14話
男は元々、国王軍の兵士だった。王都の生まれと言うわけではないが、町の学舎を卒業後に、国王軍に志願した。他の者達と変わらない訓練生の時代が過ぎ、男は正式に軍への配属になる。ただ、先々代の国王の時代に終戦しているため、軍がやることは近郊の魔物退治や、あまり無いが野盗の討伐くらいだ。遠方からの援軍要請に従うことだってある。場合によっては、王族の護衛に任命されることだってあった。それ以外は、有事に備えての訓練だ。そうして日々が過ぎていったある日のこと、国王軍は近隣に巣食う野盗の討伐にあたった。男も、これに加わる。野党はかなりの規模まで拡大していた。男が住む国にしては珍しい。男は魔物を相手にしたことはあったが、実戦で人間を相手にしたことはなかった。しかし、結果から言って、この戦いで男は誰よりも功績を挙げ、武勲を立てる。その後、男は陛下により騎士に召し上げられた。剣も賜った。男は騎士になったため、軍も抜け、ある侯爵の下で村を任されるようになり、麾下も持った。更に男は妻を持ち、子も授かった。娘だった。男にとって二人ともかけがえのない家族だ。幸せな生活が続き——ある日、男を絶望に追いやる。その日、男は娘と出掛けた。男が任されていた村は城壁がないため、街道と直結している。魔物に狙われたら、男とその部隊が頼りだった。男も腕には自信がある。何度か、この村に来てからだって魔物を退治した。それに、娘と村の外へピクニックに行くのも、初めてではない。だからだろう。男は気付いていないが、油断していたのだ。娘と一緒に丘を登った後、そこで昼食を摂り、高台から村を眺望する。何ともない楽しい日常——突然、壊れた。数匹の魔物が押し寄せ、一瞬にして娘を殺した。突然ことで、男は放心するが、身体は反射的に魔物を殺す。村にも魔物が押し寄せようとしたが、事前に危機を察知した男の部下達により、被害はでなかった。いや、被害は男の娘だけだった、と言った方が正しい。その日、男の頭は何もかもを考えることができなかった。思考が働かない。家に帰って、事の成り行きを知った妻の顔を……男が忘れることは叶わなかった。男と妻は、間もなく離婚した。男に残ったのは、今まで通りの仕事と、顔の知れた麾下だけだった。娘のことをいつまで経っても頭から離れない……離れることのない男は、やがて、誰にも何言わずに王都に向けて馬を走られた。鎧も着けず、長剣をたった一本だけ携えた状態で。この剣は、護身用ではない。陛下に騎士の位を返上した後……。夜通し馬を走らせる男の思考は、最早、理知的とは程遠い。ああ、どうしてこうなった‼ 俺は何をしていたんだ。妻にも幻滅させられ、何が騎士だ‼‼‼ 娘の一人も守れずに——何が騎士だ、男はずっと反芻した。
⁂
レオポルトは、騎士の男の後を追って歩いていた。エゴンの方は離れたがっていたから、一応は背中がギリギリ見えるくらいの距離を保っている。とは言え、ここは森だ。何度か見失いそうにもなるし、向こうの歩速が遅くなれば、彼の背中が近づく。シャルファーは中空を飛んでついて来る。おそらく、向こうはすでに気付いているだろう。だが、エゴンがそれをとやかく言ってくる様子はない。それに甘えたレオポルトは、取り敢えずは男の後ろに付き従う。
エゴンは川沿いから離れて歩いていた。ずっと後を追っているレオポルトには、どこに向かっているのか分からない。ただ、先程の池から川沿いに歩いて、合流地点を直進せずに反対側に折れたので、北の方に向かっているのだろう。いや、川からは段々と離れている。北西に向かっている、の方が正確かもしれない。或いは、目的地はないかもしれない、とレオポルトは考えた。
「ねえ、どこに向かってるの?」
シャルファーが、不意に言った。
訊かれても、レオポルトにも分からない。
「さあな。ただ、王都からは離れている気がする」
そう、とシャルファーは返して、
「門の辺りで騒がしかった奴らとは、何か関係があるの?」
「あるだろうな。持っていた剣の……何て言うんだ? 刃じゃない部分が、王都で見た紋章と同じ作りになっていた。彼が騎士なら、あの人達は部下だって考えても良い。まあ、違うかもしれないし、そもそも、騎士が自分の部隊を持つかどうかも知らないしな」
エゴンは斜面を登った。レオポルトも続く。シャルファーは飛んでいるので、あまり関係はなかった。
「てゆーか、レオ。お店は良いの? まあ、今更だけど」
「良くは……ないだろうな。けど、人の死を見て見ぬふりなんてしたくない」
「人間って、面倒よね。繊細すぎる」
「だったら、先に帰ってても良いぞ」
「そんなこと言わないでよ。——まあ、アンタと一緒に英雄とやらを探さなきゃだしね」
レオポルトが斜面を上りきったところで、それで、とシャルファーが訊ねる。
「あの騎士とか言う奴は、英雄になりそう?」
レオポルトの呼気が荒い。普段、全くと言って良いほど運動をしていないからだろう。息切れをしながら、レオポルトは返答した。
「分からない。正直に言って、物語の中では騎士はある種、特別な存在として描かれるが、実際はどこまで凄いか、俺は知らない」
ただ、とレオポルトは続ける。
「個人専有魔法、が何かは気になる」
ここら辺は、木々がより一層と密集している。合間を縫って歩くエゴンの足取りを、レオポルトは必至で追う。——途端、グルルルルルと呻き声が聞こえた。森の中を反響する呻き声は、どこか獣のようで、レオポルトの足が止まる。そして、辺りを見渡した。
立ち止まったレオポルトに気付いたシャルファーが、少し先で停まる。
「どうしたの?」
シャルファーが半身になりながら訊いても、レオポルトに反応はない。呆れた妖精は、挙動不審に辺りを見回すレオポルトの許へ、飛んで寄って行った。
彼の頭上で停空するシャルファーが叫ぶ。
「レオ! どうしたの!」
レオポルトは我に返った。振り仰ぐと、シャルファーが眉根を寄せてこちらを見下ろしている。
「……いや、何でもない」
レオポルトが正面を向くと、あの騎士の姿はもうなかった。シャルファーも、同じ場所を見る。
「見失ったわね」
ああ、とだけ返したレオポルトは、ひとまず真っ直ぐ走り出す。シャルファーも一歩遅れて進むが、飛行している彼女は、すぐに走っているレオポルトに追いついた。
「それで、個人専有魔法、って何だ?」
途切れ途切れに、レオポルトは訊く。対するシャルファーの呼吸は乱れていない。
「言葉の意味通り、その人しか使えない魔法よ。まあ、どうしてそんな代物を手にするか知らないけど」
「それ、って、お前の、魔法の、ような、ものか」
「少し違う。アタシのような小妖精は、生まれたときに授かった魔法だけを生涯、使うことができる。でもあの人間のように、たとえ世界で一人しか使えない魔法を扱えても、その人は他の魔法も使うことができる」
聞いたレオポルトは息が上がって、そうか、の一言も返せない。騎士の歩く速度はどんだけ速いんだ、と内心で愚痴を溢す。すると、視線の先にある木々の間に、エゴンの背中が見えた。
すでにエゴンは森を抜けている。しかし、完全に追いつく必要はない。走る足を段々と緩めた瞬間——左肩に食い込む痛み。食われた、とレオポルトは脳裏に浮かんだ。
反対の肩越しを飛ぶシャルファーの頬を、赤い液が掠める。血だ、とシャルファーは咄嗟に理解した。
レオポルトは、首を左に振った。獣と思わしきものが、左肩に噛み付いている。視認した直後、
「ぐああああああああああああああああっ‼」
森中に轟く叫び声。レオポルトは左肩に重みを抱えながら、その場に倒れ込んだ。ドサッ、と土が音を立てる。背負い籠が背中に食い込む。
「レオ‼」
仰向けに倒れたレオポルト。シャルファーも、その肩に噛み付く獣の姿を認める。
一瞬、レオポルトは痛みで意識が飛びそうになった。が、必死に堪えて堪えて、猛烈に痛む肩口を見る。
獣……いや。
総称:ウン・ティーア・ヴォルフ
種族:魔物
個体名:テア
魔物だ。魔物だった。灰色の青みがかった毛色、加えて獰猛な狼の頭を冠した顔。瞳は真っ赤だ。
魔物の牙が、更に侵食する。骨へと達しようとしたとき、
「あのナイフを使いなさい!」
シャルファーが叫んだ。その声に、レオポルトは反応する。
右腰の辺りに携えていた狩猟用のナイフを、逆手に持って抜く。切っ先を魔物の首元を目掛け、思い切り突き刺す——が、ナイフの先端だけが僅かに食い込むだけだった。硬いのは毛皮か皮膚か、焦るレオポルトには考えられない。しかし魔物は、痛みを感じたのかレオポルトから離れる。
レオポルトも、痛みに耐えながら起き上がって真っ赤な瞳を見据える。丁度、こちらの間合いからは外れていた。だが、あの魔物からすれば踏み込んで一歩の間合いだろう。
——間合いに入って来られたところで、どうしようもできないけどね。
魔物は、四足歩行でじりじりと弧状に周る。やはり、切っ先だけが刺さったナイフは致命傷になっていない。牙を剝き出しにして喉を呻らせ、仕留めるタイミングを見計らっているようだ。実際にそうなのだろう。
レオポルトは、絶対に魔物から目を離さない。赤い瞳をずっと追い続け、その場でゆっくりと回る。
そこへ、シャルファーが肩に寄って来た。妖精は心配そうにレオポルトの傷口を見つめる。出血が止まらず、血糊が左手の指先まで垂れてきた。
「大丈夫?」
「そんなわけない。——それより、危ないぞ」
左腕は最早、感覚すらない。腕を動かそうとしたが、叶わなかった。そんなことよりもレオポルトは、シャルファーが戦いに巻き込まれる方が心配だった。
「でも……」
言い淀むシャルファー。同時に、魔物の動きが止まった。自分の鼓動が聞こえる。呼気も荒い。全身が震える。気を失ってもおかしくない。この場から逃げ出したい。
——けど、逃げたら死ぬ。
背中を見せて逃げたとしても、瞬時に追いつかれるだろう。レオポルトは最初に、それが頭に浮かんだ。
だったら、とレオポルトは足裏に力を入れ、少しだけ膝を曲げて腰を入れる。
魔物は依然と動かない。このまま睨み合っても、出血多量で死ぬ、とレオポルトは思った。
シャルファーは、レオポルトの肩と魔物を見比べ、ふとレオポルトの背後に視線を向けた。
「あいつ」
シャルファーが若干、言葉に怒気を含ませて呟いた。誰のことを言っているのか、レオポルトは確信しながらも言う。
「居るのか?」
「ええ。膝から崩れ落ちてるわ」
助けなさいよ、とシャルファーは叫んで歯ぎしりする。
確かに、職業が騎士の男は普通の兵士とは別格だろう。そもそも、無力な民を目の前にして見捨てない筈だ。だが、後ろに居る騎士は、たとえ助けを乞われたとしても動かないに決まっている。シャルファーだって、分かっている。分かっているが、それ以上に何もできない自分が腹立たしかった。
魔物と睨み合い、どのくらいの時間が経過したかは知らない。時間が経つたびに、レオポルトは脳が揺れる感覚に陥った。
何度目か、意識が飛びそうになったときぼやける視界に、レオポルトはつい頭を振った。
「レオ!」
迫り来る魔物を見据えながら、シャルファーが上擦った声を上げる。
しまった、とレオポルトが後悔した頃には、傷口を目掛けて狼の魔物が跳びかかってきた。一瞬だけ、目を逸らしたのは、ほんの僅かだと言うのに。
肩の近くには、シャルファーが居る。
——シャルが危ない!
咄嗟の思考で、レオポルトはシャルファーを庇うようにして前に立った。口を全開にして迫る魔物の口は、レオポルトの喉元へと。
寸前、レオポルトはナイフを突き刺した。逆手に持たれたナイフ。上から下に向かった切っ先は、偶然にも真っ赤な瞳に刺さった。勢いそのまま、狼の顔が地面へ落ち、身体も倒れ込む。
レオポルトは一気に力が抜け、ナイフを手放して尻もちをついた。魔物の左目に刺さったままの、身を護ってくれた武器を見つめる。本当に持って来て良かった。狩猟用とは言え、無いよりは絶対にマシだ。現に、レオポルトは生きている。
「レオ、無事?」
レオポルトの横に来たシャルファーが、心配そうな声色で問う。レオポルトは左を向いて、妖精を見る。しっかりと目を合わせて頷いた。そして、倒れている魔物へと視線を戻す。
ナイフは深々と刺さっていた。柄しか見えない。その刺さった個所から、血がどろどろと流れ、地面に血だまりを作っている。ピクリとも動かない魔物を見、レオポルトの身体から一気に緊張感がなくなった。強張っていた全身の筋肉が緩み、荒かった呼吸も徐々に整い始めた。左肩に激痛が奔る。
痛みに悶えながらも、鼓動が落ち着いたところでレオポルトが呟く。
「目が、弱点のなのか」
さあ、とシャルファーが答える。
毛皮か皮膚か、今になって考えても刃が通らなかったことに変わりはない。
「そんなことより、早く帰って傷の手当……」
シャルファーが捲し立てる途端、森中に遠吠えが鳴り響いた。甲高い澄んだ声だ。まるで、狼のような。レオポルトとシャルファーは、眼前に転がる魔物を見る。そしてすぐ、今しがたの遠吠えに呼応するかのように、同じ遠吠えが響き渡る。一匹や二匹ではない。それこそ、耳が痛くなるほど反響している。レオポルトの鼓動が速まった。指の先まで、震えが押し寄せて来る。シャルファーも、挙動不審に辺りを見渡す。
「レオ、あそこ!」
レオポルトはシャルファーの指差した、正面やや右方向を見据える。これ以上、集団で襲われたら命が。ただでさえ、一匹の魔物から単なる民が生き延びただけでも珍しい。
レオポルトは目を細めた。真っ赤な点が無数にある。木漏れ日とは言え、それを撥ね退けてまで、レオポルトの瞳に届いた。ただ、密集した木々のせいで、その身体までは確認できない。
「あれって……」
魔物の集団、と言う言葉をシャルファーは呑んだ。
レオポルトは、呆然と座り込んでいた。本当なら、この場から逃げ出すべきなのだろうが、無数の赤い瞳は反対側に離れていく。こちらには近づいてくる気配がない。証拠と言わんばかりに、赤い点々は徐々に数を減らしていき、ついには無くなった。
レオポルトは、安堵のため息を吐いた。
シャルファーも落ち着きを取り戻し、レオポルトの膝へと降り立つ。
「良かったわね。こっちに来なくて」
「ああ。でも、街道にでたところで、近くには王都がある。きっと、王軍がすぐに動いて……」
レオポルトは言葉を止めた。そのまま、口を閉じずにはいられない。
そんな彼の様子を、シャルファーは怪訝そうに見上げていた。
レオポルトの思考が回る。痛みも、後ろに居る騎士のことも、倒した魔物ことも忘れて最悪な事態を考え始めた。
身体を確認したわけではないが、狼に似た遠吠えと赤い瞳の集団。それが街道に出、近くに王都がある。そして、魔物は人間を襲う。レオポルトは旅をしたことがないため、外の危険性を知らない。だが、村が魔物の群れに襲撃された、などは宿屋に泊まる客から聞いたことがあった。街道を歩む人を襲うのも聞いたことはあるが、今回は違う。
「目的は、王都だ……っ」
レオポルトの口から、自然と発せられていた。




