初めての銭湯
エノについて詰められた俺は、特に何かやましいことがあるわけでもないのに少しおどおどしながらことの経緯を説明した。その間ロジャは仁王立ち、俺は正座だった。
「──な〜んだ! そういうことだったのね! だったら早く言ってくれればよかったのに!」
「言う前にすでにこんな状況に立たされてたと思うんだが」
ロジャに対するよくわからない釈明が終わった後、エノは俺から離れ頭を下げる。
「あの、ワタシエノと申します。エルフ族で、駆け出しですが冒険者をやってまして」
「知ってる知ってる、さっき聞いたよ。それにしてもかんわいい子助けてきたわねゼル。私は最初帰省とかこつけた女児との旅行でも言ってたのかと思ったわよ」
「じょ……っ!」
エノは女児と言われたことがハートに刺さったらしく、店の隅にとぼとぼと歩き思い切り背伸びを始める。ぶら下がるとかは聞いたことがあるが、背伸びは聞いたことがない。
「そういえばロジャ、俺のこと心配してくれてたみたいでありがとうな」
「へっ? いやいやいやそんな感謝されること別に……誰に聞いた?」
「王都まで運んできてくれた御者のエキュ──」
その瞬間俺は察した。ロジャから放たれる『犯人の口は私が封じる』と言った気配。これは名前を言ったら冗談抜きで消されそうだ。
俺はなんとか必死で話を逸らすことにした。
「ロジャが心配してくれてるんだってわかった瞬間さ、俺泣きそうになったんだ。仲間に裏切られたとしても、こういう俺のことを心配してくれるような人が数人いるだけで俺は恵まれてるって思った。だからロジャ、俺、そしてこれからは仲間であるエノとも仲良くしてくれよ! 俺もずっとこの宿使い続けるからさ!」
本音しか言っていない誤魔化し。思いは十分込めたし、言っている内容に一切の着色はない。強いていうならタイミングがあれだが、それ以外は普通に感謝の言葉だ。これなら犯人探しは蚊帳の外になってくれるはず。
「ゼル……いいんだよそんなこと。私はあんたが帰る前より良い目になってること、そして何より怪我とかもなく無事に帰ってきたことだけでいいんだから。感謝もお願いもいらない。私が聞きたい言葉は1つだけ──犯人誰だ?」
はいだめでした。ごめんエキューズさん。
ものすごくいい雰囲気、いい言葉で、割と本気で泣きかけたというのに、最後の着地で全部引っ込んだ。
俺は渋々、渋々エキューズさんの名前を言い、心の中で全力で謝罪をした。
「あの親父、人の恥ずかしいことなんの躊躇もなく言いやがって……今度来たらこんこんと説教してやるんだから」
少し顔を赤らめながら不服そうな表情を浮かべるロジャ。腕を組みながら悪態を吐く彼女からは、怖さと同時に可愛さも見て取れた。
「そうだロジャ、1つお願いがあるんだが」
「お願い? ゼルがお願いなんて珍しいね。なになに?」
先ほどまで不機嫌そうな顔をしていたロジャは組んでいた腕をほどき、俺のお願いに耳を傾けてくれる。
「実はその、実家周りには大衆浴場とかがなくてさ、水で体洗うくらいしかできてないんだよ。だから王都のあったかい風呂に入れてやりたいんだが、いかんせんエノの分までお金が……それでさ、お金を、貸してはもらえないでしょうかっ?」
俺はロジャに頭を下げる。親しき中でも、お願いをするときは誠意を見せねばならない。俺のお金をエノに渡せば良いのではとも思ったが、それでは絶対にエノは入ろうとしないだろう。彼女はそういう子だ。
俺は追放されたということもありあまり金は持っていない。そのお金も実家への運賃やそこでも食事、そして格安にしてもらっているとはいえロジャの宿への宿泊費も払わなくてはいけない。そう言ったもろもろで所持金はもうすぐ底をつきそうなのだ。
駆け出しのエノは言うまでもない。
「ロ、ロジャ……その、答えは……?」
チラリと上目で彼女を見上げる。すると彼女は呆れた表情でこう答えた。
「良いよ別に。てかあんたにそんなことで頭下げられたらこっちが悪い気してくるわ。言ったでしょ? あんたにはまだ借りを返せてないって。その程度いくらでも貸したげるわよ」
「ロジャ……本当にいいやつだな」
「でしょ、知ってる。ほら〜、そこで背伸びしてる女児ちゃ〜ん、お風呂行こっか!」
「じょz……っ!!」
本当にいい友人に巡り会えたと思いながら、壁に向かってぶつぶつと何か呟いているエノを引っ張り出し公衆銭湯へと向かった。
目的地である銭湯に到着した俺たちは、それぞれ男湯女湯へ入っていき、暖かな湯に肩まで浸かる。
「ぷはぁ〜……風呂こそ人類の最強の叡智なり」
謎の感想を漏らしながら、俺はこの全身が溶けているのではないかという感覚を存分に味わった。
✳︎
「──エノちゃん、大衆浴場ってきたことある?」
「いえ、エルフの森にはこう言った場所はないですし、存在自体は知っていたのですがなにぶんお金が……」
女児という言葉のナイフに心をズタズタにされていたワタシを半ば無理やり引っ張ってきたロジャさん。心は傷ついたままだが、憧れだった浴場の匂いを嗅いだ時点で少し気持ちは落ち着き、きてよかったと思えてきた。
「入ったことないんだ。じゃあ今日はデビューだね! 気持ち良すぎて死ぬんじゃないかぁ〜?」
「はは、流石にそれはないですよ。疲れた後の水じゃないんですから」
「はははっ! 確かにそう──いまなんて?」
目の光を消しながら真顔で疑問符を送ってきたロジャさん。疲れた後の水は美味しさで死にそうになる、こんなのは常識じゃないのだろうか?
「まぁいいや。とりあえずさっさと脱いで入っちゃお。入ったらわかるから」
「ここで脱ぐのですね。あ、服はそこに」
全部が初めて。大衆浴場はもちろん、家族でもない人の前で裸になることも体験がない。右も左もわからないワタシは、とにかくロジャさんの真似をした。ロジャさんが服を脱げば服を脱ぎ、カゴに服を入れれば服を入れる。さらしを外せばさらしをはず──
「ちょっとロジャさん、なんですかその胸についてる2つの果実は? しかもなんですかそのさらし! なにつぶしてるんですか! 潰すくらいならくださいよ! この女児に恵みを!!」
ロジャさんはワタシを女児と呼ぶのが納得だと思ってしまうほどにたわわなお胸をされていた。しかもお腹はすごい引き締まっている。まさに理想体型と言えるような、そんな体型。
ワタシはそんなロジャさんに涙を溜めた嫉妬と羨望の眼差しを向ける。そんなワタシをロジャさんは鬱陶しそうに突き放した。
「ちょ、エノちゃんテンション上がりすぎ。結構普通にめんどくさいよ。ってかこんなもんついてても邪魔なだけだって。肩凝るし動きにくいしアホなやつはジロジロ見てくるし」
ロジャさんを見ると割と本気で鬱陶しそうだったので、この辺で切り上げることにした。羨ましいしもっと色々聞いては見たいが、ゼルさんがお世話になっている人との関係を悪くしてまではごめんだ。
「すいません。度が過ぎました」
「わかったんならいいよ。ほら、お風呂入ろ!」
一瞬で許してくれ、その上ものすごくいい笑顔を向けてくれたロジャさん。少しいたずらっ子みたいな笑顔が同性のワタシから見てもすごく可愛かった。
更衣室を抜け、扉を開けると最初に出迎えたのは大量の湯気。顔をしかめさせるほどの大量の湯気に、ワタシのテンションは少し下がった。
「うぇぇ……すごいですね今の湯気。これだけで汗かきそうでしたよ」
「はははっ! この反応を見たくて黙ってたんだ! 2回目以降は扉の端に逃げるといいよ。それよりもほらっ、これがエノちゃん憧れの銭湯さ」
テンションの下がったワタシはちょっとやそっとではもう興奮しない。そう思いながら先ほど湯気が襲ってきた扉の向こう側を覗くと、そこには大量に張られたお湯が。そしてそこにはたくさんの女性たちが気持ち良さそうに浸かっていた。
「……ロジャさん、いきましょう」
「へいよ。湯船入る前に桶にお湯入れて体洗いなよ」
ロジャさんのいう通り、ワタシはお湯の近くに置かれた桶にお湯をすくい、ゆっくりと体にそれを流した。
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「──はっ! 気持ち良過ぎてワタシ死にかけました! すごいですロジャさん! これは人類の叡智の結晶です!」
ワタシが昇天しかけている間に体を流し終えたらしいロジャさんは、なんの感慨もなく浴槽に入っていく。
「人類の叡智ねぇ。ゼルも初めて銭湯来たときそんなこと言ってたなぁ。なっつかし。あの時の興奮具合ったらなかったわ」
「そうなんですね! じゃあそろそろワタシも湯船に入りますね」
湯気が立ち込める湯船に足、体、肩と、徐々に体をお湯の中に沈めていく。沈むたびに疲れやら何やらが抜けていく感覚を味わった。
「やばいですロジャしゃん、ワタシ死ぬ前はここに来たいです」
「大袈裟だなぁ。ま、気持ちはわかるけどさ」
それからしばらくこの夢の時間を味わった。思わず口角を緩ませ、色々な疲れやストレスなどが抜け切ったとき、ロジャさんがワタシの方を向き、頭をワタシの肩にそっと乗せた。
「ロジャさん? 体調でも悪いんですか?」
「ううん。そんなんじゃないよ。……エノちゃん、ゼルのことありがとね」
笑った顔は何度も見た。しかし今ロジャさんがしている安心したような笑顔は初めて見た。
「ワタシ何もやってないですよ?」
「やってるよ。あなたはゼルがずっと無価値だと思っていたスキルに価値を教えてくれた。仲間に追い出されたゼルを励まして仲間にもなってくれた。……私できなかったからさ。大したこと言えず送り出すしかできなかった」
そんなことない。そう言いたかった口をロジャさんは押さえ、にっこりと微笑んだ。
「あいつすごい頑張ってるじゃん? 早くに家族殺されて、王都に来てからも仲間ができなくて。それでも世界を救う勇者になるため一所懸命特訓してさ」
ゼルさんがこの町に来てから一番初めに仲良くなったというロジャさん。そんな彼女の言葉は哀愁が漂っている。
「ゼルが勇者パーティーに選ばれたって聞いた時は町のみんなで飲んだね。あの時の酒はうまかったぁ! そしてあいつが裏切られたって聞いた時の酒は……信じられないくらいまずかった」
一瞬目を閉じ、ため息をついたロジャさんは、ワタシの肩に手を回し、前のような穏やかな笑顔に戻っていた。
「ま、何が言いたいかというとさ、これからも、ゼルのことよろしくね。裏切ったりしたら承知しないぞぉ」
微笑みながらワタシにそう言ったロジャさんは、絶対に裏切ることはないと確信してくれているのだと、こちらも確信できた。
押さえつけられた口元は離され、先ほどの問いに対する答えを簡潔に述べた。
「当たり前です」
「……ッ! ……ふふっ、頼むぞ、エノちゃん」
その後は特に会話をすることもなく、ワタシ達はただただ体を包む至福の温もりに身を投じるのだった。