37 勇者トラ、ブリージア聖王国の王と和解する
勇者トラがこの世界に降り立った時、大勢の人々に見守られ、デボネーと御前試合を行った。
それから約三ヶ月が経過した現在、勇者トラは王城内の訓練場で再びデボネーと対峙していた。
見ているのは、国王のバランと大元帥ムンデル、主席宮廷魔術師サホカンと護衛の近衛隊隊士ミランダのみである。
王がわざわざ見に来ているのであるから、これも御前試合には違いない。
当初はデボネーが王の御前に勇者トラを連れ出そうとしたが、途中でムンデルに見つかり、サホカンの耳に達し、国王が全ての公務を後回しにして勇者トラの力を見定めに来たのだ。
国王としての習慣なのか、勇者トラとデボネーに向かい、バランが口を開いた。
「勇者トラよ。我がブリージア聖王国の勇者はタケルである。ジギリス帝国への務めはそれで果たされるのだ。カーチェスに恥をかかせ、余らに無礼を働いたそなたを、これ以上優遇するつもりはない。何故に戻った?」
「王、今はそのことより、勇者トラの力量を見定めることこそ重要かと」
デボネーは、勇者トラの修行の成果を試すため、訓練場に連れてきたのだ。
それを聞きつけてやってきた王が、そもそも勇者トラが戻ってきた理由を知りたがるのは当然のことだった。
だが、さすがに剣を交える寸前のふたりに尋ねるのは無理があると思ったのか、ムンデル大元帥が口を挟んだ。立場的に、デボネーが言えることではない。
デボネーは嘆息すると、勇者トラに言った。
「トラ殿、王の問いに答えてくだされ。そうでなければ、拙者の立場も悪くなるでござる」
勇者トラは、小さく頷いた。
「タケルでは、魔族に勝てない。僕が行きます」
勇者トラは、バラン王を見据えて言った。
「ほう。三月前とは別人のように話すが……ブリージア聖王国にとって重要なのは戦の結果ではなく、ジギリス帝国との約束を果たすことだ。魔族に負けても、その結果勇者タケルが死んでも構わぬ。そう言ったらどうする?」
「女神が悪夢を見ました。ただ戦争に負けるだけだったら、悪夢までは見ないはずです。人間が滅びることを、女神が夢に見たはずです。だから……この子が来ました」
勇者トラは、周囲で虹色の光跡を描きながら飛んでいた妖精のオーロラを捕まえた。
「そ、それは……」
「女神の悪夢から生まれて、賢者カュのところに助けを求めました。僕は、賢者カミュに鍛えられました」
「ふむ……賢者カミュだと? 知っているか?」
バラン王が、主席宮廷魔術師に尋ねる。尋ねられたサホカンは、咳払いして答えた。
「我が国にも、隠者と呼ばれる者たちはおります。中には、魔法に長けて賢者と呼ばれる者もいますが……カミュというのは存じません。たしかその名は、神話の時代に竜王として世界に君臨した災厄の名ではなかったかと。数万年は前のことです」
「では、騙りだろう。ただ、この男が修練を積んだのは、余にもわかる。女神の夢云々については、枢機卿に確認せねばならんが……我が国の勇者はタケルだ。国民にも公表してあるし、これは動かん。もし、枢機卿の意見が、トラを送り出さねば人間が滅びるというのであれば……サホカン、勇者トラを戦場に送り出すのは可能か?」
王に問われ、主席宮廷魔術師サホカンは言葉を選んだ。
「国民へのアピールのために、タケルと仲間たちは今日出発の式典を行いましたが、実際に戦地へ転移させるのは、戦端が開く当日となっております。ですから……3日後となりましょう。転移の魔法には大量の魔力が必要になります。予定されていたのは勇者一行の5人のみ。それを6人に増やすとなると……魔力を満タンにした魔力石が100は必要になりましょう」
「……ふむ。勇者トラよ。聞いたか? 魔力が充填された魔力石を100用意できれば、そなたを送り出すこともできよう。だが……そもそもその価値があるかどうかを、証明してもらわなければならぬがな」
「わかりました。用意します」
「簡単なことだニャ」
足元でケットシーのルフが笑った。王の御前であり、軽口を効くのは無礼だという認識は、本来最高位天使であるルフには通じないようだ。
「では、まずは修行の成果をみせていただこう。王、よろしいですな?」
デボネーが、自分の身長ほどもある大剣の切っ先をまっすぐ勇者トラに向けながら尋ねた。
王が鷹揚に頷く。
勇者トラは、周囲を見回した。
「トラ殿、どうしたでござる?」
「あの人は、参加しないの?」
勇者トラが指差したのは、主席宮廷魔術師サホカンだった。豊かで真っ白い髪と髭を蓄えた、血色のいい老人だ。
「ブリージア聖王国において、最も魔術に長けたお方でござるが、接近戦は不得手でござる」
「魔術で支援してもらうといいニャ。そうじゃないと、勝負にならないニャ」
ルフが、勇者トラの意図を汲み、口を添えた。
かつてより流暢に話せるようになった勇者トラだが、相手にとって必要な情報とはなにかを推察することはまだ苦手だった。
「……王、よろしいでしょうか?」
「サホカン、デボネー卿に支援魔法を」
「御意」
デボネーの視線が、強烈にぎらつき出した。
剣を構える。主席宮廷魔術師サホカンは、次々に魔術を発動させ、デボネーにまとわりつかせた。
その間、勇者トラはただじっと待っていた。
「トラ殿、武器はいいのか?」
「必要なら、使います」
勇者トラは、両手を広げて見せた。現在の姿は、旅装をしただけで、武器も防具も身につけていない。
「では、参る」
「始めよ」
王が宣言し、デボネーが床を蹴った。
勇者トラの目の前に、デボネーが振り下ろした大剣の切っ先が出現した。
勇者トラは、左手の甲ではじき飛ばし、自ら足を踏み出した。
下から、剣が迫った。
両腕で剣を振り下ろした直後、デボネーは片腕を離して踏み込み、短剣を突き上げていた。
勇者トラは、突き上げられた短剣の切っ先を右手で弾いた。
デボネーの膝が迫った。
勇者トラは体を捻りながら、さらに踏み込んだ。
デボネーの首筋に、自らの口を当てる。
勇者トラは人間種である。だが、前世の特徴は一部残していた。勇者トラの口には、犬歯があった。
デボネーは、勇者トラの口が当たった時に察したのだろう。武器を手放し、勇者トラの肩を突いて全力で後退しようとした。
勇者トラの手が、下がろうとしたデボネーの足を掴んだ。掴んだのは長靴だ。中身は抜けた。
「サホカン殿!」
「ヤマアラシの抱擁」
サホカンの言葉と共に、勇者トラの周囲に鋭い無数の針が生まれる。
勇者トラはデボネーを追いながら、自分の周りに生じた魔術の痕跡をかき乱した。
「そんな……」
『ヤマアラシの抱擁』と呼ばれる魔術は、無数の針で対象を穴だらけにする魔術だ。人間に用いれば、確実に殺せる魔術であるはずだ。
魔術は発動した。だが、成果をあげる前にかき消されたのだ。
「くっ……」
勇者トラに真近に迫られたデボネーは、腕を振り上げた。
腕と共に、鎖に繋がれたトゲ付きの鉄球が伸び上がった。
勇者トラは、手のひらで受ける。
勇者トラの手のひらは、人間同様に平らで、手相がある。
だが、わずかに柔らかく、弾力がある。意図した時に、トラの手のひらは肉球として機能する。
棘のある鉄球を左手の肉球で柔らかく受け止め、右手を振るう。
鉄球とデボネーをつないでいた、鋼鉄の鎖が切断される。
「無限の障壁」
再びサホカンの魔術が発動し、デボネーの前に透明な結界が出現した。
勇者トラは鉄球を捨てると、まるで見えない結界で爪を研ごうとしているかのように手を動かした。
魔術の構成を変えているのだとは、ルフしかわからないだろう。
結界がかき消され、勇者トラがデボネーの前に立った。
勇者トラが両手をあげる。10本の指に、爪が光っていた。
「拙者の負けでござる」
「そこまで。勝者、勇者トラ」
王が宣言した。勇者トラを『勇者』と呼んだ。
なによりもそのことが、勇者トラの強さが認められたことを示していた。




