14 勇者トラ、残飯を漁る。自由を求めて王都から出ようとした結果のこと
勇者トラは、ブリージア聖王国の王都グルシャの下町にある、レストランのゴミ箱を漁っていた。
勇者トラの鼻が確かなら、最も美味しい残飯が捨てられているレストランなのだ。勇者トラの鼻が、人間より確かではないことなどはあり得なかった。
「美味しい」
勇者トラは、捨てられたチーズに食べかけのハムを載せて食べてみた。
「はい」
「ありがとうだニャ」
共に行動するケットシーのルフに対する気遣いも忘れない。
勇者トラは、多くない食料も分け与えるのだ。
「うん。美味しい……けど、なんか違うニャ。この生活に満足してはいけないニャ」
一通り残飯を漁っても、体が人間仕様となった勇者トラは、満腹とはならなかった。これ以上美味しい残飯があるレストランの裏口はない。勇者トラは諦めて壁によりかかった。
「じゃあ……こっち?」
勇者トラが、どこからかネズミの死骸を取り出してルフに差し出す。
「うニャ……違うニャ。私はネコに見えても、ネコじゃないニャ。ネズミの死骸を生のまま食べることなんて、どんなにお腹が減ってもできないニャ。でも……トラは時々食べているニャ。いや、いらないニャ。私が聞きたいのは、どこから出しているニャ?」
「ここから」
勇者トラは何もない空間に手を差し入れた。手首から先が空気の中に消えた。
「ニャ?」
ルフが大げさに驚いて見せる。
「ど、どうなっているニャ?」
ルフが勇者トラの手を取る。勇者トラが手を差し入れた空間を凝視する。
「何もないニャ。最高位天使の私が見つけられない亜空間なんてあるはずがないニャ……ひょっとして、勇者トラのスキルかニャ?」
「……『スキル』って何?」
勇者トラがこの世界に召喚されて、すでに3日が経過していた。王城で綺麗な服を着たのは初日だけで、残りの二日間は街中で残飯を漁って過ごしていた。
救いでもあり、逆に問題なのは、勇者トラ自身が全く苦にしている様子がないことだ。
非常に位の高い天使であるルフにとっては、屈辱以外の何者でもない。
そのルフにとっても、まだ勇者トラについては知らないことが多い。
ルフは勇者トラの目を覗き込む。目から、脳の情報まで読み取れるのだ。
「あっ……そういえば、女神が言っていたニャ。時間がないから、異世界人が欲しがる諸々のスキルをセットにしてプレゼントするって。ああ……異次元ポケットみたいなスキルもあるニャ。このスキルで、何もないところからネズミの死骸を出していたニャ。トラ、異次元ポケットってわかるかニャ?」
「はい」
勇者トラは良い返事をして、薄汚れた近衛隊隊士の服のポケットを裏返した。
「違うニャ。スキルだニャ?」
勇者トラはこてりと首を傾ける。
「やっぱり、理解しないで使っていたニャ。知らずに使えるってのは……天才ともいえるけど……知っていたら、もっと便利に使えるはずだニャ。捕まえたネズミの死骸を詰めるだけとかじゃなく……まあ、用途は間違っていないけど、趣味が悪いニャ。もっとよく見せるニャ。きっと、他にも……うわぁー異次元ポケットのスキル、どんだけ広いニャ。あの女神……どうかしているニャ。あっ……」
女神の悪口を言ったからだろうか、ケットシーのルフが消えた。勇者トラには、どこに行ったのかわかっていた。
何もない空間に手を差し入れ、引っ張り出した。
ルフが異次元ポケットと呼んだ異空間に落ちたのだ。
「……ニャ? 何かあったのかニャ?」
「おやつ置き場に落ちた」
「私がかニャ?」
「はい」
「ああ……そうだったニャ。何も覚えていないニャ。ということは、異次元ポケットの中は、時間が止まっているニャ。これで一つ、検証できたニャ。私は、わざと異次元ポケットに入ってみたニャ」
「はい」
「清々しく肯定されると、照れるニャ」
ルフが恥ずかしそうに身をよじる。
勇者トラは場所を変えるつもりになった。理由はない。なんとなくである。
勇者トラはルフの首筋を口にくわえ、持ち上げた。
「トラ……この持ち方は、恥ずかしいニャー」
苦言を呈しながらも、ルフは首裏の皮でぶら下げられている以上、身動きはできなかった。
ただじっとしている。
勇者トラはレストランの屋根の上に軽々と飛び乗り、屋根の上を移動した。
※
勇者トラは、屋根の上を伝い歩いていた。
人間の体になったため、簡単にはお腹が一杯にならなかったが、バランス感覚はネコのままだ。
昼間に往来を歩くかのように、勇者トラは夜の闇の中、屋根伝いに歩いていた。
「勇者トラ、ちょっとゆっくり歩くニャ」
見た目は二足歩行のネコであるルフは、本来天使である。空を飛ぶ能力も失い、勇者トラの後を屋根にしがみつくようについてくる。
勇者トラは振り返った。
「ニャ!」
ルフは避けようとした。だが、勇者トラは逃さなかった。ルフの移動速度に合わせてはいられない。勇者トラはルフの首筋の皮を口にくわえた。
屋根の上に飛び乗る時にも同じことをしたが、恥ずかしがるルフのために、屋根の上では解放していたのだ。
「トラ、人間の町では、残飯しとネズミしか食べられないニャ。もっとお腹いっぱい食べるには、外に行った方がいいニャ」
勇者トラの口からだらりと垂れさがりながら、ルフは言った。
勇者トラは答えない。答えれば、ルフを落としてしまう。
答えなくとも、ルフが言ったことを理解していた。勇者トラはまっすぐに進んだ。歩いても、足音はしなかった。
屋根を蹴り、空を渡り、町の端まで来た。
町の周囲は、高い城壁が取り囲んでいた。流石に壁は超えられそうもない。連なる民家と壁の間には、敵襲を想定してか広い幅がある。
勇者トラ地上に降りた。
「門から出ればいいニャ」
勇者トラの口から解放されたルフが伸びをした。超えられないなら門から出る。勇者トラが外に向かっていると判断したケットシーのルフは、勇者トラに知恵を与えた。
勇者トラは町の門に向かった。
門には警備の兵がいた。
「待て。お前、どこから来た?」
兵士が槍を構える。勇者トラは背後を指差した。
来た方角を指さした勇者トラの指の動きは、たまたまケットシーを指さした。ルフが勘違いして答える。
「天界からだニャ」
「黙れ。魔物には聞いていない」
「酷いニャ」
うっかり口を滑らせたことにルフが気づかないほど、兵士たちは慌てていた。
1人が武器を構え、1人が走り去り、待っているうちに10人の兵士を連れてきた。
「な、なんだニャ? 私たちは、ただ町を出たいだけなんだニャ」
兵士たちの中から、隊長と思われるヘルムに羽飾りをつけた男が進み出た。
「勇者トラと従者のケットシーだな」
「はい」
「トラ、ちょっとは誤魔化すニャ」
「勇者トラには、王家侮辱罪、ケットシーには勇者誘拐の嫌疑がかかっている。町の中にいればいいが、出ることはできん」
「……町の中では、食べるものがないニャ」
「王城にもどればいいだろう」
「牢屋は嫌だニャ」
「罪を償うのは当然だ」
「理不尽だニャ」
「おい、ちょっと待ちなよ」
勇者トラは、兵士に囲まれてぼんやり立っていた。自分が窮地にいるという認識はなかった。
その背後から、勇者トラが困っていると思ったのだろうか、声がかけられた。
振り向くと、兵士たちとは違う、装備が不揃いな人間たち4人が立っていた。




