水の美味さたるや
目を覚まし体を起こした俺は、日課である特訓を開始した。昨日は夜中に行ったが、普段であれば今日のように朝っぱらに行っている。
1時間後、息を切らせ汗を滝のように流しながら地べたに倒れ込んだ。常に限界ギリギリの回数を設定しているため何年やっても疲れなくなるということはない。
しばしの休憩を入れながら真っ青な空をぼーっと見上げていると、その視線の先に髪を耳にかけながら俺の顔を覗き込むエノの姿が映った。
「お疲れ様ですゼルさん」
エノは優しく微笑みながら容器に入った水を差し出してくれた。俺は上体を起こしその水を受け取る。
「ありがとうエノ。水汲み場遠くて大変だったでしょ?」
「いえ、そんなに……と言いたいところですが、まさか坂を昇降しないといけないとは思ってませんでした。1往復だけでもう足がパンパンです。ゼルさんに声かける前に10呼吸整えてきました。改めてですがゼルさんすごいですよ、あんな坂を3往復も。しかも他の特訓終わってからですよね? ちょっと引くくらいびっくりしてます」
自身の足を揉みながら苦笑いを浮かべるエノ。俺に水を渡すために頑張ってくれたのだとその表情、そして日光に反射する額の汗でよくわかった。
容器に入った水を半分ほど口にする。冷たい水が喉元から瞬間に体全体へと染み渡っていくような感覚になった。
水の半分残った容器。今度はこれを口元にではなく、エノの方へと差し向けた。
「ほらエノ、エノも疲れてるだろ? 半分残してるから飲みな」
「へっ? あ、いや、それはゼルさんが全部飲んでください! そのために汲んできたので!」
顔を背け両手を前方に突き出しながら手のひらを大きく振るエノは、拒否の反応を身振り手振り大きく表す。
だが俺はなおも水を彼女に差し向け続ける。絶対に彼女も疲れている。仲間になったからには遠慮してもらってはいけない。
「エノ、俺たちは仲間になったよね?」
「? はい、そうですがそれが何か……?」
「これから一緒にやっていくに当たって1つだけ。これからは遠慮は基本なしだ。金がないからとかは別にして、たとえば疲れたから休みたいとか、武器の状態が悪くなったから買って欲しいとか、そんなのは絶対に遠慮しないこと! わかった?」
「は、はい! わかりました!」
元気一杯の声で肯定の意を示すエノ。よしここまでは順調だ。
俺は話を続ける。
「あとこれは当たり前だが、仲間で手に入れたものは少なくとも一旦はパーティー全員のものだ。報酬やなんやらはその後分配などになる。ここまではいい?」
「ワタシはパーティーを組んでまもなかったのでよくわかってませんが、ゼルさんがいうのであればそうなんでしょうね! わかりました!」
目を輝かせながら拳を握るエノに、俺は若干の申し訳なさを覚えた。なぜなら今言ったことは俺の持論、もとい願望でしかないからだ。勇者パーティーにいた時は聖剣を使わせてもらったことで頭から飛んでいたが、今思い返せば全然俺に分配されてなかった。その経験から、俺平等に行こうと俺の中で勝手に決めたのだ。
だからそんな絶大なる信頼を置かれると気が引けてくるんだが……いや、しかしこれは水を飲ませるための口実、仕方がない。
「でだ、ここまで話しを聞いてくれたエノなら理解してくれるとは思うが、エノの汲んできてくれたその水、その水もパーティー全員のものなわけだ。で、俺は半分飲んだ。ということは、先程の分配の話から言うに、残り半分はエノが飲む権利がある。わかるかな?」
水を飲ませる。たったそれだけのことにどれだけ時間をかけているんだと言う話だが、これは重要なことだ。こんなので遠慮されてはこの先遠慮だらけになる。
「いや、でもワタシ喉渇いて……ぅっ、ないですもん」
今唾液飲んだ。あからさますぎて可愛いとは思うがこれではいけない。今後のため、なんとしてでも飲ませねば!
「エノ、さっき遠慮はなしって言ったよな? 俺に全部くれようとしてるのはすごいわかるし嬉しいんだが、パーティーの今後を考えるならここは大人しく飲んでおけ」
「ぅ……わかりました。いただきます」
よし勝った。
エノは若干不満そうな顔はしつつも、容器を俺から受け取った。口をつける直前、『本当にいいの?』と言わんばかりの上目遣いをしてきたが、それを無言でスルーした。
「ではゼルさん、いただきます」
ゆっくりと口元に水を流し込み、喉を鳴らす。その瞬間、先程の遠慮はどこへやらと言いたいほどガブガブと流し込み始めた。
「そんな渇いてたんだ……なんでこれで大丈夫って言えたんだ?」
苦笑いを浮かべる俺をよそにどんどんと飲み込んでいくエノ。そして数秒後ようやく容器から口を離したエノは嬉々たる表情を浮かべていた。
「はぁ〜〜! なんで運動した後の水ってこんなに美味しいんでしょう!? なんというか染みる? そんな感じです! 生きてるって実感が湧きますね! そう思いませんゼルさん!」
最後に俺の名前を言った彼女の表情は、年相応にあどけなく可愛いというかかわいらしく映った。
「あぁ思うよ。俺も似たようなこと考えてたし」
「ですよね! 水は意外と侮れないですよ。まずここの水が美味しいですよね! 雑味がなーーあ、すいません変なテンションになってしまって……」
急に我に帰ったエノは、先程のテンションが嘘のように俯いてしまった。よく見ると顔を真っ赤にしている。肌が白いから余計にはっきりとその色変わりが見て取れてしまった。
「確かに水は美味しいよな。よし、これからはクエストを済ませたら水を飲もうか」
「……ッ! いじらないでくださいぃ!」
口をへの字にしながら涙目になるエノを見て、思わず吹き出してしまう。そしてゆっくりと家の方に動かし、通り過ぎざまに声をかける。
「さっきみたいに遠慮なくなっていいからね。まぁ、すぐは無理でもゆっくりとでもさ」
さっきまでのは水を飲ませるために強引に進めたが、本来ならもう少しゆっくり慣れていったほうがいいのかもしれない。なにせパーティーを組んだからとはいえ、俺たちは昨日今日会ったばかりなのだから。
「さて、朝ご飯どうしよ……」
と言っても大したものはない。なにせ山の中なのだ。せいぜい山菜程度が関の山といったところ……山で掛けてはないぞ。
エノとは別の意味で顔を赤らめながら俺は家の中へと入っていった。
「(ゆっくりと……もしかしてワタシに水を飲ませるための口実?)……やっぱり優しい人。──ゼルさん! ワタシ作りますよ! 材料とかってあります?」
エノは元気一杯に走りながら近づいてきた。
ご飯を作ってくれる、それは楽しみだしすごく嬉しいのだが、1つ彼女には残酷なことを告げねばばらない」
「エノ、作ってくれるって言うのは嬉しいよ。でも……」
「パーティーに遠慮はなし! なんですよね! ワタシ結構料理できる方なんですよ!」
俺のいったことをそのまま返されてしまった。こされては俺も言い返すことはできまい。
「材料はこの家にはないんだ。ずっと開けてた家なわけだし。と言うことで少し歩くけど」
「わかりました! でしたらワタシもついて行きますよ! 人は多い方がたくさんもてますしね。(山菜とかだろうなぁ)」
ついていくか。まぁそう言われてしまっては仕方ない。確かに人は多い方がたくさんもてる。
「頑張ってたくさん採りま──」
「あの坂を下って20分歩いたところに小さな市場があるんだ。早速行こうか」
俺が指さすは下り坂。その指先を見つめたエノの瞳は、時間が経つほどにその光彩が失われていった。
「……ゼルさん、帰り……水飲みましょうね」
「う、うん……頑張ろう」
こうして俺たちは長い下り坂を下りきり買い物を済ませ、自宅をもう一度拝んだ頃にはエノの瞳は見えず、白目を剥いていた。
「エノ〜、ご飯食べれそう?」
「ふ、ふヒデふ……」
「無理なのはわかった、ゆっくり休んでな」
結局その朝、ご飯は俺が作ることとなった。