1-3 丘の上の決戦
エルフの森は燃えていた。
吸血鬼Qが雪女クロセを支配してから3年……
エルフは今や滅亡寸前の少数種族となった。
Qの暗黒力をその身に注がれ、
意志と引き換えに吸血鬼の眷族になった人間達…
飛躍的に強化された腕力と微かな暗黒力を武器に、
今やエルフの魔力を圧倒する軍勢と化していた。
かつて隠れ里に人間が集住していたのと同様に、
今やエルフが各地に点在する森に隠れ住んでいる。
そしてその森を一つ残らず焼き払うよう、
今や人間達の英雄となったQは命じた。
大規模な森焼き戦争が繰り返され、
そしてこの日、最後の作戦が完了した。
冷たい目の眷族の軍勢が森で上げた大火。
それを一望できる高い丘の上…
哄笑するQ、側近のように付き従うスピアの隣の、
今や人間にもエルフにも忘れられつつあった存在…
【クロセ】
「ウ…ア…アアアアッ!」
【Q】
「いつまでも小うるさい女だ。
祝いの日くらい静かにしたらどうだ」
【クロセ】
「ウ……お、お前が……!」
クロセは地に膝をついてうずくまり、
息を切らせながら自らの肩を抱き続けている。
あれからクロセは毎日のようにQの吸血を受け、
人間を眷族化させる暗黒力を注がれ続けた。
その結果、エクセッションの術式による防護すら、
Qの暗黒力に侵されて弱まりつつあったのだ。
背中のドス黒い蝙蝠のマークが発する暗黒力が、
体内で混沌力と常に戦い続けている状態。
【Q】
「とことん利用させてもらうと言ったはずだ。
貴様の身体は今、吸血鬼に作り変わっている」
【Q】
「忌々しいニンジャの混沌力を暗黒力が呑み込む時
貴様は人間でもニンジャでもない新たな存在となる」
【Q】
「そうなれば我の番となるに相応しい。
地上を統べる吸血鬼の新時代が始まるのだ」
【クロセ】
「こ……の……」
【Q】
「それにしても不思議な話だ。
なぜ貴様はそんなにも自らの意志の放棄を拒む?」
【Q】
「記憶を読み取ったからよく知っている。
貴様の人生には苦しかったことしかない」
【クロセ】
「黙…れ…」
【Q】
「人間は安心できる場所を求めて生きる。
だが貴様の人生には安心など存在しようがない」
【Q】
「故に現状から逃げるべく我を求めた。
自分の代わりに全てを終わらせられる我をな」
【Q】
「貴様は本当は何もかもから逃げたいのだ。
そして我が力ならそれを可能にできる」
【Q】
「貴様の弱さが我という絶対的存在を呼んだ。
貴様は本心では我を必要としていたのだ」
【Q】
「痩せ我慢はもう終わりにするがいい。
貴様は我の支配下でしか楽になれない」
【クロセ】
「…………」
【Q】
「ようやく減らず口もなくなったか。
ここまで抗った根性は褒めてやろう」
【Q】
「貴様の何もかもがもう限界のはずだ。
まもなく心も体も吸血鬼に生まれ変わる」
【クロセ】
「ウ…ウ、ア……」
【Q】
「さらばだ人間。貴様の苦しみは終わりだ。
我が支配の下で楽になるがいい」
【クロセ】
「…………
アアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
ずっと張り詰め続けていた線が……切れた。
蝙蝠のマークから噴き出た暗黒力が全身を包んだ。
自分が自分でなくなっていく瞬間を…
彼女はゆっくりと感じていた。
【Q】
「しょせんは人間。弱い生き物よ」
折れてしまったクロセを、Qが冷たく見下ろす…
そんな時。
【Q】
「…?」
Qが不意に眉を歪め、
怪訝そうに辺りを見渡す。
【Q】
「なんだこの気配は……魔力か?」
その直後だった……
どこからか、電気を纏う矢のような光が飛来した。
【クロセ】
「……え……」
曖昧に混濁する意識の中で…
クロセの瞳は捉えた。
光の如き速さで丘の上に飛んできたその姿……
狩人風の服を着た、金髪翠眼のエルフの少女を。
【Q】
「なんだ貴様は……
死に損ないエルフごときが今更なぜここに…?」
【ゲツ】
「…………」
あの時、闘技場で殺さなかった生き残りのエルフ…
翠の瞳が、憔悴したクロセのオッドアイと重なる。
混濁するクロセ・ライトハートの意識は、
エルフの少女の遠い瞳の中に吸い込まれていった。
・
・
・
【クロセ】
「…はっ!」
【クロセ】
「ここは……隠れ里?
姫様と遊んだ…あの渓谷……」
【ゲツ】
「気持ちいい川だね」
【クロセ】
「……!」
【クロセ】
「お前は…一体……」
【ゲツ】
「あの吸血鬼の言ってたことは、
間違ってないかもしれない」
【ゲツ】
「確かにもう、あなたの人生に、
心からの安心や自信は訪れないかもしれない」
【クロセ】
「…………」
【クロセ】
「私は……どうすれば……」
【ゲツ】
「でもね。どれだけ手を汚してしまっても、
心も体も支配され奪われたとしても……」
【ゲツ】
「どれだけの大切なものを失っても……
誰からも本当には理解してもらえなくても……」
【ゲツ】
「今、人間の守護者になれるのはたった一人。
ずっと孤独に戦ってきたあなただけなんだよ」
【クロセ】
「……!」
【ゲツ】
「逃げたい瞬間があるのはおかしなことじゃない。
本当は苦しいことから逃げて全部忘れたっていい」
【ゲツ】
「でもあなたが逃げたくなかったなら……
己に誓ったことを忘れたくなかったなら……」
【ゲツ】
「あなたが忘れたくないと心から願っているもの、
それはあなたにとって大切なものだと思う」
【ゲツ】
「そのことを忘れないで。
大切なお姫様や弟子のことを覚えていてあげて」
【クロセ】
「………………」
【クロセ】
「…………」
【クロセ】
「……」
【クロセ】
「…」
・
・
・
【Q】
「フン。
所詮は死に損ないの腐れエルフよ」
クロセが目を覚ました時、
エルフの少女は既に血まみれで倒れていた。
そしてクロセは落ち着いた目で周囲を見渡し、
自らの装いをまじまじと見回した。
エクセッションで得たかつての雪女装束に、
伝承の夢魔・サキュバスが混ざったような装束。
靄の消えた頭の中に答えが降りてくるように、
はっきりと理解することができた。
人間でも、ニンジャでも、吸血鬼でもない。
そんな存在に自分がなってしまったと……
【Q】
「そっちも済んだか。
面倒な女だったが、ようやく終わったな」
【クロセ】
「…………」
意識を失った状態で倒れ伏す少女を見やる。
Qの鉤爪で十字を描くように切り裂かれ虫の息…
【Q】
「貴様の吸血鬼ネームは『K』だ。
K。その死に損ないエルフを喰らうがいい」
【クロセ】
「…………」
【クロセ】
「“クリスタルシュリケン”!」
【Q】
「何!?」
即座にQが飛び退いたことで直撃は免れた。
だが、氷の弾丸の幾つかがQの身を切り裂いた。
【Q】
「どういうことだ貴様。クロセなのか?
なぜだ。なぜ人格が書き換わっていない」
【クロセ】
「“クリスタルソード”!!」
膨大な混沌力を纏った水晶の剣を生成し、
クロセが鬼神の如き身の捌きでQに襲い掛かる。
クロセは確かに暗黒力に侵され、
吸血鬼と同じ身体と化した……
だがそれを内から湧き上がる混沌力が制御し、
意志を手放さず吸血鬼の力を己の物としている…!
【Q】
「調子に乗るな人間!」
【クロセ】
「……!」
Qとクロセの間に割って入ってきたスピアを見て、
クロセの動きが一瞬止まり……
【Q】
「“ブラッドレッドレーザー”!」
【クロセ】
「グッ……!」
【スピア】
「ん……あ……」
Qの放った紅の光線がスピアごとクロセを貫き、
二人の口が血の塊を吐き出す。
【Q】
「やはり貴様は所詮人間。
奇跡を起こしてなお、くだらぬ感情の奴隷よ」
倒れたスピアを捨て置き、
勝ち誇ったQがクロセにトドメを刺そうと近付く。
【クロセ】
「はぁ、はぁ……
ああ……その通りだ」
【Q】
「ガッ!?」
Qの背後の地面から何十本もの水晶の槍が瞬速で突き出、
Qの全身を貫き、身動きが取れないほどに固定!
見た目は只の槍でありながらその混沌力は激甚、
氷の力が吸血鬼すら捕らえてその場から放さない!
【クロセ】
「“クリスタルスピア”」
【Q】
「貴…様……」
【クロセ】
「私も上位種族との付き合いは長い……
お前を倒すなら、この時しかないと知っていた」
【クロセ】
「上位存在が人間の弱みにつけ込んで勝ち誇り、
己に酔って慢心を見せたこの瞬間しかないと!」
【クロセ】
「だから今の一撃に、
残る私の力の半分を込めた…」
言いながらクロセがQに歩を寄せ、
地に押し当てた両の掌から混沌力を巡らせる。
蜘蛛の巣のような広がりが巨大な魔法陣を作り、
球状の結界となって丘の上の辺り一帯を包む。
冷気と氷雪が立ち込め、雪を含む風が吹き荒れ、
倒れたスピアとゲツを結界の範囲外へ運ぶ。
【Q】
「貴様ッ! 何をする気だ!」
【クロセ】
「残るもう半分の力の全てを使い、
お前を道連れにする」
【クロセ】
「お前の暗黒力を操る機能が停止すれば、
眷族にされ操られている人達も元に戻る」
【Q】
「恩を仇で返す気か! 下賎な生き物め!
人間をエルフから救ってやったのは我だぞ!」
【クロセ】
「最後の言葉ならもっとマシなものにするといい」
【クロセ】
「…………」
混沌力の全てを解放する直前……
青と紫の瞳は、雪の吹く空の上を見た。
【クロセ】
「さようなら……ごめんね。
ソード。スピア。ネーヴェ様」
【クロセ】
「“クリスタルスレッド・エンド”!」
【Q】
「クロセエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
・
・
・
【スピア】
「はっ!」
【スピア】
「私は……一体何を……
ソードは!? お館様は!?」
【ゲツ】
「あなたの双子の姉は亡くなった。
でも、クロセ・ライトハートは死んでない」
【スピア】
「えっ! そ、それってどういう……!
ま、ま待って、なんでエルフがお館様のことを…」
【ゲツ】
「いつかまた会える時が来る。
じゃあね。未来の人間の女王様」
【スピア】
「じょ、女王!?
い、いいい一体なにを……」
【スピア】
「行っちゃった……」
【スピア】
「…………」
【スピア】
「クロセ様……」
500年後の世界に続く……