25 勇者トラ、別の勇者と邂逅する
勇者トラは目を覚ました。
部屋の中でなにかが動いた。
それを感知したのだ。
腹を上に向けて寝ていた姿勢を正す。
立ち上がりかけたデボネーとミランダが、驚いた顔で勇者トラを見ていた。
「トラ殿が寝てしまったから、日を改めようと思ったが……」
「凄まじいタイミングで目覚めるものだ」
「トラは、勇者だからだニャ」
ケットシーのルフがなぜか自慢げに笑う。
「なにか……いる」
勇者トラが目覚めたのは、前世がネコであるため、眠りが浅いこともあるだろう。
目覚めた現在、勇者トラは人間の体にしてはありえないほど、激しく耳を動かした。
勇者トラの耳は、顔の横にある丸い耳である。頭の上に三角形の耳があったりはしない。
丸い耳を懸命に動かし、勇者トラは安宿の窓を睨みつけた。
「なにがいるでござる?」
「……いない」
勇者トラが睨んでいる間に、いなくなったようだ。
「気のせいだニャ。ちょうどいいニャ。ミランダが、まだ聞きたいことがあったみたいだニャ」
「はい」
急激に態度を変え、勇者トラは居住まいを正した。
ベッドの上に座りながらも、心なしそわそわしていた。耳が細かく動いている。周囲が気になるのだ。
「勇者トラの行動の多くは、王宮では奇行だと思われている。いかに戦闘力が高くとも、あの奇行の勇者を御せるものかどうかとな」
「全部、理由があってのことだニャ」
勇者トラには、心当たりがなかった。勇者トラの表情から察したルフが口を挟む。
ミランダが頷いた。
「最も王宮での噂になっているのは……晩餐会の席で、カーチェス姫にネズミの死骸を握らせたことだ。カーチェス姫は、いまでも夜にうなされて飛び起きるという。あの件がなければ、別の勇者でもいいということにはならなかったはずだ。どうして……カーチェス姫にネズミの死骸を握らせたりしたのだ? なにが勇者トラを怒らせたのだ?」
「そんなことがあったのかニャー」
晩餐会に勇者トラが出席した時、ケットシーのルフは地下牢に監禁されていた。
勇者トラは頷く。
「お礼」
「『お礼』だと?」
ミランダの眉が寄る。男ばかりの近衛隊の中で、隊長のデボネーを除いて唯一の女性である。女性らしくはない。それでも、顔立ちは嫌味なほど整っている。
「ハハハッ」
デボネーは突然、腹を抑えて笑った。ミランダが睨む。
「デボネー、笑い事ではないぞ。それでは何か? 勇者トラは人に感謝する時、ネズミの死骸を渡す習慣があると言うのか?」
ミランダの剣幕に、勇者トラは気圧された。だが、答えは一つだ。
「はい」
「なんっ……なんっで……」
「い、異世界の習慣だニャ」
ケットシーのルフが口を挟む。勇者トラがネコだから、とは決して言えないのだ。
「し、しかし、かつての勇者に関する研究では……勇者がネズミを人に渡すなんて、どこにも書かれていなかったはずだ」
「トラの世界でも、色々な国があるニャ」
「そ、そうか。そうなのか?」
「そうなの?」
勇者トラがルフに尋ねた。勇者トラは、前世では成ネコだった。実際に生きた年月は、一年と少しだ。
縄張りから、少し離れたところで死んでしまった。実際には、国という概念すらわかっていない。
「そうなのニャ」
「はい」
ルフの力強い言葉に頷く。
「ミランダ、とりあえず謎は解けたな。トラ殿には、カーチェスを怒らせるつもりなどなかったのだ。これは朗報だぞ」
デボネーはまだ笑っている。
「そうだな。だが、カーチェス姫はすでに新しい勇者に首ったけのご様子だ。きたる魔王軍との戦争では力不足でも、デボネーに匹敵する強さを持ち、魔獣使いの職業を極め、複数の武器スキルを所持している。勇者と名乗ってブリージア王国軍の代わりを務めるのには十分だ。今更トラが出て行って、王がなんと言うか……」
「そ、その勇者は、女神様が遣わした勇者じゃないはずだニャ」
「その通りでござるな。そのことは本人も認めているでござるよ。10年前、ジギリス帝国により大量に召喚された勇者に生き残りでござる。10年……戦争後、各地で魔物の討伐などをして鍛え続けたとの話でござる。このブリージアの王都にたまたま立ち寄った時、冒険者組合で勇者捜索の依頼らを見て、名乗りをあげたそうでござる。召喚されたばかりの頃はたしかに弱かったと、今では認めているでござる」
デボネーは言いながら頷いた。
「……話を聞くと、その勇者でいいんじゃないかと思うニャー」
言いながら、ルフが勇者トラを振り向いた。
「はい」
勇者トラが同意する。デボネーが首を振った。
「現在王都にいる勇者は、タケルというでござるが……タケル一人で、召喚されてまもない勇者10人に匹敵するでござろう。しかし、それでは足りないのでござる。拙者は、魔王軍を知ってござる。魔王軍の中で……魔族と呼ばれる者たちがいるでござる」
デボネーがミランダに視線を送る。ミランダも知らないのだろう。小さく首を振った。デボネーは続けた。
「魔族は、魔王領での貴族に相当するそうでござるが……ジギリス帝国の分析では、全員が召喚された者たちでござる」
「ニャ?」
ルフが言葉を失った。落ち着くよう、勇者トラがルフの背中をさする。
「そ、そんなの、勝てるはずがないニャ」
「勝てるはすがないでござる。だからこそ……女神様は最強の勇者として、トラ殿を使わしたのでござる。正直申し上げて、現在のトラ殿より、勇者タケルの方が強いかもしれないでござる。しかし、将来的に魔法軍を撃退するには、トラ殿の力は必須でござる。そのために、今回の戦争に参加しないということはありえないでござろう」
「勇者トラに、経験を積ませるためか?」
ミランダの問いに、デボネーが頷く。
二人が勇者トラを見た。勇者トラは、扉を見ていた。
二人と目を合わせるのを避けたというわけではない。たしかに、勇者トラはネコだった時の習性で、むやみに目をあわせることは好きではない。
だが、この時は理由が違った。
「トラ、誰かいるニャ?」
「はい。ずっと……誰?」
ルフと勇者トラの言葉に、デボネーとミランダが腰をあげた。
扉を振り返る。
その扉が開いた。
「ずっと黙っていようと思ったが……褒められているのか、けなされているのか、微妙なところだ。だが女神様が遣わした勇者ってのは、そんなに凄いのかい? 俺が、あたえられた能力だけの子どもに、負けるとでも言うのかい?」
軽装の鎧を身につけた、たくましい男が立っていた。




