9 勇者トラの評価と、晩餐会に招待されたことについての侍女メイの忠告
~ブリージア聖王国の人々~
ブリージア聖王国の国王バランは、執務室で地図を広げていた。
「ここにいらっしゃいましたか、陛下」
バランが顔あげると、宰相カバルが、いつものように厳しい表情で部屋に入ってきた。
「ああ。自室では、ガーネットやカーチェに見つかるのでな。ひとりで考え事をしたいときには、ここに限る」
言いながら、未整理の書類が山に積まれた、机に視線を向ける。
書類といっても紙ではない。獣の革や植物の葉、木の皮に書かれた情報の集合体である。
正式な文書は鞣した動物の革が使用されるが、そのような文書は多くない。
「ひとりで考え事をするのであれば、私はお邪魔でしょうか」
「いや……ちょうどいところに来てくれた。卿の意見を聞きたい」
「やはり、勇者の件ですか?」
「ああ。カバルはどう見る?」
「そうですね……異世界から来たばかりということを差し引いても、あまりにも人間の常識というものが通じないというのが気になります。ですが……異世界から来て、はじめから私たちの言葉を理解している点をとっても、女神の加護を受けているのは間違いないでしょう」
「魔王によって召喚された魔族たちも、同様に言葉を解するという噂だ」
「そこまで疑っては際限がなくなります。私たちにとって重要なのは……三ヶ月後の魔族たちによる大規模侵攻に、我が国の代表として参加させられる強さがあるかどうかではないですか?」
「……その通りだな。魔族が支配する地域と人間が支配する地域の国境沿いにある、ジギリス帝国から求められた条件……兵五万もしくは金貨一万枚、あるいは兵糧一〇トン……不可能な場合は、それに匹敵する勇者……いくら勇者といっても、兵士五万に匹敵する価値があるのかどうか……」
バランはあごひげを掻いた。考え事をする時の癖である。答えはわかっていた。ただ、考えを整理したいのだ。
「かの帝国は、魔族との戦役に慣れています。今回の要求も、ただの嫌がらせだとは思いますが、あるいは勇者を利用する方法を考案したのかもしれません」
「そこで本題だが……あの勇者、三ヶ月後の大戦に五万の兵士の代わりとして、参加させられると思うか?」
「この場合に重要なのは、女神の加護を受けた勇者であるかどうかではなく、ジギリス帝国が五万の兵士の代わりとして認めるかどうかですな」
「うむ……そうなるな」
「勇者であることは間違いのないことなので、認めさせればいい。というほど、簡単な相手ではないことは承知しております。さて……デボネーは我が国随一の使い手です。形は引分けとしましたが、内容は勇者が優っていたといえましょう」
「召喚されたばかりの勇者がそれほど強いとは、余は聞いたこともないが」
「私もです。つまり勇者トラは、過去に召喚された勇者の中でも、破格の強さを持っているということでしょう。ただし、ジギリス帝国がどう見るのかはわからないのが問題ですな」
「勇者の価値を示す方法が必要だな……」
「私としては……三ヶ月後の大戦で、勇者がジギリス帝国の先陣を勤め、生きて帰ることができれば、合格とは思います」
「出てくる魔族の数と質によることになるな」
「鍛えるしかないでしょう」
「ああ……やはり、そうなるか。カーチェス姫あたりは、召喚された勇者が正式に勇者と認定されたことで、舞い上がっておった。あれは、勇者を着せ替え人形だとでも思っている節がある」
「ガーネット王妃は、勇者を歓迎する舞踏会を計画しておられましたな」
バラン国王は再び地図に目を落とす。
ブリージア聖王国とジギリス帝国の間に、小さくない国が二つほどある。
「転移魔法陣は使用できるな?」
「送り出すだけで、戻ってこられないあれなら……二ヶ月後には復旧します」
「十分だ。ならば……舞踏会は三ヶ月後、勇者を送り出す時まで待たせるか。勇者の歓迎というのなら、とりあえず晩餐会ぐらいは開いてもよかろう」
「よろしいのですか? 正式に勇者として認定されたのなら、立場は王に次ぐ……公爵家と同等ということになりますが」
「勇者側から、より強い立場をという求めがあれば応じるが、それ以外は不自由なく暮らせるようにしておけばよかろう。ただ、戦闘の訓練だけは、させておかねばならんな」
「それと、一般教養が……最低限でも必要ですな」
「ああ。ジギリス帝国皇帝の前で、勇者が肛門を晒すようなことになっては一大事だからな」
バランは笑いながら言ったが、召喚された直後の勇者トラの様子からは、冗談ではすまなそうだった。
~勇者トラ~
勇者トラは、王宮を迷わず歩き、自分の部屋に戻ってきた。
王宮は戦時に備えて複雑な構造をしており、慣れた人間でも迷うことがあるが、勇者トラにとっては馴染みの庭も同然だった。
自分の匂いを辿ったのだ。
ネコは鼻も効く。嗅覚については、犬族にも劣る訳ではない。ただし、嗅覚に依存するに等しい犬族と違い、目もいいし耳も素晴らしく効くため、犬族よりも匂いに敏感ではないと誤解されがちだ。
匂いしか情報がない場合、ネコの嗅覚は犬と変わらない。何より、自分の匂いは間違えない。そうでなければ、縄張りは作れない。
勇者トラは自室に戻り、部屋を見回して落胆しながらベッドの上に転がった。
安心できる場所の一つとして自室に戻ったが、日が傾いており、ひだまりがどこにもなかったのだ。
「勇者トラ、よく王宮の中を間違わずに歩けるニャ。私でも、迷子になるニャ」
ケットシーのルフが感心するが、勇者トラはすでに眠りに落ちかけており、ベッドに沈み込んでいた。
「それと……勇者トラ、ちょっと能力を見せるニャ。いくら女神が恩恵を与えているにしても、あの力は異常ニャ。人間の勇者が呼べないから必要以上に力を与えたとしても、流石に猫パンチで兵士をおもちゃにするなんて……あっ、しまったニャ……」
ルフは声を落とした。勇者トラはすでに眠ってしまった。
ルフが勇者トラの腕をとって状況を確認している過程で、ルフは自分の失敗に気がついた。
「私が従魔になったから……私の力も流れ込んでいるニャ。最高位天使が見境なく力を流し込んでいるみたいになっているニャ。でも、もう従魔になっちゃったから……止めることができないニャ……」
勇者トラは女神の恩恵だけでなく、神に次ぐ力の持ち主である最高位天使の能力を体に取り込んでいるのだ。
ルフが落ち込んでいると、扉が開いた。
「勇者トラ、居る?」
侍女メイが顔を出した。
「寝ているニャ」
「ひゃっ! 魔物!」
「私は、勇者トラの従魔だから安心だニャ。いい加減に慣れるニャ」
侍女メイが、警戒しながら部屋に入ってくる。勇者トラの姿を、ベッドの上に認めたからだろう。
「慣れるって言われてもね……ほらっ、獣人に慣れられるかって言えば……仕方ないじゃない。気持ち悪いんだもの」
「酷い言い方だニャ。でも、私は獣人じゃなくて……獣よりだニャ」
「話をする獣なんて、気持ち悪いじゃない」
「女神の国……偏見がひどいニャ……」
「トラちゃん、寝ちゃったんだ」
侍女メイがベッドに腰掛けた。ルフを避けるようにして、勇者トラの寝顔を覗き込む。
「さっきは……凄かったね。デボネー様に勝てる人なんて、誰もいないんだよ。魔王を倒せる人がいるとすれば、デボネー様じゃないかって噂していたもの」
「人じゃないニャ……」
「えっ?」
「い、いや、なんでもないニャ。独り言だニャ」
勇者トラが、人間以外からの転移体だと、少なくとも人間に知られてはならない。女神はそう言った。
ルフからは、つまらないこだわりに聞こえた。女神自身の保身のためだからだ。しかし、侍女メイの態度を見れば、やはり女神の判断は正しかった。
勇者トラの前世が人間ではないと知られたら、人間たちは態度を変えるだろう。特に、このブリージア聖王国では顕著なはずだ。
「何か用かニャ。それとも、勇者に会いたくなっただけかニャ?」
ルフは、天使に戻ったような気持ちで尋ねた。勇者トラを覗き込む侍女メイの姿は、自分に偏見を持っていても、好ましかった。
「トラちゃんに会いたくなっただけ……あっ、私が勇者のことを『トラちゃん』って呼んでいるのは言わないでね」
「知っても、気にしないニャ」
勇者トラは、そんなことは気にしない。というより、気がつかないだろう。
「うん……トラちゃんは優しそうだから。それと忠告だけど……」
「なんだニャ?」
「トラちゃんが、正式に勇者として認められたってことは、貴族として扱われるってことでしょう。カーチェス殿下は小さな頃から、勇者と結婚するって言っていたわ。最近では、ちょっと大人になって夢みたいにことは言わなくなったけど……その夢が現実になりそうになると……気をつけた方がいいかもよ」
「王宮の侍女なら、メイも貴族じゃないニャ?」
「魔物なのに、変なこと知っているのね。私は伯爵家の末娘で、花嫁修行も兼ねて王宮づとめをしているけど、高望みはしていないわ」
「年齢は?」
「16歳……そろそろ、縁談が来るでしょうね」
侍女メイが肩を竦める。人生にあまり期待をしていない。あるいは、そう思おうとしているのかもしれない。
「今日は、どうするニャ?」
「勇者トラのための晩餐会が予定されているわ。あと1時間ぐらいあるから、準備をしなくちゃ」
侍女メイは立ち上がった。
「勇者に準備をさせるんじゃないのかニャ?」
「その役目は、多分カーチェス殿下と取り巻きでやるわ。だから、忠告にきたの。私は、厨房と給仕ね」
侍女メイはベッドから降りた。
「あなたがトラちゃんに準備をさせてくれてもいいけど、誰も魔物に期待しないわ。一緒に寝ていてもいいわよ」
侍女メイは最後に勇者トラを見つめ、笑顔で出て行った。
ルフは、眠り続ける勇者トラの装備を外し始めた。




