24話
「ナディーネのシュネルツァ王国訪問に、同行してもらいたい」
一瞬、エーゲルが放った言葉を理解することができなかった。何か、突拍子もないことを言われた気がする。
「ナディーネ様に同行、と言いますと……?」
おずおずと訊き返したレオポルトに対し、エーゲルは堂々と返答する。
「そのままの意味だ。シュネルツァに赴くナディーネに、付き添ってもらいたい」
言葉の意味は分かるが、やはり理解はできない。おそらくこれが、エーゲルが言うところの、“父親としての頼み”なのだろう。だが、急に提示された内容に、レオポルトの頭は追いつかないでいた。
レオポルトの沈黙を困惑と受け取ったのか、エーゲルが付け加える。
「唐突なことを申しているのは承知だ。だが、これは同時に娘の頼みでもあるんだ」
ナディーネを王女としてシュネルツァ王国に向かわせるかどうか、エーゲルは本人にも相談したらしい。そのときにナディーネが出した、自分が隣国に行くことになった際の条件が、レオポルトの同行だったとエーゲルは説明する。
これを聞いたレオポルトは、だからと言って得心はいかない。
「どうして、ナディーネ様は直々に私の同行を申し出たのでしょうか? 陛下が仰りたい頼み事は分かりました。ですが話を聞けば聞くほど、一介の国民が関わってはいけないようなことだと思うんです……」
「そうだな。普通なら、こんなこと民草には話さない」
だがな、とエーゲルは真っ直ぐな瞳でレオポルトを見据える。
「他ならぬ、其方はナディーネの友人なのだろう」
レオポルトは、エーゲルが向ける真摯な瞳から目を逸らした。
「でも、どうして私なのでしょうか。私じゃ、ナディーネ様のお供なんて務まりせんよ。それに、陛下はそれで良いんですか?」
組んでいた手を解いたエーゲルは、そのまま両腕を机上へと預けた。
「ああ、俺はそれで構わない。言っただろ? 俺も第三者の目が必要なんだ。ナディーネの我がままだけなら、こんな話は、たとえ重臣であってもしない」
つまり、とエーゲルは続ける。
「俺としても、レオポルトに同行してもらいたいんだ。まあ、ナディーネがなぜレオポルトの同行を望んだのかは、本人に訊いてみると言い」
陛下の実直な説明に、レオポルトはしばらく答えることができなかった。いつの間にか、使用人が持って来た紅茶は飲み終えている。
下を向いて何も発言しないレポオルトのことを、陛下はただ静かに待っていた。そして、ついにレオポルトが口を開く。
「陛下は、どうして俺にこんな頼みをしたんですか。『第三者の目が欲しい』と言う意味は分かりませんが、それでしたら俺でなくても良い気がするんです」
エーゲルは、迷わずに返答する。
「確かに、誰が“目”となってくれても構わない。しかしそれは、曇りなく、あくまでも公正に物事を捉えることができる人物に限る」
それにこれは、とエーゲルは片肘を机についた。
「何事も無ければ良いだけなんだ。だから、具体的なことは言わない。もし俺が今、考えてることを話し、余計な不信感を抱いてしまっては元も子もないのだから」
委細を語らないエーゲルの頼みに、お節介なレオポルトとて簡単に頷くことができなかった。
沈黙が、再び場を包み込む。これを打ち破ったのは、やはりエーゲルだった。国王は優しく、眼前の民に語り掛ける。
「勿論、即答できるような案件じゃないのは分かっている。だから、今この場での返答は求めない」
レオポルト、とエーゲルは目の前に座る民の名を呼ぶ。その声で我に返ったレオポルトは、ようやくエーゲルと目を合わせた。
「俺から話せるのはこれくらいだ。……すまない。説明不足なのは重々承知だ。本来、民を巻き込むべき案件ではないのも理解している。だが、無益で王家と関りがある平民も珍しい。そう言う者にしか、頼めない事柄もあるんだ」
ひとまずは、とエーゲルは微笑を浮かべる。
「ナディーネに会ってみてくれ。娘も、レオポルトとの再会を楽しみにしている筈だ」
「はい……」
そう、返事をするしかなかった。エーゲルの“頼み事”は本当に急で、疑念が残る箇所ばかりだ。
ナディーネが同行を願っている理由も、彼には想像がつかない。いや、おそらく、本人に確認を取るためにも、エーゲルはナディーネに会うことを勧めてくれたのだろう。そう、ふと頭に浮かんだレオポルトは、席を立った。身を翻して部屋の出入り口へと向かう。
出入り口で待機をしていたメイドが、レポルトのために扉を開いたときだった。
「一週間後、また使いの者を送る。その際、返事を聞かせてくれ」
そう、背中にエーゲルの声が降り掛かる。
レオポルトは半身になり、後ろを振り返った。そして「分かりました」と軽く頭を下げ、部屋を退室する。
部屋の前には、エーゲルの許まで案内をしてくれた執事が立っていた。
「レオポルト様。王女はこちらに居られます」
彼がナディーネの許まで案内してくれるようで、レオポルトは来たときと同様、執事を追随する。
エーゲルの部屋を出て右へ、長い廊下をずっと真っ直ぐ突き進んでいると、
「それで、さっきの話は受けるの? 断るの?」
ふわぁぁー、とあくび混じりに聞き慣れた声が耳を通り過ぎた。
今の今までレオポルトの肩で寝ていた筈のシャルファーは、さも最初から話を聞いていたかのように訊ねる。
「アタシは、良いと思うわよ。レオはどう思うの? 何ですぐに返事しなかったの?」
レオポルトは、口パクで答える。
(逆に訊くが、何でお前はナディーネと一緒に、隣国に行くのが良いと思うんだ?)
シャルファーが、ため息を吐く。
「アンタ、そもそもの目的を忘れてるんじゃないでしょうね」
(目的?)
「アタシの魔法を使う理由のことよ。英雄とやらを探すんでしょ? まさか、ただの妄言だったわけではないでしょうね」
そんなこと、忘れたことはない。むしろ日々が過ぎていくたび、レオポルトは英雄を探すことについて考えるようになっている。しかし、いかんせん世界が平和すぎる。
レオポルトに転生する際、崩壊の一途を辿る世界を救う英雄を探してほしい、と神から頼まれた。そしてシャルファーと出会ってから毎日、宿屋を訪れる客や、王都を散歩するときはシャルファー・ブリックを使って目を光らせている。
絶対に見つける、と英雄に足り得る人物を探すのと同時に、レオポルトはこう思っていた。――平和な世界だ、と。
この世界に転生してから17年、世界が混沌に陥っているとは感じていない。神が言っていることを疑っているわけではないが、現状、英雄が必要とは感じない。
(忘れてないけど、英雄探しとナディーネ様に同行することに何の関係があるんだ?)
シャルファーの問いに一拍置いたレオポルトは、逆に訊き返す。
「そりゃあるわよ。世界は広いんだから、王都を出れば英雄なんてぽんぽん湧いて出てくるかもしれないじゃない」
(世界は広い……か)
レオポルトは、実感が湧かなかった。確かに、シャルファーと出会ってからの数年間で見てきた人物は限られている。転生前(増田豊人として日本で生きていたとき)は、移動手段に困らなかった。
現在は、全くの逆だ。レオポルトは、いまだに王都の外に出たことはない。近隣の森に出掛けたり、城壁の周囲で遊んだりした経験はある。だが、それ以上、王都を離れたことはない。
理由は単純だ。この世界は、交通の便が悪い。移動は馬や馬車で、それらの乗り物は決して安価ではない。旅をしている者や、商人など物販の流通を生業としていれば話は別だが、基本は馬も飼育していなければ馬車もない。
郊外の人間がどのような生活をしているかは彼にも分からないが、少なくとも王都に住んでいる人々は、遠出したことはないだろう。そもそも、城壁の外に出なくても王都で事足りる。
「広いわよ。アンタと出会ってからは、ずっと王都にいるけど、それまでは転々としてたんだから。そんなアタシが言うんだから、広いのよ」
(そう言われても、ピンと来ないんだよなぁ。てか、お前って王都でずっと暮らしてたんじゃないのか?)
「ええ。あっちこっちと、気ままにぶらついてたわ」
そうこうしているうちに、前を行く執事が歩を止めた。そして、くるりと体を反転させる。
「少々お待ちを」
国王と同様に、ナディーネの部屋の前にも2人の使用人が立っており、一人が室内へと入る。ちょっと間が空いて使用人が戻って来ると、今度は二人で扉を開く。
「こちらへどうぞ」
と執事に促され、レオポルトは部屋へと入る。
部屋の中央には丸テーブルが置かれており、対になるような形で椅子が置かれてあった。ナディーネは、その椅子の片方に座っており、
「レオポルト様」
そう言いながら立ち上がると、こちらに向かって会釈をした。
「どうぞ、お座りになってください」
ナディーネは対面の席を勧める。レオポルトがそこに着席するのを認めると、再び彼女も椅子に腰掛けた。
レオポルトは、ナディーネの顔を見た瞬間、さっきの疑問が頭をよぎった。隣国へ一緒に来てほしい、やはり考えれば考えるほど、自分なんかが同行して良いのかと思う。そう考えると、ナディーネと視線を合わせるのが少し億劫になった。
「お久しぶりですね、レポルト様」
沈黙を打ち破るかのように切り出したのは、ナディーネだった。レオポルトは、俯きながら耳を傾ける。
「今日はお日柄も良く……と、そんな悠長な話をする空気ではありませんね。――先程、陛下より話は聞いているかと思いますが、私は……レオポルト様に、一緒にシュネルツァ王国へと赴いてほしいのです」
彼女の言葉に、レオポルトは顔を上げた。そして、ナディーネのことをしっかりと見据える。
「それが……分からないのです、ナディーネ様。どうして俺なのでしょうか? 今回のことは、陛下より伺いました。決して、口外してはいけない内容だとも思います」
そこでどうして、とレオポルトは続ける。
「俺の名が挙がるのでしょうか。正直、俺なんかが一緒に行って良いような事柄ではないような気がします。でもどうして、ナディーネ様は俺の同行を望んだのでしょうか? 貴女だけではなく、陛下も俺が行くことを認めているようでした。それは……なぜなのでしょうか?」
「そうですね……」と、ナディーネは即答せずに一度、レオポルトから視線を逸らす。一呼吸の間が空いて、
「陛下の深慮は分かり兼ねますが……。――恥ずかしながら私は、あまり皆から信頼されていないのです」
言いながら、自嘲するかのような微笑を浮かべた。
「この先、私は国を背負うことができるのか、と自問自答することがあります。それは自分だけではないようで、城の者も未来を憂いているのです。……つまるところ、もし私が女王になったら、皆は不安なのです」
レオポルトは口を挟まずに聴く。
「そんな私が、他国へ赴く。国として見れば、王女が他国へ向かうのですから、多くの者が私に同行することでしょう。ですが今の私は、陛下のように下の者を統率するに値しないのです」
そう言うナディーネとは反面、レオポルトが思い出していたのは、シャルファー・ブリックで視たナディーネの情報だ。そこには、名君にたる大器を持っていることが書かれてあった。書いてはあったが、まだ“覚醒前”とも記されていた。
今後、ナディーネがどのように成長するか分からない。しかし、シャルファー・ブリックが……炯眼が示すのは、ナディーネは王に相応しいと言うことだ。
そのことをレポルトがここで熱弁しても、ナディーネは鷹揚な気持ちで聞いてくれるだろう。そして、レオポルトが放った言葉を疑ったりはしない筈だ。だが、心の内で王に相応しいと思うことはないだろう。
今はまだ、ナディーネにこのことは言わない。そう決心したレオポルトは、ナディーネの言葉に耳を傾ける。
「そんな状態で、使節団として私と一緒に来てくださった皆は、何があってもついて来てくださるのでしょうか。いえ、護衛の兵から身の回りの世話をしてくれる使用人まで、自身の職務を全うすることでしょう」
しかし、とナディーネは語気に力を籠める。
「そこに信頼関係はない。ですから私には少しでも多く、信頼に足る人物が傍に居てほしいのです」
レオポルトは、すぐに言葉を返さなかった。その間、沈黙が室内を包み込むが、ナディーネが追加で話すことはしない。
ややあって、レオポルトが口を開く。
「俺が……“信頼に足る人物”と言うことですか?」
「はい」
ナディーネは即答する。
「レオポルト様とは、たった数回しかお会いしていませんが、貴方は初対面の私を全身全霊で助けようとしてくれました。何の見返りも求めず、ただ私の為だけに行動を起こしてくれました。そんな方を、疑う余地はありません」
――それだけの理由で?
口には出さなかったが、レオポルトは胸中でそう思ってしまった。今、彼女が言った理由が全てなら、純朴すぎる気がする。
疑問を口にするかどうか逡巡したレオポルトは、
「それが、貴方が俺に置く信頼だとしたら、何て言うか……随分と確信がないような気がします。俺だって、いつ貴女を裏切るか分かりませんよ」
「裏切るのですか?」
「それは……っ⁉」
真っ直ぐな瞳で見据えてくるナディーネに、レオポルトは言葉が詰まった。当然、彼女のことを裏切るつもりは毛頭ない。だからこそ、返答に窮した。
ナディーネは、レオポルトに微笑みかける。
「もしこれでレオポルト様に裏切られれば、私はそれまでの人間だった言うことです」
それに、とナディーネは続ける。
「お友達にまで懐疑の念を抱いていては、私は孤独になります」
「友達――」
レオポルトは、その言葉を噛み締める。
ナディーネとは友達だ。とは言っても、大前提としてあるのが王女と民と言う身分の差だ。レポルトも(おそらくナディーネも)、心の内では近しい存在とは感じていない。
それでも、お互いに友達ではないと思っているわけではない。
――これはきっと、友達としての頼み事なんだ。
「行ってあげたら良いじゃない」
そう、ぶっきらぼうに言ったのは肩に乗っている妖精だ。
一介の民には、過ぎる案件だと思っていたレオポルトだが、少し違う考えもできるようになっていた。
少なくともナディーネは今、王女としてではなく、友人としてレオポルトのことを頼ってくれている。そう言うふうに捉えると、
「分かりました」
自分が一緒に行っても良いのだと思うことができる。
「ですが、返事は少しお待ちください」
だが、やはり確答はできない。今一度、じっくり考えたい。
レオポルトは、対面に座るナディーネに頭を下げた。
ナディーネは目を見開いて「そんな、顔を上げてください」と、少し慌てた様子でレオポルトに話す。
「何も私は、レオポルト様を無理矢理にでも一緒に連れて行きたいわけではありません」
これは頼み事です、とレオポルトが顔を上げたのを確認したナディーネは、落ち着きを取り戻す。
「ですので、私や陛下に気を遣わず返事をください」
「はい。――ありがとうございます」
それからは、ちょっとした世間話と近況の出来事を話し合った。二人が再会したのは約3ヶ月ぶりだ。折角こうして会ったのだから、本来の目的だけを果たして帰るのは寂しい。
時間が過ぎるのを忘れるくらい他愛もない話をした後、レオポルトは城を後にした。しっかりと、帰路にも馬車が用意されていた。




