弟子のおつかい
「……なんですか、これ」
ある日、用事を済ませて自分の部屋に戻ったら、部屋の様子が一変していた。
以前の倍以上に広くなり、一方で使っていた調度品のほとんどは、簡単な衝立で区切られた区画に置かれている。その他の場所には、魔王様が自室においていた本棚や研究道具があった。
そして部屋の中央には、俺の寝台と魔王様の寝台が合わさったようなデザインの、巨大な寝台……。
「どうです? 魔王様の部屋とお弟子さんの部屋を合体させてみました」
なぜか部屋にいる杖。相変わらずの得意げな口調。やっぱりお前か。
「だからお前は何でこういう勝手なことをするんだ。マジで薪になりたいのか」
「これは私がやらせたのだ」
「ふぁ?!」
突然の魔王様の声。びっくりするほど変な声をあげてしまった。
「ま、魔王様……。いらっしゃったんですね……」
魔王様は以前の巨躯から俺よりも小さい姿になっているため、気配を感じにくい。
声のする方向には、ぶかぶかのローブを着た魔王様。そのローブじゃ動いたり作業したりするのに支障がでるだろうに、なぜか着替えようとしないのだ。可愛いかよ。
「この姿になってから、お前に色々と手助けを頼むことが増えた。こうすればわざわざ呼ばずとも良いと思ったのだ。駄目だったか?」
そして上目遣い。いや、ただ俺の事を見上げているだけだ。これを上目遣いと解釈してしまう俺の心は相当にイかれている。
「全く……問題ありません……」
口をちゃんと制御しなければ「かわいい」の四文字が出てしまいそうだ。
というか魔王様のこの提案、俺にずっと傍に居て欲しいって意味だよな? それって……。
「失礼します」
新たに部屋に入ってきたのは、龍の将軍。龍の強靭な鱗、肉体をもちつつも、骨格のほとんどは人間だ。龍人というのがいいのかもしれない。
魔王様の軍は龍軍、鬼軍といった感じで細分されていて、それぞれに階級がある。
「お疲れ様。将軍がここに来るなんて珍しいね」
彼は、俺が魔王様の弟子になった頃から仲良くしてくれていた。
なんでも魔王様が捕えた人間と、自分で作った龍を合成させて作ったとかで、少し人の頃の記憶や感情が残っているらしい。それで魔王軍唯一の人間である俺を気にかけてくれたって形だ。
「実は、今日はお弟子さんに話がありまして」
「え、俺?」
――
「魔王様からこれだけ離れた場所に来るのは初めてです」
「……しゃべりすぎるなよ」
「わかってます」
将軍とのやり取りからほどなくして、俺は人の街に向かっていた。……杖を連れて。
経緯はこうだ。
まず、龍の将軍の要件というのが、彼の部下達の武器を強化できる珍しい素材を手に入れてきて欲しいというものだった。
その素材は遺跡の中で壺の形に加工された状態であったらしい。しかしそれを突き止めると同時に、人間の冒険家が壺を発見し、街にて売ってしまった。
人の技術では加工できない素材のため、壺は珍しいが役に立たないものとして、恐らく安く売られてしまう。
人間の街の内部を偵察するのは困難で、壺の行方は分からなくなってしまった。
貴重な素材とはいえ壺一つのために街に軍を差し向けるわけにはいかない。
そのため、人間の俺が街へ行き、壺を探し出して買ってくる必要があるのだ。
けれど、俺は街に入れるが壺を探すことはできない。そのため、鑑定能のある杖が同伴することになった。
「それにしても、何でそんなに嫌そうなんですか?」
まだ魔王領に近く、人通りのない山道を進む中、杖が効いてきた。
今、杖は俺が背負う形で同伴している。その上からローブを着ることで、杖が人に見られないようにしているのだ。
「別に……お前と二人ってのがなんか嫌なんだよ」
「魔王様と会えないのは関係ないので?」
「う……」
正直、それは間違ってはいない。魔王様の弟子になって以来、特に魔王様が今の姿になってからは、基本的に一緒に行動していた。たかがお使いとはいえ、これだけ魔王様から離れるのは初めてだ。
「それはともかく、私なんでそんなに嫌われてるんですか?」
面と向かってよくこんなこと言えるもんだ。
「信用できないからだ。事前に承諾も取らずに魔王様に魔法をかけるような奴を背負わなきゃいけないんだぞ。それに……」
「それに?」
「お前、魔王様だけじゃなくて俺にも何かしただろ」
「人聞きの悪い。何でそう思うんですか」
「お前が魔王様をあの姿にしてから、自分でも明らかに何か変わったって感じてるんだよ。魔王様に対して……なんというか……」
感情を言語化できなかった。魔王様と接した時、感じるものが明らかに変わったという実感はある。子供の姿を目の当たりにしているから、庇護欲が湧いているのかと思ったこともあるが、多分違う。庇護欲とも、前のような尊敬とも違う感情が自分の中にあるのだ。
「ワタシは何もしていませんよ」
言い淀んでいる間に、杖が言った。
「そんなわけないだろ」
「本当です。強いて言うなら、ワタシが魔王様をあの姿にした直後に、お弟子さんの怒りを抑える術をかけたくらいです。もし何か変化があった感覚があるなら、それはお弟子さんの中で自然に起こった変化かと」
「なんとでもいえるだろ……」
「いずれはっきりするかと」
結局、会話はそれきりだった。
――
「……僭越ながら、魔王様」
同時刻、魔王の居室。龍の将軍が本棚の上のほうにある本を取り、魔王に手渡す。子供の姿になる前の魔王は、龍の将軍よりも体躯が大きかった。その大きさに合わせて作られた本棚はかなり大きく、上の段ともなると龍の将軍ですら踏み台が必要だ。
「なんだ」
短い返答だが、魔王の声色に別段感情は含まれていない。ただ作業の合間に受け答えをしているだけである。
「依頼した私が言うことではないのですが、本当にお弟子さんを街に行かせて良かったのでしょうか」
少し気まずそうに、将軍は頬の鱗を爪でかく。
魔王は受け取った書物を机に置き、広げた。そして将軍を一瞥もすることなく、作業を再開する。
「どうしてだ?」
「普段魔王様は身の周りの世話をお弟子さんに任せていらっしゃるので、何かそうしなければいけない理由があるのかと」
「別段理由があるわけではないが」
「ではなぜいつもお弟子さんを世話役として傍につけているので? お弟子さんは戦闘能力も高いですし、我が軍の二番手として戦場に赴いてもよいのでは、と思いまして……。一武官の戯言ではありますが」
魔王はしばらく黙り込んだ。
将軍も魔王の返答を待ち黙っている。何をしろという指示も出ていないので、部屋の隅で直立の姿勢だ。
「……先ほど出した魔導書の右隣にあった魔導書をとってくれ」
次の魔王の言葉は、そんな単純な命令だった。将軍は何も言わずそれに従う。先ほど使い終わった後脇に避けていた踏み台を移動させ、その上に乗った。
「私があの弟子を傍に置いている理由だが」
本を受け取るため、踏み台の傍に歩いてきた魔王。
「はい」
「正直なところ、私にもわからないのだ」
「……はあ」
想定外の返答に、龍の将軍は思わず手を止め、魔王を見下ろす。
「あれを軍に引き入れたのは私だ。だから面倒を見なければいけないというのはある。だがはっきり言って、あれを自分の傍に置いておきたい理由がよくわからないのだ」
数秒の沈黙。その間、龍の将軍は魔王の言葉の意味を考えていた。
「あの、それは……」
たどり着いた答えを言おうとして、龍の将軍は思わず足を移動させる。
その瞬間椅子のバランスが崩れ、龍の将軍もろとも魔王の方向へ向かって倒れた。
椅子が倒れる音と、龍の将軍が持っていた本が床に落ちる音。
そして扉が開く音。
「戻りましたー……」
弟子と杖が、魔王の部屋に戻ってきた。
――
……今俺は何を見ているのだろうか。
俺が不在の間、魔王様の世話を頼んだ龍の将軍が、魔王様の上に倒れこんでいる。いや、押し倒していると言ったほうがいいだろうか。
部屋に入った時にした物音と、魔王様達の周りの物の散らかり方から察するに、魔王様に代わって本を取ろうとした龍の将軍がバランスを崩し、足場にしていた椅子ごと魔王様の方向へ倒れたらしい。
「も、申し訳ありません!」
龍の将軍が慌てて起き上がった。
「……何してたんだ?」
声をかけてみる。
部屋に入る時の俺の声は物音でかき消されていたらしく、龍の将軍は驚いた様子で俺の方に顔を向けた。
「す、すみません、少々トラブルが……」
その後、自分が何を言ったのかよく覚えていない。魔王様に怪我の可能性があったことを口実に、龍の将軍に怒ったというのはなんとなく覚えている。だが我を忘れていたようで、どのような文言か、そしてどういう流れで龍の将軍と杖が部屋を去り、自分と魔王様だけの状態になったのか、一切記憶に残っていない。
我に返った時には、俺は部屋に立ちつくしていた。魔王様は、俺のことを気に留めず、作業をしている。
「お、俺、言いすぎてました……よね……」
記憶は朧げながらも、察しがついている事柄を魔王様に尋ねてみる。
「ああ。将軍はただ椅子から倒れただけだ。私への被害を最小限にしようとも努めていた。あれほど我を忘れたお前を見たのは初めてだ」
「……将軍に謝ってきます」
罪悪感に加え、この場の空気に耐えられそうにない。俺は急いで魔王様に背を向け、部屋を出ようとした。
「だが……」
魔王様の声がして、立ち止まる。
「お前が私のことを考えてくれているのは、よくわかった」
とても、魔王様らしくない言葉だった。恐る恐る振り返り、魔王様の顔を見た。
魔王様は扉の反対側にある本棚に向いていて、こちらからは背中しか見ることができなかった。