21 勇者トラ、冒険者としての称号を得る。薬草採取の依頼をこなすこと
勇者トラは、冒険者組合で薬草採取の依頼を受けた。
ランク1の冒険者が、もっともよく引き受ける依頼であるという。
「どんな薬草を集めるニャ?」
ケットシーのルフが、依頼伝票を覗き込む。
「ラグナ草10本当たり銅貨一枚、スリップ花1輪につき銀貨一枚、ナバスナ草の根1グラム銅貨10枚……」
「いろんな薬草が必要だニャー」
「全部集めなくていいのよ。それは発注されているリストだから。その中にある薬草をどれでも持ってくればいいわ」
勇者トラとルフが、受注した受付の正面で立ち止まって依頼を確認していると、受付の女が教えてくれた。
「依頼の成功か失敗かは、どうやって判定するニャ?」
「その中のどれか一つでも、報酬が発生する量を調達すれば依頼達成になるわ。ただし、一日に一回限りよ。大量に採取できたら、薬草を保存する手段があるのなら、何日かに分けて納品すれば、一日に一回依頼達成になるわよ」
「なんだ。楽勝だニャ」
「薬草はいつでも不足しているから、期待しているわよ。『チューチューバスター』さん」
受付の女が笑いながら言った。ルフが睨む。
「なんだニャ? その『チューチューバスター』って……」
「水道局から、冒険者組合に感謝状が届いていたわよ。組合では、優れた功績を残した冒険者に、敬意を込めて称号を授けることにしているのよ。それが『チューチューバスター』ってこと。ランク1の冒険者が二つ名をもてるなんて、異例よ。誇っていいわ」
「ト、トラは、ネズミの専門家なんかじゃないニャ。まるで……ネコみたいな二つ名だニャ」
「ネコなのはあなたの方でしょ? ケットシーの従魔を連れているなら、ぴったりだと思うけど?」
勇者トラの前世に関わることについては、最高位天使であるルフは過敏に反応する。勇者トラがネコであったことを人間たちに知られないようにという、女神の指示もあるのだろう。
もっとも、勇者トラ本人は知らないことである。勇者トラは、話し始めたルフを待つのに飽きて、首の裏をつまんで持ち上げた。
ルフはぶら下がり、動くこともできず硬直した。
※
勇者トラは、聖ブリージア王国の王都郊外に移動した。
王都は戦争に備えて、周囲が高い壁で囲まれている。
「トラ、近衛隊の二人と会う約束をしたのは明日だニャ。覚えているニャ?」
「はい」
ルフは、勇者トラにぶら下げられながら尋ねていた。
「覚えているならいいニャ。どうせ、薬草採取は誰でも受けられる依頼だから、何もせず今日は街の中でのんびりするニャ?」
「どうして?」
ルフは、勇者トラがまじめに薬草採取の依頼を実行するつもりだとは、考えていないようだった。
「そのつもりで、あの依頼伝票をとったんじゃないのかニャ?」
「薬草は足りないんだって」
「そう言っていたニャ」
「取りに行こう」
「勇者トラは、門から出られないニャ。勇者の捜索依頼はなくなったかもしれないけど、門兵に見つかったら、王宮に連れ戻されるニャ」
「門から出ないよ」
勇者トラは、郊外の裏町にやってきた。
王都の中にあって、貧しい市民が住む区画である。
街の壁に、勇者トラは手を置いた。
「……トラ、まさか……」
勇者トラは地面を蹴った。
壁の凹凸に指をかけ、体を持ち上げた。
脚で壁を蹴った。
さらに上がった。
「ニャ、ニャー……」
ルフの悲鳴と共に、勇者トラは30メートルはある城の高い防壁を駆け上がった。
壁は厚く、壁の上は通路になっていた。
勇者トラは、壁の上を横断して飛び降りた。
「ニャー……」
さらにルフが悲鳴をあげる。
勇者トラは空中で意味もなく一回転し、地面に脚から着地した。
勇者トラが途中で口から放したため、空中を舞ったケットシーが遅れて落ちてくる。
勇者トラの腕のなかに落ちた。
「……落ちるニャー……怖いニャー……」
ルフはうなされるようにつぶやき続けた。
勇者トラは、ルフの長いヒゲを引っ張った。
「ニャ……やめるニャ。乙女の敏感なところだニャ、あっ……トラ、生きているニャ?」
「はい」
「私も……昔は飛んでいたけど、飛べなくなると、高いところかに落ちるのは怖いニャ。次からは……異次元ポケットに入れて欲しいニャー」
「はい」
ルフの言うことを聞いているのかいないのか、勇者トラはしっかりと返事をした。
※
勇者トラは初めて、王都の壁の中から外に出た。
草原と、いくばくかの雑木林が見える。
少し移動すれば、森もあるようだ。
勇者トラは、依頼伝票を眺めた。
沢山の薬草がリストになっている。
「トラ、探す薬草のこと、知っているのかニャ?」
「ううん、知らない」
「まあ、当然だニャ。トラがいた世界とは、そもそも薬草の種類も効能も違うニャ。要は……人間がありがたがっている草だニャ。私もわからないニャ。私は最高位天使だったから、人間が頼りにするような薬草なんかなくても、癒しの力を発揮できるし……でも、この世界に干渉するのは禁じられているニャ。力を貸せるのは、トラにだけだニャ」
ケットシーのルフは、久し振りに王都から出た開放感からか、上機嫌に話しながら歩き出した。
勇者トラは足を止める。
「トラ、どうしたニャ?」
「ヒヤリン草」
「まさか、それは貴重な薬草のはずニャ。こんな近くに……そうなのかニャ?」
勇者トラは、雑草の中に埋もれるように生えていた淡く蒼い草を摘んだ。
「はい」
収穫した薬草は、勇者トラの異次元ポケットに入れる。勇者トラの異次元ポケットの中では、物体は時間を停止させる。それは、ルフが経験済みだ。
勇者トラは収納した薬草の代わりに、ネズミの死骸を摘んで引き出した。
異次元ポケットの容量がいっぱいになってしまったのではない。単に小腹が空いたので、おやつ代わりに口に入れた。
尻尾はない。ネズミ討伐の証拠として提出してしまった。
勇者トラは、数歩行った時で止まった。
「トラ、どうしたニャ?」
「ミカゲ草」
「ミカゲ草がどうしたニャ。それがそうなのかニャ?」
勇者トラは、鈴のような花を咲かせた草を摘んだ。
「……よく見つけるニャ。待った……トラが、この世界の薬草を知っているはずがないニャ。一体、どうやって見分けているニャ? ひょっとして……匂いかニャ?」
「書いてある」
「ニャ?」
勇者トラの答えに、ケットシーのルフは大いに驚いた。
「じゃ、じゃあ……これは?」
「ゴリナ草……リストにない」
「つまり、ただの雑草だニャ。書いてあるって、どこに書いてあるニャ?」
「ここ」
勇者トラは、何もない空中を指で示した。
ルフは顔を近づけて凝視する。
「……何も書いていないニャ。トラ、書いてあるのは……草の名前だけかニャ?」
「ううん……天使」
勇者トラは、ルフのもさもさした毛皮に覆われた額を指差して言った。
「トラ、照れるニャ。いきなり……じゃないニャ。私の説明が出ているニャ?」
「はい」
「ほ、ほかには?」
「土、石、風、手……」
勇者トラは、次々に指で指していく。
「名前だけかニャ? 例えば、説明とか……」
勇者トラがルフを見る。しばらくして、言った。
「『女神の命令で勇者トラのお付きをしている最高位天使。ケットシーは仮の姿だが、自分の意志では戻れない。勇者トラに従魔として契約し、ルフの名を与えられた。この世界に干渉する能力は使用できないが、勇者トラに対する能力は使用可能』」
「……そう書いてあるニャ?」
「はい」
「間違いないニャ……鑑定スキルだニャ。あの女神、異世界転移した勇者が欲しがるスキルをパッケージにしておいたって言っていたニャ。時間がなかったからにしても、かなり高精度の鑑定スキルだニャ。もう、無茶苦茶だニャ……」
「あっ……ヒヤシン花」
「ああ、それも薬草かニャ? 私にはわからないニャ」
「はい」
鑑定スキルを持つ勇者トラにとって、薬草採取はいわば天職だ。何ら知識がなくとも、草を見れば名前だけでなく、効能や使用法までわかるのだ。
普通は、薬草採取には数日をかけ、野山を徘徊する。
勇者トラは、王都から数歩歩いただけで、希少な薬草を次々と収穫していた。
しかも、勇者トラには異次元ポケットがある。どれほど収納しても満杯にはならず、勇者トラは飽きるまで、薬草を摘み続けた。




