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4 勇者トラ、忍び込んだケットシーを従える

 上に鎧を着るための下装備を装着し、勇者トラはご機嫌だった。


「温かい」


 前世だったら、間違いなく嫌がっていたはずだ。トラには、天然ものの立派な毛皮があったのだから。

 だが、現在はつるつるした透明な皮膚があるだけで、とても心細かったし、寒かった。


「はいはい。着させてくれたお礼を言ってもいいのよ」


 侍女メイは、勇者トラにパンツを履かせてからは、テキパキと動いていた。


「ありがとう」


 勇者トラは、真っ直ぐに見据えてお礼を言った。相手の目をまっすぐに見つめるのは、戦う相手でなければ信頼の証である。


「あ……うん。そんな風に素直にお礼を言うのもどうかと思いますよ、勇者様。勇者だと正式に認められれば、立場は王族に継ぐものとなります。目上の者が、簡単に頭を下げてはなりません。まあ、今のは……言った私が軽率でしたけど」


 侍女メイは、むしろ深く頭を下げた。


「あっ……これから御前試合でしたよね。武器と防具は用意していないわ。私じゃ、装備のしかたもわからないし。ちょっと待っていてください。勇者様用に準備してあるものがあるはずです。聞いてきます」

「はい」


 勇者トラは、女神に教えられた唯一の返事をした。

 侍女メイが慌てて部屋から出て行く。

 勇者トラは、周囲を見回す。

 気持ち良さそうな場所があった。


 勇者トラは移動した。

 部屋の扉が開く。

 勇者トラは、耳だけを動かした。眠かったのだ。扉を開けたのは、侍女メイではない。足音で、それだけは把握していた。


「見つけたニャ、勇者トラだニャ?」


 呼ばれたような気がして、勇者トラは頭部だけをむくりと持ち上げた。

 開いた扉の隙間に、服を着た毛玉がいた。

 部屋に入ってくる。


「そ、そんなところに寝ていちゃダメニャ。そこは、床の上だニャ」

「だって……気持ちいいのに……」

「それはわかるニャ。陽だまりは気持ちいいニャ。でも、勇者トラは人間だニャ。陽だまりだからって、丸くなって寝ていちゃいけないニャ」


 ニャーニャー言いながら、服を着た猫はずかずかと部屋に入ってきた。

 実際には、ネコではないだろう。後ろ足の二足歩行をしているし、背丈は人間の腰丈ほどもある。

 長靴を履いているし、手には手袋をはめている。はめた手袋の中に、人間同様の手があるのかどうかはわからないが、手袋が手のように動いて、勇者トラを指差していた。


「そうなの?」


 勇者トラは、女神に言われたことを思い出した。

 部屋に窓があった。窓から日差しが入ってきていた。

 ひだまりができた。

 ネコが丸くなるのに、これ以上の理由は必要なかった。女神の言葉を重い゛多しても、ひだまりで寝てはいけないとは言われていない。


「そうなんだニャ。それより……勇者トラ、助けてくれニャ」

「……助ける? どうして?」

「あっ……もう喋れているニャ。凄いニャ。服も着ているし、すっかり人間だニャ」


 服を着たネコは、勇者トラの目の前に立ち、懇願するように両手の手袋を合わせた。


「君は誰?」

「わからないかニャ? こんな姿じゃ、解らないもの無理ないニャ」

「女神?」

「違うニャ。あんな無責任女と一緒にしてほしくないニャ」

「……一緒にいなかった?」


 女神と一緒にいたような気がしていた。半分以上は憶測だが、二足歩行のネコは飛び上がって喜んだ。


「凄いニャ。よく覚えているニャ。そういえば、あの時私は、名乗らなかったニャ。天使……最高位天使ルフェルだニャ」

「うん……匂いがあの人と一緒だ。でも……」

「匂いでわかるなんて、すごいニャ。さすがはもとネコだニャ」

「こんなだっけ?」


 勇者トラは、最高位天使ルフェルの毛皮を摘んで引っ張った。


「ああ……そうなんだニャ。あの女神、勇者トラが困らないように、私に側にいるように命じたニャ。勇者トラに近づきやすいように、私をケットシーの姿に変えたんだニャ。この国では、ケットシーはただの魔物ニャ。獣人はただの奴隷ニャ。このままだと、勇者トラの手伝いをするどころか、捕まってネコ鍋にされるニャ」


「……逃げないの?」

「あの女神、私に呪いをかけたニャ。勇者トラが魔王を倒すまで、姿を戻せないし、あまり離れられないニャ。その上……私は天使として、地上世界の存在に、手出しをすることができないニャ。勇者トラ、なんでも協力するから、助けてほしニャ」

「……でも『助ける』って言われても……」


 勇者トラは、困って手の甲で顔を擦った。ケットシーと化した最上位天使を助けろと言われて、すぐに対応できる人間のほうが少ないだろう。


「この姿を見られた瞬間から、女神の遣いである私を、人間は殺そうとしたニャ。私からは手出しができないから、逃げながら考えたニャ。勇者トラ、従魔の契約をするニャ。勇者の従魔なら、この国でも堂々としていられるニャ」

「いいよ」

「悩むのはわかるニャ。突然こんな話を聞かされて、驚いていると思うニャ。でも、女神の力を存分に振るうためには……いいのかニャ?」


 ケットシーである自分の言うことを、素直に信じるはずがないと思うぐらいには人間不信になっていた最上位天使は、驚いて身を乗り出した。


「はい」


 勇者トラに迷いはなかった。


「じゃあ……だれかくる前に、早くするニャ」


 言いながら、ケットシーは着ていた服の襟もとを緩めた。毛皮に守られた首筋が現れる。


「どうするの?」

「私の首を噛んで、こう言うニャ。『私を主人と認めよ』ニャ」

「はい」


 勇者トラにネコであった経験がなければ、ためらう行為だろう。だが、トラは後半生を野良ネコとして過ごした。

 餌をくれる人間はいたが、狩りもした。

 動物の首に噛み付くのに、抵抗はなかった。


 平たい人間の歯を、ケットシーの首筋に立てる。

 教えられた言葉を発する。

 ケットシーが服従した。勇者トラは、それを自覚した。

 ケットシーこと最高位天使ルフェルが、勇者トラの従魔となった。


 ※


 再び扉が開いた時、勇者トラはケットシーと抱き合うように、ひだまりで寝ていた。

 従属した後、ケットシーは人間の世界で生きるために必要なことを色々と教えようとした。

 勇者トラは、昼寝の続きがしたかった。


 結局ケットシーも、従属させた勇者の意向には逆らえなかったのである。

 扉が開き、侍女メイとは違う重い足音が響いた。ただし、床は絨毯で覆われているため、足音はささやかなものだ。


「これが勇者か……まるでネコだな」


 勇者トラは眠っていた。耳がピクピクと動いた。ケットシーも眠っていた。耳がパタパタと動いた。


「なんだ……本当にネコだ」

「なんだニャ?」


 勇者トラが薄目を開けると、毛深い尻尾がぶらぶらと揺れていた。

 ケットシーがぶら下げられている。誰かが持ち上げているのだ。

 顔をあげると、ケットシーの首の皮を掴み、吊り上げている巨大な人影がいた。


「ネコじゃないニャー」

「『ニャー』って言っているじゃないか。どう見ても、ネコだろう」

「デボネーさん、勇者はネコっぽけど、ネコじゃないよ」


 やや遅れて、皮鎧を抱えた侍女メイが顔を覗かせ、硬直した。


「キャー! 魔物!」

「んっ? ああ……ネコよりちょっと大きいかもしれないな。服も着ているし、普通のネコじゃないのか。衛兵が騒いでいた侵入者ってのは、さてはお前だな」

「ち、違……違わないニャ。でも、怪しくないニャ。勇者トラの従魔だニャ」

「なに? 本当か?」


 デボネーと呼ばれたのは、鎧を着た大柄な女だった。ケットシーをつまみ上げたまま、顔を近づけた。


「ほ、ほんとうニャ」

「メイ、人を呼ぶのは後でいい。で……肝心の勇者ってのは、どこにいる?」

「そこだニャ」


 ケットシーが床の上を指差す。勇者トラは、両手を床に付き、背中を逸らして伸びをした。


「おいおい。これから御前試合だってのに、鎧の着方もわからない上に、お昼寝かい。よほどの大物か、ちっと足りないのじゃないか?」


 デボネーはケットシーを捨て、自分の頭を指差した。


「キャア! こっちに捨てないでください!」


 床に落ちた毛だらけの魔物に対し、侍女メイが持っていた皮鎧を振り回した。


「勇者の従魔なら、あまり邪険に扱わない方がいいんじゃないか?」

「これが勇者トラの従魔だって……間違いないんですか?」

「いや……拙者に尋ねられても、見ただけではわからない。どうなのだ?」


 デボネーは、目を擦っていた勇者トラに尋ねる。


「はい」


 勇者トラの思惑はとにかく、返事だけなら肯定である。


「だそうだ」

「勇者トラは、なにを聞いてもそう答えるのよ」

「そうなのか?」

「はい」


 勇者トラは、全く同じ返事をした。


「こりゃ……苦労しそうだな」


 デボネーが何について言ったのか、勇者トラには理解できなかった。

もちろん苦労するのは、勇者トラを勇者として祭り上げ、利用しようとしている人間たちだ。

 だが、勇者トラは誰かの思惑があるとすら、考えていなかった。勇者トラは、昼寝がしたかったのである。


「こらっ、寝直すな。もう時間がないぞ。鎧を着せてやるからこっちに来い。侍女メイも手伝え。おい、ケットシー、お前もだ」

「私にも名前があるニャー」


 ケットシーは毛を逆立てて抗議した。


「なんという?」

「天使ルフェル」

「嘘を言うな」

「嘘じゃないニャー」

「聖書に出てくる女神の右腕じゃないか。そんな名を語ると、勇者の従魔でも討伐されるぞ」

「ニャ!」


 最高位天使の名を語ったケットシーは、慌てて自分の口を塞ぐ。デボネーは勇者トラの下着だけの体を両手で持ち、強引に立たせた。それだけの怪力と体格の持ち主である。


「ほら、ちゃんと立て。勇者トラ、嘘の名前をあいつが名乗るのは、お前がちゃんと名前をつけてやらないからだぞ。従属させたんだ。お前が名付けたほうがいい」

「勇者の名付け……微妙だニャ」

「ほんとうに従属している魔物なら、大喜びするところのはずだがな」


 ケットシーがあまり喜ばなかったのは、勇者トラの前世の姿を知っているからである。

 デボネーは勇者トラに革製の鎧をかぶせながら睨みつけた。


「う、嬉しいニャ。幸運だニャ。討伐は嫌だニャー」

「本音が漏れているぞ」

「……うっ。勇者トラ、なんか名前をくれニャ」


 勇者トラは無理やり着させられながら、少し考えた。


「アルト」


 最近聞いたような気がした名前だ。知恵を与えられてから、記憶した名前は多くない。名前を覚えることができるようになってから、ほとんど時間が経っていないのだ。


「それは、女神の名前だからダメニャ」

「んっ? 女神に名前はないだろう? ケットシーの信仰の女神か?」

「そ、そうだったニャ。人間には教えていないんだったニャ。そ、そうだニャ。ケットシーの信仰だニャ」


 勇者トラは、慌てるケットシーをよそに、ほかの名前を絞り出した。


「……ルフ」


 もっと長いような気がしたが、それ以上思い出せなかった。ケットシーが両手の手袋を打ち合わせた。


「うん。それがいいニャ。私は今日から、ルフと名乗るニャ」


 その名が気に入ったのは、もともとの名前の前半まで同じだったからである。

 トラに任せて、好きな魚の名前をつけられてはたまらないでも思ったのだろう。

 トラは、元々のルフェルという名前を覚えきれなかったのだ。


 ルフは早々に会話を切上げ、勇者トラの着替えを手伝った。

最後までお読みいただきありがとうございます。

次回、いよいよ試合が始まります。

この物語、気に入っていただけたら、ブクマや評価を頂けるとモチベーションに直結します。

ご検討ください。

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