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29 勇者トラ、お使いの依頼を受ける

 勇者トラは、木剣の握り方の習得と素振りを一日中続けた。

 ほかの3人の冒険者たちが、ミランダとの模擬戦で足腰が立たなくなっている頃、勇者トラはただ頭上に掲げた木剣を真っ直ぐに振り下ろす動作を身につけた。


「うん。だいぶ余計な力が抜けてきたニャ」


 ミランダがほかの冒険者の世話をしている間、監督係として任命されたケットシーのルフが声をかける。

 尊大に胸を反らしているが、ルフに剣術の良し悪しがわかるわけではない。


「よし。今日はこれまでにしよう」

「ありがとうございました」


 冒険者たちが、肩で息をしながら礼を言う。


「トラには、模擬戦はしないのかニャ?」


 ルフの問いに、ミランダは引きつった顔で振り返った。

 勇者トラは、指導された通りに、ただ剣を振り下ろす動作を繰り返していた。

 その回数は1万を超えるだろう。


「まだ……私が相手をする段階ではない。次回、剣をまともに構えられるようになっていたら、考えてやろう」

「そうだ。新入りが生意気だ」


 中年の冒険者が息巻いた。


「トラ、もうやめていいニャ」

「はい」


 勇者トラが、ピタリと止まる。


「今日1日で、何回ぐらい振ったニャ?」

「えっ……と……」

「いや、いいニャ。私が悪かったニャ」


 勇者トラが両手を見つめたのを見て、ルフが止めた。勇者トラには、そもそも数字の概念がないのだ。指を見つめたのは、指の数で表現しようとしたのだ。

 3人の冒険者たちが道場から退出する。一人残って、木剣の持ち方を色々と試していた勇者トラに、ミランダが近づいた。


「最初見たときは、冷やかしかと思ったぞ。あのデボネー卿と引き分けるような奴が、教わることがあるはずがない。私を笑い者にしようとしているのではないかとな。だが……本当に素人、いや……そんな言葉では生ぬるい」

「仕方ないニャ。トラは、異世界からきた勇者だニャ」


 ルフがかばうように前に出る。


「それにしても、だよ。思えばデボネー卿と戦った時も、剣を持った手で殴りかかっていた。デボネーを舐めていたのではなく、剣の使い方を、いや、剣そのものを知らなかったからか」

「仕方ないニャ」


「ああ。そうだろうな。だが……女神が遣わした本物の勇者が、これでは困る。剣だけではない。魔力を持った強力な武具を全く使いこなせないのでは、魔王に立ち向かうことはできないだろう。勇者トラが恵まれた身体能力だけに頼る戦い方から抜け出せるよう、冒険者組合に依頼を出しておく。明日、組合に行くんだ」

「はい」


 ミランダの言葉に、勇者トラは素直に応じた。


 ※


 翌日、勇者トラは再びケットシーのルフを連れて冒険者組合を訪れた。

 昨日は、依頼がなかったために訓練を受けたのだ。

 ミランダは、依頼を出しておくと言った。


 だが、依頼伝票が張り出された掲示板には、勇者トラが受けられる依頼がなかった。

 再び受付に行く。

 昨日の受付の女ナスターシャがいた。


「ああ、いいところに来たわね。トラさん、ちょうどあなた宛の依頼が来ていたのよ。受ける?」

「はい」

「トラ、ちょっと待つニャ。どんな依頼だニャ?」

「賢者カミュの元に行き、アミュケレットに力を授かってくるようにってことね」


 受付の女は、布の袋から金色の装丁で囲われた、魔石を組み合わせた装飾品を取り出した。


「……それはなに?」

「アミュレットでしょ。賢者カミュに会って、これに力をさずけてもらってくれってこと……わかっているの?」


 受付のナスターシャが不安になるほど、勇者トラはじっとしていた。輝くアミュレットに惹きつけられていたのだ。


「光るものが好きなんだニャ。大丈夫ニャ。ところで、賢者カミュはどこにいるニャ?」


 ルフが尋ねると、依頼主から預けられていたのか、簡単な地図を渡された。


「報酬はなんだニャ?」

「かかった日数分の金貨ね。1日で5枚ね。この金額なら、ランク10の冒険者も雇えるわね」


 ナスターシャは、手元の資料を見て目を丸くしていた。ルフは大きく頷く。


「トラ、ゆっくり行ってくるニャ。時間をかけるほど報酬があがるニャ」

「あらっ……計算高い従魔ね。まあ、その通りだけど」


 受付の女ナスターシャは、未だにケットシーのルフのことを、見えていないかのような態度をとる。ルフの言葉に感心したわけではないだろうが、素直に受け答えする程度には、ルフに慣れたようだ。


「行けばわかるの?」


 勇者トラは渡された地図を広げた。王都を出て南に行き、東の山脈を越えた先の湖のほとりだ。

 地図はある。だが、あまりにも大雑把だ。


「さあ。依頼主は、その地図でわかるって思っているんじゃないの?」

「賢者カミュって、何者だニャ?」


「それもわからないわね。名前だけは時々聞くけど、ほとんど人里に関わらないみたいよ。トラちゃんへの指名依頼だけど、嫌になら断ってもいいわよ。報酬には、成功報酬という条件もないのよ。珍しいわね。そのアミュレットに魔力を注いでもらい、戻ってくる。仮に失敗しても、戻ってきた時点で報酬を計算して支払うことになっているわ。ただし、期間の制限はあるわね。依頼を受注してから、75日、つまり二ヶ月半の期間内に戻ること。最高、金貨375枚の報酬になるわね」


「トラ、この依頼を受ければ、もう働かなくていいニャ」

「はい」

「じゃあ、依頼を受けるニャ?」

「はい」


 勇者トラの返事を待ち、ルフが依頼伝票を差し出した。勇者トラは署名をし、正式に依頼を受けた。


「さあ、トラ、出発だニャ」

「はい」


 勇者トラが受付を離れる。

 入れ替わるように、顔に無数の傷がある剣士が受付に話しかけた。


「トラという名の冒険者を知らないか? ミランダから、鍛え直すように頼まれたんだが」

「ああ、それなら……遅かったわね」


 勇者トラは、受付の女の声を聴きながら、ルフに押されて冒険者組合を後にしていた。


 ※


 勇者トラに、旅立ちの準備をするという概念はない。

 冒険者組合から出ると、ルフを連れて真っ直ぐに街の門に向かった。

 以前は外に出ようとするところを呼び止められ、見ず知らずの冒険者たちからご飯をごちそうになったが、今回は誰も勇者トラを呼び止めなかった。


 街の門で事件があったらしく、兵士たちが忙しく走り回っていた。

 勇者トラとルフは、忙しそうな兵士たちに目もくれず、王都からはじめて正規の出口から外に出た。


「さっき、知らない人に呼ばれた」


 王都の外は、薬草採取で訪れた平原である。

 勇者トラは、薬草を広い集めながら歩き出す。


「さっきって、いつだニャ?」

「冒険者組合?」

「ああ……私も気づいたニャ。でも、顔が怖かったから、無視したニャ。顔が怖い人間に近づいちゃダメだニャ」


「そう?」

「そういうものだニャ」

「はい」


 ルフが自信満々に宣言するため、勇者トラとしても、同意するしかなかった。

 勇者トラとしては、顔が傷だらけでも、顔が怖いと言う理由にはならないが、そこまでは言わなかった。


「それにしても……ミランダの奴、奮発したニャ」

「そう?」

「そうだニャ。外に出て遊んで帰ってくるだけで、1日金貨5枚をくれるニャ。それに……賢者カミュにちょっと力を分けて貰えば達成だニャ。期限いっぱいまで、ピクニックをするニャ」

「賢者カミュって、誰?」


 勇者トラは、賢者カミュが依頼の相手であることを忘れたわけではない。何者かとルフに尋ねたのだ。


「聞いたことはあるかもしれないニャ。でも……詳しくは知らないニャ。ミランダが指名するぐらいだから、昔の宮廷魔術師かなんかだニャ。賢者っていうぐらいだし」


 勇者トラは、ふるふると首を振った。否定の動きだが、ルフは見ていなかった。

 勇者トラは、聞いていた。

 冒険者組合ですれ違った戦士は、ミランダに言われて勇者トラを鍛えに来たと言ったのだ。

 何者かはわからない。

 だが、賢者カミュへのお使いを依頼したのは、近衛隊隊士のミランダではない。


 勇者トラは、異次元ポケットに手を突っ込み、アミュレットの感触を確認してから、薬草を拾いながら東の山脈を目指した。

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