はぐれ半魔とツンデレエルフ ~勇者が異世界に帰ってしまったので、犬猿の仲だったパーティーメンバー二人が冒険の旅にでることになりました~
むかーし昔、いいえ、そんなに昔のお話ではないかもしれません。
そこは異世界から来た勇者の活躍によって、魔王のいなくなった平和な世界です。
「ありゃりゃ? こっちでいいと思ったんだけどな……」
「ちょっと! 本当に大丈夫なの? あんたが道知ってるって言うから、ついて来たのに!」
あるところに、世界中を旅している男の子と女の子がいました。
二人は陽もそろそろ落ちようとしている頃、とある地方の峠道にさしかかっていたのですが……。
「あん? 仕方ねーだろ、知ってる道だと思ったけど、違ってたんだよ!」
この目つきの悪いブロンドの男の子は、アレックスくん。
魔族の父親と人間の母親のあいのこで、歳はおそらく十六〜七、半人半魔のちょっと乱暴な剣士です。
「はぁー? 本当にあっきれた! どうしてあんたは、いつもいつもそう馬鹿なのよ!」
長いブロンドの髪と綺麗な青い瞳、長く尖がった耳がチャームポイントの可愛い女の子は、エルフのノエルちゃん。
まだ十七歳ですが、聖都にある大学を卒業して、博士号を持っているとっても賢い魔法学者さんです。
「んだと? このクソエルフ! この俺様を馬鹿って言いやがったな!? もういっぺん言ってみろ!!」
二人は勇者と魔王のいなくなった世界で、行方をくらましている魔王を復活させた悪い悪魔をさがし、今日も仲良く冒険を……。
「馬鹿だから馬鹿って言ったんでしょ? このチンピラ剣士! あんたのせいで、今日は野宿じゃない!!」
今日も仲良く……。
「二……二度も馬鹿って言ったな!? もう勘弁ならねー! 今日という今日は、そのエラそうに尖った耳をへし折ってやるぜ!!」
仲良く冒険を……。
「ふん! できるもんなら、やってみなさいよ! あんたなんか、私の魔法でケチョンケチョンにしてやるんだから!!」
「へん! てめーの魔法なんか、かすりもしねーんだよ!! このへっぽこ魔法学者!」
今日も仲良くののしり合いながら冒険していました。
調度そんなときでした。
薄暗くなった山道でいがみ合っている二人を尻目に、茂みの奥からガサガサと音がしてきました。
「へっへっへ……いい獲物を見つけたぜ!」
「高そうな剣を持ったガキと、上玉のエルフ女じゃねーか!」
「こりゃついてるぜ、難民の奴らは小汚いガキ連れてるだけで、金目のもんなんかロクに持ってやしねーからな」
「おい! ガキ! その剣とあり金全部、それとエルフの女をおいてきな! さもないと……」
突然現れたのは、筋骨隆々、ヒゲも体毛ももじゃもじゃで、品性の欠けらもない如何にもな感じの盗賊たちでした。
盗賊たちは持っている斧や剣を振りかざし、仲良くののしり合っている二人に迫ります。
「……さもないと!」
「はん! 言ったわね、もう謝っても許してあげないんだから! 私の極大呪文をおみまいして、塵も残さず消し去ってあげる!」
「そんなすっトロい呪文なんざな、出る前にその目障りな耳をちょん切ってやるぜ!」
「えーと、さもないと……」
大変です。アレックスとノエルは言い争いに夢中で、間近に迫る盗賊の危機に気が付こうともしていません。
さすがに痺れを切らした盗賊たちは、声を荒げて更に二人を脅かします。
「このクソガキども!! 俺たちを馬鹿にすんのもいい加減にしやがれ!! ぶち殺すぞ!!!」
「……あん? んだよ、おっさんたち? こっちは今、このクソエルフと取り込み中なんだよ!」
「うっとうしいから、後にしてもらえる? 今はこのチンピラ剣士を懲らしめなきゃいけないの!」
「え……ええー?」
それでも、自分たちを無視してケンカに夢中の二人。
人相最悪なその盗賊たちの中でも、一番凶悪そうな顔をした盗賊の親分は、怒りに震えながら名乗りを上げます。
「ガキども、どうやらこの俺が誰だかわからんようだな! 街道一の盗賊団、パラノイアのジャーヴィス様とはこの俺のことなのだ!!」
「……盗賊!?」
「……嘘!?」
親分が恥ずかし気もなく名乗りを上げてくれたおかげで、アレックスとノエルはやっと身に迫っていた危機に気付いたのです。
先程までいがみ合っていた二人は、名乗りを上げて自信満々の親分を、晴れやかに微笑みながら見上げました。
「なんだおっさんたち、俺たちを襲うつもりだったのか? そうならそうと、最初から言ってくれりゃ良かったのに!」
「……へ?」
「調度よかったわ! これで今日は野宿しないですみそうね!」
「あ……え?」
二人はかつて、異世界から来た勇者と一緒に魔王から世界を救った仲間たちです。
アレックスくんは勇者の師でもある剣神ジャスティーンから剣術を学び、伝説のドラゴンを倒すほどの腕前です。
そして、ノエルちゃんはあらゆる種類の魔法に精通し、伝説の魔法を使って魔王を封印するのに大活躍しました。
ポカンとする盗賊の親分を嬉しそうに見つめる二人、もう大ピンチです。
★ ★ ★ ★
辺りはすっかり夜の闇に包まれ、チーズみたいな色をした月明りが、夜道をうっすらと照らす頃です。
夕方峠道で道迷いをしていたアレックスとノエルは、とある町の宿屋に無事たどり着いていました。
「これはこれは、こんな夜分に道中大変だったでしょう。この辺も最近では物騒になりましたから」
夕飯時も終わった頃の突然の来客でしたが、人の良さそうな宿屋の亭主は二人をこころよく迎えてくれます。
「いいえ、とてもお優しいおじさまたちが、この町まで道案内をして下さいましたの」
「それはそれは、ずいぶんと親切な御仁だったようで」
「ああ、そうだな、最後には金まで置いていってくれたんだからよ、ご機嫌なおっさんたちだったぜ!」
「……え?」
「あははは……なんでもありませんのよ! ……あんたは黙ってなさい!」
アレックスが口走った意味深な言葉に亭主は首を傾げますが、ノエルがすかさずごまかしました。
その宿は大きくはありませんでしたが、小綺麗でとても居心地が良さそうです。
二人は親切な亭主に二階の部屋まで案内され、こんな素敵な部屋に泊まれることに満足を……。
「って、なんで私があんたと同じ部屋で一緒に寝なきゃいけないのよ!」
「るせーな! 仕方ねーだろ? 二人部屋しか空いてなかったんだからよー!」
「良くないわよ! 私みたいにうら若き可憐な乙女が、あんたみたいなチンピラと一緒の部屋で寝られるわけないでしょ!!」
「あーん? 誰がてめーみたいなガキ臭いアバズレエルフを襲うんだよ? 自意識過剰なんじゃねーか?」
「な……なんですってー!!?」
せっかく宿屋に泊まることができるのに、二人はまたどうでもいいことで言い争いを始めてしまいます。
でもここは夜の宿屋、あんまり騒いでいると……。
「お客様、申し訳ありませんが、他のお客様のご迷惑になりますので……」
「あら、いやだ、私ったら! ごめんあそばせ、おほほほ……」
「……っけ! 言わんこっちゃねー」
あまりの大声に、堪りかねた亭主が部屋まで注意に来てしまいました。
ノエルは反省し、渋々アレックスと同じ部屋で眠ることにしたのです。
「あーあ、今日も疲れたぜ! とっとと寝るか……」
「あんた、ここから先に一歩でも踏み入れたら、火炎魔法でローストチキンにするから!」
ノエルは自分のベッドとアレックスのベッドを最大限離し、その間に手で線を引いて見せます。
正直、アレックスはもう疲れていたので、彼女の話を聞き流して空返事をしていました。
「ちっ! やっと寝やがったか……相変わらず、口うるさいクソエルフだぜ!」
なんだーかんだー! と元気いっぱいのノエルでしたが、さすがに歩き疲れたようで、天使のような顔をしてぐっすりと眠りにつきました。
「けっ! これでもう少し大人しかったら、可愛げもあるってもんなんだがよー……、小便でも言って来るか」
ノエルを起こさぬよう、アレックスは静かに立ち上がって、部屋の外のトイレへ向かおうとします。ところが、
「な……なんだ? なんでこんなところに見えない壁があんだよ? もしかして……!!」
アレックスが部屋の中央まで進むと、さっきノエルが手で印をつけたあたりに透明な壁があって、先に進むことができません。
アレックスは血相を変え、ぐっすりと眠るノエルに対して声を上げます。
「ちょ! てめー、ふざけんな! こりゃ、障壁呪文の『ワンダー・ウォール』じゃねーか!?」
「……むにゃむにゃ……ぜっらいに……入らないれ……」
「起きやがれ、このクソエルフ!! 俺の小便がー!!!」
夜の宿屋にこだまする、アレックスくんの元気な雄叫び……。
こうして、この町での最初の夜は更けていくのでした。
★ ★ ★ ★
ところ変わって、ここは夜の静まり返った町の通りです。
さっきまでの温かいベッドは一体どこえやら、アレックスとノエルは真っ暗闇にポツンと佇んでいました。
「……最悪! あんたが夜中に大声出すから、せっかくとれた宿を追い出されたじゃない!!」
「ふざけんな! 部屋ん中に『ワンダー・ウォール』なんか張りやがった、てめーがワリーんだろ!!」
あらら、二人は宿屋を追い出されても尚、寒空の下でまた言い争いを始めます。
世界は魔王がいなくなって平和になったというのに、どうして人は争うことをやめられないのでしょう。
「もうやだ! 剣神ジャスティーン様の頼みだからって、なんで私がこんなチンピラのお守りしなきゃいけないの!」
「俺だってな! 師匠の言いつけじゃなけりゃ、お前みたいなクソエルフと旅なんて、まっぴらごめんなんだよ!」
このお世辞にも仲良しとは言えない二人が、ののしり合いながら一緒に冒険をしている理由……。
かつては悪童と呼ばれたアレックスですが、彼は良くも悪くも力の信奉者です。
勇者の剣の師であり、戦神にして剣神、『暁の騎士』と呼ばれた師匠の剣神ジャスティーンには、絶対服従なのです。
そして、彼のことが大嫌いなノエルも、偉大なる神様の依頼を断れず、渋々彼のお目付け役として旅に同行していたのでした。
「ど、ドロボーだー!! 誰か捕まえてくれ!!!」
今にも泣き出しそうなノエルと、頭を抱えるアレックスの耳に、町の住人と思われる人の悲鳴が聞こえてきました。
振返った二人の目には、大きな布袋を持った粗野そうな男が、こちらの方に向かって一目散に逃げて来るのが見えました。
「邪魔だ! そこをどきやがれー!!」
「あん?」
ドロボー男は、道を塞いでいる二人を押しのけて逃げようとします。
ですが、その男の態度にイラッときたアレックスは、避けるふりをしてとっさに足をかけたのです。
「ぎゃー!!!」
ドロボーの男は足を取られて、すってんころりん。アレックスに頭をコツンとやられて、あえなく気絶しました。
すると、後から追って来た町人の男が、アレックスのもとに駆け寄ってきます。
「どーもすみません! ドロボーに今月の稼ぎを取られてしまって……なんとお礼を言ったらいいものか!」
「お……おう」
その町人の男は恩人であるアレックスに大いに感謝し、是非お礼をしたいと申し出ます。
すると、それまで沈んでしまっていたノエルが、長い耳を嬉しそうに動かしながら町人の男に詰め寄りました。
「おじさま! 私たち宿がとれずに困ってますの! 今夜一晩泊めて頂きたいのですが!!」
「え……ああ、そんなことでよろしければ……」
瞳をキラキラさせるノエルの押しの強さに、町人の男は少したじろぎました。
ですが、これで二人はようやく今日の寝床を確保することができたのです。
町人の男の名前はサイモンといい、この町で小さな商店を経営していました。
すぐ近くのサイモンの家に案内された二人は、客人用の寝室に案内されます。
「ちっ! また二人とも同じ部屋か、もう追い出されるのはごめんだからな、騒ぐなよ!」
「もういいわよ、あんたのおかげでもあるし……疲れたから、もう寝る」
もう疲れて文句を言う気力もなかったのか、ノエルはベッドに寝転がるなり、すぐに眠ってしまいます。
さっきまで言い争っていたノエルの天使のような寝顔を見つめ、アレックスはため息を吐きました。
「たくよー、師匠の頼みだろうが断ることだってできただろーに、つくづくお人好しでお節介なクソエルフだぜ……」
アレックスはノエルがいつも空元気だということを知っていました。
ノエルが魔王との戦いの後、深い悲しみを背負って生きているということもです。
――アズマ、行かないで……私のそばにいてよ……」
ノエルの憂いをおびた瞳から、ひとすじの涙が零れます。
世界を救ったあの日、魔王が世界から消えたあの日、ノエルは世界で一番想いをよせていた人と生き別れました。
ノエルは幼い頃に出会い、共に戦った勇者を心から愛していたのです。
厳しい戦いの末に世界を救ったものの、恋い焦がれていた勇者と離れ離れとなった女の子……。
ああ、可哀想なノエルちゃん。
そんなノエルの寂しげな寝言を聞いて、アレックスは舌打ちをして布団をかぶります。
「ちぇ! だからお前はガキだって言うんだよ。こっちまで辛気臭くなっちまう……」
家の外からはスズ虫の美しい歌声だけが聴こえてくる、静かで儚げな夜でした。
二人はこの町で起きている異変になど気付くわけもなく、ぐっすりと眠りについたのです。
★ ★ ★ ★
明くる日、サイモンの奥さんは二人に朝食を用意してくれました。
サイモンの家族は、奥さんに小さな娘が一人の三人家族です。聞けば、この町で代々商店を営んでいるというお話でした。
食卓を囲むと、アレックスは無遠慮にがつがつ食べ物を口に運び出します。
「ちょっと、恥ずかしいでしょ! 少しはお行儀よくしなさいよ!」
ノエルは堪らずアレックスをたしなめます。サイモン一家は苦笑いです。
「あははは……いいんですよ、昨晩はありがとうございました。それにしても、この町も難民が増えたせいで本当に治安が悪くなってしまいました……」
サイモンは二人に再度昨夜のお礼を伝え、町の治安の悪化をぼやきだします。
そういえば、追い出された宿屋の亭主も同じようなことを言っていました。
ノエルは不思議に思い、サイモンに問いかけます。
「治安が悪くなったのは、最近のことなのですか?」
「はい、数年前に領主が変わって以来、今の伯爵様は貧民救済の名のもと、領内への難民の受け入れを拡大させました」
「とてもいいお話に聞こえますが?」
「冗談ではありません。領外から犯罪者でもなんでも際限なく難民を入れるもんだから、素行の悪い難民による犯罪が増えているんです!」
最初は穏やかだったサイモンも、話しているうちに興奮し始めます。
ノエルはなだめるように話を続けました。
「領主は何か対策をとっていないんですか?」
「それなんですよ、伯爵様は難民が犯罪を起こすのは家や職がないからだと言って、町のはずれに大規模な難民居住区の建設を始めたんです」
「それにも何か問題がありまして?」
「もちろん、ただでそんなものできるわけがありませんから、財源確保に元々の領民には増税を課したんです。私たちは難民が起こす犯罪に怯えて、領主からは高い税金をむしり取られ、八方塞がりなんです……」
サイモンが重い話をしてる最中も、アレックスは遠慮なくパンをむさぼっていました。
ノエルが言葉を詰まらせる中、サイモンの奥さんが心配そうに口を開きます。
「それに、最近では小さな子を狙った人さらいが増えているみたいで……うちの子もまだ小さいから、心配です……」
とりあえずわかったのは、古くからの領民が今の領主に大きな不満を持っているということでした。
アレックスとノエルは、朝食を食べえ終わるとサイモン夫妻にお礼を言い、昼間の町へとくり出します。
「さっきの話、よくわかんねーが、悪党にとってはずいぶんと居心地の良さそうな町だな? 昔の俺だったら、是非居すわりたいところだったぜ」
「そうね、領主のやっていることの意図が見えないわ。こんな社会不安を起こしてまで、難民をどんどん入れるなんて……」
「そうか? 単に頭お花畑なウスら馬鹿なんじゃねーのか?」
アレックスはいつもの通りあっけらかんとしていましたが、ノエルはどうも何かが引っかかっているようです。
「まさかお前、この町の一件にデーモン・アドバートの野郎が絡んでるとでも思ってるのか?」
「わからないわ……でも、何か凄く嫌なものを感じるの。気のせいならいいのだけど……」
デーモン・アドバートとは、二人がさがしている悪い悪魔のことです。
インチキくさい紳士の姿をして、あるときはメフィストフェレスなどとも呼ばれ、巧みな話術で人の弱みにつけこむ狡猾な悪魔でした。
ノエルの表情があまりにも深刻そうだったので、アレックスはいつものように茶化したりしませんでした。
ノエルのこういう虫の知らせが、アレックスはよく当たるということを知っていたのです。
秋の陽ざしでポカポカする通りを、二人は町はずれの難民たちの居住区を目指して歩き出しました。
★ ★ ★ ★
町の西のはずれ、現在建設の進む難民の居住区はそこにありました。
今は遊牧民が住むような仮設テントが立ち並び、ちゃんとした居住区ができるまで難民たちはそこに住んでいるようです。
「聞いてはいたが、ずいぶんといっぱいいるみたいだなー」
「この人たちが食べる物を確保するのだって、大変なはずよ。やっぱり、かなり変わった領主みたいね」
ノエルは試しに、近くにいた難民の女の人に話を聞きます。
「本当にここの領主様は素晴らしい方よ、私たち難民に食べ物や住むところを与えてくれて、子供のいる難民には特に好待遇なのよ!」
他の難民たちにも話を聞いてみますが、古くからの領民と違って、難民たちの領主に対する評判は皆良いものばかりでした。
「そうそう、だから子供のいる難民は、みんなここを目指して遠くから山を越えてくるのさ」
「そうか、だからこんなにガキばっかりいやがるのか」
アレックスが見渡す難民の居住区には、領民の暮らす地区に比べて明らかに子供の数が多いように見てとれました。
それは、人族から亜人に至るまで色々な種族の子供たちです。
「こんなに子供ばかり集めて……労働力にもならないし、何がしたいのかしら……ん?」
ノエルが首を傾げていると、小さなダークエルフの女の子がノエルのスカートを引っ張っていました。
粗末な格好をした、五~六歳くらいの難民の女の子です。
「お姉ちゃんエルフでしょ? 魔法が使えるの?」
「ええそうよ、お姉ちゃんはね、これでも魔法の先生なんだよ」
ノエルは腰を下すと、ダークエルフの女の子に優しく答えます。
女の子は酷く不安そうな顔で、ノエルにすがり付くように言いました。
「あのね……私のお姉ちゃんがいなくなっちゃったの……」
「それは大変ね、人さらいにあったのかしら?」
ノエルはサイモンの奥さんの言葉を思い出しました。
確かにこれだけ子供が多ければ、子供をさらおうとする悪い輩も出てくるはずです。
しかし、女の子は首を横に振りながら言いました。
「違うの、お姉ちゃんね、夜に目を覚ましたと思ったら、一人でお外に行っちゃったの」
「それで、お姉ちゃんはどこに行っちゃったの?」
「私、お姉ちゃんを追いかけて行ったけど、私の言うこと全然聞いてくれなくてね……湖まで行ったら、水の上を歩いて島の方に行っちゃったの」
「え……水の上を?」
女の子の言ったことに、ノエルは自分の耳を疑いました。
それまで黙っていたアレックスが、すかさず笑い声を上げます。
「へっへっへ……嬢ちゃんよ、そりゃ夢ってもんだぜ。人さらいなら、ここの大人にでも任せときな」
「夢じゃないもん! 私、本当に見たんだもん!!」
褒められたものではありませんが、アレックスの反応は当り前でした。
しかしノエルは少し違いました。その子の話を聞いて、何か思うところがあったようです。
「わかったよ、君のお姉ちゃんさがしてみるね。私はノエル、君とお姉ちゃんのお名前は?」
「ありがとう、ノエルお姉ちゃん! 私ドナ、お姉ちゃんの名前はエマって言うの!」
ノエルはその後、ドナからエマの特徴や、いなくなった状況をこと細かく聞きました。
アレックスにとっては、なんのことやらと言った感じです。
「たくよー、なんで俺らが迷子さがしなんかしなくちゃならねーんだよ……」
ノエルがドナとお話してる間、アレックスは退屈そうに辺りを見回します。
すると、難民の子供たちがある大人のもとへと集まっていたのです。
「……ん? なんだあの野郎?」
子供たちの中心にいたのは、難民街には似つかわしくない貴族のような出で立ちの青年でした。
子供たちを集めて、何かを配っているようです。
「コラコラ、押さない押さない、全員の分あるからね。いい子にするんだ」
どうやら、その青年は子供たちにお菓子を配っているようでした。
アレックスがそれを見て不思議そうに首を傾げていると、近くにいた難民の男性が声をかけてきます。
「あの方は領主様のご子息のグレン様ですよ。ああやってたまに視察に来られて、子供たちにお菓子を恵んで下さるんです」
「ふーん、ずいぶんと殊勝なこったな」
「ええ、領主様もグレン様も大変お優しい方々です。我々難民にとっては神様のような存在ですよ」
子供たちにお菓子を配るグレンは、優しい好青年のように見えます。
ただ、アレックスはどうもグレンのことを良くは思えません。彼はへそ曲がりなんです。
「ちっ、偽善者野郎め……」
アレックスが舌打ちすると、少し離れたところで難民の女性が悲鳴を上げます。
「いやー! ドロボー!! 誰か捕まえてー!!」
「なんだ、またドロボーかよ! 一体どーなってんだ、この町はよ?」
振り返ると、布袋を抱えた屈強そうな大男がアレックスの方を目がけて走ってきます。
「邪魔だ! そこをどきやがれー!!」
「あーん?」
もう飛んで火にいる夏の虫です。
アレックスは走って来るドロボーの顔面へ、反射的に拳を叩きつけていました。
「おふっ!!」
ドロボーはカウンター気味でアレックスの拳を受け、あえなく地面に崩れ落ちてヒクヒクしていました。
これが本当の虫の息です。
「ったく、弱いんならちゃんと相手見て向かって来いっての、ウスノロ野郎……って、ありゃ?」
すると、ドロボーを捕まえたアレックスの周りに人が集まり始め、パチパチと拍手喝采を浴びせ始めます。
「あんな大男を一撃で倒しちまったぞ! 凄いな、少年!」
「なんて勇気ある少年なんだ!!」
「ドロボー捕まえてくれて、ありがとー!」
「あなたはこの難民街の英雄よ!」
ここまでの反応を予想していなかったのか、アレックスはたじたじです。
ついには、先程いけ好かないと思っていた領主の息子までお礼を言いに来る始末でした。
「いやー素晴らしい! 旅のお方、不届き者を捕まえて下さりありがとうございます。領主の息子のグレンと言います。伯爵家としてもお礼がしたい! 後で是非屋敷にお越し下さい!」
「ええ!? ああ……おう」
★ ★ ★ ★
望まずも、領主の屋敷にお呼ばれしてしまったアレックスですが、ノエルは乗り気でした。
難民居住区で知り合った、ドナのお姉さんをさがす手掛かりになればと思ったのです。
「面倒くせーな、俺は貴族だとか王族だとか、気取ったエラそーな連中が大嫌いなんだよ」
「この町、やっぱり何か臭うわ……文句言わないでついてきなさい! あんたが呼ばれたんだから」
「ったく、仕方ねーな……」
ノエルは職業柄、一度気になったことは、最後まで確かめないと気の済まない性格です。
アレックスはそれをわかっているのか、無意味に突っかかったりしません。
(ちっ! 気に喰わねーが、デーモン・アドバートの野郎を見つけるには、このクソエルフの頭が必要だからな……)
なんだかんだ言っても、ノエルの力を信頼している素直になれないアレックスくんでした。
二人は町の商業区を抜けて、領主の屋敷を目指します。
やはり領民から聞こえてくるのは、伯爵家の良くない噂ばかりです。
ノエルは露店商で商品を見ながら、人さらいの話や領主の噂などを町の人々に聞いていきます。
「けっ! 絵に描いたよーな、貴族趣味のいけ好かねー屋敷だぜ!」
「あんた……お願いだから、少しはお行儀よくしなさいよね!」
町の少し山の手にある領主の屋敷は、よく手入れされた庭の広がる趣ある石造りの立派なお屋敷でした。
二人は先程会ったグレンに出迎えられ、これまた広くて立派な客間に通されます。
そこに待っていたのは、感じの良さそうな初老の貴族でした。
「父さん、こちらが難民街でドロボーを捕まえてくれた、アレックスさんとお連れのノエルさんだよ」
「これはこれは、領主のスコット・ジェラルドと申します。難民街では息子がお世話になったようで」
息子のグレンに紹介され、白髪のジェラルド伯爵が丁寧に挨拶をします。
「あ……俺……いや、僕は……じゃなかった、えーと……」
「おほほほ……彼はアレックス・コッカー、大変口下手な剣士ですの! 私はノエル・スライザウェイ、一応聖都の大学で魔法学を研究してますわ」
お行儀よく自己紹介をしようとしたアレックスでしたが、やっぱり無理でした。ノエルがすかさずフォローします。
ノエルの自己紹介を聞いて、伯爵とグレンは顔を見合わせました。
「もしや、最年少で魔法博士を取得され、勇者と共に世界を救ったと言われる、あの高名なスライザウェイ博士ですかな?」
「え? ……ああ、まあ」
「これは驚きました! お若い方だとは伺っていましたが、まさかこんなにお美しいお嬢さんだったとは!」
ノエルが有名な魔法学者だということを知って、伯爵もグレンも興奮が止まりません。
伯爵に褒められたので、ノエルはほっぺを両手で押さえて、大変嬉しそうです。
「やだ、伯爵様、私が美しいだなんて……」
「ノエル、今のは俺でも知ってるぜ、社交辞令ってやつだな」
これまで黙っていたアレックスが口を挟みます。
ノエルはすかさず、アレックスの足を踏みつけました。アレックスは跳び上がります。
「イッテー!! 何しやがる!?」
「あらやだ、私ったらついうっかり足を滑らせてしまいましたわ! おほほほ……」
伯爵とグレンは苦笑いをして、首を傾げます。
そんなこんなで、四人は椅子に腰かけてお話しを始めました。
「ところで、アレックスさんとノエルさんは、今回どういったご用でこの町にいらしたんですかな?」
「はい、私たちはデーモン・アドバートという悪魔をさがしてますの」
「ほう、悪魔を……」
伯爵の問いかけに、ノエルは厳しい表情で答えます。
「あの魔王を復活させた、恐ろしく狡猾な悪魔ですわ。放っておけば、また世界に災厄をもたらすでしょう。……アレックス、似顔絵を見せて差し上げて」
「ったく、後で覚えとけよ……。これがデーモン・アドバートの野郎の似顔絵だ」
ノエルに指示されて、アレックスはさっき足を踏まれたことに文句を言いながらも、持っていた羊皮紙を開きます。
そこには、不敵な笑みを浮かべる見るからにインチキ臭そうな紳士が描かれていました。
「ほう、このような悪魔がいるのですね。僕らはこんな輩、聞いたこともありません。ね、父さん」
「そうですね、私もこれまでこんな男には、お目にかかったことがございません……」
似顔絵を見て、グレンは手のひらを返し、伯爵は申し訳なさそうに首を横に振りました。
「悪魔さがしのお役には立てませんが、是非この町でゆっくりしていって下さい。何かお困りのことはございますかな?」
「その件なんですが……伯爵様の難民政策のことについて伺いたいのですが?」
「なるほど、私にお答えできることであれば、何でも聞いて下さい」
伯爵の好意に、ノエルが質問を投げかけました。
あまり聞かれたくない話題かと思いきや、伯爵は眉一つひそめずに言います。
「難民街を見てきました。新しく入って来た難民の方は、皆んな伯爵に感謝しているようです。しかし……」
「ああ、ノエルさん、聞かれたいことはわかります。私の難民政策を、領民たちはあまり良くは思っていない。何故私がこんな政策をとるのかと……?」
「ええ、難民を救済するのは素晴らしいことと思いますが、治安も悪化しているようですし、このまま受け入れを続けるのは……」
「そうですね、ただ私には行くあてのない難民を、指をくわえて見てることなどできないのです」
伯爵は難民を憐れむような顔で、ノエルの問いかけに答えました。
グレンも伯爵に語気を合わせるように言います。
「ノエルさん、失礼かもしれませんが、難民街にいたあの子供たちが、路頭に迷うことを想像してみて下さい」
「それは……とても痛ましいことですわ」
「そうですよね、ですから父の領地では、子供を抱えた難民を特に優遇しているんです。僕たちの気持ちをご理解頂けないですか?」
「は……はい、差し出がましいことを聞いてしまいました。どうもすみません……」
やけに感情的になったグレンが、ノエルを言い包められたことに勝ち誇った顔をしました。
ノエルは気を取り直して、子供がいなくなる件について聞きます。
「ところで伯爵様、町で気になる噂を聞いたのですが、小さな子供がさらわれる事件が増えているようですね?」
「そうですね……私どもとしても、実に嘆かわしいお話しです。しかし、それが何か?」
「はい、その子供さらいが不思議でして、いなくなるのは決まって難民の子供ばかり……しかも、難民の子から不思議な話を聞きましたの」
「残念なことですが、難民の子供は領民の子に比べて無防備ですからね……。それで、気になるお話しとは?」
「ある難民の女の子がいなくなった時、その子が湖の上を歩いて消えて行ったと……」
ノエルがドナから聞いた話をすると、伯爵とグレンは眉をひそめ、示し合わせたかのように笑い出したのです。
「はははは……すみません、さすがノエルさん、見識の深い方はご冗談もお上手だ!」
「父さん、そんなに笑ったら失礼だよ。ノエルさんは子供の空想にも耳を傾けられる、お優しい淑女なんですね!」
嫌味ともとれる二人の態度に、ノエルは表情一つ変えずに話を続けます。
「ただの子供の空想であれば、それに越したことはありません。ただ事実だとすると、魔導士の仕業の可能性もありますわ」
「おやおや、ノエル・スライザウェイ博士がそうおっしゃるのであれば、無下に否定はできませんな」
「それともう一つ、湖にある『島の館』についてお聞きしたいのです」
ノエルが『島の館』という言葉を出した途端、伯爵とグレンの様子が変わりました。
微笑んでごまかしながら、伯爵はノエルに聞き返します。
「あの島にある館は、モリス商会の会長の持ち物です。この辺りでは有数の大商会でして、息子のグレンもよく商談で出向きますが」
「僕の他にも、多くの有力者が商談に訪れてますよ。モリス会長は大変慈悲深い人で、難民に無償で食料支援などもしてくれています。モリス会長の館に何か?」
「はい、湖を歩いて消えた子供が、『島の館』へ向かって行ったと聞きましたの。それに、モリス会長についても良くない噂を聞きまして……」
そこでグレンが癇に障ったのか、身を乗り出してノエルに食ってかかるようにまくし立てます。
「噂は噂です! モリス会長を悪く言うのはやめて下さい。会長は難民の子供たちを可哀想だと思って……そんなに疑うのなら、会長の身の潔白は僕が保証しますよ!」
「いいえ、そのようなつもりではございませんの……」
グレンの勢いに、ノエルは口をつぐんでしまいます。伯爵が見かねて、グレンをなだめました。
「グレン、やめなさい! すみませんねノエルさん、なにぶん息子はまだ若輩なもので。……ですが、モリス会長が素晴らしい方なのは間違いありません」
「こちらこそ、失礼いたしました。どうか、お気になさらないで下さい」
『島の館』について、これ以上は聞くことができないと思い、ノエルは引き下がります。
機嫌悪そうにするグレンを尻目に、伯爵はぎくしゃくする空気を和らげようと、ある提案をしました。
「そう言えばノエルさん、アレックスさん、今夜の宿はもうお決まりですかな?」
「いいえ、昨晩はトラブルがあって宿に泊まれず、親切な領民の方に泊めて頂きまして、今日はこれから……」
「それは調度良かった。私たちからのせめてもの気持ちです。この町で一番の宿を手配しますので、どうかこの町にいる間はそちらへお泊り下さい」
「ああ……はい、ありがとうございます」
さすがに、何日もサイモンの家に泊めてもらうわけにはいきません。
この突然の伯爵の計らいは、安宿を出禁になってしまった二人にとって、願ってもない贈り物となりました。
そして二人は、なんだか色々とはぐらかされたような形で、伯爵の屋敷を後にします。
ノエルはやはり釈然としない様子です。そして、アレックスはさっきの話をあまり理解できていなかったものの、彼は彼なりに思うところがあったようです。
「へへ……あの伯爵と息子の野郎、善人ぶってはいるが、ずいぶんと香ばしい臭いがしやがるぜ」
★ ★ ★ ★
陽もかげって来た頃、二人は伯爵に手配してもらった宿に着きました。
昨晩追い出された安宿とは、比べものにならない大きな宿です。部屋も一人ずつ用意されており、ノエルは胸を撫で下ろします。
「ふふん、ようやくこれで安心して一人で寝られるわ。残念だったわね、アレックス」
「けっ! てめーの寝言を聞かずに済むと思うと、せいせいするぜ」
「な……なんですって!」
部屋に入る手前の廊下で、アレックスに対してノエルは得意げな顔をします。
しかし、ノエルの寂しげな寝言を聞かされるのが堪えていたので、アレックスもむしろ安心していました。
「ま……まあいいわ、あんたの言うことにいちいち腹を立てていても仕方ないもの」
「で、てめーは、まだこの町のことに首突っ込むのかよ?」
伯爵とのやりとりも踏まえ、アレックスは率直に聞きます。
すると、ノエルは表情を曇らせて答えました。
「私があの子と約束したことだから、それに……どうしても『島の館』が気になるの……」
「それじゃ、明日は『島の館』に殴り込みってわけか?」
「正直、この町のことにデーモン・アドバートが絡んでいる可能性は低いわ。あんたが出張る必要はないの。私一人でやる」
「相変わらず、馬鹿正直な奴だぜ。俺を騙くらかして手伝わせればいいのによ」
「馬鹿にしないで、私は誇り高いエルフよ。嘘は吐かないの!」
そう言って、ノエルは自分の部屋へ入って行きました。
別にアレックスにとっては、いなくなった子供なんてどうでもいいことです。それでも、彼はあまり面白くありませんでした。
ケンカばかりですが、アレックスはノエルのそういうまっすぐなところが、嫌いではなかったのです。
「ちっ、勝手にしやがれ、クソエルフ!」
アレックスは自分の部屋に入り、薄暗い部屋でふかふかのベッドに横になります。
今日は町で難民の子供たちを沢山見てきました。それがあってか、彼は幼い日の自分自身に思いをはせます。
「たくよー、よくここまで生き残れたもんだぜ……」
これまでのアレックスの半生は、それはそれは過酷なものでした。
半人半魔という特異な生を受け、小さな頃から忌み嫌われながら生きてきたのです。
アレックスの父親は、どこの馬の骨かもわからぬ魔族で、母親は人間の女性でした。
決して望まれぬ子ではありませんでしたが、アレックスを生んでしまったことで一家は町を追い出され、母親は貧しい生活の中で病死してしまいます。
「本当に……馬鹿な母親だったぜ、魔族の子供なんか産んだら、どうなるかくらいわかるってもんだろ……」
幼くして母親を失い、父親も行方知れず。アレックスはひとりぼっちになってしまったのです。
貧民街で路頭に迷ったアレックスは、盗みもケンカも、生き残る為には何でもしてきました。
まさに力こそ正義、魔族の血を引いているということもあり、腕っぷしでは誰にも負けなかったのです。
やがて、『貧民街の悪童アレックス』の名は、一躍町中にとどろいていました。
――やあ、君がアレックスくんですか、私好みのいい目をしてますね。
――ああ? なんだおっさん、俺にはそっちの趣味はねーんだよ。とっとと失せな!
ある時、路地裏にいたアレックスの前に現れたのは、シルクハットをかぶったインチキ臭い紳士風の男でした。
彼はアレックスを執拗に持ち上げ、一緒に来るよう誘います。
――ははは……違いますよ、私はあなたの力を買っているのです。アレックスくん、あなたはこんな貧民街の路地裏で終わるような逸材ではありません。私のもとで働きませんか?
――俺は誰かに指図されんのが、大嫌いなんだよ。てめーと一緒に行くと、何かいいことでもあんのかい?
――私と来れば、あなたは今より更に大きな力を手に入れられるでしょう。欲しい物も思いのままです。それに……
そのインチキ臭い紳士は、不敵に微笑んでアレックスに告げます。
――私は魔王を復活させるつもりです。私と来れば、その為に伝説の勇者と戦えますよ? 何故なら、あなたはなにより強い相手と戦いたいと望んでいるのだから。
――へん、気に喰わねーが、俺のことがよくわかってるじゃねーか。いいぜおっさん、手を貸してやるよ。だが、勇者は俺の獲物だぜ。
――ええ、もちろんですとも。私はデーモン・アドバート、心ない人たちは、私のことを悪魔だとかメフィストフェレスだとか呼びます。ですが、いたって善良な悪魔です。
アレックスはそうして、悪い悪魔デーモン・アドバートの雇われ用心棒になったのです。
この後、アレックスは勇者との戦いに敗れ、勇者の師である剣神ジャスティーンに拾われることとなりますが、そのお話はまたの機会にでも……。
昔のことを思い出し、少しセンチな気持ちになったアレックスくんは、さっきまでの悪態が嘘のようにすやすやと眠りにつきました。
★ ★ ★ ★
一方のノエルも、ふかふかのベッドに嬉しさ半分、ひとりぼっちの寂しさ半分で横になっていました。
アレックスがそうだったように、ノエルも難民街で出会ったドナに、幼かった頃の自分を重ねていたのです。
「……マリカ……会いたいよ」
幼い頃、ノエルたちの住む森は巨大な怪物に襲われ、壊滅の危機に瀕していました。
勇者と出会ったあの日、勇者と一緒にいた一人の異界の少女が、まだ小さなノエルに約束してくれたのです。
ノエルを含め、半ば諦めかけていたエルフ全てを守ってみせると。
ノエルはその少女のことを、実のお姉さんみたいに慕っていました。
「二人とも酷いよ……どうしていつも、私だけおいて行っちゃうの……」
かつてノエルが愛した異界の少年と少女、今はもう二人に会うことはできません。
そして、ノエルちゃんは今日も枕を涙で濡らし、過ぎ去った時を思いながら眠りにつくのです。
「……むにゃむにゃ……アズマ……うへへへ……」
そして、ノエルがぐっすりと眠っている丑三つ時でした。
部屋のドアが静かに開かれ、怪しい黒い影が部屋に入って来ます。
黒い影はゆっくりとノエルのベッドに近づくと、持っていた短剣を掲げて勢いよく振り下ろしました。
「な……なに!? 誰だ!?」
「おっと、こんな口うるさいクソエルフでも、今くたばられちゃ困るんでね。てめー、どこのアサシンだ?」
間一髪、アレックスの剣が不審者の短剣を弾き返していました。
真っ暗闇の中、眠ったノエルを挟んで、アレックスと謎の刺客は向かい合います。
「俺んとこにも、てめーみたいなふざけた客が来たからよー、もしやと思ったんだが……」
「く……失敗か!」
アレックスに仲間を倒されたことを知り、その刺客はとっさに逃げようとしました。
しかし、アレックスはそこまで甘くはありません。
「ばーか、逃がすかよ、ウスノロ野郎」
「な……速い!」
刺客はアレックスの剣の鞘を頭に叩きつけられ、床に崩れ落ちます。
誰の指示かを聞きだす為、生かしておくつもりでしたが、既に刺客は歯に仕込んだ毒をかみ砕いていました。
「ちっ! こいつもか、弱っちーがよく教育されていやがる……」
謎の刺客を倒したアレックスは、ノエルの無事を確かめるようにベッドに歩み寄ります。
「ったく、今の騒ぎで起きねーとか、一体どういう神経してやがんだよ」
ノエルは刺客に襲われたことなど全く気付かないまま、相も変わらず天使のような顔で眠っていました。
アレックスはそんなノエルに呆れますが、ある決心が固まったようです。
「こっちが下手に出てりゃ、ずいぶんとご機嫌なことしてくれんじゃねーか……。そっちがケンカ売るんなら、喜んで買ってやるぜ」
ノエルがぐっすりと眠る横で、アレックスは不敵に笑いました。
闇の中、闘争心に火をつけられたアレックスの赤茶けた瞳が、不気味に光ります。
「……むにゃむにゃ……アズマ……一緒に寝ようよ……」
「ちょ! てめ! おい、寝ぼけてんじゃ……!!」
そんなキメキメのアレックスの手を、寝ぼけたノエルがベッドへと引っ張ります。
突然のことにアレックスは足を取られて、ノエルに覆いかぶさるようにベッドに倒れました。
アレックスが慌ててじたばたするので、さすがのノエルも目が覚めたようです……。
「……ちょっと、なに? アズマ……じゃないの?」
「お……おい! 誤解すんなよ!! 俺はお前を助けにだな!!」
「な!? なんであんたが、私のベッドにいるのよ……?」
必死に言い訳するアレックスでしたが、もはやこの状況で彼女を説得するのは不可能というものでした。
「ちょ……待て! ここで魔法はヤバいって!!」
「こぉんのーー!! 変態チンピラ剣士ー!!!!」
月の綺麗な静かな夜でした。大きな閃光が夜空を照らし、目の覚めるような爆発音が町中に響き渡ったのです。
そして二人は、伯爵に手配してもらった宿も出禁となりました。
★ ★ ★ ★
翌朝、路地裏でのびていたアレックスは、鳥のチュンチュンという声で目を覚ましました。
「……チクショウ、あのクソエルフ! 少しは手加減しやがれ、俺じゃなきゃ死んでたぜ!」
辺りを見回しますが、ノエルの姿はありません。
アレックスは嫌な予感がしました。きっと一人でれいの『島の館』に向かったに違いありません。
「仕方ねーな、昨日の礼だ、俺もいっちょ殴り込みに行ってやっか……」
アレックスは落ちていた剣を携え、湖を目指して裏通りを駆け出しました。
湖まではほとんど時間はかかりませんでしたが、そこは海と見紛うほどの巨大な汽水湖でした。
湖畔から島までは相当の距離があります。いくら剣の達人のアレックスと言えど、水の上を歩いて渡ることなんてできません。
「けっ、ノエルの奴はきっと浮遊魔法かなんかで、もう向こうに行ってやがんな……」
仕方なく、アレックスは湖畔を見回しながら歩き出します。
すると、少し遠くの桟橋に船が停泊しているのが見えました。よく見ると、付近に人が見えます。
アレックスは急ぎ桟橋に走り、漁夫らしき男に声をかけます。
「おっさん、ワリーがあの島まで乗っけて行ってくんねーか?」
「し……島ですかい!? あそこは領主の命で、許可なく近づくことを禁止されてるんでさぁ。もしそれを破りでもしたら……」
「ちっ! じゃあいい、その船を俺によこせ! あんたは俺に船を渡しただけだ、それならいいだろ?」
ガンガン詰寄るアレックスですが、漁夫はたじろぎます。
「か……勘弁してくだせぇ、船がなけりゃおまんまの食い上げですぜ」
「誰もただでとは言ってねー、これだけありゃ足りんだろ!」
アレックスはパンパンに詰まった布袋を差出しました。
漁夫が首を傾げながら布袋を開くと、中身は全て金貨でした。
「こ……こんなに!? これだけありゃ、十年は贅沢三昧に遊んで暮らせますぜ! 本当にいいんですかい?」
「いいから、さっさとよこしやがれ! こっちは急いでんだ!!」
「は……はい! もちろんでさぁ、こんな船で良けりゃ差し上げますぜ……」
そうすると、アレックスは停めてあった小さな船に飛び乗り、物凄い速さでオールを漕ぎ出します。
あっという間に桟橋から離れていく船を見て、漁夫は呆然と立ち尽くしていました。
「クソ、船ってのはノロ臭くていけねーな!」
ようやく島へ向けて湖を渡り始めたアレックス、でも『島の館』まではまだまだ先です。
柄にもなく、アレックスは先に島へ渡ったと思われるノエルのことが、気になって仕方ありませんでした。
ノエルの魔法の腕がピカイチなのは、言うまでもありませんが、彼女は純真過ぎるきらいがあるのです。
「クソエルフよ……本物の悪党ってのはな、悪党の顔はしてねーもんなんだぜ……」
そして、こんなボロ船を買う為に旅の資金をほとんど使ってしまったことがばれ、烈火の如くノエルちゃんを怒らせるのはまだ先のお話しです。
★ ★ ★ ★
アレックスより一足先に、ノエルはその島の浜辺へと辿り着いていました。
歩けばものの数分で一周できてしまうような小さな島です。
目を凝らすと、奥にちらっと見える館を覆い隠すように木々が生い茂っていました。
「遠くからでも感じてたけど……ここまで来ると、吐き気がしそう」
少し歩くと、亡霊のような木々の間に、堅く閉ざされた館の門が見えてきます。
ノエルはこの小さな島にはそぐわない大きな館に、言葉では言い表せない禍々しいものを感じとっていたのです。
鋼鉄の門扉の隙間からは、庭中を番犬がうろうろしているのが見えました。
手荒なことはしたくなかったので、ノエルはどう中に入ったらいいものか考え込みます。
「……お待ちしておりました。ノエル・スライザウェイ博士でいらっしゃいますね?」
すると、不意に門扉の横の小さな勝手口から、中年の執事らしき男が出てきました。
執事らしき男は丁重に一礼し、ノエルを門の中へと招き入れようとします。
「あなた……なんで私の名前を知っていますの?」
「旦那様より、ノエル様というお若いエルフの女性が訪ねて来られるので、丁重にお迎えするようにと仰せつかっております。もう一人、剣士のお連れがいるとも聞いておりましたが?」
「私一人よ……でもおかしいわ、モリス会長とは何もお約束なんてしていませんのに……」
「伯爵家のグレン様からのご依頼と聞いております。旦那様とグレン様は大変懇意でございますから」
「ずいぶんと根回しが早いこと……まあいいわ、この館のことについてお伺いしたいの。モリス会長に会わせてくれますの?」
「もちろんでございます。さあ、中へ……」
ノエルはでき過ぎた話を怪しみましたが、まだ領主もモリス会長も、何も悪事をしている証拠はありません。
警戒しながらも、ノエルは執事の後に続きました。
その館は庭も屋内もよく手入れがいきとどいていましたが、どこか薄暗くて不気味な印象です。
「さあ、ノエル様、こちらの部屋で旦那様がお待ちになっております」
通された広い客間には、初老の少し太った紳士が椅子に腰かけていました。
「はじめまして、この館の持ち主のモリスと申します。かの高名なスライザウェイ博士でございますね?」
「はい、ノエル・スライザウェイと申します。突然の訪問に関わらず、恐れ入りますわ」
立ち上がって丁重に挨拶をするモリス会長に、ノエルは少なくとも悪い印象は受けませんでした。
ノエルがイメージする大商人とは違い、穏やかで優し気な品の良い男のようです。
「いやはや、グレン様に伺った通りの美しいお嬢さんですね!」
「いやですわ……伯爵様もモリス様も口がお上手なのですから」
そんなこと言いながらも、ノエルはすっかり照れていました。
エルフは基本美男美女の為、エルフの集落ではノエルの容姿は普通です。しかも、大学では研究室にこもりっきりなので、中々そういったことを言ってもらえる機会がないのです。
「ところでモリス会長、ずいぶんと子供がお好きなようですね?」
椅子に腰かけたノエルは、部屋の壁に飾られている絵画に目をやり言います。
広い客間ではありますが、壁には十枚以上の絵画が飾られていたのです。しかも描かれていたものは、あらゆる種族の十歳前後と思われる小さな子供ばかりでした。
「これはお恥ずかしい。私と亡くなった妻の間には子ができませんでしたので、せめて絵だけでも……と思いましてね、気が付けば子供の絵ばかりになってしまっていました」
「それは大変失礼しました。あまり聞かれたくないことでしたでしょう……」
「いえいえ、いいんですよ。子供が好きなことには変わりはないのですから」
「何でも、難民たちに無償で食料援助をされていらっしゃるとか?」
「そうです、あの可哀想な子供たちの為に、何かできないものかと思いましてね……私にとっては、道楽みたいなものですよ」
この館から感じる禍々しさとは裏腹に、やはりモリス会長は善良で好感のもてる人柄に思えました。
さっきの執事がお茶を運んで来た為、モリス会長はカップを手に取ってノエルにも勧めます。
ノエルはカップを手に取り、お茶を一口飲んで言いました。
「ところでモリス会長、今日ここに伺いましたのは、他でもないその子供たちの件ですの」
「ええ、グレン様から聞いております。子供さらいの件で、この島が何か関係してるのではないかと疑われているようで?」
「……はい、笑われてしまうかもしれませんが、難民の子供が湖の上を歩いてこの島に消えて行ったのだと聞きまして……」
遠慮がちに話すノエルを、モリス会長は優し気に見つめ言いました。
「なるほど……それを聞いて、ノエルさんはどうお考えで?」
「はい、以前文献で何かを媒介にして人を呼び寄せる魔法があると読んだことがありますの。ただ、水の上を歩かせるような高度な術式となると……」
「実に興味深いお話しですね。しかし、ノエルさんは一体何の為にそれを調べているのです?」
「研究者としての個人的な興味もあります。ですが、難民の女の子に約束したのです。いなくなったお姉さんをさがしてあげると」
それを聞いたモリス会長は、目を潤ませて感極まった様子でノエルに言います。
「いやーノエルさん、あなたはお美しい上に実に素晴らしいお人だ! 私の愛する子供たちのような眩しいくらいの純真さ……素晴らしい限りです!」
「は……はい、嬉しいお言葉ですわ」
「だけど残念だ……。あなたにはもう大事なものが欠けてしまっている……」
「……え?」
モリス会長の不可思議な言葉とともに、彼の優し気な笑顔が歪み始めます。いいえ、歪んでいたのはノエルの視界の方でした。
「モ……モリス会長……おっしゃってる意味が……」
「ノエルさん、確かにあなたはお若くて美しい。だが私たちの求めるものではない。あなたの心は子供のように純真でも、体は既に大人になり過ぎているのだ」
「な……なに? 体が……ふらつ……いて……」
ノエルは薄れ行く意識の中、必死に椅子にしがみ付こうとしましたが、あえなく床に崩れ落ちてしまいます。
モリス会長も、ノエルのすぐ横にいた執事も微動だにしません。
ただ、さっきまでとは別人のようにモリス会長がせせら笑っていました。
「ははは……あなたは首を突っ込みすぎたのですよ。絶対に触れてはならない世の中の深淵というものにね……」
――い……いや……アズマ……助け……」
★ ★ ★ ★
大変なことになりました。ノエルちゃんの大ピンチです。
そんなこと知る由もなく、アレックスくんは文句を言いながらひたすら船を漕いでいるのでした。
「ちっ! 思ったより時間くっちまったぜ」
アレックスは、ノエルの着いた浜辺とは反対側の岸に辿り着きました。
そこは岩礁が多くて船をつけ辛かったですが、逆にあまり目立たずに上陸をすることができます。
「きっとあいつのことだ、クソ真面目に正面から行ったんだろ……」
アレックスはお世辞にも頭がいいとはいえませんが、生き残る為の動物的嗅覚を持っていました。
そんな彼もノエルと同じように、この『島の館』には並々ならぬ異様さを感じていたのです。
気配を悟られぬよう、アレックスは木々の間に身を隠しながら館へと近づきます。
「へへ、金持ちの家に忍び込むのなんて、何年ぶりだろーな」
貧民街一の悪童であったアレックスにとって、貴族や商人の屋敷に盗みに入ることなど日常茶飯事でした。
驚異的な身体能力で、ひょひょいと高い塀をよじ登り、あっという間に館の裏庭に侵入します。
「犬っころどもがウロウロしてやがんな、始末すんのは楽だが、吠えられたら厄介だ……」
しかし、犬たちは裏庭で穴掘りに夢中になっており、アレックスの侵入には気付いていない様子です。
掘り出したそばから、犬たちは何かの骨に夢中でしゃぶりついていました。
「へん、馬鹿犬どもで助かったぜ」
アレックスは気配を消しながら庭の木を伝い、二階のテラスへと駆け登りました。
「しめたぜ、窓が一ヶ所開いていやがるな」
壁伝いに開いている窓を目指すアレックスでしたが、男二人の話声が聞こえて来た為に息をひそめます。
男の一人は、どうも聞き覚えのある声でした。
「グレン様、あのエルフの娘は眠らせて地下室に……」
「よくやってくれたよ会長、これ以上この館のことを嗅ぎ回られたら厄介だからね」
話しぶりからして、伯爵の息子グレンとモリス会長のようでした。
そして、アレックスはようやくノエルが捕まってしまったことを知ります。
「しかし会長、まだアレックスとかいう剣士の行方がわかっていない。相当の手練れという話だが、もしあの女を取り返しに来たら……」
「ご心配は入りません、グレン様。薬で上手く眠らせられなかった時の為に、ある切り札を用意してございます」
「会長がそこまで言うのなら信じるよ。で、あのエルフの女はどうするんだい? 早く始末すべきではないのかい?」
「我々好みではないと思いますが、普通に見れば中々の上玉です。薬漬けにして、要人が来客した際の相手にでもと……」
「ははは……さすがは会長、やはりあなたは商人だよ」
一頻り会話が終わると、二人はその部屋を出て行きました。アレックスは舌打ちをします。
「ちっ、やっぱあのクソエルフ、へましやがったな……それにしても、あいつら……」
ノエルの身を案じるとともに、アレックスに変な悪寒が走りました。
とは言っても、考えている余裕はありません。早く地下室へ捕まっているノエルを、助けに行かねばならないのです。
アレックスは開いていた窓から屋内に侵入し、見つからないよう地下室へ通じる階段をさがします。
「クソ、無駄に馬鹿でかい屋敷だぜ、本当に手間かけさせやがって!」
★ ★ ★ ★
館中をさがし周り、アレックスはやっとのことで地下室へ通じる階段を見つけます。
壁際にロウソクの火が灯っていましたが、その階段の奥はおどろおどろしい雰囲気に包まれていました。
「ずいぶんと広い地下室があるみてーだな……」
薄暗い階段を下まで降り立ったアレックスは、かなり先まで沢山の扉が並ぶ長い廊下へと出ました。
これでは一体どこにノエルが閉じ込められているのかなど、皆目見当がつきません。
仕方なくアレックスは、様子を見ながらしらみ潰しに一部屋ずつ調べていくことにします。
「……ん? 誰かいやがるな……って、おい……なんだ?」
アレックスが適当に選んで開けた部屋の中には、五人くらいの子供がそれぞれのベッドに虚ろな目をして座っていました。
皆同じ寝間着のような服を着た、人族、亜人、多種多様な種族の小さな女の子たちです。
「新しいお客様ですね? どうぞごゆっくりなさっていって下さい」
一番手前にいた人族の女の子が、虚ろな顔で微笑みながら、すがり付くようにアレックスの手を握りました。
他の女の子たちも、皆示し合わせたかのように同じ顔で微笑んでいます。
「離しやがれクソガキ! この俺に勝手に触んじゃねー!!」
その子たちの気味の悪い態度に悪寒が走ったアレックスは、突き飛ばすように無理矢理手を振り解きました。
アレックスの乱暴な態度に驚いたのか、その子はうずくまって必死に許しを乞い出します。
「ご……ごめんなさい! 私はお好みじゃなかったんですね。もし男の子の方が良いのであれば、隣の部屋にいます。どうかお許しを!!」
「な……お前、何言ってやがんだ……?」
周りを見回すと、他の女の子たちは部屋の片隅に固まって、堪えようのない恐怖に怯えているようでした。
「い……言いつけ通り、ちゃんとやりますから!」
「お願いです! いい子にしますから、グレン様みたいに痛いことしないで下さい……」
「どうか、旦那様に悪く言うのだけは……」
皆が口々に悲痛な声を上げる中、アレックスの前でうずくまっていた女の子が、いよいよ取り乱して泣き出します。
「儀式だけは嫌なんです! 悪い子は儀式に連れてかれちゃうんです!! 何でもします!! だからお願い……旦那様だけには!!」
アレックスは女の子たちの言葉に唖然としながらも、この場所で何が行われているのかを理解しました。
子供の連れ去り、グレンとモリス会長の会話、この子供たちの態度……そして裏庭に埋められた骨、全てのピースが、アレックスのあまり良くない頭でも一つになりました。
この女の子が儀式と呼ぶものが何なのかは、アレックスには分かりません。ですが、この女の子の取り乱し方から、それがどれほど恐ろしいものなのかは想像に難しくなかったのです。
――……
――さあ、今日は大事な儀式の日だ。練習でやった通りできるね?
――うん、言いつけ通り、私はちゃんとできるよ!
――いい子だ、一緒にお友達の魂を綺麗にしてあげよう、君はとても正しいことをするんだよ。
怪しげな薄明かりが照らす地下室の床には、おどろおどろしい魔法陣が描かれていました。
その中心には、目隠しをされた小さな男の子が横たわっています。先日館の外へ逃げ出して捕まった男の子でした。
いつものように短剣を手渡された女の子は、何の疑いもなくそれを高々と掲げると、躊躇いなく男の子の心臓に向かって刃を振り下ろします。
何度も儀式の練習をしていたので、短剣を握らされた女の子も目隠しをされた男の子も、既に恐怖の感覚はありませんでした。
そして全てが終わった後、女の子はふと我に返って自分がしてしまったことに気付くのです。
――あ……あれ? この子……動かなくなっちゃったよ!? 練習じゃそんなこと……?
――ちゃんとできたね、心配はいらないよ。この子はね、ここよりもずっといいところへ行ったんだ。
――わ……私、私はずっといい子にするよ! だから……!
――ああ、信じているよ。さあ、だいぶ汚れてしまったね、早く体をきれいにしてまた私と部屋で楽しい遊びをしよう。
――……
「へへへへ……ハハハハハ!!! 最高だぜ!!」
アレックスは気が触れたように笑い出します。女の子たちは、その異様さに怖くて震え上がりました。
「最高に狂ってやがる!! まさか、悪魔の手先だった俺ですら虫唾が走るような、こんな狂った悪党どもがいるなんてよー!!!」
アレックスは気持ちの高ぶりが止められませんでした。こんな気分ははじめてです。
それが、彼の体に半分流れる魔族の血のせいだったのかはわかりません。ただ、体の奥底から怒りとも喜びとも、悲しみとも言えない感情が噴き出していたのです。
「益々ぶちのめすのが楽しみになってきたぜ……ん、お前は?」
ふと、アレックスは部屋の片隅で怯える少女の中に、どこかで見たようなダークエルフの女の子がいるのに気付きました。
アレックスはぶっきら棒な声で問いかけます。
「やい、そこのダークエルフのガキ、てめーの名前はなんてんだ?」
「は……はい……エ、エマ……といいます!」
いきなり声をかけられ、ダークエルフの女の子は言葉を詰まらせながら答えました。
その子が、難民街で出会ったドナのお姉さんだとわかったアレックスは、不意にエマのもとへと歩み寄っていきます。
「す……すみませんすみません!! どうか乱暴だけは……」
「へっ、てめーの妹に感謝すんだな」
「……え?」
頭を抱えて怯えていたエマは、アレックスの言葉を聞いて顔を上げました。
「もしかして……ドナを、ドナを知っているんですか!?」
「てめーの妹に話を聞いてよー、俺の連れがお前を助けるって聞かねーんだ。ワリーが一緒に帰ってもらうぜ」
「か……帰る? ここから? で……でも、旦那様が……」
「眠てーこと言ってんじゃねー! だからこれからその旦那様と、もう一人舐めた野郎をぶちのめしに行くんだよ!!」
「だ……旦那様を!?」
「それとも、このままずっとこんなしけたとこで、悪党どものおもちゃにされたいってのか?」
この突然現れた謎の少年は、目つきは悪く言葉も乱暴で、とてもじゃありませんが救いのヒーローには見えませんでした。
それでも、アレックスの放ったぶっきら棒な言葉は、もう二度と家族のもとに帰れないと絶望していた女の子の心に、温かな火を灯したのです。
「お……お家に、お家に帰りたいよー……」
エマはこれまで堪えてきたものを全て吐き出すように、ボロボロと大粒の涙を流して泣き出しました。
それが伝播したのか、周りの子供たちも声をそろえてすすり泣きを始めます。
助け出すとは言っても、今騒がれたら厄介です。アレックスはがなり立てるように言います。
「うるせー!! 泣くんじゃねー!!!」
泣く子も黙るアレックスの恫喝で、女の子たちはびっくりして声をひそめます。
「いいか、てめーら! ここから無事に出たきゃ、泣かずに行儀よく待ってるんだ。ピーピー泣いてるようなクソガキは、おいてくからな!」
アレックスに凄まれて、女の子たちは怯えながらもコクコクと肯きました。
そして、女の子たちから怪しい部屋をいくつか教えてもらい、アレックスは急ぎ部屋を飛び出したのです。
★ ★ ★ ★
アレックスは女の子たちから聞いた部屋の一つ、儀式が行われるという部屋に入りました。
そこは石造りの礼拝堂みたいな広間で、部屋の真ん中には気味の悪い魔法陣が描かれています。
「ちっ! 胸くそワリー場所だぜ……この奥にも部屋があるって言ってやがったな」
人気はないようです。アレックスは周囲を警戒しながら広間を進んで行きます。
薄っすらと血の匂いがしました。アレックスは舌打ちをして、中央にある魔法陣に足をかけます。
「ん……? これは!?」
不意に描かれた魔法陣が赤く輝き始めました。
アレックスはこれと同じものを過去に見たことがありました。
それはアレックスが用心棒をしていた、悪い悪魔が魔獣を召還するときにそっくりだったのです。
「けっ! 味な真似してくれるぜ! 俺を罠にかけようってのか?」
アレックスは急ぎその場から離れようとしましたが、広間の前後の天井から巨大な鉄の柵が下りてきて、逃げ道を塞いでしまいます。
そして、不気味に赤く光る魔法陣からは、真っ赤な鱗に覆われ、体中が炎で燃えさかる巨大なトカゲが現れたのです。
「ははは……グレン様、まんまとネズミが罠にかかったようですな」
下卑た笑いを浮かべ、奥の部屋からモリス会長とグレンが出てきました。
グレンが鉄柵の向こうのアレックスに、せせら笑うように言います。
「アレックスさん、僕はとても残念でなりません。恩人が焼き殺されていくのを見なくちゃいけないなんてね」
「へん、いけ好かねー野郎だとは思っていたが、まさか伯爵家のボンボンがこんなド変態息子だったとはな!」
アレックスの挑発を聞いて、グレンは怒りに震えます。
「ふん! 強がっていられるのも今のうちだ! さあ、会長、早く始末してしまえ!」
「グレン様、焦らずとも心配には及びません。サラマンダーにかかれば、生身の人間などあっという間に灰となりますから」
会長の指示を受け、紅蓮の炎をまとったサラマンダーは、大口を開けてアレックスに襲いかかります。
大ピンチのはずでしたが、サラマンダーが繰り出す爪や牙の攻撃を、アレックスはひらりひらりとかわしていきました。
「な、何をやっているサラマンダー!! 早くそんな奴など焼き殺してしまえ!!!」
「俺は学がねーからよー、このモンスターがどんなもんなのかわかんねーけどさ……」
攻撃が当らないことに、グレンとモリス会長は焦りを見せます。
そんな二人に、アレックスは剣も抜かず、サラマンダーをいなしながら問いかけました。
「前に師匠と二人でよ、バハムートとかいうすげードラゴンをボコしたことがあるんだけどな、こいつはそいつより強いのか?」
「な……何を馬鹿なことを! 神龍バハムートを人間なんぞが倒せるわけがないだろ!! デタラメだ!!!」
「ちぇ! やっぱりあいつよりよえーのかよ……」
肩を落としたアレックスは、溜息を吐きながら剣を抜きます。
鞘から抜かれたその剣は、二人が見たこともないような青い刀身をした美しい剣でした。
「師匠がよー、気に喰わねーが、勇者のおさがりの剣なんかくれてよこしやがったんだ……」
アレックスが言うように、その美しく青く輝く剣こそ、かつて世界を救った勇者が剣神ジャスティーンから授かった、聖剣『ヘヴンリーブルー』だったのです。
かつて悪童として名をはせたアレックスが、勇者の使った聖剣を持たされているというのは、本人的に大変恥ずかしいことでした。
とは言っても、聖剣『ヘヴンリーブルー』の威力は折り紙付きです。
アレックスはその青い聖剣を斜めに構えると、向かって来るサラマンダーの背後をとります。
「どーでもいいけど、暑苦しいトカゲだぜ!」
グレンとモリス会長は、アレックスの太刀筋すら全く見えませんでした。
ただ、事実として燃えさかるサランマンダーの尻尾は、胴体から切断されて目の前の鉄柵まで飛んできたのです。
「ば……馬鹿な!? サラマンダーだぞ!!」
「へへっ……こういうのを、トカゲの尻尾切りって言うんだろ?」
尻尾を切ったことを皮切りに、アレックスは目にも止まらぬ速さで巨大なサラマンダーの体を切り裂いていきます。
グレンとモリス会長が呆然と眺める中、ついにはサラマンダーの首が切断されてしまいました。
無惨にも首をはねられたサラマンダーは、光を放ちながら元の亜空の彼方へと消え去っていきます。
「弱っちいトカゲなんか呼び出しやがって……もうおしまいか?」
「サラマンダーをあっという間に!? ば……化物か……!?」
「そりゃ、俺の親父は魔族らしいけどよー、何も化物はねーだろ?」
サラマンダーの残り火がメラメラと燃える魔法陣の上を、アレックスは剣を携えてゆっくりと二人のもとへ歩いて行きます。
「く……こっちへ来るな! か、会長! あいつを何とかしろ……って、会長!?」
たじろぐグレンを尻目に、モリス会長は奥の部屋へと逃げん込んで行きました。
おいてけぼりになったグレンは、慌ててモリス会長を追いかけようとしましたが、鍵をかけられたようで扉を開くことができません。
「へへへ……残念だったな、ド変態息子よー」
「あああ……来るなー!! 僕は子供を手にかけてはいない! みみみ……みんな会長が悪いんだ!! 僕はただ子供たちと……!!!」
アレックスは行く手を遮る鉄柵に手を掛けると、アメ細工のようにぐにゃっと開きました。グレンは壁際にへたり込んで、顔を歪めます。
「ぼぼ……僕は悪くない! 僕は伯爵家の人間なんだ!! 伯爵家のおかげで、難民はのたれ死にしなくて済んでるんだろ? 少しくらい子供を好きにして何が悪いんだ!?」
「あーん? 別にてめーが悪いなんて一言も言ってねーだろ? 俺だって元は悪党だ。だから兄弟、ここは悪党らしく仲良くいこうじゃねーか」
「わわわ……わかった金だな? 父に言って好きなだけ用意させよう!! それで……」
「へへ……あいにく俺は金にはあまり興味がねーんだ……」
父親譲りの赤茶けた瞳を、アレックスは不気味に光らせながらグレンに詰め寄ります。グレンは生唾を飲み込み言いました。
「そ……それじゃ一体?」
「よそから金持ちの変態集めて、あの小さなガキどもをおもちゃに好き放題遊んでやがったんだろ? 俺とも楽しく遊んでくれよ」
「あ……え……?」
「勘違いすんなよ? 俺はてめーらみたいなド変態趣味はねーからな、もっと楽しい遊びだ……」
そう言うと、アレックスは持っていた剣の先をグレンの顔に突き付けます。グレンは震えあがりました。
「な……何を!?」
「てめーみたいな身分の高いド変態をよー、指の先から少しずつ切り刻んでみるってのはどうだ? 一体どんな悲鳴をあげるのかゾクゾクするぜ」
「やや……やめて……お願いだから!」
「おいおい兄弟、自分たちは嫌がるガキどもを好きなようにしといて、それは不公平ってもんだろ? 俺にも楽しませろよ」
アレックスは剣を持ち上げると、その美しい青い刀身をぺろりと舐めながら不気味に微笑みます。
「心配すんな、俺が変な悪さをしねーよーにってよー、師匠はこんななまくらをよこしやがったんだ。なんでもこの剣はな、魔獣とか悪魔みたいに邪悪なもんしか斬れねーんだとよ」
「……え?」
「だからな、てめーみたいな悪党が斬れるか斬れねーか……実に気になるところじゃねーか? なあ兄弟、自分でも気になんだろ? てめーが一体どっち側なのかってよー?」
「やめやめ……やめてくれー!!!」
「大丈夫さ! てめーがまだこっち側なら、くたばりゃしねーんだからよー!!」
アレックスが嬉しそうに剣を振り上げた瞬間、グレンは失禁をしながら白目を剥いていました。アレックスは残念そうに舌打ちをします。
「ったく、汚ねーな! これからが楽しいところだったのによー、情けねー野郎だぜ……」
そしてここで、アレックスはある事実に気付きます。グレンを脅かすのに夢中で、ノエルの居場所を聞き出すのをすっかり忘れていたのです。
「しょうがねーな……まあ、あのおっさんを追いかけていきゃ、そのうちわかるってもんだろ……」
そうしてアレックスは、モリス会長によって鍵のかけられた扉をぶっ壊し、地下室の奥深くへと進むのでした。
★ ★ ★ ★
――アズマ、私……ずっと、ずっと好きだったよ……」
――でもね、本当はわかってたんだ……」
――アズマが見てたのは、私じゃなくてずっとマリカだった……」
――アズマ……やっぱり私じゃダメなのかな……?」
ノエルはいつ覚めるかもわからない眠りの中で、過ぎ去った時に出会った大切な人たちの夢を見ていました。
世界が救われたあの日から始まったノエルの悲しみは、一体いつまで続くのでしょうか?
――ったく、いつまでいなくなった奴のことを引きずってんだよ!」
――くよくよしてたって、あいつは戻って来ねーだろ?」
――だから、てめーはガキだって言ってんだよ!」
そして、何故か聞こえてくるは、大嫌いなアレックスのデリカシーのない言葉ばかりでした。
夢の中で感傷に浸っていたはずのノエルは、その言葉によってイライラが頂点に達し、怒りに震えながら飛び起きるのです。
「……うるさいわね!! なんであんたなんかに、そんなこと言われなきゃいけないのよ!!!」
目覚めたノエルは見知らぬ空間にいました。
どうやら、革のソファーの上で寝かされていたらしく、さっきまで縛られていたと思われる縄と猿ぐつわが足元に落ちています。
「こ……これってもしかして?」
「へん! やっと起きやがったな、このクソエルフ! たくよー、面倒かけさせやがって!」
振り向くと、ノエルがいるのとは反対側の壁際にアレックスが立っていました。
しかも、悪態を吐いているのとは裏腹に、滅茶苦茶警戒しています。昨晩のことが余程トラウマになっているようです。
そんなアレックスに、ノエルは不思議そうに聞きます。
「あんたが……助けてくれたの?」
「けっ! この館のド変態商人を追っかけてたら、たまたま見つけただけだよ! ご……誤解すんなよな!」
つっけんどんな態度をとるアレックスですが、ノエルにはわかっていました。
小さな頃から、ずっと忌み嫌われながら生きてきたアレックスは、孤独であったが故に他人への親愛の示し方を知りません。
ですから、普段の粗野で乱暴な言動の裏側には、知らず知らずのうちに彼からの愛情表現が含まれていたのです。
照れくさそうに視線を逸らすアレックスを見つめ、ノエルは彼には見せたことがない優し気な微笑みを浮かべて言いました。
「来てくれてありがとう……アレックス」
ノエルのしおらしい態度に、アレックスは顔を真っ赤にして助けたことを否定します。
アレックスのわかりやすい態度を見て、今度はノエルがクスクスと笑いました。
世界が救われた日から続くノエルちゃんの深い深い悲しみも、いつかアレックスくんという少々苦い薬によって、癒える日がくるのかもしれません。
★ ★ ★ ★
ノエルを無事助け出したアレックスは、ノエルと一緒に逃げたモリス会長の後を追います。
その中でアレックスは、これまでにあったことをノエルに話しました。
「モリス会長が召還魔法を!? ありえないわ、付け焼刃でできる術式ではないもの……」
「それじゃ、誰か他に黒幕がいるってことか?」
「わからないわ……いずれにしても、絶対に許さない!」
モリス会長らがやっていることを知り、ノエルの語気が強まります。
どうやらモリス会長は、ノエルが捕まっていた更に奥の部屋から梯子で上へ逃げたようです。
「ちっ、往生際の悪い野郎だぜ!」
「逃がさないわ!」
アレックスとノエルは梯子を上って上階へ出ました。一階のホールまで行くと、驚いた使用人が腰を抜かします。
「やい! そこの女、モリスの野郎はどこへ行きやがった!? 隠すとタメにならねーぜ!」
「は……はい! だ……旦那様は、二階の自室に!」
「まったくあんたは……これじゃ、強盗じゃない……」
アレックスは使用人を脅しながら、モリス会長のいる部屋へと向かいます。
そして二人はホールの長い階段を駆け登り、モリス会長の部屋の扉を蹴り飛ばしたのです。
「へへ! 覚悟しやがれド変態商人、てめーもいよいよ年貢の納め時だぜ!」
アレックスが啖呵を切ります。モリス会長は奥の椅子に腰かけ、不敵な顔をしてこちらを見つめていました。
「ふふふ……いやはや、本当に礼儀のなっていない子たちだ。これだから、大きい子供は嫌いなんですよ……」
「あー? まだやろうってのか? だったら、お望み通りぶちのめして……」
「待ってアレックス! それ以上近づいてはダメ!!」
はやるアレックスをノエルが制止しました。
モリス会長は傍らに抱えた酷く薄汚い本を開いて、ニヤリと笑います。
「ほう、さすが高名なスライザウェイ博士だ。これが何なのかわかるのですね?」
「魔力を全く感じないあなたが、高度な召還魔法を使うと聞いておかしいと思っていたわ……。それは魔導書ね?」
「ご名答、数年前に私はある男からこれを受け取ったのです。私の望みを叶えてくれる素晴らしい本だと言われてね……」
「それを使って子供たちをこの島に呼び寄せていたのね。触媒は……そう、あの配っていたお菓子ね?」
「ははは……グレン様にはよくやってもらいましたよ。皆に配るふりをして、好みの子にだけ特別なお菓子を渡していたのですから」
魔導書を通じて子供たちをさらっていたことを見抜かれると、モリス会長はペラペラと自分たちの悪事を話しだします。
それは、もう観念したということなのではなく、自分が勝つ気満々だからです。
「子供たちには儀式と言っていたそうだけど、あれはその魔導書に生贄を捧げていたのね……あなたの本当の望みって……?」
「悪魔崇拝の儀式というのは、面倒なものです。子供たち自らに取り行わせねばならないのですから……ですが、その見返りは大きい! 例えば、不老不死だとかね……」
モリス会長が謎の男から受取ったという魔導書は、やはり悪魔の魔導書でした。悪魔は人の負の感情につけ込み、邪悪へと引き込むのです。
悪びれる様子もなく下卑た笑いを浮かべるモリス会長へ、ノエルは怒りに震えながら言います。
「歪んではいるけど、あなたは子供が好きなんじゃなかったの!? よくもそんな酷いことを!!」
「確かに私は子供を愛している……だが成長してしまえば、皆おぞましい大人となっていくのだ……だから子供は、美しいままに天に召されるべきなのだ! この魔導書がそう示している!!」
「あなた……もうその魔導書に取り込まれているのね……」
「へへへ……やっぱおっさん狂ってやがるぜ!」
これ以上お話ししても無駄のようです。アレックスは再びモリス会長に向かって踏み込みます。
しかし、モリス会長もそれを見逃がしません。
「下郎が! 悪魔の炎で今度こそ灰にしてやろう……『イーヴル・ヒート』!!」
モリス会長が開いた魔導書から、どす黒い炎が沸き立ち、逃げ場を塞ぐように二人に襲いかかります。
さすがのアレックスのスピードでも、間合いに入り過ぎて避けきれません。
「近づくなって言ったでしょ!! 悪魔の術式よ、あんなのまともに喰らえば骨まで燃やし尽くされるわ!!」
間一髪、ノエルの『ワンダー・ウォール』が発動し、二人に迫っていた黒い炎は見えない障壁に弾かれて飛散します。
「ちっ! 危ねーとこだったぜ! どーすんだ、ノエル?」
「モリスはただの人間だけど、あの魔導書を焼いてしまわないことには勝機はないわ」
「だけど、この状況でどうやって!?」
「本物の魔導士を舐めないで……ただし、悪魔の魔導書相手じゃ手加減はできないわ。最強の魔法でケリをつけてやる!!」
そう言い放ったノエルは、右手に魔力を集中させて小さな……それは蛍火のような小さな光を浮かべ、願いを込めるように静かに空中へ放ちます。
悪魔の魔導書には強力な魔法耐性があることを、ノエルは知っていました。その為、ノエルは自身最大の魔法で障壁ごと魔導書を消滅させるしかなかったのです。
しかし、その拍子抜けしてしまうほど弱々しい光に、モリス会長は高笑いします。
「何をするのかと思えば! そんな小さな光でこの魔導書に勝てるとでも? ……馬鹿にするな!!」
ノエルの『ワンダー・ウォール』をすり抜けて進んで行くその小さな光に、モリス会長の魔導書から放たれた漆黒の炎が襲いかかります。
案の定、あっという間に光は黒い炎に飲み込まれてしまい、アレックスが声を上げました。
「おい! どーすんだよ!? 消えちまったぞ!!」
「大丈夫よ……マリカから教えてもらった、とっておきの魔法だもの!」
すると、飲み込まれたかと思われた小さな光が、再びゆらゆらとモリス会長へと向かって行くのが見えました。
「こ……こんな虫けらみたいな魔法で!!!」
自分のすぐ目の前まで飛んで来たその光を、モリス会長が魔導書ではねのけようとした時でした。
ノエルは自身の握りしめた拳を前にかざすと、勢いよくその手を開いて叫んだのです。
「弾けてっ!! 『シャンペィーン・スーパーノヴァッ』!!!!!」
その瞬間、目も開けていられないほどの閃光が弾け、モリス会長はおろか部屋全体を覆いつくしていきます。
「な……なんだ、この光は!? 私は悪魔の力を……!!」
ノエルの『ワンダー・ウォール』に守られているとはいえ、アレックスは自分の目を腕で覆い、その巨大な閃光に恐怖を感じました。
それはかつて、エルフの集落を襲う巨大な怪物を消し去った最強の魔法でした。
「おいおいマジかよ!? これじゃ、あのド変態商人なんてきっと……」
その圧倒的な閃光は数十秒に渡って光り続けました。
そしてそれが消え去る頃には、モリス会長も魔導書も、部屋の壁さえも跡形もなく消え去っていたのです。いいえ、それどころか遠くに見える山の一部もえぐられてしまったように見えます。
アレックスはそれを見て呆然とし、ノエルが淡々と言いました。
「普通に使ったら、この島ごと消滅させちゃうから、魔法障壁を使って威力を前方だけに集中させたの……使いどころを選ぶ魔法ね」
「お……おう、そうだな……」
「モリスは殺さないで罪を償わせたかったけど、もうああするしかなかったわ……」
ノエルは自分が吹き飛ばした部屋の壁を見つめ、少しの間感傷に浸っていました。
だけど、まだ今回の事件は終わっていません。ノエルは振返ってアレックスの顔を見て言います。
「さあ、早く子供たちを家に帰してあげましょう!」
「あ……ああ! そうだな!」
朗らかに笑うノエルを見て、アレックスは何故かどもってしまいます。
跡形もなく消え去った部屋の壁を見ながら、アレックスくんは決心していたのです。
今後ノエルちゃんを怒らせるのは本気で控えようと……。
★ ★ ★ ★
つい先ほど、『島の館』から放たれた眩い閃光を見た後から、ジェラルド伯爵は浮かない顔をしていました。
部屋から人払いをし、ただ壁に掛けてある肖像画を見ながら、ずっともの思いに耽っていたのです。
しばらくすると、屋敷の一階から聞き覚えのある乱暴な騒ぎ声が聞こえてきます。
使用人たちは必死に制止しているようですが、全く聞く耳を持っていないようです。
「眠てーこと言ってないで、さっさとこいつの親父に会わせやがれ!!」
下品な罵声をまき散らしながら、扉を蹴り飛ばしたのはアレックスでした。
アレックスは縛り上げたグレンの首根っこを掴んで、部屋の中へ放り投げました。
「と……父さん! 助けてよ、この下賤な輩が僕に!!」
グレンは伯爵に助けを求め、ジタバタともがきます。伯爵は呆れた様子で顔をしかめました。
「おやおやアレックスさん、これは穏やかではないですね。息子が一体何をしたのですかな?」
「あーん? このド変態息子が島で何をやっていたのか、あんたも知らなかったわけじゃねーんだろ?」
伯爵はわざとらしく肩をすくめ、自分は知らぬ存ぜぬといった態度をとります。
少し時間をおいて、アレックスの後ろからノエルが入ってきました。伯爵が困った様子でノエルに問いかけます。
「これはノエルさん、あなたのお連れが少々ご乱心のようだ。ノエルさんからも何とか言って頂けませんかね?」
しかし、ノエルは伯爵の言うことには全く聞く耳を持ちませんでした。
それどころか、手から魔法で大蛇を出して伯爵を睨みつけます。大蛇はノエルの肩に乗って、伯爵に跳びかからんと様子を伺っていました。
「『サーチ・アンド・デストロイ』……本来は間者をさがし出す魔法ですが、拷問にも使えます……」
「ほう、その蛇で私を拷問しようと?」
「本意ではありません。ですが、『島の館』で何があったか全てを見てきました。これ以上罪を重ねるのはおやめ下さい」
平静を装っていましたが、ノエルは怒っていました。彼女が本気だと感じとったのか、伯爵は溜息を吐いて再び肖像画を眺めます。
「いいでしょう……確かに私は、息子とモリス会長の子供への感心できない趣味を知った上で、二人の要望する難民政策を行っていました……」
「わからないんです。いくら息子の頼みだとはいえ、『島の館』に興味のないあなたが、危険を冒してまで何故こんな非道を黙殺したのかが」
「そのことですか……ノエルさん、この絵に描かれているのが誰だかわかりますか?」
「……はい? 存じ上げませんが」
伯爵が眺める肖像画に描かれていたのは、少しグレンに似ていましたが、彼とは違い軍服を着て凛とした青年の絵でした。
「グレンには五つ上に兄がおりましてな、聡明で至誠のある自慢の息子でした……」
「もうお亡くなりに……?」
「もう十年以上前になるでしょうか。私と息子は隣国との戦に出兵して、戦場で息子は私を守ろうとして帰らぬ人となりました」
「もしかして、その息子さんを?」
「はい、モリス会長から子供を大勢生贄に捧げれば、死んだ息子を黄泉の国から呼び寄せられると聞きましてね……。今となってはそれが間違いの始まりでした」
幾重にも折り重なった人の弱みや負の感情につけ込んだ、狡猾な悪魔が起こした悲劇でした。
肩を落として後悔する伯爵に、ノエルは淡々と言い放ちます。
「たとえどんな理由があろうと、あなたたちのやったことは許されないことよ。しっかり罪は償ってもらうわ……」
「この話が明るみになれば、私は改易されて息子ともども牢獄行でしょう。悪魔に魂を売った当然の報いです……」
「そ……そんな、父さん!? 僕は伯爵家の……あああぁぁぁぁああああ!!!」
悲嘆に暮れる伯爵とグレンを見ながら、ノエルはこの事件の真の黒幕について思いを巡らせていました。
しかし、モリス会長も魔導書も消えてしまった今となっては、その存在を突きとめることはもう不可能です。
そんな状況の中、アレックスは今回の事件が、自分の良く知る男によって引き起こされたものだと既に感づいていました。
「あのおっさん、相変わらず胸クソワリーことばっかりしやがるぜ……」
★ ★ ★ ★
ところ変わって、二人は難民居住区へと向かいました。
既に日は傾き始め、難民街も黄昏色に染まりつつあります。
そこでは、いなくなった子供たちとその家族が、感動の再会を果たしているところでした。
「お姉ちゃん!?」
「ドナ……? お父さん、お母さん!!」
アレックスが地下室で見つけたエマも、無事に家族のもとへと帰ることができました。
ドナのお姉さんをさがし出すと約束したノエルも、その光景に目を潤ませます。アレックスの表情も心なしか緩んでいるように見えました。
しばらくすると、手を繋いだドナとエマのダークエルフの姉妹が、二人の元へ駆け寄って来ました。
「ノエルお姉ちゃん、約束守ってくれて……お姉ちゃん助けてくれてありがとう!」
「うんうん、二人ともまた会えて良かったね!」
ノエルはしゃがみ込むと、微笑みながらドナとエマの頭を撫でました。
すると、今度は姉のエマが静観していたアレックスのもとに歩み寄って言うのです。
「えーと……お兄ちゃん、助けてくれてありがとう! 私……お兄ちゃんに言われた通り、泣かなかったよ!」
「……ああ?」
エマはアレックスの顔を見つめ、必死に何かを求めているようです。
それが何かを理解できず、アレックスはただ顔をしかめていました。すかさずノエルが彼をとがめます。
「アレックス、その子はあんたとお話ししたいのよ!」
「ああ? なんで俺が?」
「アレックス!!」
「ちっ、しょうがねーな……」
ノエルのおっかない顔を見て、アレックスは仕方なく腰を下し、エマの頭の上にポンと手を乗せました。
エマの浅黒い顔が赤く染まります。目つきが悪くて一見凶悪そうなアレックスの顔は、近くで見ると何だか愛らしく見えました。
「いいか兄妹、いいことを教えてやるぜ。泣いてりゃ周りが言うことを聞いてくれるのは、金持ちのガキだけだ。救いの勇者はもういねー……だからお前らは、泣きたくても歯を食いしばって強く生きてくしかねーのさ」
あの島では、多くの子供たちの命が奪われました。無事に帰ってこれたとはいえ、彼女たちが受けた傷跡も長く残り続けることでしょう。
それでも日々は続いていくのです。難民であるここにいる子供たちには、これから先も過酷な運命が待ち受けているに違いありません。
それは不器用ながらも、今まで過酷な人生を送ってきたアレックスの、傷ついた少女へ対する彼なりの励ましの言葉だったのです。
「ちょっとあんた、もっと言い方ってものがあるでしょ?」
「うるせーな、ガキは苦手なんだよ。そんなことよりさっさと行こうぜ。とりあえず、今日の宿さがしだ」
「ちょ! 待ちなさいよ、アレックス!」
夕暮れに背を向けて、アレックスはすたすたと去って行きます。そんな彼の後姿に、エマは大きな声で呼びかけます。
「お兄ちゃーん! 私、もう絶対に泣かないよ!! だから……また、また会えるよね!?」
そのまま過ぎ去ろうとしたアレックスでしたが、ノエルに肩を掴まれて面倒臭そうに答えました。
「のたれ死なずに行儀よく待ってりゃ、そのうち会いに来てやるよ! お前が泣きべそかいてないか確かめにな!」
「うん! 約束だよ、お兄ちゃん!!」
エマはアレックスとノエルの後姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていました。
ノエルはそれに応えるように手を振りながら、照れ臭そうにするアレックスを揶揄います。
「アレックスー、モテモテじゃない! あの子きっと、あんたのこと好きになったんだよ!」
「けっ、ガキに好かれたって嬉しかねーよ!」
「もう、あんたは素直じゃないんだから!」
夕陽は湖を鮮やかに染めながらいよいよ水平線へと沈んでいきます。長かった一日がやっと終わろうとしていました。
ノエルはオレンジ色の湖面を見ながら、もう会うことのできない大好きだった人たちに誓います。
――アズマ、マリカ……二人が救ってくれた世界、今度は私たちが守るからね……」
半人半魔で目つきの悪い悪童アレックスくんと、可愛いエルフの天才魔法学者ノエルちゃん……。悪い悪魔をさがし出す為の二人の冒険は、まだ始まったばかりです。
いつもケンカばかりの二人でしたが、今回の戦いを経て、お互いの絆もきっと深まったことでしょう。
「ねえ、アレックス、今日は色々あってお腹空いちゃった! 何かおいしいもの食べに行こうよ!」
「へっ、お前にしては中々いい提案じゃねーか。そんじゃ酒場にでも行ってみっか!」
アレックスくんが旅の資金をほとんど使ってしまったことがばれ、ノエルちゃんを烈火の如く怒らせるのは、二人がたらふくご飯を食べた後のことでした。
めでたしめでたし……。
最後までお読み頂きありがとうございます。
実際に起こった事件をヒントに、前に書いた異世界転移もののその後のお話しを書こうと思ったのが、この作品のきっかけです。
かなり実験的要素の高い作品で、結構エグいダークファンタジーになるかと思いきや、意外にかわいた軽いタッチになったかなと思います。
この作品の前日談、関連作品は↓の作品をチェックして下さい。
【前日談】
今回の作品は、以前連載で書いていた作品のその後のお話しです。
元々は一人称のよくある異世界転移もので、幼馴染に彼氏ができて傷ついている主人公の那木 吾妻君が、謎の少女によって異世界転移させられるお話しでした。
勇者アズマ君と幼いノエルちゃんとの出会い、そして悪魔の手先だったアレックス君との熾烈な戦いが描かれております。
『失恋勇者~世界を売った少女と始める異世界往来記~』
★失恋から始まる二つの世界を股にかけた剣と魔法の異世界ラプソディ
この小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n4934el/
【関連作品①】
勇者アズマ君が異世界に転移する前の中学生のお話しです。
※ファンタジー要素はありません。
『腹黒くてドライな妹が、僕と幼馴染をくっつけたがる理由』
★吾妻君を毛嫌いする妹の伊吹ちゃんは、何故吾妻君と毘奈ちゃんをくっつけようとするのか?
この小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n4567hf/
『クラスのマドンナ的美少女にいきなり告白されたと思ったら、幼馴染にエチィ本を買ってるところを見つかってゆすられる青春ラブコメ』
★なんと、あの吾妻君にクラス一の美少女が告白!? しかし、幼馴染の毘奈ちゃんにとある弱味を握られてしまい……。吾妻君の栄光と挫折、幸福と悲劇を描いた十四歳の青春ラブコメ。
この小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n6603he/
【関連作品②】
『失恋勇者~』のキャラクターを使い、現実世界がメインのラブコメに再構築したお話しです。いわゆるパラレルワールド作品になります。
ですが、【関連作品①】の作品とは繋がっています。
『霧島 摩利香は学園最凶である? ~学園最凶美少女とのすっごく危険な青春ラブコメ はじまりの物語~』
★高校生になった吾妻君と毘奈ちゃん、今度は学園一危険な美少女と三角関係に!? 学園中から恐れられる霧島 摩利香の秘密とは?
この小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n6095hd/
■ご感想・評価等はお気軽にお願いします。一言とかでも滅茶苦茶嬉しいです。
コメント等に関する返事は、内容にかかわらず時間がかかっても必ずお返しします。