38 勇者トラ、持てるだけ持つ
勇者トラは、翌日正式に王バランの前に連れ出された。
近衛隊隊士のミランダが付き添った正式なものだ。
玉座の間を訪れると、王バランと宰相カバルが待ち構えていた。いつもの王妃と姫がいない。
勇者トラは、足元にケットシーのルフと、肩に小妖精のオーロラを乗せていた。
「トラ、王の前では膝をつくニャ」
勇者トラは、ドラゴン族の賢者カミュの元で、厳しい修行を積んだ。
その中には処世術も入っていた。頭で考え判断する類のものではなく、人間らしい動作を自然に行えるようにするものだ。
王と対面するという、普通では起こらない状況に対する礼儀は心得ていなかった。
「私に従え」
ミランダが小声で耳打ちする。勇者トラが頷くと、ミランダは勇者トラの前に出て、膝をついた。
鑑定スキルを常時発動させるよう訓練された勇者トラは、それが王宮に伝わる伝統的な作法であることを見て取った。
勇者トラが膝をつく。王が口を開いた。
「三ヶ月前に同じことをしていたら、勇者トラを王宮から追い出すこともなく、勇者タケルを戦場にいかせることもなかっただろう」
続いて頭をあげるように促され、勇者トラは王と視線を合わせた。
ミランダは立ち上がり、勇者トラの背後に立つ。
ミランダの動きをそっくり真似しないだけの教養が、今の勇者トラにはあるのだ。
「トラ、王から質問されるまで、喋っちゃだめだニャ」
膝をついたままの勇者トラに、ルフが告げる。
「戻ってきたということは、ブリージア聖王国の名代として戦地に赴く意思があるということだな?」
勇者トラがルフを見た。ルフが頷く。答えていい。それを示した。
だが、口を開いたのは別の者だった。
「あたり前だろ。もしトラが戦場にいなかったら、ジギリス帝国は致命的な敗北をするぜ。帝国が潰れれば、次は周辺の国だ。この国まで魔族たちが攻めて来るのに、一年はかからない」
「無礼者! 貴様、何者だ!」
カバル宰相が怒声を発した。口を開いたのは、勇者トラの肩にのったままのオーロラだ。
「僕の従魔です」
「……従魔……ケットシーといい、妖精といい……勇者トラほどの力があれば、もう少し役に立つ魔物を従えられように」
「ひどい言われ方だぜ」
オーロラが、ルフを見下した。
「お前のことだニャ!」
言い争いを始めた従魔達を前に、王が柏手を打つ。従魔達が慌てて口を塞いだ。王を恐れたのではない。勇者トラの立場を考えたのだ。
「ミランダ、デボネー卿を呼べ」
「はっ」
勇者トラの背後に控えていた近衛隊隊士が退出する。
その間に、王は尋ねた。
「勇者トラは、この戦いでそれほどの活躍をするということか?」
「わかりません」
勇者トラは首を振る。次いで口を開いたのは、やはり小妖精だ。
「女神様が悪夢を見たんだよ。おいらは、女神様の悪夢から生まれたのさ。女神様の夢じゃ、勇者トラは戦争に参加せず、人間は負ける。勇者トラが、陽だまりで日向ぼっこしている間に、人間は滅ぶ。勇者トラが戦争に行って、勝てるって保証はないよ。でも確実に言えるのは、勇者トラが行かないと人間は滅びるし……賢者カミュに鍛えられる前のトラでも、ちょっと時期がずれるだけで、同じことになっただろうってことさ」
今度は、誰も遮らなかった。
背後の扉が開く。
勇者トラの見知った巨大な肉体を持つ女が、背中に荷物を背負って入ってきた。
「王。御前でよろしいでござるか?」
「無論だ。余の命なのだからな」
「では、失礼するでござる」
デボネーは言うと、巨大な背負い袋の中に入っていた品物を次々に取り出して、勇者トラの前に並べた。
※
勇者トラの前に並べられたのは、研ぎ澄まされた円月刀に、水で濡れ光ったような片刃の剣、振るうにも投げるにも便利そうな斧、加えて槍に弓に棍棒まで、あらゆる武器が揃っていた。
「いい武器かニャ?」
デボネーが次々に並べる姿を見て、ルフが勇者トラに尋ねた。
「全部、魔法の力が備わった武器だね」
「ほう……さすが、わかるでござるか?」
デボネーが振り返りながら、次に防具を取り出した。
兜に鉢金に、胴当てに脛当て、全身鎧まで数種類ずつ用意されている。
いずれも、戦場で身につけていれば、格好の標的になりそうな品々だ。
最後に装飾品を並べる。
「勇者トラが戦場に赴くと言うのなら、好きな武器でも防具でも持って行って構わない。当然、アクセサリーの類もだ。勇者タケルには、パーティーメンバー1人につきひとつだけ、所望する品を渡した」
王が告げる。勇者トラが尋ねた。
「好きなだけ?」
デボネーの表情が怪訝に曇る。王は頷いた。
「うむ。我が国を出奔した勇者に、どうしてこれほどの品をと不思議に思っているのであろう。罠でもあるのではないかと疑っているのか? それも当然だが……勇者トラと勇者タケルは違う。女神の意思により、魔族と戦うために力を与えられた勇者に、援助を惜しむなどあってはならぬのだ。特に、そちらの従魔が言う通り、勇者トラが参戦せねば人間が滅びの道を行くというのであれば、なおさらだ。遠慮はいらん。持てるだけ持つがよい」
「わかりました」
「トラ、待つニャ。トラには、賢者カミュと一緒に作った武器も防具もあるニャ。トラが本気で戦う時でなければ、出てこない武器と防具だニャ。いくらいい品でも、役に立たないかもしれないニャ」
ケットシーのルフが、床の上に丁寧に並べられた武器一式を前足で叩いた。
ルフを勇者トラが抱き上げる。
「大丈夫。きっと助けになる」
「……トラがそう言うなら、そうなのかニャー」
「拙者相手では、本気になるまでもなかったということでござるな」
「ごめんなさい」
やや寂しげに言ったデボネーに、勇者トラが頭を下げる。
「勇者トラが気に病むことではないでござる」
「さあ、勇者トラよ。貴殿のために用意した武具の数々、遠慮せずに受け取るが良い」
「はい」
勇者トラは、持てるだけを異次元ポケットに収納した。
※
王城から西、海抜2385メートルの独立峰、ブリジア山の山頂に、転移の魔法陣は設置されている。
双方向の転移魔法陣は古代魔法文明の遺跡の中で発見されることがほとんどで、現在では誰が設置したのかもわからない。
わかっているのは、ブリージア聖王国の転移魔法陣で公表されているのはブリジア山の山頂にあるものだけで、転移先がジギリス帝国と魔王領を隔てる山脈の剣ヶ峰だということである。
標高2000メートルを超えるブリジア山を登るのに、勇者トラの足なら半日とかからず、勇者トラは転移魔法陣を守る山頂の要塞にたどり着いた。
転移魔法陣を守るため、ほとんどの魔法陣は堅固な建物に守られている。
勇者トラの姿を見ると、軽装の兵士が槍を構えて近づいてきた。
勇者トラのことは聴いているのだろう。
名前を告げると、敬礼をして奥に通してくれた。
勇者トラが真っ直ぐに奥に進むと、転移魔法陣と呼ばれる複雑な文様が描かれた場所に、勇者トラが知っている人間がいた。
「以前、どこかの宿で会ったな。俺たちは、これからジギリス帝国に飛ぶ。勇者トラ、今更、何をしにきた?」
転移魔法陣の前にいたのは、勇者タケルと4人の仲間たちだった。




