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その村人は英雄を待つ  作者: ユートヤマ
ブルファーナ王国王都
9/26

9話

「……ナディーネ」


 エーゲルは静かに呟いた。声を聞いた時点で、誰かが来たかなど、彼自身が一番分かっていた。

 ナディーネは椅子に座っている国王に一瞥をやると、壮年の兵士に向かって言う。


「私の恩人に傷一つ付けることはかなわない、と言ったでしょう?」


「し、しかし……」


 言葉に詰まる壮年の兵士を余所に、エーゲルは椅子から立ち上がる。それに、この場に居る全員の視線が集まった。

 エーゲルは、ナディーネのことを怒気が漂う目つきで見つめる。


「そもそもだ、ナディーネ。お主が取った軽率な行動で、一人の民を心配に落とし込んだ挙句、城に侵入をさせた」


「だから、それは俺が勝手に……」


 第二王女としてお主は、とエーゲルは言って、喋るレオポルトを遮って続ける。


「自覚が足りていないのだ」


 聞いたナディーネは、言われるがままだ。彼女にとって、これはいつものこと。今更、反論する気もなければ、ましてや王として父が言っていることが正しいと、ナディーネ自身も思っている。だからこそナディーネは、


「申し訳ありません、陛下」


 俯いていつも通り、素直に謝る。そうしてナディーネは、いつの日からか育てられてきた。言われたことを改善し、王女として成長する。そうしてそれが、大好きな兄の存在を、一歩ずつ遠くにしていた。やがて今日に繋がり、結果が家出だ。

 いつもならナディーネも、反省してそれ以上、口を出すこともなければ、言い訳もしない。しかし、今日は違った。

 ナディーネはこの場に居る面々を見て、いや、レオポルトが陛下の許に行くと言ったときから、想像はしていた。ナディーネは、陛下を見据えて言う。


「今回のことは、全て私の責任です。——ですがどうか、レオポルト様の罪は不問とするよう願います」


 周囲が一様にナディーネへと視線を寄せ、ざわめく。エーゲルは落胆し、肩を竦めた。


「なりません!」


 と、すぐさま声を荒げたのは壮年の兵士だ。その通りだ、とエーゲルも言葉を続ける。


「民の一人を特別扱いしてはならない。仮にそれが、自身にとってどんな存在であってもだ。王族が一個人の理由で、平等を決壊させてはならず、罪を庇うのは以ての外だ」


 王から発せられる重圧に、ナディーネは拳を握り締める。本来ならここで……いや、最初に国王から咎められたときから、異を唱えることはなかった。でも今回、ナディーネは一歩踏み出す。


「ですが! レオポルト様は私の恩人です。それを反故にすると仰いますか!」


 ナディーネは、周囲のざわめきが高潮に達しているのも意に介さず、それよりも大きな声で叫ぶ。


「確かにレオポルト様の、城への不法侵入は罪です。しかし私の心に親身になっていただいたのも、また事実です。ここは、私の言をお聞き願えないでしょうか——陛下」


「ならぬ。先程、言った通りだ。——それに何故、民にまで『様』をつける? 国の長たる王族が、守るべき民に謙遜していて、どうして王が名乗れよう」


「私は! レオポルト様がそれに足る人物だからそうしています。他国の重臣が出向いた際にだって、手厚く歓迎なさったではありませんか」


「話の趣旨が違う。他国からの使者に対して不敬をはたらくことは、この国の総意が敵すると言うことだ。今回の件と関係は——」


「大いにあります。たとえ相手が他国の重役であれ、一介の宿屋を営む者であれ。不敬を説くのなら、千差万別で礼儀を軽んじることの方が余程、不敬だとは思いませんか!」


 周囲のざわめきは、すでに消失していた。国王と、第二王女とが言い合う様を、周囲の視線は泳いでいた。

 そんな中、レオポルトとシャルファーは、ずっとナディーネを見ている。呆気に取られながら。まさか、内気に見えた王女がここまで自分の意見を押し出すとは。レオポルトは胸中で、彼女がここまで強気になることができるのか、と考えた。彼女に何かをしてあげられることは、最初から何もなかったのだろう。自分がやっているのは、本当にただのお節介だった。力のないレオポルトが躍起になるほど、ナディーネは自分を見失っていなかったのかもしれない。

 停空して室内を見下ろしていたシャルファーは、レオポルトの頭頂部に降り立って座る。


「ナディーネって、強い心を持ってるじゃない」


 レオポルトの胸中を察したシャルファーは、件の娘を見ながら続ける。


「わざわざアンタが何をしようとしなくても、ナディーネは苦難を乗り越えられたのかもね」


 その通りだ、とレオポルトは内心で呟く。

 心より良かったと思う。同時に、ここまで無力な自身を、何もできなかったことを、レオポルトは悔いた。それでも、ナディーネがこうして父親に意見を言える、ただの言いなりでなかったのなら、心より良かったと安心できる。

 レオポルトは、ナディーネを見つめながら、


「俺、勝手にナディーネ様の為に、って思ってたけど……杞憂だったのかな。でもやっぱり陛下は」


 一度、言葉を区切ったレオポルトは、国王へと振り返った。エーゲルのことを、憐憫な眼差しで見る。


「父親としては愚かだよ。だってあんたは、俺にナディーネ様のこというとき、『第二王女』とやたら言っていた。同様にナディーネ様も、あんたのことを父親らしく呼んでいない」


 ナディーネ、そしてエーゲルも含めて周囲の視線はレオポルトに集中した。壮年の兵士もまた、そのうちの一人だ。我に返った彼は、レオポルトの左腕を掴もうとする。それを、レオポルトは払うことをしなかった。

 強く腕が握られ、それでもレオポルトは抗うことをしない。目の前で思案している様子を見せる国王に向かって、構うことなくこちらの意思を続けて話す。


「陛下、俺を牢屋へ」


 発せられた言葉に「レオポルト様⁉」と、一早く声を荒げたのはナディーネだ。背中越しに彼女へと一瞥をやる。


「城への不法侵入……陛下への不敬も働いた。なら俺は、確かに罪人です」


「当然だ。貴様に言われずとも」


 言った壮年の兵士は、掴んだ腕を引っ張る。レオポルトは抵抗することなく、引っ張られるがまま身体を反転させた。すると、沈んだ顔でこちらを見つめるナディーネが目に入った。彼女が力強く口を一文字に結んでいる様子まで、レオポルトの眼が捉える。


「ねえレオ、良いの?」


 ぼそりと、シャルファーが言った。これにレオポルトは答えない。沈黙をどう受け取ったのか、妖精は「そう」と愛想なさげに返す。

 腕を掴まれたまま壮年の兵士に先導され、一歩ずつ歩を進める。たかだか一室に過ぎない部屋の中を歩くのに、これほど長く感じたことはない。どれくらいで、いやきっと数秒で扉の前に着き、そこで壮年の兵士は歩みを止めた。つられてレオポルトも止まる。


「お退()きください」


「お断りします」


 通さんとばかりに、ナディーネが扉の前に立ち憚る。


「レオポルト様を解放(はな)しなさい」


 壮年の兵士は言葉を返さない。代わりに閉じられた瞼は、ナディーネの言を聞き届けられないと物語っている。ナディーネも道を譲ることはしない。壮年の兵士を眼光鋭く射るように見つめる。

 廊下から室内の様子を窺う使用人たちは、元より口を挟んでいない。彼等は身を震わせながら、成り行きを見届けようとしていた。この事態を治めなくてはならいのは、この場に居る国王だろう。しかしエーゲルは、机上に両手をついて俯き、自身の手だけしか目に入れていない。

 誰も口を開かないこの間が、レオポルトには苦境だった。自分のせいで事態が広がり、ましてナディーネを助けようとして来たのに、逆に彼女に助けられている現状だ。ナディーネにも申し訳ない。

 壮年の兵士の背中越しに顔を出したレオポルトは言う。


「……大丈夫ですよ、ナディーネ様。俺が不法侵入者なのは間違いないですし、何よりも俺を庇うと、貴女の立場が……」


「立場が何だと言うのですか! レオポルト様とて私の為に行動を起こしてくれたではありませんか。でしたら私にも、同じことをさせてください!」


「……ナディーネ様」


 二人の会話の後、一呼吸分の間を空けて「お退き願います」と壮年の兵士が静かに、しかし語調は厳しい。それにナディーネが応じることはなかった。

 互いに譲歩せず、執事や使用人たちの緊張が更に高まる。レオポルトの後ろめたさもだ。頭頂部で座るシャルファーですら、腹が煮えかえるような気持ちを感じている。

 粛として部屋を包み込む空気が、事態を進行させない。レオポルトを行かせないと立ち憚っている者がそうさせているのか、或いは連行しようとしている者が事態の均衡を保っているのか。そんな場内を決壊させる声が、部屋の奥にある窓、その前に設置された机から聞こえてきた。


「もう良い」


 重低音の声音で、紛れもなく国王のものだ。瞬間、全員がエーゲルへと視線を集中させる。ただ今回は、単に国王の言葉に反応しただけではない。何を意味する言なのか、レオポルトも分かっていた。使用人たちと同様に、ナディーネと壮年の兵士も目を見開いてエーゲルを見据える。

 壮年の兵士が口を開き掛け、「そこの民を放してやれ」とエーゲルが先に言った。


「この民を庇うおつもりですか!」


 怯まずに壮年の兵士も、食いついた。


「一人の民を特別扱いして……」


 壮年の兵士は、途中で言葉を止めた。エーゲルが、こちらに向かって来たからだ。さっと端にどいた壮年の兵士は、その場で跪く。廊下から室内の様子を窺っていた執事と使用人たちも、部屋には入らず跪く。

 レオポルトは、ナディーネの間に割って入って来た国王の体躯を、右肩越しに見上げていた。横顔はどこか寂しげで、娘を見下ろす彼の表情は確かに父親のそれだと、レオポルトは感じた。


「陛下……」


 父親の眼をしっかりと見つめながら、ナディーネは呟いた。

 その言葉をしっかりと受け取ったエーゲルは、


「いつからだろうな——いつからナディーネは、我が娘は、俺のことを『陛下』と呼ぶようになったのだ……」


 昔は『お父様』と呼んでいたのに、とエーゲルは吐露する。


「今となっては、親子の間に断崖が成していた。それほど俺は、ナディーネから遠ざかっていたのだろうか」


 エーゲルは左を向き、壮年の兵士を見下ろし、


「この件は不問とす」


 廊下に控えた執事と使用人たちを見渡す。


「皆も下がって良い」


 言われて釈然としないのは、壮年の兵士だけではない。王はレオポルトの不敬を諸々、赦すと言っている。特別扱いし、秩序を崩そうとしていると捉えられてもおかしくない。もし別の民が同じ過ちを犯した際、そのときに裁きを下せば示しがつかない。逆に不平不満を買うこととなるだろう。エーゲルとて、承知の上だ。

 周りの者に構わず、エーゲルは再び娘へと視線を落とす。


「レオポルト……と言ったか。彼を正門まで送ってやりなさい」


「……陛下」


「ここは私が説得しておこう」


はい、と返事したナディーネは、レオポルトに微笑みを向ける。


「行きましょう、レオポルト様」


 弾けるような語調で発したが、レオポルトの表情を認めると、ナディーネは首を傾げて「どうしました?」と訊くしかなかった。

 レオポルトの表情は曇っている。本当に今回の件が無かったことにしたら、王族としての立場は大丈夫だろうか。自分を最初に庇ったナディーネに、このことを知った臣たちから糾弾されないだろうかと、レオポルトは不安だった。

 動こうとしないレオポルトに、シャルファーは訊く。


「行かないの、レオ?」


 行って良いのだろうか。悩んだ末、レオポルトも訊ねることにした。


「良いんですか? 俺、この場から逃げても」


「追われる身ではないのですから、逃げるわけではないです。——さあ」


 ナディーネの右手が、目の前に差し出される。しばらく彼女の手を取らずにいたレオポルトだったが、悩み悩んだ末、自身の左手を重ねた。暖かい感触が、手の平から全身に伝わる。笑みを浮かべたナディーネは、手を握ったまま身体を反転させてレオポルトを引っ張るように歩き出した。

 先導するナディーネに連れられ、レオポルトは扉に向かって歩く。壮年の兵士、そして廊下から送られる視線に後ろめたさを感じながら、執務室を出る。先程、ここに来るまでに通った長い廊下を、逆半身に星明りを受けながら歩みを進める。

 背中に刺さる視線は、振り向かずとも分かる。レオポルトは、ナディーネの後ろ姿だけを視界に入れながら、身を小さくして執務室を後にした。


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