価値を与える
「なんで、死なないの?」
突然の突風、魔物の消滅、そして少女の発言、全部が全部意味がわからず、体だけでなく頭も痛い。
まず何? 何で死なないのってことは死んで欲しかったのかな? いやそれはないと思う。石を投擲して魔物の意識を自分に向けようとしてくれてたし。……ないよね?
「えっと、とりあえず大丈夫?」
「あ、はい! ありがとうございます!」
彼女はいそいそと立ち上がり、綺麗に頭を下げた。土煙などで黒く汚れた薄紫色の髪を揺らす。顔を上げ申し訳なさそうに見つめる海を思い出させる青い瞳に、自然と惹きつけられる。背中には空の細長いかごを背負っている。そして俺の注目を一番惹きつけたもの、それは揺れる髪から僅かにのぞく耳だった。
「その尖った耳、もしかしてエルフ族?」
「はい。あっ、そういえばまだ何も言えてませんでしたね。ワタシはエノと申します。先ほどは本当にありがとうございました! 体は大丈夫ですか? どこか痛んだりは」
心配そうな表情を浮かべるエノという少女。木に激突したのだから痛くないということはないのだが、彼女にそれを言ったところでどうかなるわけじゃない。俺はそのことは気にしないことにした。
「大丈夫だよ。それより、君は何でこんなところに?」
「実はワタシ、つい最近冒険者になりまして、今日はパーティーの皆さんと一緒に初クエストに挑んでいたのですが、まさかこんな場所でムーリングベアーと遭遇してしまうなんて……パーティーのお2人は中でも一番新人だったワタシを逃すために戦ってくださって、それで……」
なるほど。彼女の沈んだ表情、そしてあの魔物、ムーリングベアーが彼女を追って来ていたということは、つまりそういうことなのだろう。彼女の背負っているかごの正体も理解出来た。あれにはおそらく弓矢が入っていたのだろうと予想する。
「しかし災難だったね。たまにあるんだよこんな風に予想だにしない魔物が現れる時が」
「そう、ですね。確かに災難ではあったと思います。ですが悔しいんです……ワタシのスキルが攻撃系統のものだったら、一緒に戦って、もしかしたら2人共死ななかったかかもしれない……と、そう思ってしまって」
奥歯を噛み締めながら下を向く彼女に、俺は自分を重ねてしまった。無視という攻撃には一切関係ないスキルのせいでまともに戦えない悔しさはよくわかっている。
「わかるよ。悔しいよな、戦いたいよな。俺も同じだったからすごいわかる」
「ゼルさん……確かにゼルさんもそうですもんね」
お互い感傷的な気持ちになり言葉が詰まった──
「ん? 今なんて?」
「へっ? ゼルさんもそうだと」
「いやまあそこもそうなんだけど、それよりもさ、俺名前言ったっけ?」
これはずっと感じていた疑問。彼女は俺に対し「あのスキルじゃどうしようも」と言った。さらに短剣を使うとき、大声で使うなと言ったり。極め付けは名乗ってもいない俺の名前を言い当てたことだ。すごい有名ならまだしも、俺の知名度なんて高が知れている。新人なら尚更だ。
「もしかして、君のスキルって他人の情報を見れるってもの?」
「はい、ご明察の通りです。ワタシのスキルは【鑑定眼】。見た対象の名前と性別、そしてスキルまでも見れるんです」
なるほど確かにそれは戦闘向きじゃない。戦闘前であれば有用なスキルなのかもしれないが、戦闘真っ只中で活躍できるのかと言われれば微妙なところだろう。
戦いたかったという気持ちは痛いほど分かる。彼女が自身の無力を呪い沈んでいるのは理解できるし同情できる。そんな彼女を立ち直らせることができるのは同じ無力さを知っている俺だけだろう。
俺は手を伸ばせば触れられるほどの距離まで近づき、言葉を投げかけた。
「そいつは確かに戦闘中では使えないスキルかもしれないな。だけど、君が自分を責める必要はない。それは、死んでいった彼らだって望んじゃいないさ。望んでたら君を逃すため戦ったりしない。仲間の覚悟を尊重してやりなよ」
「ゼルさん……そうですね。ワタシが落ち込んでいたら、逃がしてくれたお2人に失礼ですよね。──ワタシ、お2人の分まで冒険者を頑張ります! そして立派な冒険者になって、墓前で言うんです。『ワタシがここまで生きてこれたのはあなたたちのおかげです』って! そのためにワタシ、頑張ります!」
目に涙を浮かべ、唇を噛み締める彼女。しかしその震えとは対照的に、真っ直ぐ俺を見つめる青い瞳には信念を感じられた。
俺は安堵の笑みを漏らし、話の切り替えとして両手を叩いた。
「よしっ、それじゃあ俺も手伝うから、その2人を早く埋葬してあげよう。それが今できる最良だ」
「はい! ……あの、今さらりとおっしゃいましたけど、手伝ってくださるのですか?」
彼女はキョトンとした表情を浮かべ同じ姿勢のまま硬直している。そこまで変なことを言っただろうか?
「言ったけど? それで、その2人はどこに?」
「えっ、あっ……向こうです」
彼女は動揺したまま四方をぐるぐると見渡し、とある方向を指さした。
その表情はまだ硬い。色々理由はあるとは思うが、今日初めて会ったばかりの男と一緒にいるのだ。警戒もしよう。
「じゃあ、早速行こうか」
「は、はい! (どうしよう、お礼言えなかった……手伝ってもらうことも、励ましてもらったこともお礼言わなきゃいけないのに。全部終わった後でいいのかなぁ? 失礼じゃない?)」
俺は彼女に追随する形で目的地まで向かう。その前方の彼女は、なぜか何度も首を捻り、「うぅ〜」と唸り声をあげ、時には体をもぞもぞと動かしていた。どうしたのだろうか? こいつと一緒にいて大丈夫か? とでも考えて……やめよう悲しくなってきた。
しばらく真っ直ぐ歩いていくと、真正面に大量の血と、彼女の仲間のものであろうし死体が散乱しているのが見えた。その光景に体を震わせ立ち止まってしまう彼女。
「わかってても、そりゃ悲しいよな」
背中越しにだが、僅かに雫が落ちていくのが見える。足を強くつねっていることから、声を出さまいと必死になっていることが見てとれた。
ここで俺が何かをするのは違うと思い、少し離れた場所にある石に腰掛けた。
「仲間、か……死んで泣いてくれるなんて、ほんとに良いパーティーだったんだな」
死んでしまった彼女の仲間に対し、俺は少し羨望の眼差しを向けてしまった。死んで泣いてくれる仲間がいなかった俺にとって、この光景は不謹慎だが羨ましく思えた。
「テッドさん……サクリさん……ワタシぃ……」
左手で涙を拭い、大きく深呼吸をしながら空を見上げる。息を吐きながら顔を下ろした彼女は、振り返り俺に声をかける。
「ごめんなさいゼルさん! お見苦しいところ見せてしまって! もう大丈夫なので、早く埋葬してあげましょ!」
目を真っ赤に腫らしながら気丈に振る舞う彼女。俺に気を遣ってのことか、それとも痩せ我慢なのか。いずれにしても、俺がやめろと気軽に言って良いものではない。
せめて俺がかけてやれる言葉を考えたときに、昔母にやってもらったように彼女の頭を撫で、優しく声を投げかけた。
「頑張ろうな」
2回ほど頭をポンポンと叩き、俺は地面に穴を掘り始めた。照れ臭いセリフを吐いてしまったことの恥ずかしさを隠すように、俺は全力で掘り進める。
そんな俺の背後で、彼女は小さく一言呟いた。
「……はい」
小さく短い言葉だが、芯の通った強い意志のこもった言葉。彼女も綺麗な白い手を地面につけ、俺のそばで掘り始めた。
「──エノです」
「ん?」
突然の言葉に間抜けな返答をしてしまった俺を、彼女は真正面で見つめ、改めて言い直す。
「ワタシのこと、エノと呼んでもらって大丈夫です! ゼルさん! その、よろしくお願いします!」
右手を胸に当て、少し赤面しながら彼女は呼ばれたい呼称を告げる。そんな様子に、俺は思わず苦笑を浮かべてしまった。
「ははっ、わかったよ。じゃあよろしくね、エノ」
「はい!」
こうして俺たちは穴を掘り進めた。俺は以前から亡くなり放置されてしまっていた冒険者達の遺体を埋葬していたので、順調に掘り進めていた。しかしエノは慣れていないのか、俺の三分の一程度しか掘り進められていない。このままだと夜が更けてしまうかもしれない。
「この短剣で地面叩きつけたら穴できないかな?」
俺は懐から短剣を取り出す。そして真上に振りかぶると、それに気がついたエノが俺の腕を押さえつけて制止してきた。
「ちょゼルさん! 何やってるんですか!? そんなことやったら今度こそ死んじゃうかもしれないですよ!」
「死ぬって大袈裟な。あ、そういえばこの短剣使うなって言ってたけど、何で?」
確かにすごい突風は吹き荒れたし、魔物はいつも間にか倒せてた。だけど、別に俺は死んでいない。俺は短剣見つめながらエノに尋ねる。
「その剣、ワタシのスキルで見たのですが、強い能力が付与されている代わりに呪いがかかっているんです」
「呪い? この剣にそんな効果……ちなみにどんな?」
エノは少し黙り目を上下させ始める。まるで何かを読み上げているようだ。
「え〜っとですね、この剣の名前は『TKー148 風の便り』。激しい突風を巻き上げながら風の斬撃を放つことができるそうです。しかし代わりに大きすぎる代償があります。それは、斬った対象と同等のダメージを負う、という呪いです」
「それって、この剣で魔物を殺したら俺も死ぬってこと?」
「……そういうことです」
何だよそれ? もしかしてマルクはこの効果があることを知っていて俺にこの短剣を渡したのか? やけに高そうな剣をくれるものだとは思ったが、あくまでも自滅という形で殺すためにこれを俺に……エノが痛くないか? って言った意味がようやくわかった。
「くそ……」
「ゼルさん……っ、でもおかしいですね、この剣は本物なのにゼルさんは死んでいないなんて」
エノは俺の表情を見てなのか、明らかに話題を逸らしてくれた。俺も今はあいつらのことを少しでも遠ざけたい。
「そう言えば、確かに何でだろ? 突風は上がってたからちゃんと使用はできたんだろうし、もしかしてその呪い発動する時としない時があるんじゃ」
「いえ、そう言った記載はないですね。だとすればスキルの方に秘密が? いやでもさっき見た時は何も……」
そう言って再び目線を上下させるエノ。そしておそらくスキルの表示を見ている時だろうか。
すると直後、エノは目を丸くし、俺の手を強く握った。
「ちょっ、エノ!?」
「ゼルさん、ワタシ思い出したんです! 非戦闘ギフトは時として、2つ目の能力を持つことがあると! 先ほどワタシが見た時は焦って全部見れていなかたんです。実は次の行に能力がまだあったんですよ!」
強く手を握るエノは、目を爛々とさせながら俺を見つめる。その表情はまるで自分の子供が今までできなかったことをやり遂げたかのような、喜びの表情となっていた。
「エノ、俺のスキル、無視は……気づかれない以外に何ができるんだ?」
そしてこの後告げられる言葉が、俺の人生を──使えないと思っていた俺に、価値を与えてくれた。
「ゼルさんの『無視』は、自身にかかるデバフを無視、つまり──呪いを無効化できるんです!」