22話
「ナディーネを?」
エーゲルは不審に、かつ声色に若干の怒気を含ませながら問うた。その言葉が向かった先は、玉座の目下で跪いているヒンターだ。
「はい」と答えるヒンターに、エーゲルは渋面を作る。やはり、聞き間違いではなかった。急に娘の名前が出てきたかと思えば、更にナディーネを、この緊迫した状況の中に放り込もうとしている。一歩でも間違えれば隣国と戦争になりかねない、緊迫した状況においてだ。
父親として、それだけは許せなかった。ナディーネを家出させるほどに王族の責務を押し付けていたのだから、尚更だ。しかし、半面はブルファーナ国王のエーゲルである。実際、ナディーネにも国を背負う者として外交を経験させねばならないと言う義務感も存在した。
ただ今回に限っては、ヒンターがナディーネをシュネルツァに向かわせる理由が分からない。
「理由を申せ」
結果エーゲルは国王として、まずは臣の考えを訊いてみることにした。やはり、国を背負っているのだから、私情で物事を決めることはできない。もしかしたら、自分には見落としているかもしれない、ナディーネを向かわせる深慮があるかもしれない。
ヒンターは、はい、と言うと考えを話し始めた。
「現状、我々は証拠がないのでシュネルツァにもバーロアンスにも糾弾ができない状態にあります。そこで、ナディーネ王女を両国に向かわせることができれば、両国とも簡単には手を出せないでしょう――」
続けようとするヒンターを、国王は「待て」と言いながら手で話を遮る。
「それは、我が国の王女を“囮”に使うと言うことか?」
まさか、とヒンターは慌てて弁明する。頭は下げているので、彼の表情はエーゲルには見えない。国王に頭を垂れているヒンターは、床を見つめながら大きく目を見開いて自身が発した言葉のあやの詳細を語る。
「私めが申し上げたかったのは、シュネルツァとバーロアンスのどちらかが“魔物を使っていない”可能性を考えた結果で御座います。――そもそも学者が、魔物を使役することは不可能、と結論を出しているのですから、魔物の大群は偶然で、何らかの情報収集をしようと王都周辺を偵察していたシュネルツァの兵と居合わせた可能性がございます。勿論、1人の兵を生贄とし、我が国の王都を攻めた、と言う可能性も御座いますが、それでは100を超える魔物を1人の兵士が運んでいることになります。それは実質、不可能でしょう」
なればこそ、とヒンターは語調を強くして先を話す。
「今こそ我々も、前述した二国の内部情勢を探るべきではないでしょうか。そして、両国に後ろ暗い事情がなければ、それで良し。逆の場合は我々が一歩、先んじることが可能になるでしょう」
エーゲルは終始、耳を傾けていた。ヒンターが意見を述べ終えたのを認めると、小さく低い唸り声を上げながら、あごに手を添える。そして、再び両腕を肘掛けに置いた国王は言う。
「ヒンター、其方が申したいことは分かった」
しかし、エーゲルは一層と声を低める。
「何故、ナディーネを向かわせようと思ったのだ? 今の言なら、別に誰が隣国に赴いても同じであろう。ましてや使節を向かわせ、また帰り際に失踪をしたら敵わん。それなら、間者を送り隠密に情報を探る手もあろう」
にもかかわらず、と細目になって目下の臣を見据えた。
「其方が、ナディーネを向かわせる、と言った事の真価が私には見極められん。もし、私には分からぬ深慮があるのなら、是非とも聞かせよ」
ヒンターの返答は、すぐには無かった。
もう一度、エーゲルが「ヒンター、答えよ」と訊ねる。するとヒンターは、急な所作で立ち上がった。これにはエーゲルも、座ってはいるが内心で少したじろぐ。
扉まで整然と並んだ護衛達も、玉座に近い順に身構えた。それほど、ヒンターの動きに皆が驚いたのだ。
基本、謁見の間において、玉座に向かって謁見者が立ち上がることはない。今回が政務に関する報告とは言えだ。しかし、彼は立ち上がった。そして、玉座に鎮座する国王陛下をしっかりとした眼差しで見据える。
沈黙がこの広い空間を包み込んだ。それも僅かな時間で、すぐさまヒンターが、
「お言葉ですが、陛下」
今までとは違い、少しだけ震えた声で切り出した。しかし、声の震えは陛下に物申す怯えからではないことは、容易に分かる。纏った語気は強く、語調は若干だが厳しくなっているからだ。
「貴方様はどうにも、ナディーネ様に政務をすることを憚られているように、私には見えます。ええ勿論、ナディーネ様はまだ成人していない故、政務をこなす義務はありませぬ。しかし、セオティス様は成人される前より施政を助力してなさいました」
なればこそ、とヒンターの声に更なる力がこもる。
「ナディーネ様にも、経験を積ませるべきではないでしょうか? この国の未来を憂いてこそ、ナディーネ様に政務を学ばせるべきではないでしょうか! ――具申、失礼いたしました」
ヒンターは再び、その場に跪いた。彼の演説に、エーゲルは何度か唸る。部屋の兵達も、動揺が隠せずにいた。整然と並んだ列は、すでに乱れている。
思案するエーゲルの唸り声と、王の護衛をする兵達のざわめきが部屋に轟く。その喧騒を打ち破ったのは、エーゲルだった。
「皆、静まれ。――して、ヒンター」
一同を見渡したエーゲルは、最後にヒンターを鋭い目つきで見下ろす。
「其方が言いたいことは分かった。だが、セオティスが王を継げない、とでも言いたげだな」
セオティスが病床に臥せっていることは、公になっていない。が、国の中枢を担う面々には知られている。現国王はヒンターの言葉の裏を『セオティスは王位を継承したところで、責務を全うできない』と、解釈した。
「滅相も御座いません!」
ヒンターは声を張り上げ、すぐさま否定する。
「セオティス様は良き王となり、この国をより豊になるよう導いてくださることでしょう。ですが! そこにナディーネ様は居られるのでしょうか? ナディーネ様も、このブルファーナを背負う大器となれるのでしょうか? 私は、そこを憂いているのです」
普通、いくら主君に不満があろうとも口に出すことはない。ましてや、その主君であるエーゲル――本人を前にしての発言は、あってはならない。にも関わらず、ヒンターははっきりと申した。回りくどい言い方ではあるが『ナディーネの教育が不十分だ』と、はっきり言った。
気の短い王であったなら、不敬を働いたヒンターをすぐさま牢に入れることだろう。しかし現国王であるエーゲルは、臣下の発言を真摯に受け止めた。
「もうよい、ヒンター。一旦、下がるのだ。其方の意見は耳に入れた」
玉座の肘掛けに腕を置いたエーゲルは、堂々と言い放った。
「はい」と立ち上がったヒンターは恭しく、それでいて深々と玉座の王に対して頭を下げる。それから身を翻し、玉座の間を後にした。
「ナディーネを外交に出す……か」
エーゲルは、ため息を一つ吐いた。護衛を務める兵は、いつの間にか何事もなかったかのように列を整え直していた。
エーゲルは王として、ナディーネの教育が足りていないことは感じていた。
元々、優秀だったセオティスが居たため、ナディーネのことは溺愛していただけだった。花を愛でるように大切に育て、いざセオティスが危篤の状態になったらナディーネを急いで育てようとする。寝ても覚めても、国王としてナディーネのことを“娘”ではなく“王女”として接してきた。しかし、数か月前にナディーネが家出して以来、その考えは改めるようになった。
ナディイーネが家出した以前の彼なら、外交に向かわせた可能性が高い。だが今回は、王として思慮する反面、父親として苦悩していた。
実際、先に向かわせた使節の行方が不明になっている。これには、隣国の陰謀が渦巻いていると言う意見もある。そんな中、この国の未来である王女を……娘であるナディーネを向かわせるわけにもいかない。
とは言え、先程のヒンターのような意見もある。城内でも、ナディーネはセオティスより劣っている、と言う声が確認されていた。
王女を向かわせて王室の面目を保つか、父親としてナディーネを危険な目に遭わせないか。
エーゲルは、決心がつかないまま玉座から立ち上がった。
「これにて、今日の謁見は終了とする」
そう放ったエーゲルは段差を下りる。道のように敷かれた赤い絨毯の中央を通って行き、謁見の間を後にした。彼の後には、部屋の隅で控えていた使用人が続く。
⁂
政務に励んでいたエーゲルは終始、悩んでいた。シュネルツァへナディーネを向かわせるかどうか、そもそも再び使節を派遣すること自体が正しいのだろうかと思慮深く考慮する。
日没を迎えて空が闇に覆われた頃のことだ。国務に一区切りをつけたエーゲルは、城の3階にある部屋――ナディーネの部屋へと来た。
部屋の前で待機している使用人が、ナディーネに王が着いたことを知らせに入室する。ほんの僅かで、使用人が部屋から出てきた。
使用人は退室する際に開けた扉をそのままにし、エーゲルの手間を取らせずに彼が通る道を作る。
一歩を踏み出し、ナディーネの部屋へと入ったエーゲルは、
「ナディーネ、急に済まない」
そう真剣な声色で言いながら、部屋の中央へと歩を進める。
部屋の中央には丸テーブルが置いてあり、それを挟む形で椅子が用意されている。片方の椅子に座っていたナディーネは立ち上がると、深々とお辞儀をした。
「とんでも御座いません、国王陛下。――さあ、こちらへどうぞ」
エーゲルは勧められるがまま、ナディーネの対面にある椅子に腰掛ける。王が座ったことを認めた王女も、再び椅子に座った。
「それで、今日はどうされたのでしょうか?」
そう訊ねるナディーネは、王女然としている。今この空間に、父子のような空気は全くない。
エーゲルは若干、複雑な気持ちを胸中に寄せる。娘が家出をしてから数ヶ月が経ち、エーゲルも王としてだけではなく父親としても接してきた。しかし、いまだ昔のように、ナディーネからは父親として接してもらえていない。
(だが、今回に限ってはこれで良い)
あくまでも、この瞬間は王としてナディーネの部屋を訪れている。
エーゲルは内心で頷き、話を切り出した。
「今日は、其方に相談したいことがあって来た」
「ご相談……ですか?」
ナディーネは、首を傾げながら訊き返す。エーゲルから何かを相談されることなんて、今までにあったかどうか分からない。
王族としての責務を問われることはあっても、王女として意見を求められたことは無かった。だからこそ彼女は、顔にこそ出さないが内心で驚いている。おまけに今のエーゲルは、普段の威厳に満ち溢れた、毅然とした面持ちをしていない。少し申し訳なさそうな表情をしているのも、ナディーネが驚いた要因の一つだ。
「ああ」と言ったエーゲルは、今回のことを全て話した。
シュネルツァ王国が魔物を自国に向けて放った可能性、そのシュネルツァに向かわせた使者が消息を絶ったこと。もう一つの隣国であるバーロアンスが疑わしいこと。まずエーゲルは、これまでの経緯を王女に聞かせた。
ここまでのことは王女であるナディーネの耳にも届いている。だが、次にエーゲルが放った、
「そこでナディーネ――お前に、シュネルツァへ向かわせる案が出ている」
このことは、まだナディーネも知らない。彼女には知らせないよう、エーゲルが配慮していた。そのため、ナディーネがシュネルツァに向かう、と言う案が出ていることを、本人は初めて知った。
「なるほど……。お話は分かりました」
それで、とナディーネは真っ直ぐな瞳でエーゲルを見つめる。
「陛下は、どのようにお考えですか」
「私は……」
エーゲルは、すぐに返事をすることができなかった。王として王女を使節として向かわせるか、父親としてそれだけは止めるべきか、ずっと考えても答えが浮かばないでいた。
ナディーネに会えば決心がつくと思ったエーゲルだったが、余計に苦心するだけであった。
国王の返答は無いまま、静寂が室内を包み込む。ナディーネはもとより、脇で控えている使用人が口を挟むことはない。
これ以上、王女も何も言わない。まるで、次に言葉を発するのは国王だと言わんばかりに、場はエーゲルを待っていた。
そうしていると、ついにエーゲルが口を開く。
「王としてならば、第二王女にはシュネルツァへ赴いてもらう。だが――」
頷いたナディーネは、エーゲルが言うことに耳を傾ける。
「父親としては、行ってほしくない」
エーゲルは、何も包み隠さずに思っていることを素直に話した。
答えが出ないまま、ずっと悩んでいることだ。彼の本心で間違いない。そのことはナディーネにも、十分に伝わった。
分かりました、とナディーネが切り出す。
「僭越ながら申し上げますと、私に決定権はありません。――ですが」
ナディーネの語調に力が入る。
「もし私がシュネルツァに向かうことになるのだとしたら、一つ条件……いえ、願いを聞き入れてもらえないでしょうか」
そうはっきりと口にしたナディーネは、右手の人差し指をピンと立てた。
「一人でも多く、信頼のおける方が近くに居てほしいのです」




