17話
一部の旅人や行商人は、自分の不運さを呪った。よりにもよって、100匹の魔物の群れが押し寄せていると言うのに、自分達が入る前に王都への道は閉ざされてしまった。街門の前に集まった彼等を、衛兵が半円に囲んで護っている。その更に先では、エゴン麾下の小隊が、魔物の群れを食い止めていた。
小隊の剣戟班が地上で、城壁の上からは魔法班の援護があった。魔物より数は劣っているにもかかわらず、良く粘っている。前線で戦う軍兵の背中を見守る衛兵は、そう思っていた。とは言え、数的劣勢な小隊では、全てを堰き止めることは叶わない。何匹かは取り逃がし、街門に向かっていく。それを衛兵が何とか始末をする。
衛兵にも犠牲が出た。本来なら、魔物の討伐は管轄外の筈だが、事が事だ。早急に対応を強いられた彼等は、ここに立っている。
衛兵達、或いは逃げ遅れた民の視線の先で、また兵士が一人、地に倒れ伏す。それを悼む暇もなく、壁上から魔法が振り注ぐ。接近戦をする兵士は、支援攻撃の勢いに乗り、怯んだ魔物を切り伏せる。
「国王軍はまだか!」
前線で人が倒れていく最中、一人の旅人が叫んだ。堪らず、一人の衛兵が後ろを振り返る。
前線で戦う彼等を差し置いて、彼等の武運も祈らずに、あまつさえ国王軍の到着を願う。ここに来てまで、自分を一番に考えている。守られて当然、戦死者のことを気にも留めていない風だ。
他の衛兵は口を噤み、決して民を振り返ることはしない。皆、我慢をしているのだ。普段は、自分達も軍に護られている身に過ぎない。戦場に赴く過酷さがこれほどまでに辛いことを知らなかった。もし、自分が今の旅人と同じ立場ったらと考えると、共感するしかない。
しかし民を振り返った衛兵は、我慢ならなかった。口を開こうとしたら、民が騒ぎ始め、開いた口を閉ざした。
「そうだ! 何で俺達だけが中に入れない? 門を開けろ!」「ここで死ね、と言うのか⁉」「俺は魔物の餌じゃないぞ‼」
民が揃って街門を叩き始める。衛兵は、それを止めることをしなかった。
後ろを振り返った衛兵も、何も言うことができない。自分の本心だって、早く安全な王都の中へ帰りたい、だった。彼が俯いた瞬間、
「魔物が来るぞ!」
誰かが声を荒げた。振り返っていた衛兵は反転し、現状を確認する。
集団からはぐれた魔物が一匹、確かにこちらへと向かっていた。衛兵の全員が、一斉に武器を構える。
初めてじゃない。魔物の討伐自体は今日が初めてだが、もう対峙するのは初じゃない。2匹ほどの魔物を、彼等で仕留めることができた。でも、犠牲が一人、すでに出ている。
武器を構えた誰しもが、次は自分が、と嫌な想像をした。衛兵の心情を、魔物が察することはない。
走って来た魔物は、正面に構えた衛兵に向かって跳びかかって来る。衛兵は瞬間、目を瞑った。そのとき、ビュンッ! と言う音と共に、風が吹き荒れた。その場に居た全員の髪は靡き、同じ場所に視線が集束する。
瞼を開いた衛兵も、同じ場所を見た。
男だ。街門に背を向けて、男が佇んでいた。左肩には青年——意識がない——を担ぎ、右手には血塗られた剣を持っていた。
衛兵は、恐る恐る男の横から顔を覗かす。すると、そこには魔物が真っ二つになって地に転がっていた。衛兵はあまりの衝撃に、ひっ、と小さな悲鳴を上げる。
自分も含めて他の衛兵に犠牲が無いこと、突然と現れた男が何者なのか、と疑念が次々と浮かんだ。中でもやはり、魔物を両断したことに目を疑った。正面に構えた衛兵だけでなく、その場に居た誰しもが。
目を見開いている皆を余所に、風の如く現れた男は身を翻した。衛兵の一人と視線が合う。
男は剣を勢いよく払うと一度、鞘に納めた。そして、肩に担いでいた青年を、そっと降ろす。青年の右腕を、男は自身の首に掛けた。頭一つ分ほど、青年より男の方が大きい。当然、背丈の高い彼の方は、少し身を屈めることとなる。そこで目の前の衛兵が気付く。
運ばれていた青年の肩から、出血を確認した。それも大量の、致死量ではないかと疑ってしまうくらいの。
男が一歩、衛兵に近づいた。
「彼を頼む」
冷静な声色で言ったのは、衛兵でも民でもない。軍人ですら、この状況で慌てていたのに、男は取り乱す素振りを見せないでいた。
我に返った衛兵が首肯すると、武器を置いて男から青年を受け取る。左肩の出血は酷く、そちらに触れるのは憚られた。青年の右腕を受け取った衛兵は、すぐに自分の身体で青年を支える。背負い籠を背負っていたせいで、腰に手を回し辛い。
重傷な者を受け取った衛兵は、再び男を見上げる。
「あなたは——」
何者ですか、と訊ねる前に、彼は後ろを向いた。
「なってないな」
ぼそりと放った言葉は、どこか怒りを帯びているようだと、青年を支える衛兵は思った。
男——エゴン・フルストルムは身を翻すと、大地を蹴って疾走する。強風が吹き、街門の前に居る連中を置き去りにし、戦地に一歩で到達した。
エゴンは丁度、魔物と剣戟班の境界となっている戦線——その間に姿を現す。間髪入れず、剣を抜刀し、一閃。身体が浮かんとせんばかりの風が吹き荒れると、周囲の魔物を両断した。その数、10匹。
じりじりと下がっていた戦線が、急に停滞した。
周りに居た兵卒の全員が、突然の出来事に動きを止める。魔物ですら、エゴンを脅威と感じ取ったのか、唸り声を上げて警戒している風だった。
残存する魔物の赤い瞳が、狼の頭が例外なくエゴンを見据える。突然の出来事に、気付けば壁上からの魔法による支援も止まっていた。
「貴方様は……」
エゴンの背中越しに言い淀む、いや、どこか歓喜のような声音が聞こえた。しかし、それ以上の言葉は遮られる。
一匹の魔物が動いたのだ。その魔物に続いて、次々とエゴンに向かって青みがかった大群が押し寄せる。つい一歩、エゴンの後ろに居る兵士一同が退った。そんな中、エゴンは微動だにしない。
たった一人の男に、自分自身に魔物の大群が押し寄せて来ることを、瞬時に理解し。敵意が全て自分に向いた分、これ以上の被害が無いと踏んだ。
「俺は、この程度の魔物に娘を奪われたのか」
エゴンが儚げ気に言葉を溢した。途端、彼の周りに5匹の魔物が跳びかかって来る。エゴンは眉根一つ動かさず、剣を横に薙いだ。風を切り裂く音。それほど速く振り抜かれた剣。直後、剣筋の軌跡を、風が斬り裂くが如く吹く。
5匹の魔物はエゴンに噛み付こうとしていた口を開いたまま、届かず地面に両断され体躯を落とした。
他の魔物の動きが止まる。本能で、エゴンが危険だと判断した。魔物は、群れでじりじりと戦線を下げて行く。決して背を向けることはなく、エゴンを見据えながら。逆に言えば、エゴン以外の人間は眼中にない印象だ。
下がり行く群れを、エゴンが黙って見過ごす筈もない。今度は彼の方から、群れへと飛び込む。一歩、大地を蹴って、風のように駆けたエゴンは狼頭の前に出る。身を屈め、両手で柄を持った剣を右腰に構えて。
踏み込んだ左足。次いで襲う剣光、直後の斬り裂く突風。たった一太刀で、群れの半数を屠った。壁のように広がっていた群れ、その中央にぽっかりと穴が開く。エゴンの視野の両端に群がる魔物は、最早、群れとして成り立っていない。
怯んで足を止めた魔物に、エゴンは肉薄する。エゴンから見て右側に残った群れに突っ込み、次々と狼の身体を斬っていく。斬られた魔物は、例外なく二つ以上に分かれ、地面に崩れる。
残った魔物が、逃げようとした。しかし、エゴンがそれを許す筈もない。分かたれた集団の半数を片づけたエゴンは、残った魔物を2秒のうちに殲滅した。
広大な草原の一部が、深紅に染まる。獣と人の死体が点在し、そこの中心にエゴンは佇んだ。街門を振り返り、剣にへばり付いた血糊を払った。そして両手で柄を持ち、胸の前で剣を構える。切っ先は天を向く。
エゴンは、静かに目を瞑った。瞼の裏側に、凄惨な光景が映る。
——せめて、安らかに。
エゴンは切に願った。ここに居るのが自分の麾下だと言うことは、この場に赴いてすぐに分かったことだ。自分が何にも悩まず、前を向き直っていれば、或いはここで死人はでなかったのかもしれない。しかし、弔いこそすれども謝辞は述べない。一度は、娘がこの世を去って自身も後を追おうとした。そのせいで、この惨状が招かれたとは考えていないからだ。いや、考えられなかった。何を言おうと、他者が聞いたら単なる言い訳に過ぎないだろう。ここで死んだ者にも、家族が居たのだから。
瞼を開いたエゴンは、剣を鞘に納めた。街門に向かって歩き出す。着いた街門では、戦っていた兵士、民を護っていた衛兵と逃げ遅れた民、壁上から魔法を放っていた者達。彼等が呆然と、エゴンを出迎えた。いや、前線と壁上で戦っていた彼等は、感極まって涙腺が緩んでいた。かろうじで、あふれ出て来ようとする水滴を堪える。
エゴンの前に、一人の兵士が集団から踏み出して来た。剣戟班をまとめている、班長だ。彼は恭しく立礼する。
「エゴン様。お探しておりました」
班長の顔を認めたエゴンは、やはり自分の麾下だ、と改めて確信した。高くて顔は確認できないが、きっと壁上に居る者らもそうなのだろう。
班長は、その場に跪く。
「貴方様が急に居なくなられ、私を含む皆が、御身を心より案じ——」
エゴンは手を翳し、班長の言を遮った。そんなことより、と口にしたエゴンは続ける。
「急いで開門だ。この中には重傷者も居る。ここの衛兵方にはいち早く街門を——」
開けて頂きたい、と言おうとした瞬間、ギギギギ、と何かが軋む音がした。音が重く響きながら、土を削る音も同時に聞こえる。エゴンは、視線を上げた。他の者も、音がする方を向く。
街門が開け放たれた。開いた門扉の先では、王軍であろう兵士が、整然と並んでいる。規模はおそらく小隊、とこの場に居る軍人たちは頭によぎらせた。エゴンも、例外ではない。
街門が開くなり、王軍の兵士は民を保護しようと、そばに駆け寄る。民だけではない。負傷した衛兵やエゴン配下の兵士、死んでいった者のところまで心配を顕にしながら駆けて行った。そんな中、エゴンの許に一人の男が近づいてくる。彼の顔に、どこか見覚えがあった。だんだんと近づかれ、顔がはっきりとしたところで思い出す。
「あなたは……」
三日前にエゴンが急遽、王都を訪れた際に対応してくれた隊長だ。隊長は、班長の隣に来ると同様にして跪く。
「エゴン卿。壁上に登った魔法班より、貴方が魔物を殲滅されたと報告を受けました」
聞いたエゴンが、申し訳なさそうに俯いた。
「いや。俺はただ、せしめただけだ。ここに、俺を探しに来た部隊の者らが居合わせたからこそ、民が犠牲にならずに済んだ」
「恐れながら。『せしめる』などと言うと、死んでいった者達が報われません。別に貴方の麾下は、主人の手柄のために命を賭したわけじゃない筈ですから」
そうです、と視界の左端に隊長を捉えながら、班長が言う。
「確かに、私共は貴方の御活躍があれば光栄ですし、そのために動きましょう。しかし、我々とて民のことを考えています。考えた結果が現状ならば、誰も後悔は致しません」
そうか、と呟いたエゴンは、王軍の隊長に向かって、
「重傷者に、兵舎で治療を施してくれないか」
各軍には必ず、『応急処置班』と言うのが存在する。戦場で出た負傷兵の命を救う、軍の生命線と言っても良い班だ。魔法班が兼任したり、専門の班として置くかは軍によって異なる。
隊長は困惑した表情を、エゴンに向けた。
「ええ……。重々承知しております。負傷者は軽重を問わず、そのように」
違う、とエゴンは言って、
「民にも、処置を施してはもらえないか?」
隊長は首を傾げた。
応急処置班は、基本として軍のためにある。野外での治療だけでなく、各軍は兵舎に病院を設けているが、それも兵士のための物だ。一般人は基本、街に居る医者の許に行く。医術の観点からすれば、差異はない。ただ、外傷による負傷者の救命においては、軍の方が慣れている。
エゴンは、頭を下げた。
「頼む。迅速な処置が必要だ」
エゴンが衛兵に預けた青年は、魔物に左肩を噛まれ、かなりの出血をしていた。王都の医師も優秀だが、エゴンからしたら応急処置班のほうが頼れる。ましてや青年は、魔物によって負傷した。負傷者の治療なら、軍のほうが場数を踏んでいると思う。
「頭をお上げください! ——分かりました。今回の重傷者は民を問わず応急処置班のところへと手配致します」
感謝する、と言ったエゴンは頭を上げた。それを認めた隊長と班長は、負傷者の救護に向かう。
エゴンも、あの青年の容体を確認するべく、街門に向かって歩を進める。
自分の自殺を止めてくれた青年は、娘と同じ年頃だ。別に、彼に思い入れれをするのはそれだけではない。目の前で魔物に襲われていたのに、助けに入れなかった罪滅ぼしでもない。ただ、彼が気付かせてくれたからだ。エゴンが、自分のために自殺をしようとしていたことに。そこの感情に、娘のことは考えていなかった。エゴン自身も、全く念頭に置いていなかった。だからこそ、助けたのかもしれない。それに、
「娘と同じ年頃の奴を、死なせるのはな」




