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その村人は英雄を待つ  作者: ユートヤマ
ブルファーナ王国王都
15/26

15話

 男は王都近郊の森で自殺をしようとした。ついに覚悟を決めた男は、剣の切っ先を自身の喉元に突き付ける。一日中、娘や妻……家族だった頃のことを思い返していた。もう、憂いはない。ないのに、ない筈なのに、手元が震えるのは何故だろう。そして、死のうとした瞬間——とある青年が、男の末路を止めた。面識もなければ、声も初めて聞くような青年だ。青年……もしかしたら成人しているかもしれないが、男から見たら細身の青年だ。男の自殺を止めた青年は、池に落ちた剣を拾い上げてくれた。もしかしたら、剣はないほうが良かったのかもしれない。改めて陛下より賜った長剣を見た男は——ああ、こんな陛下に傷を付けるような真似を——陛下に授かった剣で自殺を図ろうなど、陛下が殺したと主張するのだと同義に、男はやっと気付いた。この剣は、もしかしたら帰って来なくて良かったのかもしれない。男がそう考える間も、青年は何も言わずに黙っていた。それだけではない。男の動向を、心配そうに見守るように。男が青年を見ても、何も言わず、何も訊かずに。だからだろう。男が鬱陶しくなったのは。つい男は「放っておいてくれ」と、嘆くように、しかし静かに願った。それでも青年は、その場から立ち去ってはくれなかった。だから男は、自分が離れようとする。すると青年は、男の後をついてきた。彼はこっそりと追っているつもりだろうが、男は気付いている。素人の尾行に気付かない筈もない。しかし、いちいち青年の行動をとやかく言う権利はない。一旦、青年に命を引き延ばしてもらい、少しだけ冷静になったのかもしれない。でも、止めないでほしかった。男の心情だ。早く青年……そして、危うく恥をかけそうになった陛下から逃げたい一心で、王都から離れようと足を速める——そのときだった。悲鳴が聞こえたのは。耳に残る、痛烈な助けを求める悲鳴。村が魔物に襲われたとき、重傷を負った者が出す断末魔に似ていた。男は咄嗟に身を翻して走った。ずっと、助けを求める声に応えてきた身体は、嫌でも勝手に動く。そして、向かった先——先程の青年が魔物に襲われていた。ウン・ティーア・ヴォルフと名付けられた、狼に似た体躯と顔を持つ魔物だ。くしくも、男の娘を殺したのと同種だった。助けなくてはいけない。だが、男は騎士の称号を返上した。もう、助ける義務はない。男にも善良な心を持ち合わせている。いくら、死のうとしていても……。そこで男に、殉職と言う考えが浮かぶ。今は無職なのだから、ただ見知らぬ民を助ける道程で死ぬだけだ。でも、足が動かない。膝が震えて立っていられない。男はその場に膝から崩れ落ち、目の前で喘ぐ民を見守るしかできなかった。どうしてだ、娘を殺した魔物と同じ顔をしているからか。唇まで震え始めた。情けない、本当に情けないっ‼ こちらには立派な剣があるのに、青年はただのナイフだ。先程だって、魔物の強靭な肉体に届かなかった。ああ、そうだ。余程、勤勉か世界を渡り歩く者ではない限り、魔物の急所など知る筈もない。男のように軍に入っていれば、目が急所だと言うことはいずれ知るだろう。男は恐怖、いや既視感だったからか、目が急所と叫んで伝えることさえができなかった。しかし青年は、偶然かナイフを魔物の目に刺しこみ、見事に生き延びた。新兵でも魔物に殺されるときだってあるのに——だが、息つく暇もなく、魔物が王都の方角へ向かって行くのを、男は確認した。幸いにも、こちらに来なかった。早く治療しなければいけないが、無数の魔物が押し寄せるより、青年の生還率は上がるだろう。そう、男は考えて青年を見る。彼は徐に立ち上がり、男に向かって来た。その歩みは覚悟を決めたような、表情は何かを訴えている。——俺に何を求めている? 俺は何もできない? たった一人すら、ろくに救えない男だぞ? 眼前に来た青年を、男は見上げる。視線が合ったのを認めた青年は——騎士なら、助けてください——と懇願した。男は呆然とした。





「騎士なら、助けてください」


 レオポルトは騎士の男を見下ろしながら願った。本来なら彼の方が頭一つ分は背が高い筈なのに、今はみすぼらしいほど小さく見える。それでも、レオポルトは頼むしかできなかった。

 レオポルトも右肩付近に居るシャルファーも、男の目を見ていた。彼女も伊達に王都で暮らしていない。向こうには見えていなくても、危険を取り除きたい思いはレオポルトと一緒だ。だから妖精も、眼下の人間に願う。

 返答のない騎士にもう一度、お願いします、と言う。もう、すぐに頼れる者は彼しかいない。仮に王都へ魔物が迫る情報を持って行っても、レオポルトより魔物の足の方が遥かに速い。

 ややあって、エゴンが口を開く。


「私は……騎士じゃない」


 黙り込むに相応の言葉だった。レオポルトとシャルファーは、無言で顔を見合わせる。

 シャルファー・ブリックが、この魔法の眼に虚偽はない。先程、エゴンの職業を見たところ騎士だった。レオポルトは勿論、シャルファーも知っていることだ。間違いではないか、と二人で男を見る。やはり、シャルファー・ブリックが表す職業には『騎士』と書いてあった。

 底から怒りが込み上げてくる。気付いたら、レオポルトは口走っていた。


「あんたは、そうしてまで娘の許へ逝こうとするのか! 今、魔物の群れが王都へと向かった」


 いつもなら、とレオポルトは言って、


「王都の近くに出た魔物は、軍が対処に周っている。そのことを、俺達みたいな住民は知らずに日々を謳歌しているよ……。今日、改めて思ったことだ。魔物に殺されかけて、初めてやっと、俺は守られていることを実感した。無力ってことを、分かってたつもりでも、突き付けられた気がする。それでも、俺達(たみ)はあんたらに願うしかない。だから、お願いだ。王都に行ってくれよ! あんたは紛れもなく騎士だろ?」


 早口で捲し立てた。その剣幕は凄まじく、エゴンはレオポルトから目を逸らす。


「いつ、どこで俺のことを知ったかしらないが……もう、騎士じゃないんだ」


 騎士の位は陛下にお返しした、と放たれた言葉を信じられないのは、レオポルトだけではない。すかさずシャルファーが、「嘘よ!」と怒声を上げた。

 そう、シャルファーの魔法は真実しか情報として載せない。レオポルトの思考は、男が嘘を言っているとしか浮かばなかった。

 更に怒りが込み上げたレオポルトは、エゴンの胸ぐらを片手で掴んでいた。それでも彼は、こちらに視線を合わせようとしない。構わず、レオポルトは男の顔面に向けて言葉を飛ばした。


「そうやって嘘ついて、娘のところへ逝こうとしているのか。いくら王軍が居ようとも、いくら衛兵が守備に務めていても、犠牲が出る……。たとえ、俺より実践にとんだ兵だろうと、死者が出ない筈がない。じゃなきゃ、魔物なんて何の脅威にもならないだろ。だから、少しでもあんたに善意があるのなら、王都に出向いて加勢してくれ」


 頼むよ、とレオポルトは消えかかる炎のように弱々しく言った。

 それを聞いたエゴンは、力強く胸ぐらを掴んでいる腕を振り払い、「いったい何様だ、お前は‼」と上擦った声で叫んだ。レオポルトのことを睨み付ける。


「いきなり現れ、確かに他人の自殺を止めようとしたのは善良かもしれない。それが自然を汚さないようにしたことだとしても」


 けど、その後は! とエゴンは続ける。


「俺に付きまとって何がしたい! 挙句の果てに助けを乞うか⁉ 俺はお前に助けを乞うてなどいない。むしろ、そっと黙って放っておいて、離れてほしかった。だがお前は、俺を見守るように後をついて来て何をする気だった? また俺が死のうとしたら、それを止めるのか? 娘に会いたい俺のことを許さないのか?」


 エゴンの語気に、段々と強さが帯びる。


「道徳的に肯定される行為を取っても、された本人からしたら否定だ! 結果、お前は『魔物を倒せ』と俺に頼んだ。それって、利益を求めているだけだろ! 俺を助けたことを棚に上げ、いざ自分が困ったときに、あのとき救ってやったんだから、と請求することに他ならない! お前の今の世話焼きは、自己満足で助けた相手に、見返りをせがむ……まさに自己中心的だな‼」


「それでも……」


 人々が魔物に喘ぐと知ってて見捨てるのか、と言う言葉を、レオポルトは飲み込んだ。

 騎士は人々を救う存在だと、勝手に妄想していのはレオポルトのほうかもしれない。所詮、追い込まれている精神は、一般人と何の変わりもないんだ、とレオポルトは思った。彼だって、騎士以前の問題に、一人の人間だ。だから、彼が死のうしていること自体を、レオポルトが特段、責めることはしなかった。だから、様子を見るだけにした。その行動すらも、エゴンからしたら否定的だったのだろうか。


「……分かりました」


 でも、それで男が死ぬことを見過ごして良いのか。これは、レオポルトの余計なお節介だ。エゴンだって、それを邪魔だとしている。本当に何もできない奴だ。つくづく、自分が凡人であることを実感する。何もできない腹立たしさが、レオポルトの自責の念を駆り立てた。

 男の頑とした視線は、レオポルトの目を逸らさせるのには十分だった。何も言い返せず、口を噤んだとき、


「分かるわけないでしょ!」


 シャルファーが声を荒げた。男に向かっての言葉だ。しかし、彼に聞こえる筈もない。聞こえない、妖精のことなど見えもしないエゴンに、シャルファーは構うことなく怒声を浴びせる。


「そうやって娘のことも考えず、一方的に会いに行こうとする奴のことなんて分からない! ——どっちが自己中心的よ。娘に会いたいのだって、自分の我がままじゃない!」


 アタシ分かるの、とシャルファーは今までのことを思い出しながら、


「人間って、家族のことを慮ってばっか。ここに居るレオや、レオの家族だってそう。今日だって、母親に店番を任せるとき、レオは『一人で大丈夫?』かと、気遣って、レオのお父さんは外に出るレオのことを心配した。街を歩く家族を見てたって、みんな笑顔で、家族のことを思っている。それは、子供だって一緒よ! ——子供の気持ちも考えずに、ただ自分が会いたいから死ぬだなんて……そんなの、来られた子供は嬉しいの?」


 言い終えたシャルファーは、肩で息をしていた。視線を叱咤する妖精に合わせていたレオポルトは、再びエゴンへと向く。

 気付かされた。レオポルトは自殺を図った男のことを第一に、それ以外は何も考えていなかった。本当は、エゴンの娘の気持ちを考えないとダメだったんだ。娘は父親に死んでほしくない。これも、もう本人には訊けないことだが、レオポルトが同じ立場になったら、両親には長生きしてほしいと願う。目の前の騎士だって、自分が死のうとするほど、娘のことを愛している。だったら、その娘だって父親のことを愛している筈だ。そうではいと、報われない。

 睨み付けるエゴンから、今度は目を逸らさない。レオポルオは、力強く言う。


「あんたが言った通り、余計な善意で傷つく人もいるかもしれない」


 でも、と言葉を区切ったレオポルトは、エゴンに冷めた視線を送る。


「娘さんは、父親が来ることを望んでいないだろうな」


 低い声音で吐き捨てると、レオポルトは身を翻した。倒れている魔物の許に向かい、目に刺さっているナイフを抜き取る。赤い粘液がへばり付いていた。もう、切れ味は期待できないだろう。それでも、無いよりは良い。レオポルトは右腰にある、革で作られた鞘に狩猟用のナイフを納める。

 レオポルトは、エゴンとは反対側に歩き出した。


「待て! そっちに行くのは危険だ!」


 背中越しに掛かる声に、レオポルトが振り返ることはなかった。

 それ以降、男がどんな顔をしていたのかは知らない。しかし、振り向いて確認する気もない。レオポルトは、王都に向かって森の中を歩む。シャルファーも後を追う。

 エゴンから段々と離れて行き、先程、上がって来た斜面に差し掛かる。少しでも身軽になった方が、身体の負担が少ない。そう思ったレオポルトは、左肩に掛かった背負い籠のベルトを外そうと手を当てた。生暖かい感触が手の平に伝わり、(ぬめ)る。肩に掛かったベルトを外そうとしても、血によって皮膚とくっついていて簡単には取れない。加えて、噛まれて穴が空いた箇所に、ベルトが食い込んでいる。これを剥がそうとしたら、ゆっくり慎重にならないといけない。勢いに任せて剥がそうとしたら、どうなってしまうか分からないからだ。

 レオポルトは、肩から手を離した。背負い籠は、このまま背負って行く。

 斜面を下りながら、飛んで追従するシャルファーが言う。


「アイツ、置いてきて良いの?」


「ああ。今は王都に帰る」


 レオポルトは、素っ気なく答えた。するとシャルファーが、困ったように額を抑える。

 この場に留まった方が安全だ。それは、妖精にも分かっている。ただ、レオポルトの傷が深いのも事実だった。早く治療しないと、そうシャルファーが考えるたびに、嫌な想像をする。彼女にとって、現実に起きてほしくないことだ。先程まで死のうとしていた人間を見ていたせいか、シャルファーの頭は死に関して敏感に反応していた。


「レオ……」


 死なないで、とは嫌でも口にしない。言葉にして現実になったら、後悔する。

 斜面を下ったレオポルトは、川沿いに進んでいた。川の流れに倣って歩き、森を抜けようとする。レオポルトも、王都に向かったところで何もできないことは重々承知している。兵士の方々に協力したい気持ちはあっても、足手まといになることは容易に想像できた。

 危険を冒してまで王都に帰る理由は、一つしかない。両親のことが心配だからだ。レオポルトにとって、傷の手当は二の次でしかなかった。だからと言って、怪我を蔑ろにはしていない。彼だって、死にたくないとは思っている。手当はするが、それ以上に両親の顔を見て安心したかった。街には危害が及んでいないことを、自分の目で確認したかった。


「それより、魔物の情報を見たときにあった、個体名、あれは何だ?」


「さあ……。でも人間に名前があるように、魔物に名前があってもおかしくはないんじゃない?」


「名前、か」


 川沿いに歩いて森を抜けたレオポルトは草原に出、街道に向かう。ここから見渡す限り、魔物は居ない。遠くにある筈の王都、しかし城壁は良く見えた。焦点を聳え立つ壁に合わせながら街道に出ると、道を右に折れて王都の街門を目指す。

 しばらく真っ直ぐ進んで行き、緩く曲がる。曲がったところを真っすぐ行けば、王都の街門だ。しかしレオポルトは、丸まった曲がり角で立ち止まった。そこからでも、戦場と化した草原が見えた。

 人と魔物は豆粒ほどにしか認められないが、区別はつく。街道上、或いは道から外れた草原の上で、死闘を繰り広げている。寝転がっているのは……おそらく、死骸。今も生きて戦っている者は、地面に転がる者達に気を配る余裕はない。


「なんてこと……」


 ふと、シャルファーが呟いた。

 緑だった場所は赤黒く染まり、草は踏み荒らされている。そのことに、シャルファーは怒っているわけではない。これから、レオポルトがここを抜けて行こうとしていることに不安を抱いている。


「ねえ、ここを行くの?」


 レオポルトに返答はない。

 このまま行けば、間違いなく危険だ。死地に自ら足を踏み入れることとなる。王都は安全なのだろうか。傷の治療をしなけらばならない。頭の中に、色々な事が巡る。死んでは元も子もないからこそ、レオポルトは歩き出すことができなかった。それに、街門の前では戦いに参加していない人達が集まっている。おそらく、行商人や旅人だろう。門の前で立ち往生しているのは、門扉が閉ざされているからだ。


「行ける筈もない」


 王都に入れないなど、全く予想していなかった。しかし、考えれば普通だ。魔物の集団が王都に迫るのなら、唯一の入り口である門を閉じれば後は城壁で塞がれる。こうなってしまえば、レオポルトも街に入ることはできない。現に、街門の前で居る者達は、周りを兵士によって守られている。でも、同時に城壁の中は無事なのだと、安堵もする。

 レオポルトはその場に、力が抜けるようにして尻をついた。


「レオ‼」


 すかさずシャルファーが、レオポルトの眼前に行って停空する。


「しっかりしなさい、レオ!」


 レオポルトの意識が遠のく。王都に帰る、それが彼の立っていられた理由だったが、今は成し得ることが叶わない。

 シャルファーが、何かを叫び続けている。しかし、レオポルトには届いていなかった。名前か、それとも他の言葉かは分からない。レオポルトは、眼前の妖精が涙ながらに何かを口にしていることしか認識できなかった。

 レオポルトの上半身が、横に傾く。背中に重心が乗って、もう彼に上体を支える力は残されていなかった。砂利道に倒れ込み、朦朧とする中でレオポルトが最期に感じたのは——風だった。

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