16話
男は森の中で、ただ呆然と座り込んでいた。魔物が王都に向かっていると言うのに。今までだったら、当たり前のように民を助けに向かった。でもすでに、男は騎士ではない。騎士ではないと言うのに、青年からは騎士と言われた。その青年は、王都に向かった。自分が無力なことを良く理解していたのに、魔物の群れの方へと真っ直ぐに行ってしまった。彼は王都の住人なのだろうか、と男の頭に疑問が浮かぶ。それとも、応急処置すら知らないから、早く治療をしに戻ったのだろうか。青年が王都に向かった理由は分からない。ただ男の中には、青年が言った、ある言葉が残っていた。
「娘は、俺が来ることを望んでいないか……」
男は、悲愴感に満ちた声音で吐いた。今まで、考えもしなかったことだ。おかげで、少しだけ冷静になれた気がする。男は、確かに自分のことしか考えていなかった、と心の内で自嘲した。死んだ娘のところへ行くなど、自分自身のためなのかもしれない。それでも、男が魔物を前にして怯えるのは事実だ。全身が震え、走馬灯のように過去の悲惨な出来事が脳裏に浮かぶ。剣を持ったところで、ろくに振るうことが叶わない。こんな男がたった今、大地に足の裏で立ったのは何故だろう。膝っだって震えているのに、男は王都へ向かおうとした。魔物の群れが向かった王都へ。決して、青年に言われたからではない。男は今も、騎士の位が自分に似つかわしくないと思っている。では何故、魔物に立ち向かおうとして起き上がったのか。それは、男自身が漠然と分かっていた。民のためでもなければ、道徳心のためでは毛頭ない。自殺を止めてくれ、娘がこれ以上、悲しまずに済ませてくれた——あの男への恩義かもしれない。
「天脚を我に——」
一歩、前に踏み出した男……エゴンは、自分しか使うことができない魔法を発動させるため、詠唱を始めた。戦闘系魔法の一つを自分なりに改良して創り出した——少なくとも、エゴンの知ってる限り使える人の居ない——唯一の魔法だ。この魔法で、ずっと魔物を屠って来た。娘が死んで以来、一度も使わなかった魔法だ。
「——纏うた羽衣を以って敵を斬断する」
詠唱を終えたエゴンの周囲を、地から舞い上がった風が、鎧のように纏わりつく。魔法の名は、飆風天衣の刃。風の如く大地を駆け、剣と共に振られる突風は、研ぎ澄まされた刃よりも恐ろしい。
「俺に赤の他人を救えと言うのか。自分の娘すら、守ることのできなかった俺に」
言いながら右手で長剣を抜いたエゴンは、柄を両手で持つ。そして胸の前で構え、切っ先を上に向けた。先端が刺す場所は喉元ではなく、今度はしっかりと天を仰いでいる。
「今までは、普通にこなしてきた仕事だ」
自分に言い聞かせながら、額を剣の腹に当てる。エゴンは、娘のことを思い出した。
「お父さん、さ——今一度、剣を奮うよ」
エゴンは、右手に剣を持つ。そして、力強く土を蹴って走り出した。森の木々を揺らし、たった一歩で街道に出た。まさに、風が吹き抜けるように。今のエゴンに障害物など存在しない。
街道の曲がり角で、エゴンが立ち止まった。人が一人、倒れていたからだ。それも、さっきまで威勢の良かった男だった。
倒れている青年を、エゴンは見下ろした。横顔だけでも、青ざめた顔が良く分かる。
「もう少し、待っていろ」
言ってエゴンは、倒れている青年を抱えて草原を見渡す。
人と魔物が戦っていた。人間側の犠牲も少なからず、居る。それは、街門の前に集まった旅人や行商人を護っているからだろう。護衛対象がいなければ、ここまで隊列が乱れることはない筈だ。いや、民が戦場に居ても兵士が慌てることは許されない。むしろ守るべき民の前だからこそ、連携を取らなくてはいけない。でも今は、街門の前に集まる彼等を保護するのに精一杯、と言った様子だ。
「王軍はまだか……」
確かに、王軍の出動には時間が掛かる。万全の準備をするためだ。それは、王軍に限ることではない。軍が来るまでは、門番と近くに居た衛兵が加勢するしかないだろう。
——それにしては、人数が多い。
偶然かどうか、今はどうでも良い。まずは加勢しに行かなくては。
エゴンは大地を蹴り、草原を疾走。魔物と戦闘を繰り広げている街門の前まで、一歩で到達した。
⁂
その日、門番はいつも通り仕事をしていた。王都にある街門の番は、衛兵から当番制で選ばれる。
門番の役割は、王都に出入りする人々の管理だ。とは言え、国境付近ではないため税関ほどの取り締まりはしない。門の近くで問題が起きたとき、または怪しい人物の取り調べぐらいの仕事だけだ。しかも、日没の閉門を過ぎれば帰宅して良いので残業はない。当番の衛兵は喜ばしいものだ。夜間の門番は、別に用意される。
しかし、今日は違った。
昼を1時間ほど過ぎた頃、見張りより報せが来た。彼等は城壁の上から、或いは城壁付近の見張り塔から、魔物などの外敵を警戒する任にあたる。東西南北に配置された見張りも、衛兵の務めだ。北と南に配置された見張りから「魔物の大群が押し寄せて来る」共に、「数は50以上」と、連絡があった。
王軍への連絡はしているとのことだったので、衛兵の、門番の4人が取るべき行動は決まっている。
「急いで門を閉じろ!」
一人の門番が叫んだ。
夜勤だったら2人のところを今は4人も居る、と誰かが内心で呟いた。人手が少しでも多くて若干、心にゆとりが持てる。
2人の門番が、門扉を閉ざすために向かう。首を真上に傾けないと全体を把握することのできない巨大な門は、閉門にも時間が掛かる。その間に、残った門番が兵力を搔き集めるべくメインストリートを奔走した。本来なら衛兵の役割は、王軍に魔物の観測を報告しただけで終わる。群れで襲って来たとしても、普段なら数匹だった。今回は衛兵が直ちに対処しなければ、事態に追い付かない。
時間はない。見回りで近くに居る衛兵を集め、事に対応する。ある程度、人数を集められたところで街門に戻ろうとしたとき、武装した数人が騒々しく話し掛けてくる。
「何事だ⁉」
と、盾を背負った男が言った。若干、戸惑いを見せた衛兵の一人が返答する。
「あなた方は……王軍ですか?」
「いや。エゴン・フルストルム卿の配下だ」
衛兵は街の秩序を保つのが務めだ。犯罪を防ぎ、住民の苦情を聞いて街の治安を維持する。貴族社会は勿論のこと、軍事とも無縁だ。それでも、彼等が軍隊の一員だと言うことは分かる。
「でしたら、ご助力を! 南北から魔物の群れが押し寄せて来ます!」
「何だと⁉ ——数は?」
「正確には……ですが、合わせて100はくだりません」
大群が押し寄せてはいるが、数が多すぎて見張りもすぐには把握できなかった。
「何だと……」
聞いたエゴンの配下は一様に破顔した。軍に所属している以上、少なからず町や村を守るために魔物と戦ったことはある。しかし、数が異状だ。
「我々も加勢するぞ。——他の者も呼んで来い」
盾を背負った男が言うと、一人がすぐに王城の方へと走って行った。
「後は我々が引き受ける。あなた方は住民の安全を」
「たった数人で、ですか?」
我々も行きます、と強く主張した衛兵の言を、軍人達は聞き届けることしかできなかった。
2人の門番が門を閉じてようとしている最中、王都に入ろうとせんと人々が押し寄せて来る。他の城壁都市よりも、王都への出入りは激しい。
「急いで!」
閉門するよりも早く、なるべく多くの人を王都に入れようと呼び掛ける。そんな衛兵の許に、荷物を背負った一人の男が来た。きっと、商人だろう。彼は不安そうにしながら、おずおずと訊ねてくる。
「あ、あのぉ……何があったんですか。閉門はだいぶ先の筈ですが」
閉門の時間は日没と定められている。昼を過ぎたこの時間帯では、確かに早い。
「魔物の群れです! 急いで中に入ってください!」
言われて焦り、身体を震わせながら歩を速めたのは、聞いていた商人だけではない。周囲に居た者達の焦燥感を駆り立てるのには十分だった。
やがて、仲間……いや、軍も連れて来た衛兵達が門を潜って外に出る。門を閉めていた2人の衛兵と合流した。そこで、完全に門扉が閉まる。そんな、と落胆した声が門の前で次々と上がった。全員を、王都に入れることができなかった。
絶望に満ちた顔色をする民に、
「安心してください。我々が必ず守ります。皆さんは、門の前に集まってください」
盾を背負った男が、言い聞かせるように落ち着かせる。それでも、一般人の不安は取り除かれない。構わず、男は続ける。
「衛兵には街門で民の護りを。我々は二手に分かれて……」
「もう、そこまで来ています!」
一人の軍兵が、指を差しながら声を荒げた。その場にいる全員が、指し示された方角を見る。
南だ。城壁の陰から湧いて出たように、数えきれないほどの魔物が姿を現していく。
無力な者らは腰を抜かし、衛兵達も、今だけは自分の役職を呪っている。魔物との戦いに慣れた兵士ですら、固唾を飲んでいた。それでも、まだ何とかなる。少なくとも援軍が来るまで持ち堪えれば、勝機はある。そう、兵士達は思っていた。しかし、
「北からも来ます!」
すぐに絶望に追い込まれた。100はくだらない、と言った衛兵の言葉を忘れていたわけではない。逆に、南から来た魔物だけでは少ないとさえ思っていた。
南北から出没した魔物は、王都には接近せずに西へと通り過ぎる。この行動に、一同は呆然とした。呆気に取られていると、街門から一直線上に延びた草原で魔物が合流する。そして勢いそのまま反転すると、街門に向かって無数の赤い瞳が押し寄せて来る。とてもじゃないが、今居る戦力では太刀打ちできない。
盾を背負った男が、ふと我に返る。後ろを向いて、鼓舞しながら告げた。
「大丈夫だ、我々ならできる。いつも通りに対処すれば良い。——衛兵は民を護れ。我々軍人は、先陣を切る!」
衛兵は震えた声で返事をし、軍兵は雄叫びを上げた。民は狼狽するしかないが、信じることしかできない。
盾を背負った男以外が、半円状に陣形を組みながら魔物に向かって行く。残った男は、衛兵達に言う。
「魔物の急所は目だ。皮膚が硬くて刃は通らん。戦闘系魔法を使える者が居たら、遠距離で敵を狙え。無暗に近づこうとするな」
それだけを単調に告げた男は、腰に携えた剣を抜き、盾を左手に構えた。そして身を翻し、魔物の群れに走って突っ込んで行く。
他にも補助系魔法による、武器自体に魔力を付与して魔法の武器として扱うなど、魔物に対抗する手段はある。しかし、そこまで説明する余地が彼にはなかった。
衛兵は言われた通り、街門付近で動揺を隠せない民に「門の前で固まってください」と呼び掛けた。最早、そうしてくれないと困る。半分は民のためではなく、衛兵達の願望だ。願いが通じたのか、旅人や商人は言われた通りにする。ただ、万事順調とはいかない。ふざけるな! 中に入れろ! と旅人達が怒声を上げ、商人達は大事な商品が積まれた荷馬車を、我先に守ろうとした。それでも、彼等は兵士に縋るしかない。旅をするのだら、全く自衛を身に着けていないわけではない。だが、魔物を一匹だけ相手にしても、彼等が絶対に生き残れる保証はなかった。100匹以上の群れで襲って来ている今なら、尚更だ。
全員が門扉の前に集まる。その頃には、先陣を切った男達は魔物と戦っていた。衛兵達も、街門を中心にして半円を組む。背中越しに護るべき一般人を一瞥した一人の衛兵が、
「早く来てくれ……っ!」
前線で戦う男を見ながら呟いた。切なる声色で。
国王軍は、常に城内で待機している。国王陛下の命で、いつでも動けるようにだ。ただし、全員と言うわけではない。中には、今日が休日の軍人も居る。
国王軍の兵舎は、南西の壁際にあった。ここで平時の際は訓練を行い、いつでも陛下からの命に備えている。今日も丁度、訓練場で魔物に対する訓練を行っていた。隊長の許、兵卒が隊列の確認をし、或いは武器の扱いを基礎から確認している者も居る。
そんな訓練場に、血相を変えた将軍が転がるように姿を現した。将軍は肩で息をしながら、
「総員、戦闘準備‼」
小隊を三つ組む、と言った将軍は、次に誰の小隊を向かわせるか支持を出した。それに対し、一人の隊長が異論を唱える。
「待ってください! 小隊を三つと仰いましたが、それほどの事態とはいったい何でしょうか」
この国では、分隊、小隊、連隊、師隊の順番で部隊の規模が大きくなる。将軍は師隊を一つ任され、小隊は基本、20人から520人の間で用途に合わせて編制される。
たった今、将軍より指名された部隊はどれも100人前後で組まれている。これは、中規模の野盗のねぐらを掃討する際の編制だ。王都の近くに野盗が群れるだけでも、治安は一気に下がる。だからこそ、国王軍の巡回に抜かりはない。声を上げた隊長は、これほどの編制が必要な理由をすぐにでも知りたかった。
問われた将軍は、冷ややかな目で隊長を見据える。
「作戦内容は集合してからだ」
それ以上、隊長が口を出すことはなかった。
言われた通り、三つの小隊が兵舎の一角に列を成す。整然と乱れずに並ぶ様は、統率力を見て取れる。その三個小隊の前に、将軍が向かい合って立つ。全員の視線を集めていた。
全員を見回した将軍が、
「作戦内容は魔物の討伐だ」
告げた瞬間、兵士の間に動揺が奔る。しかし全員、表には出さなかった。いちいち動揺を顕にしていては、兵士の職になどに就けはしない。そう言った輩は、入団試験で落とされるだろう。
平静を装っている裏で、皆が考えていることは同じだ。
——魔物の討伐に割く人数ではない。
通常、魔物を軍で討伐する際には数の優位に持ち込む。魔物1匹に対して、軍は4人以上で戦う。或いは、国王軍の最少の編制は8人前後の分隊なので、これで討伐にあたることも多い。魔物の集団だって、今まで二つの分隊で討伐したのが最大だった。
今回は人手が多い、そう誰もが思っていた。が、続けられた将軍の言葉で、その思考は誰しも抱かなくなる。
「数は推定で100。すでに街門近辺まで接近中とのこと。現在は衛兵と、偶然にも居合わせた他軍で逃げ遅れた民の保護と、魔物の討伐に当たっている。いつも通り、各隊の剣戟班は正面で向かい討ち、遊撃班は状況に合わせてこれを支援、魔法班は壁上より魔法による支援攻撃を行え——」
淡々とした作戦司令を、一同は無言で聞いていた。ただし、ほとんどの者は数の膨大さに、心の中で退ったことだろう。特に、主な戦闘が接近戦で繰り広げられる剣戟班と遊撃班は尚更だ。遠距離による攻撃で戦場に赴く魔法班だって、内心でビクついている。接近する彼等には申し訳ない、と城壁の上から支援する魔法隊は胸中で謝辞を述べていた。
「——魔法班による迎撃が成功したところで、街門を開門する。そこで一気に、剣戟、遊撃、両班が殲滅に掛かる」
以上だ、と告げ終えた将軍は全員を見渡してから、
「良いか。絶対に城壁があるから魔物は王都に侵入しない、とは考えるな。我々は拝命したことを従順に遂行する。民を護れ、王都を護れ。陛下から下された命を成功させろ!」
軍兵達は将軍に呼応するかのように、武器を掲げて雄叫びを上げた。
現在、王都には国王軍以外の兵が居た。今日、街門が開くと同時に到着した彼等は、50人弱の小隊一つ分で、ある人物を捜していた。王都に入ってからは分隊ごとに分かれて捜索をしている。
王都の東側を捜索していた分隊に、同じ軍の兵士がやって来る。
息を切らしながら走って来た兵士に、分隊長は訊く。
「どうしたんだ?」
兵士は、背筋を伸ばして分隊長を見る。
「街門より魔物の群れが来襲! 現在は第三分隊が応戦中。至急、応援要請とのこと。他の分隊も順次、現場に急行中とのこと」
聞いた分隊長は、「他に伝達すべき班は?」と返す。兵士は直立した姿勢を崩さぬまま「門外へと捜索に出た隊を除き、ありません!」と答えた。
「ならば、我々も急行する。お前も続け」
分隊長は伝達に来た兵士も連れ、隊を街門に急がせた。
分隊長が先導する形で東の大通りに出、街の中心となっている王城を目指す。その最中、分隊長が言う。
「王城に行って報告した方が良いのか?」
これに答えたのは、応援要請に来た兵士だった。
「いえ。すでに衛兵が報告済みとのことです」
王城近辺に着いた分隊は、そのまま城を周って西のメインストリートに向かう。王城の周りには、王都の主要な大通りが通じている。そのため、目的地を目指すのなら一度、王城に向かうのが確実だった。分隊長だって、近道があるのなら、それを使って現場に急行したい。しかし初めて王都に来た彼は、ここの地理に疎かった。
メインストリートに差し掛かると、さらに分隊長が問う。
「魔物の数は?」
「推定で100以上です」
聞いた瞬間、分隊長はぎょっとした。後ろを走る部下達も、絶望とも捉えられない声を漏らす。
「落ち着け。数が増えようが、今まで通りにすれば良いだけだ」
落ち着かせるように言った彼の言葉は、しかし部下には届かない。
「エゴン様が居れば……」、続けて「あの方は、どこへ行ったんだ」。自分たちの主の名を呟く声が、分隊長の背後から聞こえてくる。それを窘めるように「おい。今は目の前のことに集中しろ!」
本当は分隊長だって、主君が居れば、と思っている。ただ、その主君……エゴン・フルストル様が、御令嬢を魔物から守れなかったのも知っていた。分隊長のみならず、エゴンの麾下には周知の事実だ。
エゴンだって、逃げ出したくなるだろう。分隊長とて、主と同じ境遇だったらもう二度と立ち直れない。それでも、仕える者が存在しなければ自分達は路頭に迷う。でないと、エゴンのことを無理矢理にでも探しはしない。
「もう一度、あの方に魔物と戦えと申してしまうのか……」
ふと思ったことを分隊長が独りごちると、
「こっちです!」
報告に来た兵士が手招くように言った。促さられるままついていくと、メインストリートから外れて北西の城壁付近まで来る。
「小隊長は上です」
城壁の内側には一定間隔で階段が作られており、これを使って壁上に登ることが可能だ。
分隊は壁上に登ると、壁に沿って南下する。街門の上まで行くと、そこには小隊長と魔法班の面々が居た。
分隊長は、小隊長に近づいて姿勢を正す。
「第五分隊、ただいま到着しました!」
戦場を眼下に見据えていた小隊長が、向き直る。
「魔法班は壁上より、支援攻撃。剣戟班は下に降りて戦闘態勢を取れ」
淡々と語れる命令に、着いたばかりの分隊は一同に生唾を飲んだ。特に剣戟班は、絶望を顕にした。
小隊ともなれば——軍によって差異はあるが——戦況に合わせて有利に働くため、役割りごとに班分けされる。この小隊では、接近戦を得意とする者は『剣戟班』に、魔法を得意とする者は『魔法班』に振り分けられる。そこから分隊に分けるときは、各分隊が均等になるようにされていた。
「早くしろ!」
なかなか返事をしない部下に、小隊長が怒鳴った。分隊長は我に返り、部下達に同様の命令を下す。
駆け付けた分隊員の半数が、壁上の魔法班に加わる。分隊長を含む残りは、壁の縁に立って眼下に広がる光景を受け止めようとしていた。
何とか集結した小隊で、凌いでいるのが現状だ。すでに全員が集まっているとしたら、人数は48人。このうち25名ほどが剣戟班なので、魔物の数には圧倒的に足りていない。王都の外に捜索にでた分隊もいるので、数はこれより少ないだろう。しかし壁上から魔法班の支援があってか、押し切られてはいない。人間の犠牲が皆無と言うわけではないが、魔物の数も着実に減らしている。真下は逃げ遅れたであろう民と、それを庇うようにしている衛兵が数名いた。彼等の周囲にも、魔物の死骸……衛兵の死体もある。
惨状を見た分隊長が、詠唱を始める。
「我が肉叢を奮わせ」
続けて、下に降りる他の者も同じ詠唱をする。
この魔法は【身体増強】と言い、魔法によって身体能力を向上させる技だ。魔法の行使者によって異なるが、均して素手で石壁にひびを入れたり、一般的な住宅なら屋根まで跳躍できる。これで街門を開かず、戦場に出向く。
同時に、整然と並んでいる魔法班も、一斉に詠唱を始めた。
「大気を絡繰り、風を槍と化し、尖鋭なる穂にして刃は敵を穿つ。——シュタルカー・ヴィント!」
整然と並んだ魔法班の面々は、眼下の戦場——標的の魔物を目掛けて両手を掲げた。翳された手の平に大気が集まり、それは形を変えて槍になる。壁上に無数の、風の槍が顕現する。
小隊長の「放て!」と言う合図と共に風の槍は射出され、ビュンッ‼ と空気を切り裂きながら魔物へと突き刺さった。この支援制圧がなければ、地上の隊はとっくに全滅しているだろう。
見計らったかのように「今だ!」と分隊長が声を上げれば、壁上に居た剣戟班が戦場に降下して行く。身体増強の補助系魔法を掛けているため、衝撃を吸収して全員が無事に着地できた。
降下した者らもまた、死地へと赴いて行く。
ブルファーナ王国王都、そのメインストリートには、一軒の宿屋が面していた。
1階が酒場となっており、常連客が幾人か入り浸って酒を飲んでいる。とある事情から、今日は昼過ぎから料理の提供を停止しているため、酒のつまみを食している者は居ない。宿泊客も、部屋の半数が埋まるくらいには居た。しかし料理がないと、意外と仕事が減る。店主も妻も、1階奥のカウンター内にて暇を持て余していた。
常連客の飲みっぷりを見ながら、不意に妻が呟く。
「レオ、遅いわね」
「さすがに、まだ早いんじゃねえか」
店主が答えると、妻は「そうかしら」と言った。二人の会話をカウンター席で聞いていた常連客が、からかうように「もしかしたら、魔物に襲われてたりしてな」
妻が即座に、言った常連客を睨む。冗談でも、自分の子供で不謹慎なことを言わないでほしい。いくら酔っているからと言えど、妻は我慢ができず態度に表れてしまった。妻の態度を見た常連客は、一気に酔いが醒めた。真面目な声音で「悪かった」と謝る。それでも、彼女の怒りが緩和されたわけではない。
「大丈夫だ、あいつは」
店主が優しく声を掛けた。
確かに、外は絶対に安全な場所とは言えないが、王都近隣の森に出掛けることは珍しくない。王軍の活躍もあって、近辺で魔物の被害を耳にしたことはなかった。だからだろう、宿屋の夫妻も、どこか絶対な安心感が胸中にあった。
そうこうしていると、店の扉が開いた。メインストリートに面しているだけあって、誰かが来店した際は外の喧騒が入って来る。しかし、今回は小さかった。
店主が訝しみながら、客の許へ向かおうとカウンターを出る。すると来店した客は、慣れたようにカウンター席まで来て腰を降ろした。この者も、常連客だ。彼の座った後ろに、店主が立つ。
「よお。注文は何にする? つっても、今は料理が出せないんだがな」
常連客が、後ろを振り返る。
「何だ? 品切れか?」
「ああ。香草が、ちょっとな。——安心しろ。今、息子が取りに行ってるから、帰って来たら多少なりとも提供できる」
聞いた瞬間、常連客が急に立ち上がった。店主に身体ごと向き直る。
「取りに……って、森にか?」
真剣な顔つきで聞いて来る彼に、店主は若干たじろいだ。気付けば、客の視線が集中している。
「ああ、そうだが」
「まずいぞ。魔物の群れが出たって、王都に来た行商人達が騒いでいた」
この言葉は、カウンター越しの妻の許まで届いている。宿屋の夫婦に、緊張が奔る。二人だけではない。ここの息子が小さいときから知っている常連達も、耳を傾けていた。
それに、と来たばかりの常連客は、言葉を詰まらせながら続ける。
「噂じゃ、北と南から来たそうだ。それも、かなりの大群。今、表の通りを王軍が歩いていた。きっと討伐に向かうんだ。でも、人手が多い。見たことあるか? 軍隊が揃って歩いてるところを。魔物もかなりの数だろうよ。行商人達が揃って言ってるぐらいだ」
「盗賊が出た可能性だってあるだろう。魔物はとっくに片付いてるかもな」
と、別の常連が言った。すると店主の妻が、
「どっちみち、レオが危ない!」
叫びながらカウンターから飛び出す。店主と常連客の間を強引に通り、旦那に腕を掴まれた。
「待て、どこに行く!」
「離して! レオのところに決まってるじゃない!」
「落ち着け、エミー!」
「ジーファスは何でそんな落ちついてるの!」
レオが心配じゃないの! と妻は怒声をばら撒いた。
平静を取り戻さない妻を、店主は強く抱き寄せる。
「心配じゃない筈があるか。でもだからと言って、お前を行かせられない。——俺が行って来る。エミーは、あいつが帰って来ないか、留守を任されてくれないか?」
店主の胸に顔をうずめていた妻は、そこから店主を振り仰ぐ。夫の顔を見ると、彼女も少しだけ冷静になった。妻の目尻には水滴が浮かび、店主もまた、額に嫌な汗を掻いている。
店主が妻を身体から離し、息子を迎えに行こうとする。すると、情報を持ち込んだ常連客が話に割って入った。
「やめといた方が良い。さっき街門の前を通って来たが、門は閉じられてた。外には行けない。無駄足だ」
夫婦の顔の表情が歪む。が、それも一瞬のことだった。別の常連客が声を上げる。
「いや、外に居るとは限らないだろう。すでに王都に戻って来てるかもしれない」
だったら、とまた別の常連客が会話に入る。
「医者のところに運ばれてる可能性は無いか? 怪我をしてたら、衛兵とか、通りすがりの奴が運ぶだろうよ」
これを皮切りに、常連客達が次々と立ち上がっていく。
「ああ、そうだな。——単純にまだ帰ってないだけかもしれない。案外、街門の辺りをうろついてるかも」「王軍の行進が邪魔で立ち往生してる可能性もあるな」「ああ。行商人から香草をかってたりしてな」「バーカ。あいつは無駄に散財しねーよ」「帰ったら、ジーファスが高額請求されたりしてな」
常連客達も、全員ではないが、ここの息子のことを小さい頃から知っている。時にはからかってみたり、悪いことをした際は親に代わって怒ったりもした。彼等は揃って、宿屋の息子のことは、ただの従業員だとは思っていない。これも近所付き合いみたいなものだ、と全員の胸中で一致した。いつも憩いの場を提供してくれる夫婦が困っているのなら、無下にはできない。
とにかく、と常連の誰かが和んだ空気を引き戻す。
「各自、思い至る場所を探すしかないな。どこに居なくても探せよ? どっかに居る筈だ」
常連客達は、ぞろぞろと退店していった。
宿屋の夫妻は呆気に取られながら、いつもとは違う感情で彼等を見送る。普段は飲んだくれているだけで、ここまで頼りになったところを見たことはない。気付けば、取り乱していた妻は落ち着きを取り戻していた。
店主が、妻の目を見る。
「俺も、探して来る」
「だったら私も!」
「いいや。エミー……お前は、宿屋を見ててくれないか。帰る場所が必要だ」
言うと店主は、力強く頷いた。しばらく間を置いて、妻が静かに頷き返す。
「分かった。行って来て、ジーファス」
ああ、と返事をした店主も、息子を探しに家を飛び出した。




