1-2 双子との旅路
【ネーヴェ】
「ね、君…クロセちゃん?
里の奥のこの渓谷に、いつも一人でいるわよね」
【クロセ】
「…………」
【ネーヴェ】
「さっきは滝に打たれてたし、
今は川で泳いでて……疲れない?」
【クロセ】
「…………」
【ネーヴェ】
「余計なお世話だったかしら? ごめんね。
これ、差し入れ。おまんじゅう」
【ネーヴェ】
「体動かして疲れた時は甘いものがいいから。
置いとくから良かったら食べて。じゃあね」
【クロセ】
「………………」
【クロセ】
「…………」
【クロセ】
「……」
【クロセ】
「…おいしい」
【ネーヴェ】
「本当? 良かったわ」
【クロセ】
「……!?」
【ネーヴェ】
「あはは、びっくりしてる。
可愛いとこあるじゃない」
【クロセ】
(岩陰に隠れてただけ……
私が気配に気付かなかったなんて……)
【ネーヴェ】
「ずっと一人だと気が滅入っちゃうから。
修行…かもしれないけど、息抜きは必要だと思うわ」
【ネーヴェ】
「ね、私も一緒にそこで泳いでいい?
邪魔なら今度こそ帰るけど、私も水浴びしたくて」
【クロセ】
「…………
……好きにすれば」
【ネーヴェ】
「やった!
よろしくね、クロセちゃん!」
・
・
・
【ソード】
「…お館様? お館様!」
【クロセ】
「…………」
【クロセ】
「はっ……」
【クロセ】
(昔の幻影……か)
【スピア】
「だ、大丈夫ですか……?」
【ソード】
「もー、ここは未知のダンジョンッスよ?
お館様がしっかりしてくれなきゃ困るッス!」
剣を携えた腰に手を当てぷんぷんしている少女と、
先端に冷気を纏う槍を持ち慌てている様子の少女。
【クロセ】
「ああ…すまない。ソード、スピア」
雪女装束のクロセは軽く謝り、
薄暗い地下のダンジョンに居る現況を認識し直す。
【スピア】
「で、でもぉ……
あんなに強いのにたまにボーッとしてる雪姫様…」
【スピア】
「ギャップ萌えかもぉ…私達への信頼の証かもぉ…
でへ……でへへへへ……」
【クロセ】
「スピア…その呼び方はやめてほしいと」
【スピア】
「はぎゃっ!
ご、ごめんなさいいいい!」
片目隠れの少女の大げさな低頭に軽く嘆息し、
クロセは再びダンジョンの奥へ歩みを進め始めた。
クロセの氷の混沌力が付与された武器を手に、
その背を追うのが水色の髪の双子姉妹……
セミロングにハイレグ鎧で勝ち気そうなソードと、
片目隠れに同じハイレグ鎧で挙動不審なスピア。
二人の身体には無数の焼印が押されているが、
それを隠さず開き直るかのように肌を出している。
飼い主のエルフに生きたまま解体されかけたのを
クロセに助けられ、押しかけ弟子となった二人だ。
【ソード】
「それにしても長いダンジョンッスね。
大した仕掛けはなかったッスけど」
【スピア】
「た、確かにここ、なんですよね……?
エルフを倒す秘宝、人間の切り札があるのは……」
【クロセ】
「ああ。あのキツネ男が置いていった赤い石と、
私の中のニンジャの力がこの場所と共鳴してる」
クロセがエクセッションで雪女の力を得てから3年。
ニンジャの力は身に馴染み、年も取らなくなった。
だが単独の暴力で支配を崩すのには限界があった。
たとえ一人で何十のエルフを圧倒する力を得ても。
単独でエルフの拠点を襲撃し成果を得はできても、
クロセを追う精鋭の魔力使いは瞬殺とはいかない。
混沌力を人間の武器や防具に分け与えはできたが、
それだけで魔力に対抗できる軍勢は作れない。
加えて人間たちを飼い主のエルフから解放しても、
必ずしも歓迎されるとは限らなかった。
クロセに人間たちの行き場を作れる保証はなく、
彼らにはもうエルフへの反抗を望む気力さえない。
クロセに憧れる姉妹は珍しいタイプだったのだ。
世界を変えようにも状況は行き詰まっていた。
だから危険を感じつつも手を出すことを決意した。
オボロが匂わせていた、今よりさらに大きな力に…
【ソード】
「もうすぐエルフを皆殺しにできるっスよね。
考えただけでオレ興奮してきちゃったッス!」
不意にソードがとことこ近寄り、
クロセの左腕にしがみつく。
【スピア】
「ちょ、ちょっとソードお! 任務中ううぅ!」
【ソード】
「ああ、でも本当に世界の変革が成ったら
いよいよお館様は人間を統べる英雄ッスか?」
【ソード】
「それはほんのちょっとだけ嫌ッス。
本当はオレらだけのお館様でいてほしいッス」
しがみついたまま二の腕に頬擦りするソード。
【スピア】
「だ、だから任務中だって言ってるでしょおおぉ!
ソードばっかりズルいっ! 私もやるうっ!」
【クロセ】
(まったく……)
状況は笑えないのに緊張感を感じさせない姉妹に、
少しだけクロセの口元が緩んだ。
・
・
・
【ソード】
「これが、例の秘宝ッスかね」
ついに一行が辿り着いたダンジョン最奥部。
仄暗く、灰と微かな血の匂いがする小部屋。
そこにあったのは宝箱ではなく、大きな漆黒の棺。
等間隔に立ち並ぶ悪魔の石像に囲まれていた。
【スピア】
「な、なんか……ほんのり嫌な予感がします……
や、やっぱり帰ってにゃんにゃんしませんか…?」
【ソード】
「今さら何言ってるッスか」
【クロセ】
「…!
待って、二人とも…」
クロセの雪女装束にオボロが付けていった石が、
赤黒い光をひとりでに発し始める。
赤黒い石は光を放ったままひとりでに宙を浮き、
棺桶が呼応するように赤黒のオーラを発し出す。
【ソード】
「正解みたいッスね」
【スピア】
「ほ、本当に大丈夫……?」
【クロセ】
「…………」
進む先にどんな恐怖や絶望が待っていようと、
あの時決めた道を諦めるわけにはいかない。
そうでなければ大切な人をこの手で殺したことさえ
無意味になってしまう。
だから何があっても諦めるわけにはいかない。
エルフへの復讐と人間の救済を……
……そう、思っていた。
漆黒の棺桶が鮮血をぶち撒けるかのように爆発し、
その中から彼女は現れた。
2メートルを超える長身、生気のない蒼白な顔色、
赤黒基調の貴族的な装いに酷薄な眼差し。
両手には獣のような鉤爪、
真っ赤な眼、裂けた唇。
迸る赤黒のオーラが辺り一帯の空気を一変させ、
存在するだけで呼吸の余裕さえ奪う圧迫感……
人間ともエルフともニンジャとも異なる存在……
第三の上位種族、吸血鬼の生き残りがそこにいた。
【Q】
「…………」
【ソード】
「棺桶から……エルフが?」
【スピア】
「な、なんかヤバいですよやっぱり……」
【クロセ】
「あなたは何者ですか?」
双子が後ずさる中、クロセは自ら前に出て問う。
【クロセ】
「私はオボロというニンジャから、
あなたを目覚めさせる方法を…」
【Q】
「舐めるな」
【クロセ】
「…………ッ!」
吸血鬼の鉤爪のひと振りで発生した衝撃波が、
不意打ちを受けたクロセを後退させた。
【ソード】
「おまえ! お館様に何をする!」
怒りに燃えるソードが冷気を纏った剣を抜き、
吸血鬼への攻撃を試み……
【クロセ】
「…………え?」
【スピア】
「ソード!!?」
何が起きたのかを把握する間もなく、
ソードの首は胴と離れて地面に落ちていた。
【クロセ】
「ソー……ド……」
【スピア】
「許さない……絶対に……!!」
クロセが制止する間もなく、スピアが飛びかかり…
次の瞬間、槍を粉々にされて頭を踏まれていた。
【クロセ】
「スピア!!」
【スピア】
「うぅ…ああァッ!」
【Q】
「低能なヒト如きが我と対話などおこがましい。
情報は貴様らの身体に直接聞く」
そう吐き捨てると吸血鬼は身を屈め、
スピアの首元に鋭利な牙を立てた。
【スピア】
「うああああぁアアッ!」
【クロセ】
「やめろ!」
クロセが混沌力で氷柱の弾を大量に打ち出すも、
周囲から湧いて出た大量の蝙蝠が盾になり届かず。
数瞬後、蝙蝠の盾が消えた時には、
横に倒れたスピアと無傷の吸血鬼がそこにいた。
【Q】
「久方ぶりの生き血と情報だった。
人間とエルフが戦っているのが今の世界か」
【クロセ】
「“クリスタルスレッド”!」
クロセは地面に掌を押し当てて混沌力を巡らせ、
エルフを全滅させた全体攻撃で反撃しようとし…
【Q】
「遅い」
【クロセ】
「ッ!」
一瞬で距離を詰めた吸血鬼の鉤爪の一閃で、
大量の鮮血と共に胸元の装束を抉り取られた。
【クロセ】
「ッ……そ、そんな……」
【Q】
「貴様も奴と同じ我が傀儡に変えてやる」
【クロセ】
「傀儡……?
……!!」
クロセは見た……
血を吸われたスピアは死んではいなかった。
ただ、生気の失われた虚ろな目となり、
吸血鬼の意志に従って動く人形と化していた。
身体の至る所に刻まれた焼印とは別の場所に、
黒い蝙蝠のマークが刻まれていた。
眷族化したスピアはツカツカとクロセに歩み寄り、
以前ではありえない腕力でクロセを後ろ手に拘束。
【スピア】
「…………」
【クロセ】
「やめて……スピア……」
【Q】
「仲間には手を上げられぬと?
つくづく下らぬ生き物だな」
吸血鬼は言い捨てて雪女に覆い被さり、
装束を切り裂いて首元にガブリと噛みついた。
【クロセ】
「あ…あああぁアアッ…」
【Q】
「………………
…………!」
【Q】
「フン……」
事切れたように虚ろな目のクロセを捨て放ち、
吸血鬼はゆっくりと立ち上がった。
クロセの意志は奪われてはいなかった…
ただ、蝙蝠のマークは背中に刻まれていた。
血を吸われ、記憶を見られ、暗黒力を注がれた。
全身の臓器を鷲掴みにされる感覚だった。
【Q】
「貴様の力の源はニンジャとの契約…
術式がロックした青い混沌力が貴様を守っている」
【Q】
「我と同じ不老不死に近い身体と意志。
そう簡単に上書きはできぬということか」
【Q】
「フン……忌々しいが、良いだろう。
貴様がエルフを滅ぼすのに我が手を貸してやる」
【クロセ】
「…………」
【Q】
「我が暗黒力を脆弱な人間どもに注ぎ込んでやる。
我が眷族になればエルフとも戦える軍勢となる」
【クロセ】
「…………」
【Q】
「もっとも、人間のための戦いではない。
我が種族が新たな地上の支配者となるためだがな」
【クロセ】
「…………」
【Q】
「貴様のその特殊な身体も利用させてもらおう。
貴様には眷族でなく本物の吸血鬼になってもらう」
薄れゆく意識の中でクロセは茫然と考えていた。
無表情のスピアに見下ろされながら。
どこで間違えたのか、どうしたら謝れるか。
ソードに、スピアに、ネーヴェに……