな立ち回りに、周りからも感嘆の声や拍手の音が聞こえてきた。
「っ舐めやがって……!」
「お、おい! こんな所で魔術は──!」
不意にもう1人が魔杖を取り出し、人質にされた男は勿論、周囲も仰天する。
(! コハクッ!)
「スウェンっ!?」
魔術を発動する寸前、コハクの前へと飛び出したヒナは、強烈な回し蹴りを繰り出して悪漢を吹っ飛ばした。それとほぼ同時に店長が店の奥から駆け付け、コハクを庇うように引き寄せたのが視界の隅に映る。
(っはぁぁ!? ちょ、何しれっと抱き寄せてるのよ!?)
「おい、大丈夫かスウェン!?」
「あ、うん。サンキュ、コーサッ君──じゃない、店長」
「全く、心配かけやがって! そもそもお前はもう少し危機感を──!」
顔面を踏み付けられ白目を剥いている悪漢には目もくれず、どう見ても無傷のコハクを気遣う店長のコーサ。
(狡いっ! コハクを助けたのはあたしなのにっ!)
そして美味しい所を持っていかれたヒナは悔しさのあまり歯軋りしつつ、自身が昏倒させた男の魔杖を八つ当たり気味にへし折ったのだった。