表わしの裏
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
表記と実際の数量が異なる。
ままあることではあるが、結構重要なことなんじゃないかと、私は個人的に思っている。
たとえばUSBメモリと実際に保存するデータの関係だな。メモリ量は日々、とてつもない勢いで増しているものの、実際に保存できるデータ量と表記には差異が生まれていく。
たとえば1GBのデータを1000MBと表記はしているが、実際には2の10乗で考えていったときの1024MB分で1GBとなる。MB以下のデータたちに関しても、同様のことが起こっていった結果、USBメモリの表記ほどにデータが入らないことになる。
実際に記憶容量の違いを目の当たりにして「?」マークが浮かぶ人もいるんじゃなかろうか?
表記という外側のものに惑わされ、実際の数量という中身に対し、誤った認識を持つ。
おそらく、現実を見回せばたくさんある事例なのだろうけど、関心をいだく一部の人以外は気にしないだろうな。自分にとっての大きな問題が起きない限り、中をのぞく気は起きないからだ。
「こと」が起こるとき、我々はどのようにしていればいいのだろうな。
私のむかしの話なのだが、聞いてみないか?
レモン○○個分のビタミンC、とは売り文句として聞いたことがある人は多いだろう。
現在レモン1個分は20ミリグラムのビタミンCのこととされているが、こいつは果汁だけで判断したものらしいね。
実際にあるレモンは、こいつに皮とかが加わることによって、100~120グラム分のビタミンCを摂取することができる。製造途中でビタミンCが失われないと仮定しても、レモン6個分の清涼飲料水を飲まなくては、実物のレモンには及ばないということだ。
それでも、当時の私はこれらの売り文句を素直に受け取り、「今日の分のビタミンはこれ一本でオッケー!」と、胸をなでおろしていた。
いわゆるファッション健康食品、栄養オタクとでもいおうか。
野菜、肉、魚、炭水化物もろもろ……これらを指定健康食品のみで乗り切っていくような生活だ。
今では、主食・副食・副菜をバランスよく採ることの重要さが、この手の健康食品にたびたび明記されている。実物を食べることでしか得られない栄養もある、というのを遠回しに語ってくれているわけだねえ。
そのファッション栄養オタクの私が、新たに目をつけた商品がある。
「明日のぶんまで、フルチャージ!」が売り物の、高カロリー食品だったな。固形タイプもドリンクタイプもあるやつで、私の当時の住まいの近くだと、たいていどの店でも扱っていたよ。
はじめて目にしたときは、お試し気分だ。育ち盛りだったから、一日のうちに何度もお腹と背中がくっつきそうな思いをすることは多い。それがどれほど「明日のぶんまで満たせる」か、お手並み拝見といったところだったね。
味に関しては、さほどおいしくはない。さりとてマズいわけでもない。
そうだな……おふくろの味、半歩手前の各種スープみたいなもの?
味噌汁、コーン、コンソメ、ミネストローネ……スープと聞いて連想するものは、各々あると思うが、その最初に思い浮かべるほどなじみがあるやつ。それをいくぶん、薄めたような不思議な味だった。
ガツガツと夢中になって食べるレベルじゃない。けれど、まったく食さずにいるのも、ちょっと物足りない。そう完全に見捨てられるほどじゃない、絶妙なラインを保った食べ物だったんだ。
売り文句も、確かに大言壮語でもない。
実験的にかの食品を食べてから、次の日の同じ時間までの24時間、私はまったく空腹を覚えることなく、水分補給だけで賄うことができたのだから。
人によっては「それくらい、できてもなんらおかしくないわい」といったところだろうけど、当時の私にとっちゃ革命ものだ。
文字通り、三度の飯より……な趣味も持っていたし、いわゆるコンビニっ子であったことも大きい。自分で食事をどうにかする機会が多くて、そこに例の食品のパワーが重なったということだよ。
件の食品が販売されなくなる半年あまりの間、私はおそらく100日分以上は活動できていたと思う。
空腹どころか眠気も覚えることなく、親が寝ている間も起きていることが多々あった。何徹したか数えていなかったなあ。あのときなら、断眠のギネス記録更新できたんじゃないかなあ、とも思う。
ん? いまは断眠は記録公認されないんだっけ? まあともかく、それくらいの勢いで起き続けていられた。若い私にとって、それは寝る時間という人生のもったいない時間を活用できる貴重な機会だったんだが。
食品が販売中止になる前後で、私は身体の骨を複数個所折ってしまうけがを負った。
友達と階段飛ばしをしていて、数段を一気に飛び降りた拍子にだ。病院で診察をしてもらったとき、体中の骨が実年齢にしてはボロボロになっていたことを教えられたよ。
臓器各種にも機能低下のきざしあり、といわれてね。いささか生活に気を配るようにはしていたんだ。
他の似たようなケースの中でも、不思議と表沙汰にならなかったこの一件だが、あのうたい文句。
「明日のぶんまで、フルチャージ!」も表記をたがえていたかもしれない。
確かに明日の分もぶんどれるのだろうが、明日もいずれは今日になり、昨日へなっていく。その進んでいく明日の分も適応して、引き寄せていったのかもしれない。
明日はいずれ、我々の最期につながるものだから。