24 勇者トラ、ブリージア聖王国の現状を聞かされること
勇者トラがレストランに入った途端、仕事を教えてくれたウエイトレスが近づいてきた。
「お帰り、トラ。冒険者なんてやめて、まじめに働くつもりになった?」
勇者トラより、外見上は少し年上だろう。王宮の侍女メイと同じくらいだ。
給仕の格好をしている。
「今日は、トラはお客で来たニャ。冒険者としてうまく行っているニャ」
ケットシーのルフが胸を逸らした。
「魔物?」
ウエイトレスの少女は、カティという名だったことを勇者トラは覚えていた。
「カティ、従魔だよ」
「そう。じゃあ、冒険者として稼いでいることは本当なのね。ちょっと残念。みんな、トラが冒険者に挫折して、働きに戻るのを楽しみにしていたのにね。従魔の同伴は追加料金になります。このサイズなら、銀貨5枚になります」
「はい」
勇者トラは金貨を出そうとして、横からミランダに手を掴まれた。
「ここは私がもとう。トラは、食事代を出してくれればいい。ほらっ、これでいいだろう」
ミランダがカティに銀貨を渡す。
カティはミランダとデボネーを見渡し、特にミランダを見て眉をひそめた。
「3人さまですね」
「4人だニャ」
「失礼しました」
カティが勇者トラを座席に案内した。
「楽しみだニャー。一回、残飯以外の食事を食べて見たかったニャー」
席に着くと、ルフはさっそく注文票を手にとった。
デボネーが笑った。
「さっきのウエイトレス、トラ殿に気があるようだったな。ミランダ、ライバル認定されていたぞ」
「私が? それではまるで、女性みたいではないか」
「ミランダは、女じゃないニャ?」
「性別は忘れた」
ミランダは、白い指で金色の巻き毛を玩びながら答えた。
「自覚がないのも困りものだ。案外、トラ殿とはお似合いかもしれないな」
デボネーが凶悪な笑みを見せる。
「トラ、決めたかニャ?」
「どれも美味しい」
「さすが、厨房で働いていただけあるニャ」
「……ウエイターじゃないのか?」
ミランダが尋ねる。以前、勇者トラはウエイターとしてデボネーとミランダを接客し、二人は勝手に泥酔したのだ。
「組合から、レストランの従業員の依頼を受けた。お皿を洗った」
勇者トラは、自慢げに言った。
「皿洗いにウエイターか……勇者に何をさせているのやら」
ミランダが呆れる。カティとは別の給仕を呼んだ。あえてカティをさけたのではない。たまたま、近くにいなかったのだ。
「いや……勇者トラは、こっちの世界に来て日が浅い。こっちの世界での体に慣れていないように見える。身体能力は凄まじく高いのだ。武芸の稽古が務まる相手がいないのだから、皿洗いや接客のように、細かく意識を使う作業は、有効かもしれない」
「野菜の皮を剥いた」
「はいはい。わかったニャ」
勇者トラがさらに自慢する。ルフは手当たり次第に注文した。
メニュー表にある料理を、片っ端から持ってくるように注文したのだ。
おどろいたウエイターが下がるのを見計らい、デボネーが言った。
「勇者トラ、私たちは食事をごちそうになるためにトラ殿を探していたわけではござらぬ。トラ殿、どうしてトラ殿が王家に対して腹を立てたのかは存じぬ。だが……王家のためではない。この国の民のため、トラ殿の力を貸してはもらえないでござろうか?」
「突然どうしたニャ? まずは、腹ごしらえをするニャ」
「ルフ、黙っていてくれ。デボネーは真剣だ。私も、同じだ」
ミランダが凄む。ルフが小さくなった。
勇者トラは首を傾げる。
「何をして欲しいの?」
「……詳しく、話させていただけるでござるか?」
「食べてから」
ちょうど、料理が運ばれてきた。ルフが快哉をあげる。
勇者トラ本人に言われては、反対もできない。デボネーとミランダも、まずは食事に手を伸ばした。
※
食事を終えた後、勇者トラと従魔のルフは、客を連れて宿屋に移動した。
泊まるのは勇者トラとルフだけなので、一人用の部屋である。
部屋は小さく、壁は薄く、ベッドは硬い。
「ひどい部屋だな。いつも、こんなところに泊まっているのか?」
服につく埃を気にしながら、近衛隊隊士ミランダが備え付けの椅子に腰掛けた。
「いつもは、こんな贅沢なところには泊まらないニャ。これまでは、冒険者組合の無料宿泊所に泊まっていたニャ」
「……はっ?」
近衛隊隊長デボネーが声を裏返した。
「どこにいたと言ったでござる?」
「冒険者組合の無料宿泊所だニャ」
ルフが話している間、勇者トラは寝床の硬さを確かめるのに余念がなかった。
「そんなところに……いや、勇者トラが見つからないと言っていたが、探し方が悪かったのか?」
「トラは、別に隠れていなかったニャ。冒険者組合が勇者を探していることを知って、名乗りをあげようとしたところで、別の勇者が見つかって、トラは必要なくなったニャ」
ルフが言うと、ミランダが頷いた。
「では……今日は特別酷い宿に泊まったということではないのでござるか。王都に存在する、もっとも低ランクの宿でござるがな」
「むしろ、まとまった依頼料が手に入ったから、贅沢したニャ」
デボネーは嘆息した。実際には、勇者トラは金の使い方を知らず、稼いだ金がそのまま異次元ポケットと呼ばれる亜空間に入っていることまでは、ルフも言わなかった。
デボネーが切り出す。
「実は、トラ殿の代わりに現れた、その勇者が問題なのでござる」
「問題って?」
勇者トラは、硬いベッドで満足することにして、上りこみながら聞いた。
「勇者トラは、女神が使わした本物の勇者だ」
「当然だニャ」
ルフが頷く。
「だが、勇者というのは他にもいるのでござる。基本的に、異世界から召喚された存在は勇者と呼ばれるでござる。召喚者の技量や対価として消費した財貨によって能力が異なるでござるが、この世界で生まれ育った拙者のような存在からは、考えられないような不思議なスキルと呼ばれる能力を持ち、平均して力も魔力も高いでござる」
「でも、魔王には勝てないはずニャ……あっ、なんでもないニャ」
勇者トラをこの地に向かわせた女神は、魔王を倒せる可能性がある者として、猫であるトラを選んだ。人間の中には、魔王を倒せる存在はいなかったのだ。
「どうしてケットシーがそんなことを知っているかは置いておくでござる。拙者が知る情報は、まだ王やその周辺の者たちしか知らぬことでござる。内密にお願いしたいでござる」
「はい」
勇者トラのよい返事を受けて、デボネーが続ける。
「魔王軍の支配地域と接しているのは、ジギリス帝国という軍事国家でござる。かの国は、度重なる魔王軍との戦いで様々な軍事技術を発展させたでござる。その一つが、人間の魔導師による勇者召喚でござる」
「……さっきも言ったから、不思議に思っていたニャ。本当にできるのかニャ? そんなこと」
「できる……と断言してもいいでござる。勇者トラ殿を本物の勇者と呼んだのは、女神に召喚されたわけではない勇者が、割と頻繁にいるからでござる。特にジギリス帝国は、魔王討伐を掲げて周辺国家から財宝をかき集め、大魔導士たちによって多数の勇者を召喚し、魔王軍との決戦に挑んだのが……10年前でござる」
「……それだけ勇者を集めて、勝てなかったニャ?」
「魔王軍にも多大な被害を与え……といっても、魔族を一人ようやく倒せた程度でござるが……10年の休戦条約が締結されたのでござるが……ジギリス帝国は魔王を倒すつもりでござった。その10年が経過するまで……すでに3ヶ月を切っているでござる」
「また、戦争が起こるニャ?」
「ジギリス帝国は、次の戦いに備えて各国に軍隊の集結を呼びかけているでござる。魔王軍も準備を進めており、休戦条約の延長は話題にも上がっておらんでござる」
「……勇者トラは、そのために召喚されたのか?」
尋ねたのはミランダだった。近衛隊の一般隊士であるミランダすら、知らないことだったのだ。
「女神の本当の意図はわからんでござる。ただ、このタイミングで最強の勇者を送ってよこしたのであれば……勇者トラが魔王を討伐するものと期待してしまうのは、仕方ないことでござろう」
「人間たちは、勇者トラをどうするつもりなんだニャ? 勇者は、別に見つかったニャ。その勇者でいいから、トラを探すのをやめたんじゃニャいのかニャ?」
「その通りでござる。ジギリス帝国は、来たる魔王軍との戦いに備え、各国に軍隊と兵站か、勇者の派遣のいずれかを選ぶよう進達してきたのでござる。勇者とは、それだけ大きな影響のある存在でござる。王たちは、勇者トラを戦場に送るつもりでござった。そのために勇者トラを探したが……別の勇者が名乗りをあげたのでござる。その勇者が戦場に行けば、勇者トラでなくとも、ジギリス帝国に対する役目は果たせるでござる」
「なら、トラを放って置いてほしいニャ。トラは、戦いなんて嫌いなんだニャ」
ルフが見ると、ベッドの上で丸くなっていた勇者トラは、長い話に飽きてしまったのか、目を閉ざしていた。
「それはわかるでござる。勇者トラは、戦争にいかなくとも事は治るでござる。ただし……代わりに送られた勇者では、魔王軍には勝てないでござる。あの勇者は、10年前に帝国に召喚された生き残りでござる。拙者は10年前に戦場であの勇者を見ているでござる」
「……トラに何をさせるつもりだニャ?」
「勇者トラに、ジギリス帝国と魔王軍との戦場に赴いて貰いたいのでござる。これは……魔王軍を知る拙者の、勝手な頼みでござる」
デボネーは立ち上がり、深く頭を下げた。
ベッドの上の勇者トラは、ごろりと転がった。本格的に寝てしまったのだ。




