13話
騎士の男が望んだ、国王陛下への謁見は叶った。門扉が開き、開け放たれたメインストリートでは、おそらく国王軍と思わしき兵士がずらっと並んでいた。まるで輸送だ。しかし、男は気にしない。早く陛下の許へ、と言う一心でいたが、それすら言葉にならないほど憔悴しきっていた。そんな男の前に、この部隊を率いているであろう隊長が出て来た。隊長は、男を見るなり跪く。「エゴン卿」と言った。その後、後ろで控えていた彼の部下も一様に跪く。これに対して男は何も答えない。代わりに隊長が跪いたまま、「何があったのですか……」と、静かに訊ねた。最初にこの騎士を見た瞬間から、隊長は疑問に思っていた。高貴な服はボロボロになり、男の顔もまたやつれて、終いには部下も伴わずに、陛下へ何用だ、と。男はこれに対しても、口を開かない。しばらくして隊長が、先導する形で王城に向かって歩き出す。男も後に続く。もしものことがあったらと、すぐに動かせる兵士を動員したが、あまり意味は為さなかった。本当に騎士だったのだから。しかも、エゴン卿が奸計を企てる人物ではない、と隊長は知っている。やがて城に着き、隊長は部下を帰して男を兵舎の客間に通した。王城の敷地内にある、兵舎だ。男は椅子にも座らず、ただ待っていた。隊長は男に声を掛けることもできず、黙っていた。やがて、執事に取り合わせに行った部下が戻って来ると、陛下は寝ておられる、と言う報告をする。報告を耳にしていた男が、隊長よりも早く「今すぐにお会いして伝えたいことがある!」と、切羽詰まったように声を荒げた。しかし、いくら男がそう言っても叶わない。騎士とは言え、王よりも偉い筈はない。当然、謁見は王の都合による。それでも、聞かない男を隊長が窘める。何とか言うことを聞いた男は、その夜、一睡もせずに夜を明かした。国王陛下への御目通りは、鶏が鳴いてから一時間後のことだった。朝早くから政務に取り込む陛下だが、謁見を願う騎士に一早く応じる。エゴン・フルストルムと聞いていたからでもあった。他の貴族からの推薦でなく、他ならぬ陛下自身が彼の功績を称えて騎士の爵位を与えたのだから。謁見では男から信じられぬ言葉を、陛下は耳にする。——騎士の爵位をお返しする——と、男は確かに申した。陛下は、自分があげた称号が不満か、と怒るより、突然のことで当惑した。やっと陛下からでてきた言葉は、「どうした?」だった。跪いて俯く男から返答はない……いや、微かながらしゃくり上げていた。玉座に座った陛下からは見えないが、男が涙を流していることは容易に想像がつく。陛下は男が口を開くのを待って、そして、——娘を守れませんでした——騎士を名乗る資格はありません——剣を折ります——と、嗚咽を堪えながら口にした。当然、陛下は納得しない。と言うより、事態を飲み込めなかった。話を理解するには、あまりにも説明が足りない。しかし陛下には、自身が授けた剣を折る、そう言った男の気持ちが本気であることだけは伝わった。ただ、男には余裕がない。それは、誰が見ても明白だ。陛下も男の言に、すぐには首を縦に振らなかった。代わりに陛下は「今日、落ち着いて考えをまとめよ。また翌日、そなたの言を聞く」、と言って男を帰した。男の考えは変わらない。落ち着くどころか、彼の焦燥は時間と共に膨れ上がる。やがて、男にとっての長い夜が明けた。もう、何日も寝ていない男は、そのまま陛下の御前に向かう。そして、昨日と同じことを訊かれた。男の答えは変わらない。その旨をしっかりと聞いた陛下は、苦渋に満ちた声音で「分かった」と、聞き届ける。男は跪きながら深々と礼をし、城を後にした。後は、娘の許に行くだけだ。どこか、心の枷が外れたような感覚に落ちた男は、王都の近くにある森で——自殺を。しかし、簡単にはできなかった。家族の思い出を一晩中、脳裏で耽り、翌日の昼過ぎまで続く。全ての思い出を出し切った男の憂いは、もう無い。男は覚悟を決めた。
⁂
「何やってんだあ‼」
胸の前で剣の切っ先を天に掲げ……違う! あれは、騎士の男は、剣の切っ先を自身の喉元に向けていた。
そう胸中で考えながら、レオポルトは男に向かって走る。騎士の男……名前は、エゴン・フルストルム。先程、シャルファー・ブリックで見た名だ。エゴンは、レオポルトの叫び声で、こちらを振り向いていた。それに構わず、レオポルトは彼の許に行くと、盛大にタックルをかます。
レオポルトが抱きつくように身を当て、エゴンは剣を手放した。背負い籠に入った香草がばら撒かれ、手放された剣が陽光を反射し、そのまま池へと落ちる。
仰向けになったエゴンは、首だけを池の方へ向けた。騎士に召し上げられた際に、陛下より賜った剣だ。しかし、エゴンは取りに行こうとしない。レオポルトが行く手を阻むように、身体を覆っているからではない。あの剣を、本当に自分の血で染めて良かったのか、間際まで分からないでいた。唯一、分かっているのは、剣がもう必要無い物だと言うことだ。それでも、
「剣が……」
エゴンは長年、自分の分身と言っても過言ではないその物の名を、呟いた。
エゴンは、捻っていた首を戻して眼前の男を見る。レオポルトは、池を見据えていた。自殺を止めた彼は、何を言うでもなく突然、エゴンから離れる。背負い籠をその辺に捨てて池に飛び込んだ。そして、潜って姿を消す。
「レオ⁉」
と、叫ぶ妖精の声は当然、呆ける騎士には届かない。
何が起こったのか、少なくとも自分が死んでいないことを確認したエゴンは、ようやく身を起こした。膝で歩いて池が覗き込める場所まで行ったエゴンは、水面を見る。厳つい間抜けた顔が、反射して映った。その顔を打ち破るように、ザブン、と小さな音を立てながら先程の青年が上がってくる。エゴンはつい、尻を付いて一歩ほど退った。
レオポルトは言葉が出ない騎士の前に、池に落ちた剣を置こうと……、
「重っ!」
置こうとするが、水から出した瞬間、一気に重みが増した。両手で柄を持ち、やっとのことで剣を陸に上げる。
「浮力? が無いと、こうも変わるのか」
実際に、この両刃の剣は両手用なのか片手用なのか、レオポルトには分からない。ただ感覚としては、少し長いように感じる。1メートルもないだろう。
レオポルトも、ほとりに手を付いて陸に上がる。両手で前髪を掻き上げ、顔面の水滴を拭った。そんな青年の姿を、エゴンはまじまじと見上げた。
レオポルトが地面に置いた剣を、持ち上げようとしたとき、ふとあることに気が付いた。剣の鍔から柄頭にかけて、王都で見た兵士が背負っていた盾の紋章になっている。きっと、あの見知らぬ兵士達と関係があるのだろう。もしかしたら、彼が騎士なら、その部下かもしれない。
深く考えなかったレオポルトは、地面に置かれた剣を持ち上げた。が、両手で柄を持っても切っ先は垂れ下がり、地面に着いてしまう。よっこいしょ、と言いながら剣を引きずり、一歩だけ前に踏み出した。
「どうぞ。——もう、バカなことは考えないでください」
言ってレオポルトは、騎士の前に剣を差し出した。しかし一向に受け取る気配がないので、彼の前に置く。ふと、彼の体躯が目に入った。座っているが、彼が立ったらレオポルトよりも頭一つほどはエゴンの方が大きい。それに、鍛え抜かれた身体が、服の上からでも分かる。ただ、肩幅があまり広くないせいか、この騎士が立ち塞がっても威圧感はあまり無いだろう、とレオポルトは思った。
エゴンは、眼下に置かれた剣とレオポルトとの間で、視線を彷徨わせていた。
レオポルトは、つい頭を掻いた。何事も発さない騎士を前にして、こちらも何を言えば良いのか分からない。ましてや、相手は自殺を図ろうとした身だ。下手に接して良いかどうか、そんな疑問も頭によぎる。
エゴンは見知らぬ青年を見上げ、レオポルトは視線を逸らしていた。そこに、シャルファーが駆け寄るように飛んで来る。
「レオ、無事?」
これにレオポルトは答えない。シャルファーも、返答がないことに怒りはしない。それどころか、彼の身体を隅々まで見て回った。
「良かった。怪我はないみたいね」
水に飛び込んだだけだ、とレオポルトは内心で言う。
頭上で停空したシャルファーが、口を半開きにしたままの男を見る。
「それで、どうするの?」
レオポルトはもう一度、頭を掻いた。
どうする、と言っても、どうすれば良いか分からない。勢いで、と言うより、シャルファーが背中を押したのもあって自殺を止めた。その後のことは考えていない。取り敢えず、目の前で死なれても寝覚めが悪いのは事実だ。レオポルトも、初対面の人が目の前で死のうとしていたら止めるし、しかし理由は訊ねない。
レオポルトはため息を吐くと、座り込むエゴンを見やる。
「まずは帰りましょう」
一回、しっかりと騎士に向かって力強く頷いた。そして、騎士の後方にある背負い籠の所へ向かう。レオポルトは転がっていた背負い籠を起こし、辺りに散らばった香草を拾い入れた。あらかた散らばった香草を拾い終えたレオポルトは、振り返ってシャルファーを見る。彼女はいまだに、エゴンを見下ろすように観察していた。
レオポルトは、じっと妖精を見つめる。すると、シャルファーがレオポルトの視線に気が付いた。次いで、レオポルトの眼前に飛んで来る。
シャルファーの顔は、どこか複雑そうだった。レオポルトは、口パクで訊ねる。
(どうした?)
「いや……」
と、言い淀んだシャルファーだったが、エゴンへと視線を向けると口を開く。
「まだ、彼は死のうとしている」
レオポルトは、何も言わなかった。いや、何も言えない、と言った方が正しい。前世は普通の高校生として過ごし、今は一介の宿屋だ。
——俺は、心理カウンセラーじゃない。
どのように接しれば良いか分からない。下手に声を掛けることも、励ますこともできはしない。
座り込む騎士も、剣を取ることをしなければ、立ち上がることもレオポルトを振り返ることもしない。彼の背中は、ただ茫然としているように思えた。
レオポルトは背負い籠を背負う。それを認めたシャルファーが、
「帰るの?」
不安そうに言った。
レオポルトは首を横に振る。ここで、あの男を見捨てて行けるほど、レオポルトは薄情ではない。それは先日の王女の一件で、シャルファーも良く知っていることだ。レオポルトは案外、お節介だ。そう、妖精が勝手に胸の内で納得していると、ふいにレオポルトがシャルファーの方を向いた。そう言えば、と声を出さずに話してくる。
(お前、今回はやけに積極的だよな)
はあ? とシャルファーは訊き返す。
(お前が人の生死にかかわるのが、何か以外だったんだ)
「別に……。アタシだって、そんなに薄情じゃない」
それに、とシャルファーは言葉を続ける。
「草木は生きてる。さっき言った通りね。川だって、そこに住む魚たちが居る。だから、生き物が住む場所を、血で汚したくなかっただけ」
そうか、とレオポルトは内心で返した。
「……さて」
レオポルトは、いまだに動く気配がないエゴンの背中を見る。
彼の背中に、優しく言葉を掛けた。
「行きましょう」
たった、この一言だけでもレオポルトの神経はすり減った。彼の心情は分からない。かと言って、放っておくことも、レオポルトはできなかった。
レオポルトの言に反応した男は、座ったまま身を捩ってこちらを向いた。口を開けてレオポルトを見つめる男を、しっかりと見据え返す。
ややあって、エゴンが声を出した。
「君は……」
レオポルトは、言葉の続きを待つ。
「……どうして」
レオポルトにとって、それだけで十分だった。どうして、が何を示しているのかは分かる。自殺を止めた理由は、半分はシャルファーの言葉だ。自分が見捨てられなかった、と言うこともある。
レオポルトは、答える。
「川や草木を、血で汚したくなかっただけですよ」
「それアタシのセリフ⁉」
聞いたエゴンは、座ったままだが膝もこちらに向けた。レオポルトを見上げていた騎士は、ふいに俯いた。それを見たレオポルトが、首を傾げる。
「だったら、俺はどこで死ねば良いのだ……」
紛れもない、騎士から発せられた声だった。レオポルトは、押し黙る。返答のしようもない。黙ってエゴンを見下ろしていると、彼が言う。
「放っておいてくれないか」
これも、レオポルトは何も返さない。ただ、エゴンの情報を見る。
願望:自殺
自殺をしようとしている意思は消えていない。シャルファーも、困ったようにレオポルトの顔を覗き込んだ。
「やっぱり、放っとくしかないの? でも……」
それ以上、シャルファーは口に出さなかった。しかし、レオポルトにも言いたいことは伝わる。エゴンとこの場で別れれば、確実にまた自殺を図ろうとする。シャルファー・ブリックが示しているのだから、間違いない。
行きましょう、と声を掛けようとしたレオポルトよりも早く、騎士の男が言う。
「自然に迷惑を掛けない場所を選ぶ。君の行動と考えを否定するつもりもない」
だが、とエゴンは今にも泣き崩れそうだった。
「早く、娘の許へ行きたいんだ……っ!」
レオポルトは、開き掛けていた口を噤んだ。
娘の許へ。そして、自殺。レオポルトの頭の中は、漠然とだが彼が死のうとしている理由が浮かんできた。こんな状況でも、不思議と思考が冷静に働く。
黙って騎士を見つめるレオポルトを余所に、シャルファーは唸っていた。そして、独り言のように呟き始める。
「娘……って言っても、死んでる。娘の許へ行くって、まさか……」
シャルファーが言ったせいか、嫌でも情報が目に入る。
家族構成:父(他界) 母(他界) 娘(他界)
娘は死んでいる。レオポルトが思い至っていたことだが、やはりそうだった。しかし、死因は分からない。病死だとしたら、自殺まで考えるだろうか、とレオポルトは思う。病気は仕方ないことだ。だが男は自責の念に苛まれている、責任を全て背負い込んでいる。何と言えば分からないが、自分が死ぬことで、全てを終わらせるかのような、それほどエゴンには余裕がないように見えた。それに、家族構成に『妻』が居ないのも気になる。
一向に離れないレオポルトを一瞥したエゴンは、剣を拾って立ち上がった。剣を鞘にしまう。今度は、レオポルトが目の前の男を見上げる。
「そうか。君は用があって、ここに来ているのか。だったら、俺が去ろう」
言ってエゴンは、川沿いに沿って歩いて行ってしまう。
レオポルトは無言で、去って行く彼の背中を見つめる。
「どうするの?」
と、シャルファーが訊いてきた。
ここで別れれば、少なからずエゴンは死ぬだろう。それは、レオポルトには関係のないことかもしれない。ただ、自殺をするのが確定している相手を放っておけるほど、レオポルトは無情ではなかった。
「後を追って、様子を見てみるか」




