スイーツよりも甘い君と理想の恋愛始めます
春の暖かさを感じる教室では、休み時間ということもありクラスメイトが入り乱れている。
そんな中、ただ座っているだけなのにも関わらず圧倒的な存在感を放っている少女がいた。
「やっぱり可愛いな甘宮さん」
「だよなー」
ヒソヒソと話し合っている男子二人に、俺――芦屋秋斗は心の中で大きく同意する。
甘宮千菓。
愛らしい顔立ちに、腰まで届く黒髪。そこらの有象無象の女子たちと同じ制服を着ているはずなのに、まるで違って見える。
華奢で細い体躯は小動物を彷彿とさせ保護欲をくすぐり、控えめな胸元すらも少女の清楚な美しさをいっそう際立たせていた。
駅前にある和菓子店『あまみや』の一人娘であり、特技はお菓子作り、好きな食べ物はつぶあん。
甘い容姿に甘い生い立ちと、まさに甘さに愛された美少女であった。
そんな彼女に心を溶かされた男子は多く、もう何度も告白を受けていると噂には聞いたが、彼女のハートを射止めた王子様はまだいないらしい。
「甘宮さん。もしよかったら放課後カフェでも行かないかい? 雰囲気の良い店を見つけたんだ」
いつのまにか上級生が教室に侵入しており、机で優雅に佇んでいた彼女の前に立つとそんなことを言い出した。
そんな彼を、甘宮さんは宝石のように美しい瞳に映す――ことはなく、一瞥もせずに口を開いた。
「お断りします」
耳をくすぐるような甘い声音は、一切の迷いも躊躇もない。
もはや常套句となったその拒否反応にクラスメイトは「やっぱりか」といった反応だ。
しかし上級生はそれとは違い、予想外の対応に困惑しているようだった。
それでも自分に自信があるのか、その爽やかなキザったらしい顔を作り直すと歯を見せながら笑う。
「そ、そうだね。いきなりカフェは早急過ぎたよ。放課後に少しお話しするくらいならどうかな。自販機で好きなものを――」
「お断りします」
その断罪にも似た言葉は、むしろ彼女なりの優しさなのではないかとも思う。
意味のない会話を続けるのはお互いにとって時間の無駄でしょうという、そんな気持ちすらも伝わってくる。
上級生もそれを感じ取ったのか、トボトボと教室を後にした。
「やっぱり一刀両断だったな」
「さすが氷菓姫!」
その甘さをふんだんに盛り込んだ容姿とは裏腹に、性格だけは冷め切っている。
とろけるほどに甘いお菓子のような可愛らしさと、クールが泣いて逃げる程のドライアイスのような冷たさ。
そんな彼女はいつからか『氷菓姫』と呼ばれるようになった。
甘宮さんは机からノートを取り出すと、一枚一枚丁寧にページをめくる。
まるで先ほどのことなど覚えていないといった様子だが、それすらも気品に溢れて見えてしまうのは男の弱みというやつなのだろうか。
「氷菓姫の心を溶かすのはどんな王子様なのかね」
「俺たちじゃ想像も出来ないような立派な人だろきっと。泣きたいよ」
「あーあ、好きなタイプくらい知れたらなー」
俺はそんな他愛もない話を聞き流しながら、読みかけの本に目を移す。
目線だけは文を追うがその内容は全く頭に入ってはこなかった。
……そんなの、俺が一番知りたい。
とはいえ、俺の気持ちはライク以上ラブ未満と言ったところだ。
例えるならテレビのアイドルを見ているような、遠い人という想いが強い。
ちょっと気持ちの悪い言い方かも知れないが、見ているくらいが頂戴良いのだ。
彼女の世界に入りたいなんて思わないし、彼女からしても俺は背景の一部でしかない。
真剣な眼差しでピンク色のノートに何かを書き殴っている甘宮さんを見ると、不思議と心が洗われる。
たまにこの行動を起こす彼女だが、何を書いているのかを知る人はいない。
授業中に使っているノートにピンク色は無いし、そもそもそのノートを使っている頻度もまばらなのだ。
休み時間になるたびに使う日もあれば、一日中手に取らない日もある。
しかもそのノートを盗み見しようもしても何故か見ることは出来ない。まぁ単に甘宮さんが隠すだけなのだが、その危機察知能力はずば抜けていた。
それが『氷菓姫七不思議』の一つ、隠されたノートだ。
ちなみに残り六個は特に無い。
☆☆☆☆☆☆
船を漕ぎながら午後の授業を乗り切ると、最後の授業を終えるチャイムが響いた。
HRも終わると、どんどんと教室から人が消えていく。
部活に入っていない俺は、いつも通りに下駄箱へ行き家路に着こうとした時。
「机の中にスマホ忘れた……」
俺の所属する教室は二階の最奥に位置するため、移動するだけでも結構疲れる。
忘れた物が教科書や筆記用具なら取りに戻る必要は無いのだが、これがスマホとなると話は変わる。
俺も令和に生きる高校生。一夜でもスマホが無いのは普通にキツい。
「はぁ……、戻るか」
重い足取りで無駄に段差がある階段を登る。
踊り場にある小窓からは夕陽が差し込み、校内からは人の気配を感じない。
耳を澄ませば校庭から運動部の声はするが、少なくとも教室の周囲には誰も居ないだろう。
昼間では考えられない程に静かな廊下を歩く。聞こえるのは自分の足音だけだ。
まるで世界に俺しか居ないのではないのかと錯覚するこの状況に、無駄な優越感を覚える。
なんなら俺がこの世界の神だとか叫んでみたい。絶対言わないけど。
「失礼しまー……す」
誰もいないことは分かった上で、小さく呟きながら教室のドアを開く。
俺の席は窓側の一番端。
いわゆる主人公席というやつだ。
「えーと、スマホスマホ。て、なんだこれ?」
机の中に手を突っ込みスマホを捜索していると、見覚えの無いノートが椅子の上に置いてあった。
「ノート? ……ん、これまさか」
それはピンク色のノート。
タイトルは無く、しかし使われた形跡のある、どこかで見た覚えのあるノートだった。
「七不思議の一つ、隠されたノートだよな……」
なんで俺の椅子に?
これがラブレターなら速攻で中身を舐めるように拝読するが、このノートはそういった物ではないことは明らかだった。
ここに置いていく訳にもいかないので手に持ってみると、不思議と甘い匂いがした。いや俺の勘違いかもしれないが、そう感じてしまったのだから仕方がない。
さすが甘宮さんの私物。
「どうするかなぁこれ」
中身が気になるかと問われれば、当然気にはなる。
しかし俺にはそんなことをする勇気も度胸も無いのだ。
彼女の席の中に入れておけば、とりあえず安全だろうか。
適当に置いていくと、明日クラスメイトが勝手にページをめくる可能性もあるので、ここは慎重に考えたいところだ。
一応、彼女の住所にあたる和菓子屋『あまみや』の場所は知っているが、そこまで行くのは気が引ける。
しばらく熟考した後、最初の案で行くことにした。
さすがに朝一で女子生徒の机を漁るような変態はいないだろう。
その刹那――後ろから耳を刺すような高い悲鳴が聞こえた。
「うわぁぁ! え、なに!?」
驚きのあまり振り返ると、そこには甘宮さんがワナワナしながら細い人差し指をこちらに向けて。
「え、あ……。なんで……」
そこで俺は気づいた。彼女はきっとこのノートを探しに来たに違いない。
「えっと違うからね!? 俺はこのノートの中身は……」
あれ、そのノートはどこに行った?
俺の両手には何も握られていなかった。
どうやら悲鳴に驚き、情けないことに俺はノートを落としてしまったらしい。
そう、落としてしまったのだ。
ページが開かれた状態で。
俺は何度も目をこすり、瞬きしても光景が変わらないことを確認する。
「え?」
ノートの中には『もし彼氏ができたら!』という見出し。
その下には『夢のシチュエーション♡』『デートでやりたいこと!(絶対)』等、それぞれの項目に分かれて具体的な案が箇条書きでびっしりと埋まっていた。
色ペンを使い可愛い丸文字でキュートさを演出しており、所々にはアニメティックなイラストまで乗っている。
あまりの衝撃にノートから目を離せずにいると、甘宮さんがダッシュで近寄り、ノートを奪い取る。
そして顔を真っ青にしながら。
「み、見た……?」
「……うん」
ここで嘘を言ってもバレるだけなので正直に白状する。
すると真っ青だった顔は、一瞬で真っ赤に染まった。
「あ……あ……あぁぁぁぁあ……」
「待って。落ち着こう。ね、一旦ここに――」
「あああああああああああああああああああ!!!!!」
悲痛な叫び声を上げながら、その場に倒れこむ甘宮さん。
「もう無理です、死のう、今すぐ死にます。殺して下さい! むしろ一緒に死んで下さい!」
「む、無理ですごめんなさい……」
「あぁ終わりました……」
あまりに普段とギャップが有りすぎて思わず否定してしまった。
いやそもそも肯定は出来ない相談ではあったのでそれはいいのだが、言うべき言葉が間違っていた。
今の状況で一番大事なのは、何よりも彼女を落ち着かせることなのだから。
俺は脳みそを回転させて言葉を探す。
「甘宮さん」
「なんですか? クール気取ってたくせに脳みそお花畑だった私のことを笑うんですか?」
「い、意外と卑屈だな……。ってそうじゃなくて、そのさ」
俺は深呼吸をしてから口を開く。
「普通だから!」
「……え?」
「そういう妄想するのは普通だから! 俺だって毎日妄想してるから! なんなら授業中とかほとんどしてるから!」
「……それは、真面目に受けたほうがいいですよ?」
「いや、うん。そうなんだけどさ」
話が逸れた気もするが、まぁもうなんでもいいや。
甘宮さんは落ち着けたみたいだし。
ひとまずこれで安心して帰宅できる、そう思ったが、なかなかどうして上手くはいかないらしい。
「ということはつまり、あなたも妄想に妄想を重ねた理想のシチュエーションがあるということですよね?」
「え? あ、あぁうんそうそう。あるある、ありまくるよ!」
そんなものは無いが、素で返しそうになった途端に悲しそうな顔をされたので全力で肯定する。
「分かりました。では協力しましょう」
「うん?」
「私とあなたで、お互いの理想を体験しましょうということです」
「はぁ!?」
いきなり突拍子もないことを言い出した彼女に驚愕する。
「私には彼氏が、あなたには彼女が出来た時のための練習ですね」
「練習って……」
いや待て待て待ってくれ。
それはつまり、あのノートに書いてあったシチュエーションを俺と甘宮さんでやるってことか?
全部は見れてないが、凄い量あったし、なにより内容が結構攻めていたような。
俺の焦りは顔に出ていたのか、彼女は不思議そうな表情を浮かべて。
「さっきの言葉、まさか嘘だったなんてこと……」
「そんなまさか! いやー、楽しみだな!」
「よかったです」
甘宮さんはそう言って立ち上がると、気品あふれる手さばきで制服を正した。
そして将来的に黒歴史になるであろうノートを鞄にしまう。
その表情はいつも教室で見ている彼女そのものだった。先ほどまでの乱れっぷりが噓のようである。
「それではまた明日。芦屋君」
「え、名前」
クールな表情は崩さず、それでも決して教室では見せなかったその甘い笑顔は、俺の心臓を揺らすのに十分すぎるほどの衝撃であった。
教室に一人残された俺は思う。
ドライアイスのように冷たく、触れたら火傷すると思っていた彼女。
しかし実際は。
「なるほど。確かにあれは氷菓だわ」
冷たくて甘い。
そんな普通の女の子なのだ。
☆☆☆☆☆☆
「いらっしゃいませー」
店内に入ると甘い匂いが脳をくすぐった。
和菓子店なだけあって内装は和風であり、埃一つ落ちていない。
そこまで広くはないので全体を見渡すことは容易にでき、アルバイトなのだろう若い店員がレジに立っている。
それが和菓子店『あまみや』の、いつもの光景であった。
ショーケースの中に陳列された煌びやかな和菓子を一瞥するが、それを横目に隅の方へ。
壁沿いの棚に申し訳なさそうに置かれたクッキーを手に取る。
透明な袋に梱包され、ピンクのリボンで飾られているそれは、片手で持てる程の大きさだ。
中には五枚のクッキー。
綺麗なきつね色に焼き上がった、特別に派手ということもない、言うなれば家庭的な作りである。
税込百五十円。このシンプルなクッキーが俺の好物なのだ。学生でも手を出しやすい値段だしね。
和菓子店に何故クッキー? と、初めて見た時は思ったが、まぁ美味しいのであまり気にしない。
しかしこのクッキー、あまり人気は無いようで、俺以外に買っている人を見かけたことはない。
店主の気まぐれで作っているのか、売っている日もまばらであり個数も少なく、周りには豪華絢爛な和菓子が沢山あるので必然と言えるのかもしれないが。
「やっぱり甘宮さんいなかったなー」
「だから言ったろ」
そう言った学生は、残念そうに『あまみや』から出ていく。
もう随分と減ったがこの店には学生客が多く訪れていた。
理由は単純で甘宮千菓の名前ブランドの影響力。
ここに来店すれば甘宮さんに会えると思った奴らが引っ切りなしに訪れていたのだ(俺もそうだったけど)。
結果として看板娘を務めているわけではない彼女を、この店で見かけた者は一人もいない。
「このお菓子を知れたから良かったけどさ」
会計を済ませた俺は、帰路に着きながらクッキーをひと齧り。
この素朴な味がたまらない。
「はぁ、どうしよう……」
明日は月曜日。
甘宮さんとの《《理想の体験》》が始まるのかどうなのか分からないが、少なくとも今までのように見ているだけでは済まないだろう。
嘘ついたのバレないようにしないとな……。
☆☆☆☆☆☆
「では行きましょうか芦屋君」
放課後になるやいなや、帰り支度をバッチリ済ませた甘宮さんが目の前に現れた。
「あっと、直ぐに準備するから少し待って」
「分かりました」
表情を変えず冷静に頷いた彼女は、日本人形のように背後で俺を待っている。
今日一日、声はおろか目すらも合わなかった彼女だったが、急に話しかけられるとそれはそれでドギマギしてしまう。
「って、ちょっと待って。流れるようにOKしちゃったけどさ。行くってどこに?」
早くしろと言わんばかりの凝視を感じていた背中を逸らし振り返る。
彼女は小動物のように顔を傾けると。
「デートに決まっています。放課後デートですよ」
何を言っているんだコイツはと言いたげな表情である。
「約束したじゃないですか。お互いに理想の体験をするって。なら放課後デートは必須ですよね」
必須なのだろうか……。
しかし俺の驚きに勘づかれたのか、彼女は口に手を当てて目を見開く。
「まさか……、あの日の言葉は嘘だった……」
「やっぱり恋愛の最初といえば放課後デートだよね! もう百回は妄想してるよ!」
「いえ最初は図書室で勉強会なんですけどね。今日はお試し会なのでメインディッシュから行こうかと」
「そうですか……」
知らないよそんなの……。
「はい。なので彼氏役、しっかりお願いしますね。最後にプレゼントも用意したので」
彼女いない歴=年齢の俺に務まるのか分からないが、甘宮さんに期待されてしまうとNOと言えない。
「うん。頑張るよ」
そう言って、俺たちは放課後デートのために制服のまま街へ繰り出した。
☆☆☆☆☆☆
「芦屋君、こっちも美味しいですよ」
「ありがとう甘宮さん。俺のも食べなよ、はい」
「ありがとうございます。うん、予想通りの味ですね」
「甘宮さんのも期待していた味で美味しいよ」
「そうですか。それは良かったです」
そして互いにモグモグ。
静かに食事をしていた彼女は、綺麗な黒髪を耳にかけながら。
「なんか違いますね」
酷くまじめにそう断定した。
「いや、まぁうん。俺も違うかなって思ってた」
街へ繰り出した俺たちが向かった先は、大型ショッピングモールのフードコート。
そこで『たこ焼き』を購入し、席でシェアすることになったのだが。
「何故でしょうか。食べ物シェアの妄想は何度もしたはずなのに……」
お馴染みのピンクノートを捲りながら、予想と違うことに困惑しているようだった。
「同士の意見としては何かありますか?」
「えーと、そうだなぁ」
捻り出せ芦屋秋斗! お試しとはいえ今は彼氏なんだ!
あんな輝く瞳で見つめてくる甘宮さんの期待に応えろ!
「たこ焼きっていうのが良くないんじゃないかな? 色気がないっていうかさ」
そんなショボい意見に、彼女は真剣な面持ちで顎に指を当てた。
「ふむ。確かにそうかも知れません。シェアのしやすさからたこ焼きを選択しましたが、初デートでたこ焼きは熟年感が出てしまった気がします。さすがですね芦屋君」
「あはは、それほどでもないよ」
まさかのガチ考察された。
そこまで考えた発言じゃないんだけど、ノートにメモしてる甘宮さん可愛いし言わないでおこう。
「つまり、多少シェアがしづらくてもデート感のある軽食がベストと言うわけですね。では――」
キョロキョロと視線を彷徨わせた彼女は、ある一点でピタと止まる。
「では、あれでいきましょう」
指の先にあったのはクレープ店。
確かにクレープなら、デートの定番であり花もある。放課後の寄り道に食べると言う青春感も相まって、今回のデートテーマにぴったりだろう。
「芦屋君はどれにしますか?」
「定番のチョコバナナかなー」
「私はこの餡子のやつにします」
ショーケースの前であれやこれや言いながら注文をし、クレープを受け取った俺たちは席へ戻る。
「甘宮さんはクレープ食べたことあるの?」
「揶揄ってるんですか? 和菓子屋の娘でも洋菓子くらい食べますよ。ケーキとか好きですし。クレープも好きです」
「でも餡子は欠かせないんだ?」
「欠かせないというほどでもないですけどね。あったら食べたくなります」
そんな会話をしている最中もクレープをチラチラ見ている甘宮さん可愛い。
早く食べたい子供みたいに見えてしまうが、そんな事を本人に言ったら吹雪が起きるだろう。
「じゃあ食べようか」
「はい、そうですね。食べましょう」
待ってましたとばかりに小さな口でクレープをパクリ。普段は微動だにしない口角も、若干上がっているように見える。
そんかほんわかする光景を見ながら俺も一口パクリ。
うん、美味しい。
「では目的を完遂しましょう。はいどうぞ芦屋君」
そう言ってクレープを俺の口元へ掲げてきた。
真ん中には小さな食べ跡が残っており、不思議と輝いて見える。
これは、本当に食べても良いの……?
今は彼氏とはいえお試しだ。間接キスだとしても、甘宮さんに悪いんじゃ……。
「早くして下さい」
「あ、はい」
一応、直接の場所は避けながら食べさせてもらう。うん、緊張で味が全然分からない。
「顔が赤いですよ?」
「なんでもないからね!? はい! 俺のもどうぞ!?」
「はい、頂きます」
差し出すと躊躇なく食い付かれる。
待って、そこ俺が一口食べた場所……。
「予想通りの味で美味しいですね」
「そ、それは良かったです……」
たこ焼きシェアの時と同じ感想なのに、状況が違えば受ける感情も全く違う。
隣でパクパクとクレープを食べ進める彼女は微塵も感じていないと思うけど、かなりの役得だよなぁ。
「どうしたんですか?」
「いや、ほっぺに餡子付いてるなって」
「なっ!?」
「あはは。逆だよ」
付属された紙で餡子を拭き取ると、何故かムスッとした表情で睨まれる。
「そっちのもっと下さい」
「えぇ? いいけど……」
自分のを食べ切った甘宮さんは、照れ隠しか俺のクレープもひったくる。
おぉ、みるみるうちに無くなっていくぞ。俺一口しか食べてないのに。いや良いんだけどさ。
「最初からたこ焼きではなくクレープにしておけば良かったですね」
「たこ焼きも美味しかったよ。シェアのしやすさを考えてのことだったんでしょ?」
「あとは、芦屋さん的にその方がいいかなと」
「え? 俺?」
「はい。だっていつもお店で……。いえ、なんでもないです」
クレープの紙ゴミを綺麗に畳みながら話を中断された。
その顔は何故か恥ずかしそうで、そんな彼女を見て、つい言葉が漏れる。
「教室と全然違うね」
「な、なんですか。馬鹿にしてるんですか?」
「違うよ! 笑顔とか怒った顔とか見たことなかったからさ」
そう言うと、顔を背けられてしまった。
「苦手なんです。人前で感情を出すのが。だからいつも冷たい態度になってしまって……」
自覚はあったのか……。
でもあれだな。冷たい態度も気にしていると分かると、それはそれで可愛く見えてしまうな。
偶然とはいえ、彼氏役になったからこそ見つけられた甘宮さんの新たな一面。
こんな彼女を皆んなにも知ってもらいたいと思う反面、教えたくないと思ってしまっている自分もいる。
「甘宮さんからしたら不服かもしれないけど、俺は君の彼氏役になれて良かったよ」
そっぽを向いてしまっているので、背中越しに伝えた。
一瞬その細い身体が跳ねたように感じたが、何故か彼女は鞄を漁りだす。
「今日はありがとうございました。これ、プレゼントです」
振り向いた彼女は表情ひとつ変えずに、両手に持っているプレゼントを差し出してくれた。
「これは、クッキー?」
「はい。作ってきました」
「え! 本当に!? 滅茶苦茶嬉しいよ甘宮さん! ありがとう!」
ラッピングされた可愛いビニール袋の中には、きつね色に焼き上がったシンプルなクッキー。
「食べてもいい?」
「い、今ですか……? ……好きにして下さい」
「ありがとう。じゃあいただきます」
複数枚入った内の一枚を口に運ぶ。
サクサクしてほのかに甘い。当たり前だが凄く美味しい。
うん、美味しいんだけど……。
この食べ慣れた味は――
「え、これ――」
「さっきの話の続きですが」
立ち上がった彼女は、まるでアイスが溶けるように頬を染めながら。
こちらを溶かそうとしてくるその笑顔は、思わず呼吸を忘れてしまうほどに美しく映る。
「彼氏役、誰でも良かったわけじゃないですからね! それじゃあまた明日!」
小走りでエレベーターに乗ってしまった姿は次第に見えなくなり、俺は一人残される。
食べかけのクッキーを摘んだまま、意識していないのに口元を押さえてしまった。
あぁ分かる。俺今、顔真っ赤だ。
氷菓姫。
アイスの様に冷たい彼女は。
「……さすがに、反則でしょ今のは」
時々、眩暈がするほどに甘くなる。
(完)
お読み頂きありがとうございます。
星での評価やブックマークをして頂けると執筆の励みになりますので、よろしくお願いします。
また『フラれた者同士、友達未満の特別な関係』という長編も書いていますので、ぜひよろしくお願いします!