46 勇者トラ、液体になる
〜勇者トラ〜
勇者トラは、切り落とした魔族の首とつかみ出した魔族の心臓を、ケットシーのルフに言われるまま異次元ポケットに入れた。
簡単には死なない。
ルフの言葉に警戒し、完全武装のまま魔族の死体を見つめていた。
勇者トラはじっと魔族の死体を見つめていたが、周囲の様子は把握していた。
前世の影響で、耳はいい。音がした方向に、前世ほどではないにしても耳が動く。
巨大な魔物を中心に、次々と魔物が倒れ、動かなくなっていくのを耳と鼻で感じ取っていた。
「トラ、もう大丈夫だニャ。さすがに、ここから復活はしないニャ」
「はい」
勇者トラがいつもの返事をすると、それが合図であったかのように、勇者トラが纏っていた鎧と握っていた剣が消えた。
異次元ポケットに収納されたのだとは、勇者トラも理解はしていない。
「よくやったニャ。魔族は強敵だニャー。ところでトラ、こいつらはどうするニャ?」
「『こいつら』って? 誰のこと?」
「魔族に飼われていた人間たちだよ」
オーロラが二人の周りを飛び回る。勇者トラは、魔族がいた場所の周囲を見る。
まだ鎖で繋がれたままの人間たちがいた。
まだ若い者が多いが、若いといっても子どもではない。
まるでペットのように繋がれており、粗末な衣服以外には何も持たず、武装もしていない。
「どうもしないよ」
勇者トラは、魔族を殺すために戦場に送り出された。
自分でそう認識しており、人間がいたところで、何も変わらない。
勇者トラは、再び耳と鼻であたりを探る。
皆既月食の闇など苦にしないが、障害物が多いため視界は遮られる。見通せなくては、視力は意味がない。
「あっちにいる」
勇者トラは一方向を定めた。足に力を入れようとした。その時、人間の一人が叫んだ。
「待ってください! せっかく魔族を倒してくださったのに、こんな場所に放置されたら、残った魔物に殺されてしまいます。私たちを助けてくれたのでしょう? 守って下さい!」
「……どうして?」
勇者トラは首を傾げた。勇者トラにとっては、人間はネズミと同列の存在である。餌をくれ、トイレを清潔に保ち、寝床を用意してくれる、いわゆる飼い主は別だが、それ以外の人間は、邪魔なら踏み潰す程度の存在でしかない。
「トラ……何にでも『はい』って言っていた頃より、確実に成長しているニャ」
「母親かよ」
「煩いニャ。ダメな子ほど可愛いニャ」
「やっぱり、母親じゃないか」
ルフとオーロラがやりあっているが、勇者トラにとっては興味のない話題だ。
「私たちを助けてくれたんじゃないんですか?」
「うん。違う」
言いながら、移動しようとルフを抱き上げる。オーロラは勝手に付いてくるだろう。
勇者トラの態度に愕然とした様子の人間たちのことは、一切気にならなかった。
勇者トラが移動しようとした時、聞き慣れた、女性にしては太い声が轟いた。
「トラ殿! やったでござるな!」
勇者トラが振り向くと、生き残った魔物たちを蹴散らしながら、ブリージア聖王国最強の戦士デボネーが近づいてきた。背後には、武器持ちの兵士ほか、複数の護衛を連れている。
「はい」
「このまま、一気に魔物どもを打ち取るでござろう?」
「魔族を殺しに行く」
「……魔族を?」
明言した勇者トラに、デボネーが固まる。
「はい」
「10年前の戦争では、帝国軍の殆どの勇者が殺され、代わりに魔王軍の魔族を一人倒すことが精一杯だったでござる。その魔族がたまたま司令官だったから、なんとか休戦協定に持ち込んだでござる。トラ殿、これ以上、無理をすることはないでござる」
「魔族を殺さなくていいの?」
勇者トラが首を傾げると、小妖精のオーロラが怒りながら飛び回った。
「ダメだ。魔族を一人でも多く殺さなくちゃダメだ。女神様が悪夢でうなされるようなことになると、おいらみたいのが、もう一匹この世界に来るぜ」
「それは嫌だニャー」
「おい、ルフ、お前が言うことじゃないだろう」
高速で飛び回る小妖精を、勇者トラは軽々と捕まえた。
「戦争中は、魔族を殺す。そうすると、たくさん貰える」
「貰える? ジギリス帝国皇帝と約束したでござるか?」
「はい」
「トラ……言いたくないけど、騙されているニャ」
「何が貰えるでござる?」
「砂」
「はっ?」
「おしっこしても安心」
勇者トラが嬉しそうに頷くと、デボネーはぽかんと口を開けた。
「……はぁ。わかったでござる。ただし、無理はしないとお約束してくだされ。命を失ってまで、手に入れなければならないものではないでござろう」
「はい」
「それから、この人間たちのことは、拙者が受け持つでござる。周囲にはほぼ魔物がいなくなっているでござるから、城に連れ帰るでござる」
「はい」
勇者トラはにっこりと笑うと、ルフを抱えて地面を蹴った。
※
勇者トラが地面を駆ける。
より魔物が密集した場所を選び、拳を振るう。
武装は身に着けていない。勇者トラが本気で戦っているわけではないことの顕れだ。
空中に魔法陣を思い描き、描いた魔法陣に魔力を注いで実態を与える。
勇者トラによって生み出された巨大な火球や氷の塊が、次々に魔物を滅ぼして行く。
勇者トラは、現在でも人間の魔術師が使う魔法は使用することができない。
魔法を教えたのは賢者カミュであり、賢者カミュはドラゴン族である。
ドラゴン族の魔法で、最も有名なのがブレスと呼ばれるものだが、ドラゴンは体内で生成したものを空中に吐き出しているわけではない。
自分の前に魔法陣を描き、魔力をぶつけて実体化させているのだ。
長く生きたドラゴンは、どんな場所でも、複数で同時にブレスを放つことができる。
勇者トラは、ドラゴン族の魔法しか教わっていない。空中のワイバーンを焼き滅ぼした時、ワイバーンの群の近くに魔法陣を描き、魔力を注いだのである。
自分よりはるか離れた場所に魔法陣を描くことも、魔力を離れた場所に集中させることも、普通はできない。
古代のドラゴンのように、長く生き、膨大な魔力を持った存在にだけ可能な技だ。
勇者トラは、長く生きたドラゴンの経験を前世の猫としての感覚で補い、女神と最高位天使から与えられた膨大な魔力を使用して、実現させたのだ。
それが本来不可能なことだとは、勇者トラに自覚はない。
「トラ、あっちだニャ」
デュラハン・ロードと呼ばれる甲冑を着た魔物の、金属の鎧に覆われた腹部に穴を開けながら殴り飛ばしたところで、ケットシーのルフが一方を指した。
「魔族がいるの?」
「間違いないニャ。凄い魔力だニャ」
ルフの言葉を聞いていたわけではないだろうが、ルフが言うのと同時にイナズマが飛んできた。
青白い光の本流を、勇者トラは猫パンチでいなす。
「ヒゲがビリビリするニャ」
「いいな」
「トラにも、そのうち生えるニャ」
「うん」
ネコにとって、長いヒゲは感覚器官でもある。人間として転生した勇者トラにとって、最も欲しい体の部位は、間違いなくヒゲなのだ。
ルフを抱え、勇者トラはイナズマが放たれた場所に向かった。
魔法陣を自分の正面に描き、魔力を注ぐ。
先程放たれたイナズマの数倍の規模の光が、勇者トラの進行方向に向かう。
膨大なエネルギーに、魔物だけでなく地面まで抉れ、まるで山に穿った洞窟のように見通すことができた。
「トラ、その先にいるのはオリハルコンゴーレムだニャ。さすがに、とんでもない奴が出ているニャ」
「はい」
勇者トラは一飛びで距離を詰めた。
「トラ、ゴーレムは無視だにゃ」
「はい」
青白く輝く不思議な金属の人形は、勇者トラに襲いかかった。
勇者トラは、水のようにするりと抜け、オリハルコンゴーレムを置き去りにした。
猫とは、液体である。




