19話
そこから二人は、何の取り留めもない会話をした。天気が良いなど、父のジーファスと母のエミーには、帰ったら何を言われるか予測をするなどしているうちに、部屋の扉が音を立てた。ノック音だ。
レオポルトが返事をする前に、アマーリアが部屋に入って来る。
台車に食事が乗せられているのと、湯気が立っているのは確認できるが、料理が何かまでは分からない。台車を押して歩くメイドは、部屋の中央にある丸テーブルで足を止めた。
アマーリアが、ベッドに座るレオポルトを見る。
「こちらまで動けますか」
言われてレオポルトは、のそのそと動いてベッドのサイドに腰を掛けた。その際、少しの振動でも肩に響く。
ベッドから立ち上がろうとして、両手を太ももについたとき、左肩に電流のような痛みが流れた。少しだけ浮いた腰が、再びベッドに沈む。
「大丈夫?」
シャルファーが、レオポルトの顔を見ながら訊ねる。
他に人が居るため返事はしないが、大丈夫だ。顔色から感じ取ったのか、妖精もそれ以上は訊かなかった。
もう一度、立ち上がろうとしたレオポルトを、アマーリアが遮る。
「ご無理はなさらず。今、そちらに向かいます」
そうして台車を押して来たアマーリアは、レオポルトの左に台車を据える。近く来たことで、上に乗った料理が確認できた。均等に切られた楕円形のパン、湯気が立っていたのはトマトスープだ。数種類のハムとチーズ、飲み物はガラスで作られたコップに入った水とティーセット、それから……レオポルトの目が、ある料理で止まった。
「それは何ですか? あの、ジャガイモの上に何か乗っている料理は」
気になった料理は、乱切りになったジャガイモの上に、白みがかった黄色いクリーミーなソースらしき物が添えられている。
「これは、酢漬けにしたヘリングと言う青魚をヨーグルトとリンゴに混ぜ、茹でたジャガイモと併せて食す料理です」
へえー、レオポルトは感心した声を漏らし、シャルファーも「美味しそ」と呟いた。
「王城では、魚料理も良く作られるんですか?」
王都でも、全くではないが魚はあまり売られていない。レオポルトが最期に食べた魚料理は、ただの焼き魚だった記憶がある。
「いえ。そもそも、この国で漁を行っているのが東にある港町だけなのですが、そこから王都までは二日は掛かるので、鮮度が保てず腐ってしまいます。ですので、魚が盛んに食べられているのは港町と、近辺の村々です。王都より西の地域では、そもそも魚が売られていません」
レオポルトは得心がいった。王都ですら、あまり魚が出回らないのだから、料理のレパートリーが民の間で伝わっていないのかもしれない。そうなると、さすがは王城と言うべきだろう。
おそらくこの料理は、レオポルトだけでなく他の者も知らない。
「そうなんですね。でも、そしたら俺が、そんな貴重な魚を食べて良いんですか?」
「需要が少ないと言うだけで、王都にも出回っているでしょ。時折、港町から早馬で魚が運ばれているだけなので、等価ではないですが、あまり違わないと思いますよ」
あの日、レオポルトを拘束した人とは別人のように、今回は淑やかに、しかし決して目立たない応対をしてくる。メイドだから、と言う言葉で全てを括れないほど、素晴らしい立ち居振る舞いだと、民にすぎない彼自身も思う。
アマーリアが、怪我をしている肩に視線を寄せる。
「腕は動きますか?」
一瞬、何で訊かれているのか分からなかったが、ひとまずは左腕を動かしてみる。
腕から先を動かすことはできる。時折、振動が肩まで届いて顔を歪めることはあるが、耐えられる痛みだ。肩を動かすのは、まだ憚られる。動かせないことはないが、可能なら動かしたくない。
そのように、レオポルトは伝えた。
「なるほど。もしかしたら、腕を固定したほうが良いのかもしれませんね。後ほど、医師に言ってみましょう」
では、とアマーリアは続けて訪ねる。
「何からお食べになります?」
レオポルトは、返答できなかった。質問の意図が分からない。え、と訊き返すと、アマーリアは言葉を付け足した。
「その状態では、満足に食事もできないでしょう。私が口まで御運び致します」
レオポルトが硬直するのには、十分だった。言葉の意味を理解するまでに、時間が掛かる。分かったところで、素直にお願いしますとは言えなかった。
狼狽するレオポルトには構わず、アマーリアは水を渡してくる。
「まずは、お水をどうぞ」
レオポルトは差し出されたコップを、右手で受け取って、そのまま口まで運ぶ。中に入った水を一気に飲み干した。空になったコップをアマーリアが回収してくれて、続いて彼女はパンを一切れ取り、一口大に千切るとレオポルトの口元に持ってくる。
アマーリアがパンを持ちながら中腰になると、自然とレオポルトと目線が合う。顔も近づいて、髪からふわっと良い香りが漂った。レオポルトは、パンの匂いだと(大麦で作ったパンとは絶対に異なるが)思い込むようにした。
レオポルトは目を瞑り、思い切って差し出されたパンを食べる。口に入れる際、アマーリアの指先が上唇に当たった。
瞼を閉じながら咀嚼をすると、この国で特有の歯ごたえのある食感だけではなく、別のアクセントが口の中に広がる。
咀嚼している途中で目を見開き、アマーリアを見る。彼女の顔はすでに離れており、ティーカップにトマトスープを注いでいた。
「このパン、中に何か入っているんですか?」
「はい。クルミが入っております」
そつなく答えたアマーリアは、トマトスープの入ったカップを渡す。レオポルトは持ち手を使って受け取った。
「マナーは良くないですが、この際、致し方ありません」
そうして、レオポルトの食事が進んでいった。アマーリアが口元に物を運ぶたびに、料理とは違う匂いが鼻腔に届いて鼓動が速まる。ちなみにシャルファーも、全品をちびちびと口にしていた。
食事を終えると、アマーリアが一礼をして言った。
「では、私は扉の前に控えておりますので、何かありましたら御呼びください」
台車を押して下がろうとするアマーリアを、レオポルトは呼び止めた。メイドは歩を止め、しっかりとレオポルトへと振り返る。
「部屋の前に、ずっと居るのですか?」
基本、小間使いは主の部屋の前か隣室で待機している。上流階級としては当然の習慣だが、レオポルトからしたら、自分のせいで待機させているのではと申し訳ないと思ってしまう。
「はい。ですが、ナディーネ様に仕える者が交替で控えさせていただくので、必ずしも私が来るとは限りません。それでも、『アマーリア』と呼んでいたければ、別の者でも反応いたしますので、御心配なく」
それを聞いて、レオポルトの胸中で痞えていたものが取れた気がした。アマーリアがずっと居る訳ではないのなら、彼女に対する憂いもない。
再度、一礼をしたアマーリアは、台車を伴って退室していった。
「暇になったわねー」
肩に乗ったシャルファーが呟く。レオポルトは、そうだな、と相槌を打ちながら体をベッドの上に乗せた。背中にある枕に凭れるのは申し訳ないので、少しだけ座る位置を前にずらして足を伸ばす。
動こうにも、傷に響くので大人しくしているしかない。そもそも、女性の部屋を漁ること自体、失礼がすぎる。
「家に帰らないとな」
ぼそりとした一言に、シャルファーが反応する。
「でも、身体を治してからでも良いんじゃない? ここのご飯だって、おいしいし」
「それ、ただお前が食べたいだけだろ」
左手で妖精を小突こうとしたが、叶わなかった。
「母さんの料理が不満だ、って言いたいのか?」
「エミーはエミーで、家庭の良さってものがあるじゃない。今日のはやっぱり、誰が作ったのかは知らないけど、普段とは違った生活をしている奴が作ったって感じがするわ」
「てゆーかお前、今更だけど雑食なんだな」
「人間と同じよ。好き嫌いはある」
「妖精みんながそうなのか?」
「さあ。レオと会ってからはもちろん、アタシ、あんまり他の奴と話さなかったから」
「つーか、シャル以外の妖精って見たことないけど」
「見てないだけでしょ。意外と居るわよ」
二人は取り留めのない会話をしながら過ごし、一度トイレに行き(その際に、案内してもらうべく『アマーリア』と読んだら本人が応対した)、戻ると二人は再び会話をする。楽しさが溢れた、緊張感とは無縁の会話だった。部屋が広いので外には届いていないだろうが、シャルファーの声がレオポルト以外の人間には届いてない分、話し声の声量には気を配る。それも次第に不安になってゆき、差し込む陽が赤みがかった頃には、すでに口パクになっていた。
そうしていると、部屋の扉が叩かれる。ナディーネが帰って来たのかと思ったが、メイド(アマーリアとは別人)に先導され入室したのは昨日の騎士だった。確かエゴン……だったか、とレオポルトは思い起こす。
案内したメイドが扉付近で待機し、エゴンがベッドに歩み寄る。レオポルトは顔だけを、シャルファーは肩の上で座る向きを変えて、身体ごとエゴンへと視線を注ぐ。
「あなたは、確か……」レオポルトが切り出すと、「エゴン・フルストルムだ」彼が喋り始めた。
「まずは、昨日は俺の自殺を止めてくれてありがとう、と言うべきか」
レオポルトは、目を瞬いた。昨日の件に関連する何かを話すとは思っていたが、礼を言われるとまでは考えていなかった。
「名前を訊いても良いか?」
レオポルトは反射的に、自分の名前を伝えた。頷いたエゴンは続ける
「レオポルト——その名前は、生涯で覚えておこう。して、魔物の騒動は聞いているか?」
はい、とレオポルトは頷く。
「それが終わって以来、ずっと考えたんだ。俺がどうするべきか。冷静になって考えたんだ。——お前が諌めてくれたからこそ、俺は過ちを犯さずに済んだのかもしれない。ただ、それが絶対に正しいとも限らないが、今回、俺は生きることを選んだよ」
でも、と言葉を区切って。
「俺はもう、騎士じゃない。——正確に言えば、先日、騎士の位を返上したのだが、レオポルトに騎士と言われ、もう一度、陛下に謁見したんだ。そこで聞くには、陛下は俺が騎士を降りることを認めはしたものの、遅疑なされて結局、書類上で俺はまだ騎士だったそうだ。陛下が認めても国としての体制としては、騎士の扱いだったと言うことだな。だから今日、陛下からは『もう一度、考え直してはくれないか』とお言葉を受けた」
きょとんと相槌も打てないレオポルトを余所に、エゴンは構わず、まるで報告するかの如く続ける。
「でも、断ったよ。魔物と戦っている部下を見た際、まるで俺に縋っているようだった。俺が……エゴン・フルストルムが来てくれる筈だ、とあいつらは待っていたようにも見える。傲りでもなければ、慢心でもない。本当に彼等は、俺が来るのを待ち、その為には犠牲を厭わないでいる所存だった」
それでは駄目だ、エゴンは一字一句を強く放つ。
「いくら一流人だろうと、いずれは死ぬ。俺だって、ずっと騎士を続けられないだろう。だとしたら、一人の強者に縋り続けるのは違うと思わないか? もし、一人で国を守る力を持つ者が居たとして、そいつが死んだらどうなる? 後継者が居れば話は別だが、居なかったら、その国はどうなるのだろうか?」
エゴンの眼光が、鋭さを増した。
「後に続く若者の成長をなくして、恒久の平穏は訪れない。しかし、無責任に後を託すことを防ぐのも、老輩の義務だ」
エゴンは、意を決したように、
「だから俺は、軍の教官になることにした。どこの軍かは分からないが、おそらく王軍だ。侯爵から任されている村のこともあるから、引継ぎもあってすぐとは行かないが、まあ、そうなる」
そして、エゴンの話が止まる。もう、伝えることはない。聞き終えたレオポルトは、そうなんですね、とだけ返した。正直に言ってしまえば、こんな話を聞いたところで、レオポルトには分からないし、そもそも、どうして自分にこのことを伝えたのか分からない。
そう考える中、騎士だと知っていた理由を訊かれたらどう答えよう、とレオポルトの思考は動いていた。シャルファーの魔法です、と素直に言う訳にはいかない。
しかし、全てはレオポルトの杞憂に終わる。
「レオポルトには、何だか伝えておこうと思ってな」
忘れてくれて構わない、と言い残したエゴンは、身を翻して扉に向かう。侍女に扉を開けてもらい、部屋を出て行こうとする直前、「今は陛下の御厚意で、部下共々、城の兵舎に泊っている。何か用があったら、そこを訪ねてくれ」と言い残して行った。侍女もレオポルトに一礼した後、退室する。
「何も訊いてこなかったな」
レオポルトが彼のことを騎士だと知っていたこと、娘のことだって直接、本人から聞いてはいない。後者はもしかしたら、察しが良い、と済ませてくれるかもしれない。だが、騎士だと知っていた件については、少なくともレオポルトだったら相手を問いただす。
疑問で心に靄が掛かる。シャルファーは、眉をひそめて唸るレオポルトを見上げた。
「アンタだって、何も訊かなかったじゃない」
え、とシャルファーに視線をやると、彼女は肩から飛び立って眼前に来る。そのまま通り過ぎ、美しく羽ばたく妖精の軌跡を目で追っていたレオポルトは、正面を向いた。
「アンタも、あの……何だっけ? さっき来た騎士とか言う奴に、何も訊かなかったじゃない」
レオポルトの口が半開きになる。何のことだか分からない。ん? と言葉が出ずに唸っていると、シャルファーが先を続ける。
「何で自殺しようとしてるのか、訊かなかったじゃない。そっと黙って見守っていた。それが正しいかどうかはこの際、おいといて……。理由を訊かなかった」
だからじゃない、とシャルファーは言った。
「あの騎士とか言う奴が、レオに何も訊かなかったのは」
「……それって、お前の魔法で見た結果か?」
見なくても分かるわよ、とシャルファーは得意気な顔で返してきた。レオポルトの得心がいかずに首を傾げると、「あの騎士は、何も訊かれなかったことを恩義と捉え、だからレオに疑念があっても何も問わない——それくらい、ちょっと考えれば分かるでしょ。アンタも案外、バカね」と明るい口調で罵倒された。
レオポルトは眼前のシャルファーを小突こうとするが、彼女の反応の方が速く、伸ばした手は呆気なく空を切る。
シャルファーは余裕を醸し出しながら、レオポルトの頭に降り立った。
「あんまり無理しない方が良いわよ」
「おかげさまで、早く治りそうだよ」




