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けんしん体操 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふうう……よーし、今日の運動はここまでにしよう。

 汗ばむくらいの運動がいいといわれても、こうも暑くては運動で汗かいているのか、暑さで汗かいているのか、もう判断がつかないね。

 運動は多くの病気を予防するのに、つながるという。ガンに関してもすべての種類をカバーとは言わないが、腸などはほぼ確実に確率を減らせると見られているようだ。

 

 身体は使えば使うほどその部位の働きが鋭くなり、使わなければ使わないほど鈍くなっていく。素直というか愚直というか、省エネやメリハリという点においては、かなりきっちりしているといえるかもしれない。

 こうも素直に動けるのは、ひとえに彼らに「しがらみ」がないからだと私は思っている。私たちは脳みそで、自分が行うことに対し、どのような影響が出て今後がどうなるか計算してしまう。結果、不本意で非効率的なことも、しぶしぶ行う羽目が出てくる。

 しかし、身体にそのような忖度はない。我々が行ったことの積み重ねを、厳然と突き付けてくるのみ。

 ある意味、機械と同じだろう。自分の思い通りに動かしたければ、相応の操作がいる。

 私の昔の話なんだけど、聞いてみないかい?



 運動していたことの証明として、もっともはっきり現れるのは汗。および、それを吸った、本人の着る衣服だろう。

 黒いシャツなどだと、そのあたりが顕著だ。あごから垂れたか、胸から出たか、胸板のあたりが黒々と染まっているのを見ると、「おお、汗かいている〜」と思うものだ。

 こいつがもうちょっと下に行くと、今度はおねしょだのなんだのと、疑惑をかけられる。ただ水をこぼしただけだとしても、あらぬ疑いをかけられ、あとあとのネタにされることも多いものだ。

 ゆえに社会において、相手に弱みを見せるのは怖くなる。敵対者はもちろん、気の置けない仲間であっても、いっときの笑い話で済まされるとは限らないからな。あとあとになってもネタとして尾を引き、当人さえ気にしなくなったころに、またもかさぶたをはがしにかかる。

 いち生涯、延々と付きまとわられる恐れがあると、しり込みする人の気持ちも分かってしまうな。


 いささか話が逸れた、と思うだろう?

 実はこの濡れる部分に関してが、今回の話の肝であるんだ。

 その日、友達がびしょ濡れの姿を私に見せつけてきた。

 夏休みの午後、遊ぶ予定をしていて待ち合わせていたんだ。てっきり、ここに来るまでに相当な汗をかいたものだと思ったよ。その割には、学校にいる時と同じく、でっぷり太っていたけどね。

 ただ、それが汗臭さだったら良かった。


 馬糞臭さって分かる? 少し自然が多いところに足を運んだならば、結構慣れっこになってしまう、かぐわしい香りさ。

 私の住んでいた場所は、その手の臭いがしてもおかしくない立地でね。ちょうど最寄り駅の隣の駅まで足を運ぶ道中は、同じような香りが漂う。てっきり、そちらを通ってきたものだと思っていた。

 その日は映画を観に行く予定。そちらの駅とは反対方向の路線をたどり、3つ先を目指す。このあたりだとそこしか、私たちが目当てとする映画は上映されていなかったからだ。



 だが映画館についてからも、友達の様子が少しおかしい。

 いつも映画を見る前に、山ほどポップコーンを買っていくのだけど、今日はそれがない。普段は控えめのサイズと飲み物で済ませている私の方が、大食らいになってしまう。

 そしてスクリーン前の席を確保するや、急に立ち上がってトイレに行く始末。

 他の映画の予告編が始まっても、彼はまだ帰ってこない。いつ帰ってくるか気にしながらも、私は本番さながらの大画面、大音量の宣伝に、本番が始まったのかと何度か勘違いしていたよ。

 お客の入りもそこそこ。前に座る頭はちらほら見えるのみだった。


 そうして本編が始まる直前。座席全体がより暗く沈んだとき、ようやく友達らしき影が戻ってきた。が、やはりおかしい。

 はじめにまとっていた、馬糞臭さが増している。そして私の列に入り込んでくるまで、足元から響く水音。ゴムの靴底と相まってキュッキュと耳障りな音を出していたんだ。

 席に着くときも、シャツが重くこすれる音。そして、私の前の座席――誰も座ってはいなかったけれど――に、かすかに水の跳ねが飛ぶ。


 ――あいつ、トイレでいったい何をしていたんだ?


 そう思いながらも、「遅かったな」のひとことで私は済ませる。

 それに対し、友達はこう返してきたんだ。


「今日は、急な『けんしん』が入ってさ」


 けんしん? 用事があるならならどうして、映画を一緒に見に来たのか?

 しかし、彼は本当に急に入ったんだと、詳しいことを話してくれず、やきもきしたよ。


 それから30分ほど。映画のひとつの山場へ差し掛かったときだ。

 私が席横のホルダーに挿していたポップコーンをつまもうとすると、その手の甲をはじかれたんだ。

 むっ、として手の主を見やる。隣に座っている友達だったんだ。あいつはほとんど席から腰を浮かせていた。


 この時、人が少なくてあたりも暗かったことが、幸いだったかもしれない。

 あいつは最初、体操のように腕ごと身体をひねる動きを見せたんだ。しかし、我々がラジオ体操などでやるあの動きは、頑張っても自分の真後ろか、もう少し先までしかひねれないはずだ。

 だが、あいつは回った。足をまったく動かさないまま、腰より上の動きだけで、一回転、二回転、その先も……。


 もう映画を見るどころじゃなかった。

 腰が一回回るたび、あの時聞いた水音が、遠慮なく響く。ぶしゃりと立つ音は、ちぎれんばかりに雑巾を絞ったかのような、錯覚さえ覚えた。

 そして飛ぶ。私にも周りの席にも、あいつから出たしか思えない水のしぶきが。

 いずれも、あの馬糞臭さを含んだもの。それでも私が叫んだりしなかったのが、あまりにあいつの奇怪な動きに理解が追い付いていなかったからだ。


 何回回っただろうか。

 そいつがぴたりと止まったとき、あいつは私に「すまんが、またな」と告げて、劇場から出て行ってしまったよ。

 そのシルエットは入ってきたときの太りがどこへやら、すっかり細くなってしまっていた。そして私も帰り着くまでの間、あの馬糞臭さがとれずじまいだったのさ。



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